北の国、とある小屋に残された手記より。


 日記を書くのは、もう今日で最後にします。もしかしたら将来読み直すかもしれないと思っていたこれも、もうその必要はないとわかりました。この子とわたしの日々は、この子とわたしだけのものです。他のだれかが知る必要はありません。だからこれより後のページは全て、すでに燃やしてしまいました。
 本当にそう思っています。けれど、わたしは最後にこれを書き残しています。不思議ですね。この子とわたしだけの思い出と言いつつ、だれかに聞いて欲しかったのでしょうか?
 どうかこの本が朽ちるまで、この場所が消えてしまいませんように。だれにも見つかりませんように。それがきっと、強い魔法使いだったこの子の証明になるでしょうから。

 わたしのたいせつなひとが石になりました。この子はとてもとても強い力を持っていたようで、亡くなった後もわたしのことを守ってくれました。この子は自分が死ぬと悟って、それがわかっていてなおわたしを守ろうとしたのです。強い力を持っていると、色々なしがらみがあるそうです。
 魔法が使える彼らは、石になった他者を食らうことで自らの力に変えられるそうです。しかし弱すぎては力にすらならず、強すぎても石に自己がのまれてしまう。この子は生前わたしにそう語りました。けれど今まで戦いを挑んだ魔法使いというものは(男女の関係なく)自らの力を確信、あるいは過信していました。
 彼らはこの子の力を自らのものにしようと挑み、そしてこの子の力になってゆきました。この子がなになった今、今度こそ、この子の力を手に入れようと、石を持つわたしを襲って、あるいは親しげに、もしくはひっそりと…奪おうとするのです。その度にこの子はわたしを守ってくれています。

 この子が、少なくとも今よりは口数が多かった頃、わたしは尋ねたことがあります。「人間が石を飲んだらどうなるのか」。答えは至極シンプルでした。「何にもならない」。石にある魔力が弱くとも強くとも、そもそも魔力のない人間には影響がないそうです。
 何にもならない。
 わたしがいま、手のひらにあるこの子を食べても、何にもならないのでしょうか。
 いいえ、そんなはずはありません。この子が以前言っていた「あなたの骨はどんな味がするのだろう、石は少なくとも、舌触りが違いそうだけれど」という言葉はこの子なりの、浮世離れした愛情表現だと思っていたのですが、ひとが大切な者を失ったあと安眠を願い土に埋めるように、石になった者を身に取り込むことが弔いになると知ったのは愚かにもごく最近のことなのです。
 わたしが死ぬのを待ってくれなくとも、わたしの骨を食べたかったのなら、あなたにならいくらでもあげたのに。

 暖炉の火に照らされてキラキラと輝くこの子を見つめます。たったひとつの宝石になったこの子のいまの姿は、この子の瞳の色にも髪の色にも肌の色にも、いつかに好きだと語ってくれて、ずっと眺めていた色にも見えます。
 もうあなたの色を見られないのかと思うと寂しくも思います。けれど嬉しくもあります。あなたとずっと共にいられることが。でもやはり、仮にわたしが魔力を持っていたならば。この身をあなたに任せて、最後にまたあなたに会いたかったような気もします。
 わたしがあなたを飲まなければきっと万年、あなたは石でいつづけられるのに。
 きっとどれも間違っていて、どれも正解なのでしょう。

 おやすみなさい。だいすきよ。何かになっても、何にもならなくても。



 ふと見つけた小屋を訪れた者は、その手記を静かに閉じた。長い金髪を耳にかければ、お気に入りの大ぶりのピアスがつられて揺れる。彼女は顔を上げ、別の部屋で食べられそうなものを漁っている連れに声をかけた。
「……ねえ、私たち、もしかしたらものすごく無粋なことしちゃったかも」
「──なんですか?」
 特に声を張り上げていたわけでもなかったから、やや間があったあと男が扉越しに顔を覗かせた。その顔が見える度に彼女はうっとりする。やっぱり、私の見る目は間違いじゃなかった。
「これ、そこで骨になってる人間が書いたものみたい」
「あなた、読書なんて興味あったんですか」
「そんな失礼なことを言うのはこの口?」
「ひゃめへうああい」
 顎をつかみギリギリと音を立てる。物理的に顔が歪みながらもやはり整っている。彼女は内心で深く頷いた。
「結界が残っているから魔法使いがいるかマナ石が残ってると思ったんですけど、期待外れでしたね」
「この人間が石を全部食べたみたいよ」
「そうなんですか? ……ふうん、仲がよかったんですね。……ああ、でもこの骨はよく魔力が染み込んでるからいい媒介になるかもしれないな。それか、俺の魔道具にしようかな」
「あんた、情緒は理解できるのに同じテンションで媒介にしようとか魔道具にしようとか言えるところが面白いわよね……。私の魔道具あげたでしょ、まだろくに馴染んでもいないんだからちゃんと使いなさい」
 彼女が止めれば、彼はそうですかと素直に頷いた。
 その素直さにまた口角を上げつつも彼女は納得した。このあたり周辺の、特に小屋の中の精霊がやたらとぴりついている理由ははっきりした。長年結界が張られていた影響で、破られた後とはいえ精霊がこの場を維持することに慣れているのだ。だから侵入者である二人は精霊に警戒されているし、監視されているような心地がする。とはいえ北の国の精霊は元来強い者に引かれる性質がある。より魔力が強い者、より魔法の行使が巧みな者が好きだから、彼らがここにとどまって強い魔法を二、三発でも打てば、精霊はすぐに彼らの魔法に協力するだろう。
「ま、このまま放っておいても私たちに害はないし、もう行きましょうか。どうせなら次は綺麗な宝石がありそうなところがいいわね」
「……チレッタも要らないんですか? 本当に?」
「いいのよミスラ。確かにこの骨がオズくらい強い魔力を持ってたら、使い道も考えたかもしれないけどね。……結界は破っちゃったから、他の魔法使いや人間がここを訪れるかもしれないけど……うーん、まあその時はその時ね。諦めてもらいましょ」
 ぼろぼろの手記を元あった場所に戻して、あっさりとした結論を出したチレッタに続きミスラも小屋を出る。箒を取り出す際にチレッタは意地悪げな笑みを浮かべミスラに言った。
「さっきオズくらいの魔力があったらって言ったけど……もしそうだったらあんた、結界破れなかったかもね」
 彼女の微笑みを見て嫌な予感がするな、と思っていたミスラの予感は的中した。眉を寄せ、即答する。
「は? 破れますけど」
「あっはっは! あんたほんとにかわいいわね」
 何が面白いのかチレッタは豪快に笑い上空へ飛び立つ。一体どういうつもりか問いただそうと、ミスラは矢よりも速く追いかけた。


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