蜜柑とアイスの共存
食べてしまおうか
・ネームレス
・Pの性別はお好きなようにお考えください(一人称は「私」)
・エムマスのminiちゃんを想定
・お好きなminiちゃんでご想像下さい
みにちゃんという概念
はじめは、ほんの小さなことだった。いつのまにかなくなっていた消しゴムが、次の日出勤した時にデスクの上に戻っている。もしくは、営業に忘れそうになった書類が、目立つ場所に置いてある。
最初のうちは事務員か、アイドルの誰かが親切心でしてくれているものだと思っていた。しかしお礼を言おうと尋ねても誰も自分がやったとは言わないし、それどころか、そういえば自分も電気を消し忘れていたと思ったら消えていた。などの、誰かの親切に会ったという経験を聞くばかりだ。明日に持ち越した書類が完成している、解けなくて放置していた宿題が解かれている、ということは流石にないが、小さなことが知らぬ間に解決しているというのは、まるで靴屋の小人が我が事務所にいるかのようではないか(宿題を放置していたアイドルはその後、その場にいた高学歴アイドルの指導にあっていた)。
そんなことを冗談めかして言っていたのが数ヶ月前。
小さな影が視界の端をかすめたり、誰もいないはずの部屋から物音がするのは徐々に感じつつあった。部屋の物音に関しては、不審者がいてはいけないのですぐに確認するも誰もいない。身を隠せるような場所は全て確認したし、窓の鍵もきちんと締められていたことはチェック済みだ。疲れているだけだろう、と結論付けたものの、不思議なことが事務所内で起こっていることは確かなので、いまいち腑に落ちずにいたある日。
仕事も一区切りし、口の渇きを覚えお茶を取りにすこしの間席を離れていた。戻ってくると、先程まで食べていたお菓子の包みがひとりでに動いていることに気がついた。瞬間頭によぎったのは、黒光りする、艶やかな鎧を纏った頭文字Gの存在。
今まで事務所内で見たことがなかった上、よもや自身のパーソナルスペースと言ってもいいほど馴染みのある机にその存在がいることを想像するのは、精神衛生上いささか受け入れがたいことだった。どうやって登ってきたのだろうか。まさか、もう飛ん――? いや、いいや、最悪の事態を考えてむやみに時間を消費するより、まずはそれをどうにかするのが先決だ。平日の昼間という関係上、積極的に処理をしてくれそうなアイドルたちは出払っている。経験に乏しいため、うまく捕まえられなかったときのことを考えるとゾッとしないが、手頃なビニール袋を手繰り寄せ、なるべく物音を立てないようにデスクへ近付く。
そしてついに、ひとりでに動く菓子袋まであと一歩ということころへ着いた。あとはこれを、ビニール袋の中に納めてしまえば――。
腕を振り下ろそうとしたとき。ひょっこりと、菓子袋の中から「それ」は顔をだした。
あまりのことに呆気にとられる。目が合った。「それ」も、まさか人がいるとは思っていなかったのか、ピタリと動きを止めた。そして長い沈黙が訪れる。
「……こっ、コロボックル……」
やっとひねり出した言葉がそれだ。どうしろと言うのか。
結論から言うと、ここ数ヶ月の間に起きた「小さなお手伝い」をしてくれていたのは彼らだったらしい。彼ら、というのは、最初にデスクで見かけた彼以外にも仲間の別個体がいるらしく、私に存在が知られて以降、わらわらと挨拶をするように姿を見せ始めたのだ。中には人嫌いをするのか、ほとんど姿を見せない個体もいるが……。
ところで、なぜ私は「彼ら」と呼ぶのか。その理由はどういうわけか、その小人たちは事務所に所属するアイドルたちと容姿や服装が驚くほどに似通っていたのだ。おそらく雌雄の区別はなく、あったとしてもアイドルたちの姿を模倣している以上、こちらからは見分けはつかない。また彼ら自身も、自分たちの生態について語りたがらないのか、それともよくわかっていないのか。こちらが質問を投げかけても、何も言わずにいることも多い。
何も言わずに、とは言ったものの、実際に彼らが語る言葉が私にわかるのかと言われればそうではなく、彼らが私に合わせてシャーペンやPCを用いての筆談を行ってくれるのだ。もっとも、彼ら自身は自分たちの言葉をもっているらしく、お菓子を囲んで何事かを話している様子が見受けられることも多い。その声は小さすぎるのか、それとも人には聞こえない周波数なのか、彼らの声が私の耳に届くことは全くないのだが。
……ここだけの話だが、身の丈に合わない大きなペンを持ちよたよたとフラつく様や、それぞれの位置を決めてポコンポコンとキーボードのキーを押す姿は、正直胸にくるものがある。
ひとまず、妖精や小人やコロボックルと呼ぶにはいささか座りが悪かったので、私たちは便宜上彼らのことを「miniちゃん」と呼ぶことにした。ミニマムサイズの、アイドルの姿をした生き物。「ちゃん」付けは一部アイドルからの熱い要望により実装された。その方がかわいい、とのことだ。ところで、わが社唯一の事務員の姿を模した個体もみるが、社長と私の姿をした個体は今のところ見たことがない。見たいのか、と問われれば何とも言い表せない微妙な気持ちになるが、見たくない、わけではないのだ。おそらく。
*
そんなある晴れた日、私は、彼らが私の机の上で遊ぶさまを眺めていた。はじめはあまり姿を見せなかった個体も時がたつにつれて徐々に見かける回数が増え、日ごろ小さな手伝いをしてくれることのお礼として「おみや」を用意して、好きな時に持っていってもらえるよう取り計らっているのもあるのだろうか。
まるで猫や鳩の餌付けのようだ。最近ではお菓子とは関係ない袋でも、似たような音が聞こえれば待ってましたと言わんばかりに姿を見せる個体も多いので、余計にそう思える。
私の手のひらに容易に収まってしまう小さな彼ら。その姿の元となっているアイドルと本当によく似ている。姿だけではなく、行動までも。
「君達は……」
午後の陽気にやられたのか、意識せずとも口から言葉がこぼれた。
「おいしそうだねぇ」
その発言はもしかすると、昨晩みたハムスターに頬ずりをする飼い主の動画をみたせいかもしれない。もちもちのハムスターの身体と彼らのふくふくとした小さなパーツが、重なって見えたのかもしれない。
フフ、と呑気に吐息を漏らした私を、彼らがどういう眼差しでみているのか。差し迫った用事もなくのんびりとお茶をすすっている私が、気が付くはずもなかった。
*
鼻歌を歌いながらパチパチと小気味よい音を立ててキーボードを叩く。私は事務員が先程入れてくれた茶をすすりながら仕事を進めていた。ついでの糖分補給にと、視線は資料が表示されている画面に固定したまま、これまた事務員がお茶請けにと出してくれた饅頭をさぐる。
右手でマウスを操り、左手に饅頭をつまんだ。近所で評判の店で売られているそれは自重で伸びてしまうほど柔らかく、打ち粉の手触りもいい。口に含んでからようやくあらわれる餡子は、優しい甘さをもってしてほろほろと口の中にとけてゆく。筆舌しがたいほどに甘美であり、味わって食べるこの至福の時は疲れた身体に染み渡るようだ。所属アイドルの中には餡子が苦手な者もいるので、彼がうっかりみつけてしまわないように最近ではこっそりと食べることがほぼ習慣化している。
さて、誰かに見つかる前にもうひとつ。手を伸ばした私は饅頭をつまんで口へ運ぼうとする。しかしどこか違和感があった。もちもちとした柔らかい感触なのは変わらないのだが、今手にしているものは質が違う。買ってきたあと、密閉ができておらず一部乾燥してしまったのだろうか? そう疑問に思い手元を見やると──。
「……み、みにちゃん……」
ころんと丸くなった個体がいた。驚きすぎて思わず放り出しそうになったところを慌てて両手で包みこみ、落としていないことを確認すると息を吐く。彼らは特に苦も無く高いところへ飛び乗っては降りているいるように見えるが、身体能力はいかほどのものなのだろうか。しかし、それを今のような機会に試す気はさらさらない。小さいとはいえ、見た目は人の形をしているのだ。であれば痛覚はあるのだろうし、なによりかわいいアイドル達と同じ姿をした彼らが傷つく姿を、積極的に見たいとは思わない。
のっそりとこちらを向き、私と目を合わせた彼の表情は、さしずめ「ばれたか……」といったところだろうか。もちろん、いつも真顔に見える彼らの表情を読み取ることは未だにできていないため、ただの想像なのだが。
「……私の饅頭、食べた?」
そうじゃない。
好物ゆえに、口から言うべき言葉とは違うものがでてしまった。
「ちゃんと見ていなかった私もいけないんだけど、危ないよ。もし私が気が付かずに君のことを口にいれていたらどうなっていたか。危険だと思ったら暴れるか、いつかのように震えるかしてくれないと……」
たまに彼らの様子を眺めていると、携帯のマナーモードのように震えだすことがある。それは、私には聞こえない彼らの会話のなかであったり、欲しかったおみやが別の個体にとられてしまったときだったり。私にも分かりやすい感情表示のため、こういった危機的状況にこそ積極的に表にだしてほしいのだが。
私の願いとは裏腹に、彼はこてんと首を傾けてから手の中を抜けだす。机へ飛び降り向かった先はキーボード。何を打つのかと待っていると。
「……食べても、いい……? ……それは、どういう」
画面にゆっくりと一文字ずつ表示されていくのは彼からの言葉だ。私が先日言った「おいしそう」という言葉を「おいしい」に変えるべく、作戦を推し進めているらしい。
文字を打ち終えた彼は、というわけで、と言わんばかりに両手を広げて私の前へ歩み寄る。そんなことをされても、私は困惑するばかりだ。なぜ何の気なしに言った言葉から、自身を食べさせようという発想になるのか。小さな親切を繰り返してくれる彼らを、私はあくまでも隣人として接していたつもりなのに。
「どっ……どこまで献身的、いや、自己犠牲的なんだ君達は!? 前に言ったことは……その、目に入れても痛くないとか、そういうものの例えの話で……」
動揺のあまりまごついてしまう。つまり、私は君を、君達を食べてしまうことはないよ。なんとかそう伝えたものの、彼の表情の読めないしかしまっすぐなまなざしに冷や汗をかく。このまま話していては、彼のペースに巻き込まれてしまいかねない。相手は直接言葉を用いて話せない存在であるのに、そう思わせるのは彼が、彼らが非日常的な存在だからだろうか。
「……そ、外の空気を吸ってくるね」
彼が返事をする前に椅子から立ち上がり、目を合わせないよう背を向けて立ち去る。誰かが帰ってくるまで事務所の外ですごしていよう。彼らはあの建物の外までは、出てこないようだから。
*
ざあざあと大振りの雨が降っている。昼休みに仮眠をとるため、自分の腕を枕にし机に伏せっていた。ガラス越しの雨音をBGMにとろとろと眠りの世界へいざなわれていく。
沈みかけた意識の中、誰かに触れられている感覚があった。とはいえ明確に覚醒へと至らしめるほどの刺激ではなく、触れるとは言っても毛先にかすかに触れられるだけで、あとは空気の動きによりかろうじて気配を感じられる、という程度のものだ。
その感触も午後の穏やかな時間には心地よく、もう少しで完全に眠ってしまうかというところ。
しかしそれは叶わない。ガッ、突如として口元に訪れた刺激に、私は肩を跳ねさせとび起きた。何が起こったのかと口を押さえ辺りを見渡すと、どこにも人影は見当たらない。
その代わりに机でぴょこぴょこと跳ね、自己主張を繰り返す小さな生物の姿はあった。
「……また君か」
隙あらば私に自らを食べさせようとする彼は、何度やめてほしいと頼んでもめげることはなかった。それどころか、待っているだけではもう無駄だと悟ったのだろう。自ら口へ飛び込んでくるようなことを行ったのはこれが初めてだ。
落ち込んでいるのか、いつもより跳ね具合いに元気がないようにみえる彼を見つめる。視線に気が付くと、持ち前の跳躍力を活かして私の手に飛び乗った。そしてもう一度膝に力を込めて──。
「させるかっ」
私の口へ再チャレンジしようとするのを、もう片方の手で口を覆うことにより遮った。ついでに、手のひらへ頭突きされた形のまま彼をつかんで逃げ出せないよう捕まえる。頭だけを出した彼は尚も真顔に見えるが、きっと抗議の意味を持っているのだろう。
「あのですね」
呆れてため息をついた私は、次の言葉をつなぐために唇を湿らせる。すると、不思議な甘さに驚いた。ほわほわと、まるで私の一番好きな店の饅頭を食べたときのような多幸感が生まれた。先ほど食べた昼食のせいだろうか? いや、歯磨きはしたし、特に甘いメニューは入れていない。そもそも、野菜ともお菓子とも別の、今までに味わったことがないような種類の甘さなのだ。具体的に何かと問われれば首を傾げざるを得ないが、探るためとはいえ再び、積極的に唇を舐める程度には好ましい味。
今日食べたもののうち、この味につながりそうなものに全く見当がつかないでいると、彼が私の指をたたく。どうしたのか、と尋ねる私に、彼はその小さな口から舌を覗かせて私の指を舐めた。意図が読めず沈黙を返すことしかできない。いささかほどのくすぐったさは感じるが、彼の舌に触れた面積はごく小さく「舐められた」という感覚にならない。私の様子を見た彼が再度指をぺちぺちと叩き、舐める。そして、手を自分の頬に当て震え始める。
「え? ……私の指を舐めると……えっと……?」
首を横に振られた。違うらしい。彼は手を私に向けて伸ばしてじたばたともがく。彼の好きにさせたほうが良いのだろうか? いや、また口に向けてダイレクトアタックをされてはたまらない。彼を潰してしまわない程度に、手のひらに力を込めなおす。やはり彼の身体はもちもちとしていてとても柔らかかった。
その間も彼はジェスチャーを繰り返す。私の方を指さしては自らをさしたり、先ほどの指を舐める行為をしたり。そうして、やっとひとつの可能性に行きついた。
「……もしかして、寝てる最中に君が口にぶつかって……それが、さっき感じた甘さ……っていうこと……?」
すると、彼は大きくうなずいた。つまり、原因のわからなかった甘みは彼自身の味だったらしい。いま、私の手の中に納まっている存在が? なぜなのかという疑問は尽きないが、彼がそう言っている以上疑う余地はない。
穴が開くほど見つめる私と目を合わせ、先ほどもそうしたように、大きく手を広げる。意味も同じく「食べてもいいよ」と、そう言っているのだろう。ごくり、生唾を飲み込む。唇に残っていたあの味を直接、味わうことができる? 私は思い立って、ずっと握ったままだった彼を机の上へ解放した。指に舌を這わせると、ついさっき初めて味わったばかりの至上の甘さが舌先を駆け巡る。
彼らを食べることなんてない、そんな意思がいともたやすくぐらついているのを感じていた。まさか、味がするなんて思わなかったから。彼らは姿こそ人の形をとっているが、頭身が違えばスケールも違う。そして、今まで彼らがしてきてくれた親切の数々を思い出すに、彼らが自らを差し出さんとするのは私がおいしそうだと言ったのもそうだが、人間が彼らを食べたとしても毒になるようなことはない、ということだろう。
彼は私に歩み寄り、手の上に乗る。じっとこちらを見据える彼は、今までのように無理やり口の中に入ってこようとはせずちょこんと座った。待っているのだ。私の中に迷いが生じていることを看破した上で、私に選ばせようとしているのだ。彼を食べるという選択を。
「君達が、私とっておいしいのだと思えるは、元から?」
それとも、彼らに与えるおみやによって私にとってのおいしい、を知った彼らは、自らの身体をそう作りかえたのか? 彼は何も言わず、なおも真顔に見える表情で変わらず私のことを見つめていた。
彼が落ちてしまわないよう、ゆっくりと手を胸元に上げる。彼との距離が近づいた。
そこで、やっと彼がもう一度大きく手を広げた。私のすることをすべて受け入れてくれるのだという、受容の証。
そんな彼の姿に私は、私は──。
17/10/8夢本市
17/12/web再録
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