蜜柑とアイスの共存

mormoramd


 人の原動力とは即ち愛だと、詩人は言った。

「プロデューサーさんのことを考えていたら、できた曲なんだ。……聞いてくれるかな?」
 朝、いつものように寝坊しているだろう都築さんを起こすため、予定の時間よりずっと早く彼の自宅を訪ねた。都築さんのマイペースさには神楽さんもあれこれ手を焼いている様子で、今日もぼくが都築さんを起こしに行く予定であることを知り「私も行く」と申し出てくれた。しかし彼は未成年であり、健全な成長のためには必要以上に早起きをしてもらうことは望ましくない。きっと彼は、都築さんを起こすためただでさえ早めに設定している到着時間よりも、さらにずっと早く起きて支度をしてしまうだろうから。責任感が強いのは頼もしいことだが、彼には彼の生活リズムがある。それは極力壊したくはない。
 そうしてあくびを噛み締めながら一人で訪れた都築邸には、意外や意外。既に覚醒した都築さんがぼくを出迎えてくれた。

「ぼくをモチーフにした曲、ということですか? そうですね、今日は都築さんが早起きしてくれたおかげで時間に余裕があるので、折角だし聞かせてもらうかな」
 自分がモチーフというのは嬉しくもあり、気恥ずかしくもある。神楽さんに作ったという曲を、神楽さんは嬉しそうにしていたが、音楽家はそういった感覚はあまりないのだろうか。
 防音室を兼ねた部屋にはグランドピアノが設置してあった。私生活でルーズな場面が多い中でも、特に頻繁に調律師を呼んでいるピアノ。音楽について造詣が深いわけでも、絶対音感を持っているわけでもないが、そのピアノの音色に間違いはないのだろう。ピアノから少し離れた場所にあった椅子に腰かけ、聞く姿勢をとった。
 都築さんが椅子に浅く腰掛けて、その長く繊細な指でピアノを奏でていく。暖かで、聞いていて安心する柔らかなメロディ。その曲は子守唄さながらに、聴いている者の奥深くまで入り込み癒していく。

「――…さん、プロデューサーさん」
 ――ハッと顔を上げると、都築さんはピアノの前からぼくの眼前へ移動していた。どうやら眠っていたようだ。不覚。折角都築さんがぼくのために演奏してくれていたというのに、これではあまりにも失礼すぎる。
「……ごめんなさい、都築さん。貴方の演奏を聴いている時に居眠りだなんて……」
「ううん。気にしないで、この曲は、そういうものだから」
「そういうもの……ですか?」
 首をかしげるぼくに、都築さんはわずかばかり口角を上げた。眼差しを緩やかに、ぼくを起こすために置いていた肩から手を下ろして。
「プロデューサーさんは、とても穏やかに僕たちを見守っていてくれるよね。きみがそうやってみていてくれるから、僕たちはどんなことでもやってみようと思えるし、苦手なことも……手を抜こうとは、思わなくなる」
 それとね、これは僕個人の話なんだけど。そう前置きして、都築さんは元々座っていた位置へと戻っていく。しかし向いているのはピアノの方ではなく、ぼくに向き合ってもう一度口を開いた。
「プロデューサーさんに見守られていると思うと、それが僕の力になるんだ。心の奥底から湧いてくるような……こんな気持ちは初めてだよ。ねえ、プロデューサーさんは、これはなんていう感情だと思う?」
 そう問いかけた彼。首をかしげると、いつも通り緩く結ばれた金糸がゆらりゆらめく。ぼくに問いかけたものの、ぼくが何か言葉を返す前から、ぼくが何か言葉を考える前から、彼自身、それがどういった感情であるのかはとうに見当が付いているようだった。
 こちらを見つめる目。そこにはたしかに愛があった。

 彼には愛があった。それは、神楽さんと出会う前、何があったのか、それとも何もなかったのか。周囲の音楽から刺激を受け取ることができずにいた頃にも、彼の中には愛があった。彼にきらり光るものを見つけたぼくはすぐにそれと分かったわけではなかったが、それでも彼にはアイドルたる素質があると確信して彼をスカウトしたのだ。
 そして、信頼できるパートナーと音楽を奏で、ファンとの交流や、時には苦手だといっていたことにも挑戦し、彼という原石が光り輝くようにともに歩いてきた。
 そんな彼が、ぼくを見つめて微笑んでいる。呆然としているぼくにまた目を細めた彼は、「ところでプロデューサーさん、時間は大丈夫だったかな」、と珍しく時間を気にしているそぶりを見せた。はっとして腕時計を確認すると、都築さんをなんとか起こす時とそう変わらない時間になっていた。
「ふふ、また麗さんに怒られてしまうところだったね」
 怒られるのは好きではない、そうは言いつつも、どことなく楽しそうに話す都築さん。出迎えられた通り寝間着からは既に着替えていたので、またいつもの、女性ものの紫のコートを羽織るだけで出かける準備はできている。行こうか。そう促す彼のぼくをみつめる視線には、たしかにそれがはっきりと見えた。

 ぼくは、都築さんからの愛を、手に入れてしまったのだ。


18'2/5

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