蜜柑とアイスの共存

一葉の彼方で

 4
 
「なるほど……事情は理解しました。あなた方に協力しても構いません。……ですがその前に、僕の用事にも付き合っていただけないでしょうか」
 球体関節を隠しもせずに流浪の旅を始めた頃ならいざ知らず。今ではほとんど知る者がいないはずの、自身が人形であるという事実を言い当てられた放浪者。彼は、スメールシティで出会った見知らぬ金髪の旅人と、宙に浮いている白い妖精らしき存在と順に目を合わせて頷いた。
「おまえの用事? ……あ、もしかして手伝ってる店のことか?」
「いえ、ええと……実は僕、人捜しをしているんです」
「人捜し?」
「はい。……古い、友人を」
 〝元〟の彼を知っている旅人──灯利はぱちくりと目を丸くした。散兵であった頃の彼は、ほぼ単独行動をしているところしか見たことがない。まあ、そもそも敵対していたので彼をそこまで深く知っているわけでもないけれど。それに、現在放浪者と名乗っている彼と旅人の知る彼は性格からして違うようなので、変わった歴史の中で放浪をするうちに親しい仲間が出来て、その内の誰かを探していたとしてもきっとおかしくはないのだろう。
 問題は、彼の探している古い友人の居場所に、放浪者自身が少しも心当たりのないことにあった。
「住所もわからないし生活範囲はスメールの森全般……って、そいつ、何者なんだぁ? あてがないにも程があるぞ」
「拠点のようなものは何ヶ所かあるのですが、どこも長く戻っていないみたいで……」
 放浪者の話を聞いていくうちに、パイモンの首の角度は深くなっていった。
「ふぅん? ……まっ、オイラたち人捜しは慣れてるもんなっ、灯利!」
「そうだね」
「そうなんですか?」
「おうっ! こいつとオイラが世界を旅してるのも、こいつの双子の片割れを探すためなんだ」
 親しい者を探し求める。その途方のなさを知っている放浪者ははっと目を合わせると、切なげに伏せた。
「そうですか、ごきょうだいを……。はやく、見つかるといいですね」
「……うん、ありがとう」
 少し前までは剣を向け合っていたのに。不思議な感覚に陥りつつも、慮る言葉を受け取った旅人は放浪者に微笑みを返した。
 放浪者は名乗った通り、各国を旅しながら数百年に及ぶ修行をしているようだ。そんな中、この国で例の友人と出会い、また世界を回る度に再会を繰り返していた。だがある時を境に──会う約束もしていたのに、すっぱり会えなくなってしまったらしい。
 その話を聞いていたパイモンがふよふよと漂いながらふと尋ねる。
「それで、その友達とは会えなくなってどれくらい経つんだ? 結構前の話なら、どこかに引っ越してる可能性もあるだろ?」
「そうですね……彼と最後にあったのは、ちょうど百年くらい前、でしょうか」
「ひゃく……?!」
 表情をさっと変えたパイモンが旅人にひそひそと話しかける。
「な、なぁ……こいつ本人は人形だから百年でも探し続けられるかもだけど、相手の友達はもしかしたらもう……」
 ……だが、パイモンのひそひそ声はおそらく、本人が思っているよりもひそひそしていない。しっかりと聞こえていたらしい放浪者はくるりと振り向いて力なく笑った。
「……そうかも、しれませんね」
「あ、あわ……た、旅人ぉ~」
 落ち込ませてしまった、と焦ったパイモンが助けを求めてくる。肩をすくめた旅人は、双方をフォローするつもりで声をかけた。
「先に頼んだのはこっちなんだし、結論を出すのはもう少し先でもいいんじゃない? 放浪者が納得いくまで付き合うよ」
「……はい」
 とは言ったものの、やはり百年探しても見付けられなかった相手を、スメールの広大な土地の中から探し出すのは難を極めた。
 彼の友人の特徴を教えてもらい聞き込みをしても、直接姿を探してもやはりというべきか影すらつかめそうにない。ああそれなら、と知っている様子の村人が口にしたのは放浪者の友人ではなく、伝説の森の精霊についてだった。つまりはお伽話で、けれどその話を聞いた放浪者が懐かしそうに口角を上げるから、旅人はこれも収穫と言えるのだろうかと内心で首をひねる。
 話を聞くに彼の友人は長命種のようだから、完全に望みが絶たれているわけではないけれど、だからこそ放浪者は諦めがたい部分もあるのだろう。
 あまりの手応えのなさに生き別れてしまったきょうだいのことを思い出しながらも、旅人は辛抱強く捜索を続けた。もしかするとそれは放浪者のためだけではなく、自分のための行いでもあったかもしれない。

 放浪者の友人を探し始めてからしばらく。日はとっぷりと暮れ、旅人達は放浪者の案内した丸形の小さな建物の中で身を休めることにした。寝返りを打った拍子に毛布からはみ出たパイモンにかけなおしてやりながら、旅人は声を潜めて放浪者へ声をかけた。
「火の番、変わるよ」
「……いえ、僕に睡眠は必要ありませんから。旅人さんの方こそお疲れでしょう?」
「身体は疲れてなくても、心は疲れるんじゃない?」
「……」
 彼はそっと目を伏せた。頬が、まつげが、瞳が。ぱちぱち爆ぜる火を爛々と反射している。けれど口を開いた彼の言葉はただただ凪いでいるように聞こえた。
「……明日は、シティに戻りましょう。あなたの話していたことに協力します」
「え……いいの?」
「いつまでも……旅人さんの時間を拘束するわけにはいきませんから」
「でも、」
「……彼女が言っていたことは、薄々僕もそうではないかと考えていたことです。……ただ、彼を探すのをやめるきっかけがなかっただけで」
 旅人はしばらくのあいだ放浪者をじっと見つめていたが、当然のことながら出会ったばかりの彼が心底でどう思っているかなどわかるはずもない。しかし旅人にはっきりと告げたのは、たしかに一種の覚悟であるはずだ。
「……そう、わかった」
 彼の決意を受け取った旅人は、しっかりと頷く。

 そして放浪者はかつての己の記憶を受け入れ、己だけの名前を得た。



 5
 
「──師匠、ティナリ師匠!」
 家の外から聞こえた声にティナリはピンと耳を立てた。書き物の手を止めて、慌てた様子の弟子に返事をする。
「どうしたの、コレイ。そんなに慌てて」
「わっ……ごめん、騒いで……でも、緊急の連絡が来たんだ。早く知らせないとと思って……」
 彼女の手にあるのはレンジャー同士の連絡に使われる瞑彩鳥の運んできた手紙だ。通常のものとは紙の色が異なり、開封前から緊急度がわかるようになっている。
 彼女から手紙を受け取り手早く中身を確認する。死域について応援を求める内容だった。長年縮小と拡大を繰り返し、消極的な小康状態を保っていた死域がここ数日でこれまでにない範囲に広がりつつあると。その地域に配属されたレンジャー達で対処にあたるもキリがなく、神の目持ちであり知識も経験も豊富なティナリに急遽きて欲しいとのことだった。
 確かに死域は芽の状態ならばともかく、育ってしまえば経験者でも対応が難しい。加えて名指しの上にこの内容であれば断るはずもない。
「すぐに向かうって、返事をお願い」
「了解!」
 すぐさま準備を整え、アビディアの森での引き継ぎ指示を出して最後にマントを身につけた。
 ティナリは足早にガンダルヴァー村を出た。送り元への距離と瞑彩鳥のスピードを考えれば、返信が届いてからそう遅れることもなくたどり着けるだろう。

 指定の場所へたどり着いたティナリは待機していたレンジャーから手早く説明を受け継いだ。
「僕は中へ向かうから、君たちは端から中心へ向けた援護をお願い。単独行動は絶対禁止。ペアのうち一人でも動けないと判断したら、直ぐに死域から脱出するか信号弾で救援を呼ぶこと。根を浄化するときも、特に周囲には気を付けて」
「はい、ティナリさんもお気を付けて」
 さっと指示を出せば彼らは三々五々に散っていった。流石、練度が高く訓練も行き届いている。これならば余計な心配はしなくとも良いだろう。ティナリも気を引き締めて、死域の中へと足を踏みいれる。他のポイントでも戦闘が始まった音を自慢の大きな耳でとらえながら、魔物に気付かれる前に自身の弓を引き絞った。
 じりじりと死域の浸食範囲を狭めていき、他ポイントに散った彼らも腫瘍や根をすべて潰したことを確認して最後に全体を浄化させた。
 死域特有の蝕むような息苦しさが消えて、代わりに森の青々としたさわやかさが一気に芽吹いていく。
 レンジャー達の間でほっとした空気が流れるが、ティナリは切り替えるように手を叩いた。
「死域は無事に浄化できたけど、油断するにはまだ早いよ。影響を受けて凶暴化した魔物や動物がまだ残ってないか、辺りの確認をお願い」
 返事をした彼らはまた散っていく。ティナリもそれに倣いおかしなところはないか当たりを伺った。──と、彼の耳と鼻はとある違和感を拾った。花の香り。その辺りに咲いているものとは違う、軽やかな鼻歌のような香り。街中など普段であれば警戒すべき要素ではないけれど、たった今まで死域だった場所の気配にしては不審だ。なぜならこの香りはこのあたりに咲く種類の花ではない。
 弓に矢をつがえ、注意深く向かった先には、死域の掃除をした後時折見かける光景が広がっている。
 浄化されたことにより岩に巻き付いた植物が急成長を迎えたようだ。持ち上げられた岩の下には、晶蝶だったり宝箱だったりと、どこから来たのか〝いいもの〟が時折見つかったりする。……けれど、今回ばかりは様子が違った。
「なっ……! 人?!」
 木の根に抱かれるようにして、ともすれば当人の背丈よりも長そうな髪にくるまったまま、少年が硬く目を閉じている。頭には萎れているが目立つ赤紫の花が芳しく咲き、また蔦状に編まれた枝と小さな花の髪飾りが頭を一周していて、どことなく浮世離れした印象を与える。装飾を施された額縁にでも納まっていればさぞ鑑賞欲を誘いそうな光景だが、ここはつい先ほどまで死域だった場所だ。
 先ほどの香りが彼の頭部の花からしたものだとは分かったが、一体どうやって、否、それよりもいつから。混乱に思考がかき混ぜられたティナリだが、かすかに吐息の音をとらえて素早く脈を取った。
「、ぅ……」
「! ねえきみ、聞こえる? 自分の名前は言えるかな?」
 恐ろしく冷えた手を握ると、ぽろ、と彼の手の中から何かがこぼれ落ちたのがわかった。地面に落ちる寸前でキャッチすると、それはティナリにもよく見覚えのあるものだった。──草元素の神の目。縁飾りはこの土地スメールのもので、輝きの灯るそれの持ち主は当然、手にしていた彼自身のはず。
 衰弱こそしているものの命を落としていないのは、神の目の元素力のおかげだろうか? ただ、いくら神の目を持っているとは言っても余談を許さない状態だろう。少年を抱え上げようとしたティナリが声をかけると、彼のひび割れた唇がはく、と空気を揺らした。彼が何を言うのか聞き漏らすまいと、ティナリは耳をそばだててじっと口元を見つめる。
「み、」
「み……?」
「水……」
 掠れきった喉で言ったきり力尽きたのか、ふっと力が途切れる。ティナリは尻尾を膨らませ、今度こそ彼を抱え上げた。



 6

 長い、長い夢を見ていた気がする。
 朦朧とする意識の中で、心地よい冷たさを与えられたのがわかる。少しずつ与えられるが足りない。まだ十分にはほど遠いけれど、同時にしなびた指先や葉先が元気を取り戻しつつあるのもわかった。
 ──ふっ、と目を覚ますと、知らない天井があった。野宿でもない。友達の家でもない。ある程度の広さが確保された、滑らかに整えられた木材からなる家。力の入らない手足に代わって目線だけで周りを伺うと、光をしっかり採れる大きな窓があり、壁には道ばたでよく見られるキノコや昆虫類の剥製が丁寧に飾られている。
「……」
 ここは、どこだろう。いまいち力の入らない腕にそれでもえいやと力を込めて起き上がる。と、手に巻き込んだせいでぴんと張った長髪が邪魔をして、バランスを崩してしまった。どたどた、大袈裟な音を立てて転がり落ち、ようやくベッドに寝かされていたことに気が付く。
「……落ち、ちゃった」
 かさかさの声で呟き、続いて咳き込んだ。状況を理解してからはやっぱり起き上がるのも億劫に感じて、しばらく斜めになった世界を下から楽しんでいると。
「いま物音しなかったか、うわぁっ! だ、大丈夫か!?」
 扉を開けた少女が心配そうに近寄ってくる。特に痛みはないので安心させたくて、少年──パラシュパムは微笑んで見せた。
「はじめまして、ぼくはパラシュパム」
「は、はじめまして……? あたしは、コレイだ」
「コレイ。いい名前」
「え?! あ、ありがと……って、そうじゃない! なんで落ちてるんだ?!」
 一瞬落ち着いたかのように見えたが、やはり彼女は慌ててしまう。あわあわしてる間に、もう一人が顔をのぞかせた。
「コレイ、怪我人の部屋で何を騒いでるの……ああ、ベッドから落ちてしまったんだね。手伝うから、一緒に起き上がろうか」
「うん、ありがとう。でも、床も床で、冷たくて気持ちがいい
「清潔にはしてるけど、一応土足だからね……。コレイ、彼に水を汲んできてくれる?」
「わ、わかった!」
 ちょっと失礼。断りを入れてからパラシュパムの額や首元に手を当てる。熱はないみたいだね、と確認するように呟いて、彼はパラシュパムをベッドに座らせた。
「初めまして、僕はティナリ。さっきコレイと自己紹介してたみたいだけど、僕にも君の名前を教えてくれないかな?」
「はじめまして、素敵な名前だね、ティナリ。ぼくはパラシュパム」
「ありがとうパラシュパム。体調はどう? 気持ち悪いとか、どこかが痛いとか、ある?」
「少し身体が重い気がする。けどちょっとだけ」
「そう、よかった」
「ティナリは、お医者様?」
 問診の内容をさらさらと書き留めたティナリを見て尋ねた。一瞬手を止めたティナリはまたすぐに手を動かしつつ応える。
「部分的にあってるけど基本的には違う……かな。僕はアビディアの森のレンジャー長だよ。だからある程度の医療知識も蓄えてるんだ。でも本職には遠く及ばない」
「レンジャー長……ティナリは、すごいんだね」
「そう! 師匠はすごいんだ!」
 ちょうど水汲みから戻ってきたコレイが高らかに宣言した。パラシュパムにコップを手渡しながらいかに自分の師匠がすごいかを語ろうとしたが、当の本人に止められてしまう。
「コレイ、その話はまた今度ね。彼から事情を聞くのが先だから」
「そ、そうだった……悪い、パラシュパム」
「ふふふ」
 仲良しだ。そう言ってコップの水を煽る。一口飲むと身体の渇きをやっと思いだしたかのように、そのままコップの角度を深めて飲み干してしまった。慌ててコレイが継ぎ足すが二杯目もあっという間に飲んでしまう。まだ飲めると主張するパラシュパムにコレイは三杯目を継ぎながら「ほんとに飲めるか……?」と心配しつつ、結局彼はそれ以降も同じ主張をしたパラシュパムにより、汲んできた瓶の分すべてを飲み干してしまった。
「ほんとに、全部飲んじゃったな……」
「美味しかった。ありがとうコレイ」
「どういたしまして……? 飲み過ぎてないか? 大丈夫か?」
「うん。ほら、ぼくの花も枝も元気になった」
「えっ……ほ、ほんとだ! どうなってるんだ……?」
 パラシュパムが指した頭の冠を見てみると、さっきまで萎れ枯れかけていたはずの花はぽこぽこ咲き誇り、枝もつややかさを取り戻している。
「……パラシュパムの冠のこと、てっきり髪飾りだと思って、寝かせる時に軽く引っ張っちゃったんだけど……ホントにどこも痛いところはない?」
「ない。しっかり根が張ってるから、大丈夫」
 頷くと気まずげに尋ねたティナリがほっと胸をなで下ろした。パラシュパムは自身の種族について、そしてその力を用いて死域を浄化しようとした際に失敗したことを話した。
 一通り聞き事情は理解した。が、ティナリはパラシュパムの話と手紙の差出人のレンジャーから聞いた話に違和感を見付ける。
 パラシュパムはできたばかりの死域の話をしていたが、件の死域は長年様子見されてきたもののはずだ。あの死域は急速に範囲を拡大させていたから、複数の死域が大きな一つの死域になったのだろうか? いや違う、そうすると今度はパラシュパムの話と矛盾する。
 深く考え込もうとしたティナリの意識を、あっ、と思いだしたようなパラシュパムの声が引き上げる。
「友達と、約束してた……」
「友達と? なんの?」
「スメールシティの祭り……」
「祭り……? バザールの花神誕祭のことなら、もう終わっちゃったけど」
「……ちょっと寝過ぎた? でも、彼はぼくのこと、ずっと探してるかも……」
 ベッドから降りた拍子に、長く伸びた髪を今度は足で踏んでしまった。ふらついたパラシュパムを咄嗟に支えながらティナリがこら、と叱る。
「焦る気持ちも理解できるけど、ここ……ガンダルヴァー村からスメールシティまではちょっと距離があるよ。それに道中では魔物も出るし、いくら君が森の民の血を引いてるといっても怪我人を易々と行かせるわけにはいかない。僕が許可を出すまで、この村から出ちゃダメだからね」
 少年は目をまんまるにした。ベットに座り直すのを手伝ってもらう間たっぷり考えて、首を傾げる。
「……心配、してくれてる?」
「そ、そうだぞ、師匠の言うとおりだ! おまえ、さっきもベッドから落ちてたじゃないか。そんなにフラフラの状態でこの村を出るのは危険すぎる」
「……。わかった」
 コレイの加勢もありパラシュパムはこくりと頷いた。続けて、彼は自身の足を見下ろす。
「……自分の髪を踏んづけるの、新鮮だ……」
「うん?」
「……寝る前はぼくの髪、こんなに長くなかった。ティナリよりも短いくらい」
 わし、自身の髪をつかむようにして梳く。よくない環境にいたせいか痛んではいるが、先ほど水を摂取したおかげか枝冠と同じように潤いを取り戻しつつあるようだ。
「……ぼく、どれくらい寝てた? ……コレイ、これぐらい伸びるまで、どのくらいかかる?」
「えっ……? と、あたしも、パラシュパムくらい長く伸ばしたことはないから詳しくはわからないけど……自分の背を追い越すってなると、十年、とか……?」
 三者の間に沈黙が落ちる。ティナリはとある仮説を組み立てた。
「そのことなんだけど……」
 顔を上げたパラシュパムを見据えて、慎重に告げる。
「落ち着いてきて欲しいんだけど、パラシュパムのいたマラーナ……? 死域が出来たのって、ざっと百年くらい前の話なんだ。君も知っての通り本来はすぐにでも駆除すべきものなんだけど、その死域は範囲が広い反面それ以上大幅に広がることはなく、むしろ狭くなることもあって……とにかく変な死域だったんだ。まるで、何らかの力によってそれ以上広がるのを抑制されてるみたいに」
「……百年……苗木も立派な木になれるくらいの時間だ……。ん、でも、マラーナの中にそんなにいたら枯れてしまう」
「でも、君は神の目を持っているだろう? 僕が見付けたとき、握っていたよ」
「え?」
 首を傾げるパラシュパムに机の上を指さした。ティナリかコレイのものなのだろうハンカチの上に、草の神の目が鎮座している。パラシュパムを救出したとき、彼の手の中にあったものだ。
「これ、ぼくの……?」
 見覚えのないそれを尋ねつつ、意識が途切れる瞬間に見た光のことを思い出す。コレイが自分の身につけている草の神の目と、それからティナリの身につけている草の神の目を順番に指し示した。
「神の目は、強い願いに呼応して現れるって聞いたことがある。だから、森を護ろうとしたおまえの意志に応えた神の目が、おまえが無事でいられるよう力を働かせたんじゃないかな」
 そっと手に取ると、まるで返事をするかのように石細工がきらめいた。彼らの話が本当であるならば、百年もの間ずっとこれを握り続けていたらしい。だからだろうか、ずしりとした重みが驚くほど手に馴染む。
「……そっか、ずっとぼくを助けてくれてたんだ」



 7

 ティナリとコレイに説得されたとおり、パラシュパムは目覚めてから体調が元通りになるまでの間ガンダルヴァー村で療養に専念した。
 とはいってもやはり彼の身に流れる森の民の血筋のおかげか、身体は常人よりいくらも丈夫らしく驚くべき速さで回復していった。ティナリのお墨付きを得てからは神の目の使い方に慣れるためというのも含め、死域の駆除や村の運営の手伝いを行っている。
 身体の調子が完全に戻ってからはさらに平行して友人捜しや森の見回りもしており、彼のタフさにレンジャーたちは感心しきりだ。
 そんな彼も少しは落ち着いたらどうだと休息を与えられた。ティナリに肩のところで切ってもらい、多少はまとまるよう一部だけコレイに編んでもらった髪を揺らしながら、パラシュパムはその日ラウードを引いていた。
「ウードも弾けるのか、吟遊詩人みたいだな」
 おとぎ話めいた一曲が終わるのを見計らいコレイは声をかける。ちょっとしたリサイタル会場になっているそこは小動物が集まっていたが、コレイが来るとわかると大半はさっと立ち去ってしまった。少し残念に思いながらも、レンジャー隊の一員でもある犬がすり付いてきたのをわしわし撫でてやる。
「さっき、村に立ち寄った商人からもらった。引いてたら友達が来た」
「鳥もリスもいっぱいいたもんな。あたし、もしかして邪魔しちゃったか?」
「ううん。コレイも、来てくれた友達」
「えへへ……なんか、照れるな……」
「でも、探してる友達はまだ見つからない……」
 ぽろろん、ラウードをつま弾きながら歌うように呟いた。もにゃもにゃと、楽しそうでもありもどかしそうでもある様子にコレイは首を傾げる。
「友達を探すのは、かくれんぼみたいで楽しい。けどこんなに待たせる予定じゃなかったから、心配……ぼくも心配だし、友達も心配してる……」
「うーん、そうだよなぁ……」
 聞けば、パラシュパムの探している友人も長生きな方らしい。彼の眠っていた時間を知ったときによぎった考えは取り越し苦労だとわかったものの、それでも百年越しに友人を探すとなると大変だ。そもそも、かの友人はひと所に留まらず各国を回っているという話なので現在スメールに滞在しているとは限らない。というより、していない可能性の方が高いのではないか、というのが彼らの出したひとまずの結論だ。
 それでも彼らが再会できたらどんなにいいだろいうかとコレイは思っている。彼は優しくて頼りになる、とパラシュパムがしきりに話している通り、きっと彼と同じように穏やかな気質をしている人物なのだろう。それに、友達の友達なら緊張するけれど、是非会ってみたいものだ。
 一風変わった即興曲を奏でる彼の指先と、それから横顔を眺めて、「きっと会えるさ」とコレイは元気づけた。



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