蜜柑とアイスの共存

Who are you?


そよそよと風が吹いている。見晴らしの良いこの丘には、モーリュの花が陽の光を浴びて咲き誇っている。人がよく通るそこは墓守なる人物が管理をしており、伸びすぎた木は剪定され、雑草は定期的に引き抜かれ。ボランティア含め、この墓地は多くの人々に愛され整備されていた。そこに二十六、七ぐらいの年の頃だろうか。質の良い服に身を包んだ青年が墓石に花をそなえている。彼は一人でそこにたたずんでいた。ゆっくりと立ち上がった後、そっと目を伏せる。何かを考え込むように数分か、数十分か。まるで時が止まったようにまぶたを伏せていた彼はやっと目を開けると、「また来るよ」と墓石に向かってつぶやいた。
 ここは、彼の両親の墓だった。十数年前、まだ幼い子供でしかなかった彼を遺して両親は事故で亡くなった。それはあまりにいきなりのことで、当然理解などできるはずもなかった。現実味のないまま彼は家の者に手を引かれ、両親の葬儀をすませて喪失感を抱えたまま日常に戻ろうとしていた。
 だが、彼は一人ではなかった。彼の傷ついた幼心を癒やしたのは、遠い昔に幼くしてなくなったのだという──この土地の、由緒ある家の娘のローゼの姿だった。最後に見た両親の顔色はひどく血色が悪く、彼は度々悪夢にうなされるほどだったが、棺の中の彼女はまるで眠るようにそこにいた。とても両親に愛されていた彼女は、その死を嘆い両親に頼まれ、とある医者が朽ちないように遺体に処置を施したのだそうだ。そのおかげで彼女は今でもその可憐さを失わずに眠り続けているのだという。
 しかしそんな彼女に、最近変わったことが起こっている。
「──…ああ、今日は遊びに行っているのか」
 彼女の棺が収められている小屋の中、空っぽになった小さな箱の縁を撫でて青年はひとりごつ。そう、彼女は、百年も昔に既に亡くなっているはずの彼女は、しばらく前からこうしてどこかへ「遊びに」行くようになった。
 始めて彼女がいなくなった時は小屋の中が荒れていたこともあり皆大騒ぎしていたが、しばらく経てば彼女は何事もなかったかのように棺のなかに帰ってきていたのだ。一度ではすまずその後も度々棺の中を抜け出している彼女が傷つかないように、彼女の姿がより美しく見えるようにと用意されたガラス製の棺は別のものに変えられた。以前より彼女の姿が見えにくくなったのは残念がっていた者も多かったが、それよりも彼女が傷つくことの方が問題だと皆理解していた。
 百年間眠っていた彼女が、幼くして亡くなった彼女が。外に飛び出して遊び回っている。普通ではあり得ないことも不思議と受け入れられるのは、そもそもの彼女自身が世にも不思議な存在だからといのもあるだろう。

 仕事の都合で少し離れた街を訪れていた。つつがなく話も終わり、あとは家の者にちょっとした土産でも買っていってやろうと市場を見ていた時のことだ。人混みであふれているにも関わらず、その姿はまるで必然であるかのように青年の瞳の中に飛び込んできた。ほんの瞬きをする間に、行き交う人の影で見えなくなってしまったにも関わらず、網膜に焼き付いたその後ろ姿を求めて青年は人と人の間を縫っていった。その小さな背の姿は!
「っ、ローゼ!」
 つかんだのは、細い腕だった。当然驚いたのだろう。はじかれたように振り返った少女の瞳は見開かれていて、その色は初めて見るものだったがごく自然に青年の胸にすとんと落ちてきた。人混みをかき分けてきたせいで青年の服は乱れており、またセットしていた髪もあちこちに跳ねている。さっと青年の見てくれに視線を通した少女は、捕まれた腕のまま一歩後ずさった。
「なっ、なんだぁ?! おっさん、さては変態か!?」
「はっ……はぁ?! 何を……っ」
 思わぬ言葉に言い返そうとして、詰まった。よくよく見ると彼女はローゼとうり二つではあるものの、何やらおかしな格好をしている。左右非対称のねじれがある大きなツノに、コウモリの様な羽と尻尾。なんなんだ、今日は仮装大会か何かか?
 ──いや、いや。問題はそこではない。青年は初対面の幼女の腕をいきなりつかんで引き留めるという所業を犯してしまったのだ。これでは彼女の言うとおり変態と間違えられても良いわけができない。これ以上言葉を重ねても道行く人々の視線がより強固に突き刺さるだけだ。言い訳をやめて頭を下げたが、棺越しでない状態で彼女と対面できるものかと少しでも期待した分落胆は大きい。いきなり声をかけてきたかと思えば落ち込み始めた見知らぬ男に、ツートンの髪色をした少女は警戒の色を深めるよりも興味深そうに顔を覗き込んだ。
「っていうか、おっさんヤバすぎないか? どうかしてるよ。医者でも呼ぶ?」
「いや、結構だ。失礼、何でもない。急に腕をつかんで悪かった、謝るよ。……、はぁ、こんなお子様をローゼだと思った俺が馬鹿だった……」
「……んん?」
 青年の独り言に少女は片眉を上げた。顎に手を当てて何かを考えているようだが、自己嫌悪に陥っている男はそちらに注意を払うことはない。
「なぁおっさん。あたしさ、ちょうどいま暇してたんだよね。そんなにあたしの事が気になるんなら、一緒に遊んでやってもいーよ?」
「は? いや、気になるなんてことは、」
「そろそろお腹もすいてきたことだしー……、もちろんゴハン奢ってくれるよな?」
「だから、そんなこと誰も……っていうかおっさん呼ばわりはやめてくれ」
「あれー、そんな言い方していいのか? あたしはおっさんに無理矢理腕捕まれちゃったんだけどなー?」
 ちらちらと道行く人に視線を送りながら、少女は露骨に脅しをかけてくる。憲兵でも呼ばれたら騒ぎになることは避けられない。社会的地位のある大人とおかしな格好をした子供とでは、どちらの言い分に信頼があるかは何をどうひっくり返しても明らかではあるものの、よそ者という立ち位置で男は騒ぎを起こしたくはなかった。仕事相手との関係もあるし、悪目立ちするのはできることならば避けたい。
 ぐう、と喉の奥からすりつぶしたような声がでた。にやりと笑った少女は勝利を確信しているようだ。……何の勝負だか。
「……あ、当たり屋だ……」
 そうつぶやくと彼女は負け惜しみだとでもいうようにけらけらと笑う。無論、最初に声をかけたのは男の方なのだから、この言葉は適切ではない。
「決まりだなっ。あ、あたしはインプっていうんだ。人の名前は間違えるなよ、失礼だからなっ」
「……、ああ、インプ、インプか。よろしく。……俺の名前は……」
 当然、少女の名前は青年の知っている名前とは似ても似つかない名前だった。名乗られた以上自分の名前を教えない訳にはいかない。予定よりも己の住む街に帰るには遅くなってしまいそうだ。青年はよく知った顔のまるで見知らぬ少女に、先ほどとは逆に腕をつかまれて半ば引っ張られるように店に連れられていく。オススメの店があるのだという彼女の表情は、年相応の幼さをしていた。



18'11/9


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