蜜柑とアイスの共存

いかないで

 2016年、師走も下旬。毎年この時期は大掃除に新年の備えにと大忙しの時期であるが、今年は事情が違っていた。人理を終わらせんとするビーストを倒し、その代償として一年間一緒に歩んできたひとを我々は失った。
 外部から来るという視察団を出迎えるために、悼む時間も十分に用意されないまま右に左にと奔走している。そして、人理を救うという目的を達成したサーヴァントたちは──一部の、せっかく現界できたからにはこの時代を楽しむ、という者たちを除いては──ひとり、またひとりとこの時代を去り、座へと還っていった。
 別れを惜しみつつ還る者、とくに深く言葉を交わそうとせずに還っていく者、様々だった。ただ、そうしても彼らに共通しているのは“いま生きている人々”の息災を願っているということだ。ありがたい、つくづくそう思う。彼らに力を借りられたからこそ人理を、ロマニが守ろうとしたものを、守ることができたのだ。

「──…え、座に還る?」
 彼の言っていることがうまく理解できず、しばらくしてからようやくオウム返しに首を傾げたのを、彼は鷹揚に頷いた。
 深い青紫のスーツに身を包んだ彼は、機械でできた大仰な右腕をこちらに差し出す。何かを差し出されたときも、特に深く考えず受け取る癖のある自分はつい反射的にその手を握った。雷をまとう彼の静電気で、こちらの産毛が立つのが分かる。しっかりと力を込められたその手は、ひんやりとしていたが、確かにひとらしい彼の温かみがあった。
 ──ニコラ・テスラ。19世紀から20世紀にかけて生きた、比較的“最近の”人物である。人理修復が終わってからもしばらく残っていたのは、彼の研究室の掃除やら処分やらの必要があったからだそうで。
 正直、すっかり油断をしていた。彼はフランスを旅しているときに召喚に応じてくれたサーヴァントで、最古参と言っても全く過言ではないほどの時をともに過ごしてきたのだ。
 そんな彼が、ひとりまたひとりと減っていくサーヴァントたちと別れを告げつつも自分の研究室へと戻っていくのに、すっかり安心しきっていた。ああ、彼はまだここにやり残したことがあるのだと。世界の理について研究をするには、まだまだ時間が足りないのだと。数日が経ち十日が経ち、別れの挨拶を切り出されないことに、安堵していた。彼が何も言わないことは、これからも変わらずにいられるのだという言葉の裏返しだと、何一つ言葉にはせず高をくくっていた。
 この別れは、そんな馬鹿な自分へのバチなのではないか、そう思った。

 ぐぅ、見えない紐で喉をくくられているような息苦しさに責め立てられ続けて数日、この間にもニコラ・テスラは今まで世話になったと職員やサーヴァントたちのひとりひとりと挨拶を済ませていっている。そんな中で自分はというと、何もできないでいた。
 わかっている。今までの彼の働きを労ったり、思い出話のひとつふたつでもして彼を送る準備をすべきなのだと。ひとつずつ片付いていく彼の研究室を訪れることもできず、ついに彼が発つ日を迎えた。この数日、気を落とすどころではすまされないほど落ち込んでいたのを見かねたマシュが声をかけにきてくれた。もうすぐ、テスラさんは行ってしまいますよ。その言葉にようやく彼の元を訪ねた。
 いつもどおりの語調で、電気の消えた部屋に招き入れた彼にもやもやしたものを覚え、何かを言おうと俯いていた顔をあげたところで目を見開いた。キラキラとした輝きは、いままでいくつもの特異点や、ここ数週間の間にも何度もみた――もう帰ってしまうのか!?
「てっ……テスラ!? なんで……」
「ああ。マスター、どうか君が息災であるようにと願っている」
「ちがう! なんで、何も言わずに、帰ろうとするんだ」
「……君は、私の顔を見たくないようだったからな」
「……!? ちが、ちがう……違うよ……」
 違わなかった。テスラはちゃんと数日前にその話をしてきたし、それが嫌でずっと避けていたのはまぎれもない事実だ。自分はなんて卑怯者なんだろう。せめてこんな最後にはしたくなかった。後悔が押し寄せる。
 足元がふらついて、その場にへたり込んでしまった。テスラのピカピカに磨かれた靴がぼやけている。まるで懇願するように言葉を吐き出した。
「やめてくれ、そんなこと言わないで。ごめん……ごめんなさい、悪かった。テスラ、博士、あなたが居なくなることを考えただけで、こんなに……辛いんだ。まだあなたと一緒にいたい」
 必死にしゃべっているつもりだが、嗚咽まじりのその声はきちんと聞いてもらえているのだろうか。
 うっ、喉の奥から潰れた声を漏らしながら縋り付いた。

「……テスラ、いかないで」
 いなくなるのだからと部屋の明かりは消えていたため、顔をあげても彼がどんな表情をしているのか見ることはできないだろう。泣きじゃくる自分を、どうしたら許してもらえるだろうか。
 そうしていると、しばらくして彼はいつもの堂々とした声色でうん、と大きく頷いた。
「うむ、よし。還るのはよそう」
「いかないで……、……え、?」
「まだまだこの世には探究しても尽きないことはやまほどあるのだからな!」
「? え、えっ……テスラ……?」
「ああ、前に話していた君の故郷をみてみるのも悪くない。することは沢山あるじゃないか」
「かっ――…えるんじゃなかったの……?」
 もう、何が何だか。
 ぼたぼたと大粒の涙をこぼしたまま、ふつうに立っているだけでも首の痛くなる長身、テスラを見上げる。案の定、表情はよく見えない。見えないが、声の調子からして、きっと彼の表情は輝いているのだろう。
 ぽかんとしていると、腕をとられて引っ張られる。勢いのまま立ち上がり、半ば抱きつくような姿勢になってしまった。鼻水やら涙やらで彼の服を汚さないように慌てて拭うとそっとハンカチを差し出され、いつもの癖でそのまま受け取る。
 力強く肩を抱かれた。痛くはないが、まるで意図がわからない。唖然としているとようやく彼の顔を見ることができた。実に――楽しそうである。そして楽しみだ、と言われた。何が? いつだかに話した、自分の故郷へ連れて行く、という話のことだろうか。
 おさまりかけの嗚咽が肩を揺らす。すると、彼が肩を組んだ方の腕で二回ほど叩いた。これは、宥めている、のだろうか。
 君は……、そう言いかけて、彼が口を閉じる。鼻をすすりながら彼をみやると、いつもの力強い眼差しと目が合った。
「君も少しは自分の思ったことを口に出せるようになるといい。拒否されることを恐れてなにも言わないままでは、せっかくの機会も逃してしまうのではないか?」
「ひぇ……はい……?」
「慎ましやかなだけが美徳ではないことを知るべきだろう」
「……、……」
「これからが楽しみだな、マスター」
 彼がまだここにいてくれるとわかって、これからの話をしてくれる彼に、また号泣した。

 そのあと、めちゃくちゃに泣いた声は部屋の外まで聞こえていたらしく、テスラが還ったものだと思い込んでいたサーヴァントや職員はしばらくして一緒に部屋を出てきたテスラを何度見かしていたし、泣いた件についてはいじられたり、触れられなかったり、(生)暖かく見守られたりと色々だった。
 朝目が覚めるたびに引き止められたのは夢だったのではないかと思いテスラを探すということが数回続き、自室へ連れ込めば良いのでは……と言いたげな視線を複数人から何度かもらっている。
「博士、入っていい?」
 すっかり片付けられていた彼の研究室だが、すっかりものが戻っていた。もともと訪れることが多かった研究室だが、先の件が有ってからはその回数も格段に上がっていた。そのあたりの椅子に腰掛けるとそれからはその日によってすることは様々で。レポートを書いたり、彼がしていることを横で見たり、たまに誘われて実験を手伝ったり。今日は特に差し迫った提出物などはないため、博士の作業を本を読みつつ見守っている。
 しばらくして、気分転換になるようにコーヒーでも入れてこようか。腰を上げて給湯室へ。そうして戻ってくると、いつかにもらったものと同じようなクッキーが二人分、用意されていた。


17/12/31

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字