蜜柑とアイスの共存
年代物の人形
「マスター?」
青い瞳がこちらを見据える。環は「ソレ」を見ずに視線を前に固定したまま、胸の内の暗雲を吐き出すように深いため息を吐いた。
人がいるのは慣れない。もっとも、コレは人ではないのだが。
「……お前」
「なんでしょう?」
「稼働年数は」
「スリープ状態で二年ですが、それを合わせると購入されてからちょうど20年です」
「にじゅう……」
「ちょどマスターと同じです」
きゃっきゃとはしゃぐソレは、歌唱型ヒューマノイドインターフェイスアンドロイド。巷ではVOCALOIDと呼ばれるものだ。
「……お前の、俺の前のマスター。覚えてるか」
「覚えてるも何も、僕はロボットですからね。スリープ状態になっていたことを差し引いてもつい先ほどのことのように記録をなぞることができます」
「ドヤ顔はしなくていい。……ったく、爺さんもなんでこんなもの買ってたんだ……」
「前マスターはとってもよくして下さいましたよ。僕はマスターの指示に従って歌を歌って、……まあ家事手伝いまがいのこともさせられていましたが、不満はありません」
にこりと笑いながら述べるソレ……VOCALOIDのKAITOはつまり、遺品だった。
スリープ状態で箱に入れられ倉庫の奥にしまわれていたものが最近の大掃除で見つかったのだ。見つけたのは環の母で、人の死体があるとよもや警察沙汰寸前の大騒ぎだったのが、ちょうど駆け付けた環がVOCALOIDについての知識を少しばかり持っていたために形見分けと称して半ば押し付けられたものである。
「……ついこの間、その人が死んだ」
「ええ、そのように聞いています。僕は遺品なんですよね」
「……」
環は片眉を上げた。やっと視線をVOCALOIDに移すと、ソレは穏やかな微笑をたたえ先ほどと変わらない様子でたたずんでいた。
「マスター、お爺さまが亡くなって悲しいでしょう。僕たちは、ヒトを楽しい気持ちにさせるのが役割の一つです。歌を、歌いましょう」
「……」
「前マスター。マスターのお爺さまが教えてくださった歌です。彼はいろんな歌を歌わせました。……あっ、まだマスターが小さかったころ、僕の子守歌であやしたりもしたんですよ」
「……ウソだろ……」
「本当です。嘘はいいません」
でも、あまり前マスターは人前に僕を出すことはありませんでした。続けてVOCALOIDは語った。
「何でだ?」
「さあ……僕にはなんとも」
雑に首をかしげたところで階下から声が聞こえた。さきほど大騒ぎしていた母親だ。
VOCALOIDを連れたって階段を降りると、後ろにいるソレをみてはしゃぎだした。
「あら、その子ちゃんと動くのね」
「たぶん。不具合とかはないと思う……一緒に箱に入ってた充電コードも反応したし」
「おじいちゃん、物持ちいい人だものね」
やや感心したようにつぶやく。視線が合ったVOCALOIDはあふれんばかりの笑顔で環の母親に挨拶をした。
「こんにちは! 歌唱型ヒューマノイドインターフェースアンドロイド、VOCALOIDのKAITOです!」
「ええと……かしょう……いんたー……?」
つらつらと長い固有名詞を出された環の母は戸惑い、とりあえず聞こえた単語を復唱するが意味は理解できていないだろう。するとVOCALOIDはもう一度。
「KAITOです!」
と元気よく言った。KAITOというのは個体名ではなくVOCALOIDシリーズのKAITO型、という意味である。
「カイトちゃんね、よろしく」
愛玩動物としてのロボット犬や兎を見たことはあるが人型にはあまり詳しくない環の母は、普段街をゆく人型アンドロイドにはとくに感心を示してはいないようだった。
しかしこの反応を見る限りでは理解できない存在ではないということだろう、ひとまず環はほっと息を吐いた。
「とりあえず今は試運転で充電もギリギリしかしてないから、こいつに充電コードつなげてくる」
あいさつもそこそこに上にあがれと支持をだすとVOCALOIDは素直に従う。くるりと身体を反転させリズムよく階段を上っていく。その背中を眺めながら、歩き方がやけに人間らしいな、と環は感心した。
「それで、どうしますか?」
通常はマフラーで隠されているうなじに充電用のプラグを差し込まれてから、VOCALOIDは尋ねた。
あ? と柄悪く聞き返すとですからぁ、やや間延びした口調でVOCALOIDは言う。
「掃除にします? お茶にします? それともう・た? ……あいたっ!」
「気色悪いこと言うな。お前それどこで覚えてきた……まさか爺さんの趣味とかじゃないよな」
「ちがいますよ~……いまUSBケーブル越しに充電されているので、ネット通信であれそれしてます」
それを聞きこれ以上ないほどに環は胸をなでおろした。祖父に変な趣味があるなどと亡くなった今聞きたくなかったからである。それからはたいた手をもう一度振り下ろしながらソレを攻める。
「ロボットに痛覚なんてあるはずないだろ」
「あぅっ、ないですけど、ヒトだって物落とした時に痛いっていうじゃないですか~、そういわなきゃいけない気がしたんですよぅ」
「ハァ?」
気がするって……と呆れ、目に入ったのはUSBケーブル。しばし無言になってからそれを引っこ抜くと苦笑しているVOCALOIDに尋ねる。
「今の痛くないけど痛い、って、今まで持ってた知識か?」
「いいえ、いま繋いで得た知識です! 前マスターが5年3か月前のメンテナンスでネット対応可能にしてくださっていたのですが、今までは家庭用コンセントからの充電のみでしたので」
「今ネットにつないで、どれだけの情報を手に入れた?」
「ええと……情報を羅列して、マスターに認識できますか?」
「どういう意味だ」
「たくさんありすぎて暗号化した情報から解凍してもすべて述べ終えるのには朝日が昇るころになります」
「いい、わかった。言わなくていい」
「はい」
承知しました。と機嫌がよさそうにVOCALOIDはにこにこしている。ちなみに今は真昼間だ。そんなものを聞かされても把握できるわけがない。
しかし、今の一瞬でそれだけの情報を手に入れたのか。データ通信をしているのだから当然なのだが、勝手にいらない情報まで取り入れられてはかなわない。USBケーブルを通常の家庭コンセント用の充電器に付け替え、椅子にどっかりと座った。
今日はやたらと気疲れがする。何か大仕事を終えたような倦怠感だ。
VOCALOIDがこちらに近づこうとしているがケーブルが短く座ったまま50cmほどしか移動ができずにいるようで、不自由そうにしているのを眺める。
一応試運転では問題は特に見られないとはいえ、2年もスリープ状態であったのならば、定期(とは間違っても言えないが)メンテナンスにでも出す必要があるだろうか。
まずはメーカーに電話をして確認を取らなければ、そうなると時間がいるので近くとも再来週にはなってしまうか。などと考えながらうんうん唸る。
「なんにせよ、まずは四十九日だよなあ」
ぼそりとつぶやき、そういえば充電にはどれぐらいかかるのかとVOCALOIDに尋ねようとしたところで、はたと気付く。
「……おい?」
「……はい。……ええと、いいえ、前マスターは、もう亡くなっているんだな、と、……思いまして」
「……? なんだ、お前……さっきは……」
はたからみてもわかるほど気落ちしている様子だ。先ほど環の祖父が亡くなったと告げた時は笑っていたというのに。
まごつくVOCALOIDはまるで知っている人物が亡くなったような。実際にその通りなのだが、様子があまりにも違いすぎる。
「……お前、さっきと自分が言っていることが違うこと、わかってるのか」
「……ええ、自覚しています。ヒトは、ヒトだけじゃない。生きてるものはいつかみんな死ぬ。その知識は以前から持っていました。でも、いまは、前マスターが亡くなったことが、悲しいんです」
しゅん、とうなだれているVOCALOIDに戸惑った環はその違いのもとを考える。状況が変わったことといえば、母親に合わせたことと、ネットにつないだこと――明らかに後者のせいだ。
「おい、さっきネットにつないだとき、人間だかロボットだかの感情に関する情報は手に入れたか?」
「はい、それについての情報もありました」
「ロボットってのはみんなそうなのか? ネットにつないでいるのがデフォルトで、そこから情報を手に入れるのか?」
「いえ。ネットの情報で自分のアイデンティティが変わってしまうのは仕様上よろしくありませんし、セラピー用アンドロイドなどの人と会話をすることに重きを置いている型のものだと最悪の場合表示詐欺になってしまいます。なのでほとんどのアンドロイドには純粋な情報収集以外にそのような機能はついていませんが……」
「が?」
「僕の場合、5年3か月前のメンテナンスの際に大幅なアップデートが加わって……なにせ僕は20モノなので、あの時代はまだ「アンドロイドは笑っていればいい」という開発方針が主だったので」
「……後に共感性も必要だということがわかって、アップデート内容に加わったってことか」
「はい。ちなみに今の情報もネットにつないで得た情報です」
「……やっぱり後でその情報を日本語化して吐き出しておけ」
「わかりました」
ソレはこくりとうなずいた。背もたれをきしませながら、先ほどの言動の違いはそういうことかと得心する。
まだしょぼくれている様子のソレにフル充電までどれくらいかかるのか問うと4時間ほどだと答えが返ってきた。スリープ状態にすればもう少し早まるとも。人型のアンドロイドを扱うのは初めてのことで、また20年前に製造されたもの――おそらく5年前に行われたというメンテナンスで充電まわりも変えられているのだろうが――としていいのか悪いのかの判断はいまいちつかない。
ひとまずVOCALOIDにスリープ状態を指示し、器用にも目を閉じたソレを、そういえばまばたきもしていたなとしばし眺めてからパソコンへ向き直る。
検索窓に打ち込むのはほかでもないこのVOCALOIDについて。
「共感性つったって……さっき笑ってんの見てるからなあ」
むしろソレの、感情がないというものがより浮き彫りになるようでむしろ気味悪ささえ感じたが。
不気味の谷現象。とは少し違うものだあれはどちらかというと動作など、たとえば先刻まるで人間のように階段を上っていた時に起こるようなもので。こちらは一見表情豊かなものが中身をみれば空洞であったようなものだ。
検索結果にはずらりとVOCALOID-KAITOに関する情報が並べられている。20年前に発売された型はアンドロイド全体で見ても黎明期に発売されたものらしく、その後さまざまな試行錯誤や兄弟型を経て、V1に比べエンジンがより進化したV3がのちに発売されているらしい。なんとそちらは英語を滑らかにしゃべることができる機能がデフォルトでついているそうだ。
へえすごいな、程度の感情を持ちながら、それらの情報を流し見していく中、V1エンジン――つまり、祖父から相続することになった年代物のVOCALOIDに関して気になる記述を見つけた。
「製造終了……!?」
よく考えなくともそれは十分にありえることだった。精密機械で15年ならばむしろ長く製造を続けていた方ではないだろうか。
その記事の日付は……ちょうど5年前。時期的に製造終了のことを知った祖父がメンテナンスをしておこうと業者に出したというところだろうか。そのままたどっていくと、サポートも同様に終了していることを知る。製造してから2年後……つまり3年前にすでにサポートはすべて終了しているということだ。
深くため息を吐きうなだれる。これは何か問題があったとしても気付くことができない。ネットにつなぐだけで自己の在り方が変わる可能性のあるアンドロイドを扱うということがどうなるのかがいまいち想像しづらいが……いかんともしがたい状況なのは確かだ。
「……本当に、とんでもないものをもらっちまったな……」
ペットの世話は最後まで飼い主が責任をもつ。アンドロイドがペットの域に入るようになってからはペットの世話を終わらせるのも飼い主の役目になってきているが、物持ちのよかった祖父からのものだ。そう状態が悪いということはないだろう。あったとしても、すべてのアンドロイドにはロボット三原則が適用されているため事故につながることはないはずだ。
とはいえ全く知識がない状態からVOCALOIDと生活することは難しいと考え、アンドロイド、特にVOCALOID-KAITOのコミュニティを探すため、環はカタカタとキーボードを打ち込んだ。
正直面倒だという気持ちが大きいことは確かだが、前々から人型アンドロイドには興味があり、何より祖父が大切に扱っていたものだ。
このアンドロイドの何がそんなに祖父の心を動かしたのか、それが環の今の原動力だ。
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