蜜柑とアイスの共存

緑化運動しませんか

 僕が手にしているのはビニール袋。その中に、さらにいくつかの小袋、軍手、そしてスコップ。これから緑化委員の仕事があるのだけれど、さてはてひとつ問題があった。
 春にしては強すぎるような日差しに、制服の学ランは置いてきた方がよかったかなぁと無理やりに腕まくりをしながら思う。
 僕より大きな影と、鼓膜をビリビリ響かせる怒号。とんでもないことに、なんと僕は上級生からいびられている。
 委員会の、各自担当する場所のプランターに種を植えたら今日はもう帰っていいということだったから嬉々として渡り廊下を歩いていたのに、たまたま肩が当たっただけでこのザマだ。こんなことになるなら先生についてきてもらえばよかった。植え方を教えてくれると言っていたのに。そもそも同じ場所の担当だったはずの上級生がいないのがおかしいんだ。いや、一番おかしいのは今目の前にいる人たちなんだけれど。
 のっぴきならない状況に何も変える力はないが頭の中ではどうでもいいことがぐるぐると渦巻いている。本当にどうでもいい、どちらかといえば今すぐこの状況を切り抜けられるようなナイスアイデアが浮かべばいいものを、現実逃避をしていても事態は好転を見せない。
 素直にごめんなさいと謝っているにも関わらず、とうとうカツアゲをし始めた彼らに己の貴重品をどう守ろうかとうっすら涙がにじんできたところだ。通学鞄は教室に置いたままだけれど、貴重品はいつも身に着けていましょうって。習ったんだ僕は。悲しい。
 苦し紛れにいまもってません。と震える声で伝えても彼らはいっこうに聞いてくれずとうとう胸倉をつかまれた。背に腹は代えられない……痛みにめっぽう弱い僕は今月のお小遣いに合掌をする決意を抱き始めた。
 ぐっ、胸が押され視界に影がかかり、何事かを把握するまえに背中に強い衝撃。彼らがしびれを切らして僕に暴力をふるったからではない。なぜなら、彼らも困惑の声を上げていたからだ。
「てめェら、邪魔くせーんだよ」
 どうやら闖入者が現れたようだ。彼がカツアゲ上級生を蹴り飛ばし、その副次的被害が僕にもきた、と。
 カツアゲ上級生が勢いよく振り返り闖入者に向かって怒号を浴びせ……かけたところでその声はしりすぼみになっていく。そして焦ったような舌打ちの後、もう一人のカツアゲ上級生と連れたってその場を後にした。僕がどう切り抜けようと思案していた時間が吹いて飛ぶようにあっさりと、彼ら二人は逃げ出したのだった。
 したたかに打ち付けた背中と、上級生が起き上がる際の反動で腹にかかった衝撃にうめき声を上げつつも僕は身を起こす。そこには、陽射しを受けて強く反射する金髪の男がいた。
 な、なるほど、あの上級生たちが逃げ出したのは、彼らよりもさらに強い人物がきたからだったのか。
 目が合うとこれでもいうかというほど顔をしかめられた。
「あの、助けていただいてあ――」
「助けたわけじゃねぇ。勘違いすんな」
 わかってはいたが、一応礼儀として言おうとした手前相手に遮られた言葉が虚しすぎる。
 続けて僕が何かを言おうか迷っている間に、座り込んでいる僕を素通りして校舎の中へと消えていった。
 土埃で白くなった学ランを見下ろしぽつんと残された僕はしばし逡巡する。そして出した結論は、「不良が散っている間にここを通って、仕事をすましてしまおう」というものだった。
 
 *
 
 ある日の放課後、小腹が空いたので夕食前に何か腹に入れてから帰ろうと学校近くのマックに寄った。すると、見覚えがあるようなないような金髪がレジ前にいることに気が付いた。あるようなないようなどころではなく前に助けられたのか邪険にされたのかわからない、というレベルでの顔見知りなのだが。いや向こうは僕のことを欠片も覚えてはいないだろうからおそらく顔見知りですらない、一方的に知っているだけの存在なのだけれど。
 とにかく、件の彼がいたのだ。
 向こうが僕のことを認識しないとわかっていてもなんとなく顔を合わせづらく、レジの順番的にも彼の背後に回っていたが、しかし彼の様子がややおかしいことに気が付いた。まず尻ポケットを触って、次に鞄の中を改める。そこでピンときた。もしかしたら財布を忘れたのだろうか。彼が首をひねり、店員に何かを告げようとしたところで僕の足はひとりでにレジへ向かっていた。
「すみません、バーガーとコーヒー追加。まとめて会計で」
 はじかれたようにこちらを見る金髪との彼。内心冷や汗を垂らしながら店員のさわやかな笑顔とともに提示された金額を、彼の視線には気が付かないフリをして支払った。
 四人掛けのシート側の席にどっかりと座り眉をひそめている金髪の男。
 やっぱりいらんことしたかなぁ、という思いが強いが、動いてしまったものは仕方がなく、商品の乗ったトレイを彼の方によせ食事を勧めた。
「誰だてめェ」
「……せ、先日助けていただいた緑化委員です」
「あ゛?」
 怖すぎる。
 ちなみに僕は金髪の彼に上座を譲り、自由に移動させることができる椅子に座っている。これは彼が先輩だからということもあり、同時に何かあったときにすぐに逃げ出せるようにという意味もある。実行できるかどうかは別として。
「食べないんですか」
「知らねぇ奴に奢られるかよ」
「ええと……だから、その、この前渡り廊下で助けていただいたんですけど」
 何人かまとめて蹴り飛ばした覚えありませんか、と聞くと訝し気に首をかしげる。本当に覚えてないのか、それとも心当たりが多すぎて思い当たらないのかどちらなのだろう。
「僕、あの時カツアゲにあってたので、先輩のおかげで自分の財布を守れたのでこれぐらいなら全然なんですよ。ていうか先輩で合ってますよね、二年ですか三年ですか?」
「……二年」
 彼が中々トレイの食べ物をとってくれないが、あまりうだうだしていてもせっかくの者が冷めてしまう。僕は自分で注文したバーガーを手に取り包装紙を剥くとそれにかぶりつき、もう一度金髪の彼へどうぞ、とトレイを寄せた。
 彼はしばらく僕の方をじっと見つめていたが、どのような結論をだしたのか僕の言った通り注文したものに手を付け始めた。それにほっと一息を吐きコーヒーの蓋を取ってひとくち。苦みが広がる。
 ほっと一息を吐きコーヒーの蓋を取ってひとくち。苦みが広がる。
 安堵したことと腹が空いていたことによりバーガーを食べる手はどんどん進む。彼も食事は遅い方ではないようで、むしろ僕よりも少し早いぐらいかもしれない。
 そもそも僕がなぜ、恐怖の対象である不良の彼に奢るという行為をしたかというと、恩義があるというのはもちろんなのだが財布を忘れた彼に、これを言ったらとてもにらまれるのだろうが、人間味のようなものを感じてしまい安心した。というか。
 先輩のような怖い人種にも抜けているところはあるのだなぁ、と失礼千万なことを思ったからだ。ただ、彼自身覚えていないようで完全に自己満足でしかないのだが、あの時のお礼ができてよかった。
 ……よかった、ことにしておこう。自己満足だけど、うん。
 バーガーを食べ終わり、ちまちま飲んではいたもののほぼ残っているコーヒーにガムシロップを落とす。続けてコーヒーフレッシュの蓋をパキリと開けたところで彼が口を開く。
「……どこのクラスだ」
「へっ?」
「てめェのクラス、一年のどこだって聞いてんだよ」
「……に、二組です」
 そう答えるとふーん、と聞いた割には興味のないような相槌を返されて、固まる。
 なぜ聞かれたのだろう。もしやこれからパシリとして使われるようになるのか? いやいや、まさか。そんなことをするような人ではないだろう。彼のことは外見と二年であること以外なにも知らないけれど。
 僕が呆けている間に彼はジュースを飲みほしていた。ズゴゴゴ、ジュース容器が空になったことを知るや横に置いていたままのバッグをひっつかみそのまま席を立つ。
 隣の机を避け、すれ違いざまに「ごっそーさん」ぼそりつぶやきそのまま彼は去っていった。
 はっとして振り返ったときには彼の姿は既になく、けれども「あ……はい、」と意味がないことをわかりつつも僕はそう返さずにはいられない。
 ややぬるくなったコーヒーには、フレッシュの色が交じりつつあった。
 
 *
 
 さて、今日も植物に水をやりにいく必要がある。幸いにも、初回の一件以来不良に絡まれることはなかったが、今後もそうとは限らない。
 人が集まるような時間になる前にさっさと終わらせてしまうのが吉だ。と、いうわけで僕はあらかじめ倉庫から持ってきた道具をビニール袋にまとめ、そそくさと教室を出ようと席を立つ。
「よォ」
 と、昨日ぶり三回目の人物に出くわした。彼はちょうど僕のクラスを訪ねに来たところなのか、僕を見るなりその四白眼を弓なりにゆがませ声をかけてきた。
 こんにちは、と会釈したはいいが、ほんとうに来るとは思わなかった。彼は何の用でここまで来たのだろうか。この学校は学年が上がるほど教室の階が下がるというシステムになっているから、移動教室以外ではまず用事がないだろうに。まさか昨日思った通りにパシリにつかわれ――。
「ほらよ」
 眼前に突き出された拳。意味がわからず首を傾げると彼はしびれを切らしで手ェだせ。と命令する。おとなしくその拳のしたに手を差し出すと、開かれた手からは札が一枚ひらりと落ちた。
「え」
「昨日の金だ」
「え」
「年下に奢りでそのままにしてられっか」
「……え、あ、はい……え!? これ多いですよ」
 先輩が頼んだものはセットだったが、安さが売りなのがあの店の特徴だ。かなり盛っても札をもらうほどの値段にはならない。
 さすがに受け取れないとそのまま出した手を彼に伸ばすと追い払うような手の動きで僕を牽制する。返されてくれない。釣りはいらねぇ、じゃないんですよ。そうじゃなくて、いや。タクシーじゃないんで。
 僕の中で彼はちょっと怖いけどめちゃくちゃ律儀すぎる先輩になってしまった。というかこれ、そもそも先輩に助けてもらったお礼のはずなのに、お礼になってない。
「え、え~、先輩、僕これうけとらないとダメなやつですか」
「なんでんな拒むんだよ」
「いやだって……」
 でも、確かに考えてみれば年下に奢られるという行為は彼のプライドを少なからず傷つける行為だったのかもしれない。自己満足だということは自覚していたつもりだがこれ以上は押し付けになるだけなのか。
 と、僕がまごついている間に彼は僕の手に野口さんを握らせ、肩をスパァンとたたいてきた。ものすごくいい音がした、痛い。
「……なんだソレ」
「え……あ、これですか。これは委員会で使うもので……。……先輩、野菜好きですか!」
「……は?」
「僕が緑化委員だってことは昨日言いましたよね、それで、種植えしたんです。その中には花も野菜もあって、生った実や種は好きにしていいことになってるんです。だから、その、野菜好きですか?」
「あ? ……ものによる」
「トマトとかオクラとか植えたのでたぶん好きなのもあると思います! 実が生ったらまた持っていきますね」
「はぁ? ……勝手にしろ」
 どうやら受け取ってもらえるようだ。よかった。最後の方は意地がかなりはいってたから、これもすげなく躱されてしまったらどうしようかと思っていたところだ。
 うなずいてもらえたところで安心し、これから水やりしてくるので、楽しみにしててくださいね! とブンブン手を振り先を急ぐ。
 収穫出来たら家に持って帰るつもりだったけれど、人にもらってもらえるのならより上手く育てようという気持ちになる。
 ……そういえば、先輩のクラスを聞くのを忘れていた。部活には入っているのだろうか。昨日あの時間にマックにいたしそうとは考えにくいけれど……でも、数か月は猶予がある。その間にこの校舎内で偶然会ったときにでも聞けば大丈夫だろう。楽しみだなあ、先輩がいい人で良かった。
 
 
 
 16'11/2
 

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