蜜柑とアイスの共存
ベッドの上でぐだぐだ会話をする
身体の極々一部にすぎないものが、くっついて、離れる。それだけのことに、こんなにも心臓は早鐘を打ち鳴らす。
夜の帳は降りきって薄暗い照明が彼らを照らす。部屋の施錠をしっかりと確認して、本来なら一人用の寝台だが、丈夫に作られているのか二人分の体重を受け止めてもさして無理のある様子はない。
熱っぽい視線を交わし、どちらからともなく顔を寄せる。それを幾度もくりかえし、はぁ、湿った息を吐いたところでようやく重ねられている手に気が付いた。
「……ドクター、」
言いながら指を絡める。彼がいつもつけている手袋の縫い目にそってなぞると、やがて指の腹から付け根、手のひら、そして手首へと行き着いた。布地をくい、と引っ張ると青年も環の考えに気がついたらしく、少々浮かせて彼の好きなようにさせる。
隙間に指を差し込むと存外それはあっさり外れる。指の中ほどまで脱げたところで先ほど重ねられたときよりもしっかりと指を絡ませ、あとは落ちるがままにまかせた。
きゅう、と握られる手に愛しさがこみ上げ、先ほどまでは啄むようにするのみだった口付けをより深く繋がるものへと変えていく。
すると彼は驚いたのかびくりと反応した。くぐもった声が小さく断続的に漏れるのが初々しく、ロマニはたまらない気分になった。
「……あの」
二人のものが混ざった唾液を飲み込んだ彼が合間に口を開いた、息は荒く唇は唾液でてらてらと光り、瞳はぎらついているように見える。
ごくり、生唾を飲み込みながら続きを待つ。その言葉が自身を求めるものだと確信しながら。
「そろそろ、いいですか」
「……うん」
両膝を寄せてもじもじと擦り寄せる彼の姿がいじらしい。不慣れだろうからと事を急ぐことはしないようにしていたのだが、彼からしてみれば焦らされているのと同じだったのかもしれない。
頷くと、彼はほっとしたように息を吐く。続けて尋ねられる、準備、とか。まごつきながら言った彼にああ、と納得した。男同士で事に及ぶ手前、男女で行うそれとは差異があり、また準備もやや手間に感じるものもある。
「大丈夫だよ、用意はしてきてあるから」
もし彼がそのことについての知識がなければ説明しなければならないと思っていたが、どうやらその心配は無用だったようだ。ラックの中にひとまず置いておいた、準備に必要なものの存在を思い出しながら答える。
とはいえ、初回でその心配をされるとはあまり思っていなかった。知っているのならば尚更、使用する場所に関して多少は拒否感があってもおかしくはないと踏んでいたが……。
「本当、ですか」
先ほどとは打って変わり、彼がやや弾んだ声で聞き返した。もう一度頷くと今度は彼から深いキスが返ってくる。このような時は目を瞑ることがマナーだとはわかりつつも、年下の彼の色付く頬が、震えるまつ毛が愛おしくついつい眺めてしまう。
と、感触を確かめるようになんども握り返される手にも意識を持って行かれる。あまり手袋を外すことはないから、物珍しいのもあるのだろうか。
やがて、環があんまりにもロマニを求めてくるものだから、勢いあまって押し倒しされてしまった。背中と頭にスプリングの存在を感じると同時に額に痛みを覚えた。
「ちょっと、君……がっつきすぎだってば」
「……ごめんなさい、つい」
くすくす笑うと、額を押さえながら罰が悪そうに謝罪する。もう片方の手は握られたまま彼の手がロマニの額に移ると、ひやりとした感触に彼と視線を合わせた。
「……ロマン、先生」
すきです。どこか拙く伝えられたその言葉に身体がかっと熱くなった。うっそりとした環の顔が近づく。目を伏せることでそれに応えるとやがて唇がくっつき、啄むようにして触れられた。
額に置かれていた手は前髪をすいてからロマニの身体をするすると移動していく。先ほどは手のひらだったが、首や鎖骨といった皮膚のごく薄い場所を撫でられるのは、どうしても弱い。ロマニも環の服を脱がそうと上着のベルトに手をかけた、が、やんわりと止められる。
んん? と思った、積極的なのはこちらとしても大変望ましいことではあるが、もうすこし委ねてくれてもいいのに、と。
「ん、ねぇ……ボクも君のこと脱がせたいんだけど」
「ドクターはそのままでいいですよ、任せてください」
と、するりと太ももをさすられる。疑問が八割方確信へと変わった瞬間だった。
ちょっと、と言いながらずっと握っていた手をはずし、それを支えに上体を起こす。高い位置で括られていた髪は少々乱れているが、端々に感じられる二人の間にある認識の差異は埋めておかないととんでもない事になる気がするのだ。主にロマニが。
離れた手を名残惜しげに見つめる環に少しばかりきゅんとしながらも、頭を振ってロマニは尋ねる。
「……まさか君、男役がやりたいっていうんじゃないよね?」
「……え、違うんですか?」
さて、大変な事になってきたぞ。
*
ロマニは押し倒されている状況からとりあえず起き上がって、ベッドの縁に二人して腰掛けた。対する環はいまいち納得がいっていない様子だ。
「ええ? でも、ロマニ先生言ってましたよね、準備はできてるって」
「準備っていうか、準備の準備っていうか、環君はそんなもの持ってないだろうしと思って道具の用意だけはしておいたっていう意味だよ」
「はぁ……さいですか。ちなみにその道具ってどこにあるんですか」
「うん? そこのラックの奥に……ってこらこらこら、あさりに行かない」
ロマニが指さした先に向かう環の腕を掴んで引き戻す。
ちぇ、と彼はぶすくれているがことがことだけにあまり余裕はない。
「じゃあ、自分の童貞もらってくれるっていう話はどこにいったんですか」
「ど……」
君って童貞だったんだとか、そこまで潔く言い切るのはいっそ清々しさすら感じるとか、思うところはいろいろとあるがそもそもロマニが環の童貞をもらうなどという話をした覚えは一度たりともない。
「っていうかそもそもボクは今日最後までする気はなかったんだけど」
「え」
「君はどういう行為を準備のために要するのか知っているようだけど、知っていてもハードルが高いだろうから、と思って」
「……えと、ロマニにとっても、ちょっと抵抗あったりする?」
「……え? いや、ボクは別に……だからね、君がどう思うだろうと」
「じゃあ問題なくないですか?」
「待って待って待ってそれはあくまでもボクが君にするっていう意味で、される方はさすがに全く想定してなくてね!?」
「奇遇ですね、自分もです」
「そうなんだよねー……」
だから今わざわざこうして膝を突き合わせて相談なぞをしているのだ。恋人同士で、ベッドの上で。
がっくりと肩を落として、ロマニはどうしたものかと考える。環は環で思うところがあるのかうーん、と唸りながら何事かを考えているようだ。
今日はこのままお開きかなぁ、そもそも、この様では次があるかどうか……。ひとつ嘆息を落として、彼の名を呼ぶ。
「別に、身体のつながりだけが全てじゃないし、それに無理に最後までする必要もないのだし、ボクとしては……」
「わかりました」
言葉を遮るように環が言い切り、ロマニの両手を握る。見つめる瞳は、真摯そのものという輝きを放っている。
「ロマン先生が抱かれてもいいってなるまで、待ちます」
「うん……うん??」
ひとの話聞いてた? 尋ねると、彼はしかと頷く。その気になるまで待つ、と。加えて彼は言った。待つだけでなくその気にさせると。
「えっとですね、つまりロマン先生に「キャーステキ! 抱いて!」って言わせられるようにしよう作戦です」
「キャーって……いや、多分言わないと思う」
「ええ……じゃあ、君のことを思うだけで、「ココ」が切なくなるんだ……作戦に変更ですね。ココ、っていうのはまぁ、つまり、そういうことで」
「待ってここでエロ同人みたいなワード持ってくるのほんとにやめてくれない」
「じゃあなんだったらいいって言うんですか!」
「それはこっちの台詞だよ! セックスすることが全てじゃないっていってるだろう!」
「思春期バリバリの青少年がそんなことで納得できますか!!」
ぎゅう、と手を握られて言葉に詰まる。確かにこの年代ぐらいは、性欲が有り余っていてもさして不思議ではない。ロマニが環ぐらいの年頃どうであったのかはさておくとして、彼の上下する肩には隠しきれない興奮が見え隠れしている。じんわりと湿っている手は言うまでもなく、急にいたたまれなくなり視線を下ろすと彼がロマニに対してそういう気分になっているというのがありありとわかった。わかってしまった。
特別、ロマニは性欲が薄いというわけではない。人並みに欲求不満に陥ることだってあるし、まさか年下の環に落ちるとは思っていなかったので女体にも、普通に反応するし。
ただ、相手が環ということもありあくまでも年上の男性としてある程度指南してやる必要があると考えていたのだ。
「(あーもう。この子はボクがムラムラしないとでも思ってるのか)」
どちらかというと環の性欲を失念していたのはロマニの方なのだが、半ば八つ当たり気味にそう心の中でごちる。
環はロマニのことを抱くことしか想定しておらず、ロマニもまた環を抱く側だと疑わなかったのだ。今だってこの環に抱かれることなど考えておらず、彼の白衣に手をかけ、彼の身体を暴いて、彼を満たし、また己も満たされる行為に耽ることができればと考えているのだ。
医者として彼の身体にはそれこそ何度も触れてきたが、それらの行為とは意味も理由もまったく違うもの。
己の性欲を彼のせいにするわけではないが、こちらもこちらで焦らされているのだ。ちりちりと脳の奥にくすぶる火は、年上ぶっていても消し切れるものかどうか。
「ねえ」
彼のものと重なった指先を擦り合わせる。ぐらり揺れた瞳がロマニを見つめ返す。
「どちらがどちらをやるのか、それはひとまず保留にしておこう。でも、このまま何もせずに君を部屋に返すのは忍びない」
ごくり、彼が唾を飲み込んだのがわかった。だからね、と続きを話す前に、彼によって唇は塞がれる。
今回のお誘いは、誤解なく正しく伝わったようだ。
16′5/1
5/12掲載
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