蜜柑とアイスの共存
猫と卵と空洞
朝、窓の外では小鳥がちゅんちゅん鳴いている。すがすがしい朝だ。
横ですやすや眠っている己の……むずがゆい言い方だが恋人、であるヴァイエン先生をぼんやりと眺めて、ほっこりとした気分に浸っていた。いつもは彼の方が早くに起きているので朝に寝顔を見られるのは貴重なのだ。──その分、彼は早寝かつ寝付きがとてもいいので夜の寝顔は結構見るのだけれど。
ふと、ベッドの中に何か堅い物体があることに気がついた。ベッドの中には枕など普通のものしか持ち込んではいないし、昨晩は湯たんぽなども作っていないはずなのでおれは首をかしげる。
「なにこれ……」
布団の中に顔と手を突っ込み、暗がりから取り出したのは、乳白色の卵だった。
卵。卵焼きとか、卵かけご飯とか、その他もろもろの卵料理を作るときにおなじみの物価の優等生の、卵だ。一つ特筆すべき点があると言えば、その卵はダチョウサイズという点だろうか。ラグビーボールぐらいのサイズがおれの手にある。なかなかお目にかかれないサイズに混乱は増していく。
なぜ寝室に卵があるのか。疑問点はそれにつきる。布団の中にあったためおれたち二人の体温で暖められたのだろう、手の中の卵はほんのりとあたたかい。し、ずっしりとした重みもある。
何の変哲もないものだが、出所がわからないためこわごわと触れるにとどまるおれ。すると、おれの手のひらの上で卵がわずかに揺れたような気がした。
「うわっっ!?!」
素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし卵を思わず放り投げなかったのは、寝室が大変なことになることが頭の片隅にでもあったが故だ。オーケイ、ナイスだおれ。
しかし……この卵をどうしたことだろう。ヴァイエン先生は基本一度寝たら朝まで起きないので、彼が何かを知っているという期待もできない。というか彼は今の叫び声でも起きなかったのだろうか……ちらりと彼の方を確認すれば、やはりうるさかったのだろう彼は目を擦りながらもぞもぞと起きてきた。
「どうした……朝からずいぶん……ふぁ、賑やかだな……」
眠そうなヴァイエン先生、かわいい……じゃ、じゃなくて! 博識な彼であれば、朝起きて突然卵が現れたという謎の現象にもなにか思い当たることがあるかもしれない。ほとほと困り果てたおれは、ずっと抱いたままだった卵を彼の眼前に差し出した。
「……おや」
眠そうな目をしていた彼はわずかに目を見開いて、それからふっと微笑んだ。え、な、なに……? 何か訳知りのようだけど。混乱するおれをよそにヴァイエン先生はおれから卵を受け取り、さらには愛おしげに撫ではじめた。
「ふふ……そうか、まさか卵が生まれるとはなぁ……」
「ど、どういう、こと?」
彼の行動の意図がわからずただただ困惑するおれ。卵を抱えつつうれしそうな微笑みをおれにも向けてくるヴァイエン先生。
え……ほんと何……?
*
一通り混乱しきった後、ようやく彼は説明を始めてくれた。なんでも彼は……というか彼の種族は時折卵を産むことがあるらしく(?!)、加えて卵を生むときは男でも女でも生めるらしく(?!)、親しくすることによって生まれるらしい。親しくって比喩じゃないのか?! と盛大に驚いたが、他の住人から話を聞いてもあまり珍しいことではないようだ。
地球からの転移者であるおれにはまったく理解が及ばないことばかりではある。つまり、おれにはいつの間にか子供ができていた……らしい。いや、まだ孵っていないからもうすぐできる……のか? いや重要なのはそこではない。正直まだ受け止めきれているとは言いがたいが、一児の父として覚悟を決める必要があるだろう。
こうして、おれとヴァイエン先生の孵化生活が始まったのだった。
とはいえ普段おれは指揮官として動いているので、基本的には図書館内にいるヴァイエン先生が。仕事が一段落したときはおれが。二人とも戦場にいるときは託児施設を利用して、絶えず暖めている。託児施設。すごい。なまじこの惑星にはいろんな種族が住んでいるので、ありとあらゆる設備が整っているらしい。おまけに男性には兵役があるのでそのぶん充実しているとは誇らしげな神官殿の談だ。
「しかし、いきなり子供ができるとは驚いただろう」
「リングネスさん……はい、まぁ、かなり……」
「フン、指揮官としての自覚がたりんのだろう。そもそも子をなす方法を知らずに恋人を作るなど無責任だというのだ」
「いや……さすがに自分の種族の知識はあるけど、さすがに異種族のことはわからんですよ……」
カールスバーグ……さんはいつも通り憎まれ口を叩いてくる。彼はヴァイエン先生のことを尊敬しているので彼に関してはとくに何も言わないが、ことおれに対してはあたりが強い。元々強かったが、彼と付き合っていることを知られてからさらに強くなった気がする。きっと憧れの先生をとられた、みたいな感じなんだろうか。
「まぁ、世帯を持つのならあまり飲みに誘うのも悪いだろう。タイガーにもよく言っておく。……が、あまり無理はするんじゃないぞ。何か困ったことがあったら、我々がいつでも力になろう」
頼もしいセリフが聞こえてきた。カールスバーグさんはその横でフンと鼻を鳴らしている。そして「生まれてくる子供に罪はないのだ、協力してやらなくもない」と続けて言った。ツンデレだ。めちゃくちゃ心強い。
「あ、ありがとうございます……!」
「いきなり驚かせてすまなかったな」
数日経った頃、ヴァイエン先生がそう謝った。首をかしげていると、実は彼自身も子供ができたことには驚いていたらしい。
「君の気持ちを疑うわけではないし、私自身も君のことを悪からず思っているが……この通り私は、そこそこ長く生きているからな。まさか子供を欲しているとは……私としても、想定外だったのだよ。それと、子供ができる方法についても君に伝えておくべきだった」
「……」
「無論、子が生まれることは喜ばしいし……君が私と同じ気持ちでいたのも……ふふ、とても、心地良いと思う」
彼はそう言っておれの頬を撫でた。確かに、おれからしてみればすることもしていないのに、そもそも男同士なのに子供ができることは驚いたとしか言いようがないが、ただ、生命の生まれ方についてはサンミゲルという例がいるし……全く受け入れられないというほどではない。もちろん、これから子供が生まれるというのに、受け入れるだの入れないだの言っている場合でないというのもあるが。
「おれは、ヴァイエン先生との子供、うれしいよ」
彼の手をとって、気持ちが伝わるように真っ直ぐ見つめてそういうと、彼は目を細めて揺らがせたのがわかった。
「……これからは世帯をともにするというのに、いつまでも先生、という呼称は改める必要があるかもしれんな」
「……ヴァイエン、さん? ……うわ、うわ、これハンパなく恥ずかしいよ! そもそも敬語なくすのだって、かなり恥ずかしかったのに!」
「なに、言葉遣いのときのように、少しずつなれていけばいい」
真っ赤に染まったおれの頬を撫でたり、ふにふにつまんで遊んでみたりするヴァイエンせん……じゃなかった、ヴァイエンさん。まぁ……楽しそうだし、いいか。
自分の子供が卵で生まれてくるというまさかの展開だが、どっしり構えているパートナーと理解のある同僚に救われ、早くも一ヶ月経った頃だった。朝起きると、卵にわずかにヒビが入っていることに気がついた。この頃は卵の内側から振動がくるのも頻繁になっていたし、いよいよかとヴァイエン先生とともに見守る。
こつり、こつり、殻の音がなり、亀裂も徐々に大きなものになっていく。あまり手出しはしない方がいいだろいうという話は聞いているのだが、正直はらはらしてしょうがない。一分一秒がとても長く感じてしまう。
どれくらいの時間がたっただろう。穴が開き、その隙間からついに子供がどのような姿をしているのか見ることができ──。
*
「──…、……これ、もう起きなければ遅刻をするぞ」
「……。……は、」
目を開けると、困ったように眉を下げるヴァイエン先生がいた。
「……卵……、……?」
「や、鼻がいいな……ご明察、今日は目玉焼き、だ。お主好みの固さに焼いておいたが……はやく起きてこないと、せっかくの朝食が冷めてしまうぞ」
もぞもぞと起き上がり、窓から射し込む朝日を受ける。卵……卵? 何か、卵に関する夢を見ていたような……。いや、そうだったっけ? 子供がどうの、みたいな夢だったような気もする。
「ん、んん、起きます……」
「うむ、それがいいだろう」
「おはようございます……」
「おはよう、今日は良い天気だ」
何か夢を見ていたことは憶えているのに、それがどんな内容だったのかがまったく思い出せない。よくあることといえばそうだが、今日はやたらとその内容を思い出そうと頑張ってしまう。そうしていると当然起きると言ったのにいつまでも起きてこないのをヴァイエン先生は不思議に思うだろう。居間の方からおれの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
それにはっとして、慌てて返事をして半ば転びそうになりながら寝室を出る。せっかくの朝食が冷めてしまうのはいただけない。
「ねー」
「うん?」
「……おれがいきなりヴァイエン先生のこと、呼び捨てとかで呼んだらどう思う?」
「ほう? それは親しみを込めて、という意味で捉えてもいいのかな」
「親しみ……んー、そうかな、そうだね」
「私はいつでも歓迎するぞ?」
「え……じゃ、じゃあ……、ヴァイエン」
「……」
「……先生」
「……ふ、」
「あっ! 笑わないでくれます?! がんばったのに!」
「ふふ、いや、すまない。おかしくて笑ったわけではないよ。私もちょっと、照れてしまったからな」
「ええー、ほんと?」
じっとりとヴァイエン先生をみつめる。よくよく見ると、耳が若干赤い気がしたのでちょっとだけ満足した。
今日見た夢について、まぁおそらく夢なのだから、現実味のない内容だったのだろうけど。
しかしながらことこの惑星においては、おれの常識でも測れないことも、数え切れないほどあるのだから、もしかすると思い出せない夢の内容が現実になることもあり得ないことではないのかもしれないな、と食卓にて手を合わせながらぼんやり思った。
18/12/21
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