tiny,tiny jewel

 青年はペンを置いた。今回の論文の研究対象である傍らの石は何も言わず、傷がつかないよう用意したベルベットの寝台の上にただ佇んでいる。蝋燭の灯りを受けて柔らかな光を返していた。
 その石は、青年の手のひらに容易く収まってしまうくらいの小さな石だ。握り込んで「さあ、どちらの手にあるか?」と誰かに尋ねたとしたら、直感で選ぶほかないだろう。光を当てる角度によって様々な色に変わるそれは、青年に無限の可能性を感じさせた。
「……君は今日に至るまで、ゆりかごの中でどんな夢を見ていたのかな」
 青年の理知的な瞳が細められた。幼き日に見たこの石が、宝石箱にただ一つ。他のどの宝石よりも異なる輝きを秘めているように感じたのを思い出す。彼以外に人影のないこの部屋で、いっそ恭しさを感じさせる所作で石を持ち上げた。ベルベットのクッションに手袋もして、それはまさに正しく宝石を扱う手つきだが。
 彼は掲げるように月明かりに石を透かして、そして、それから。

 *

 未開の天文台。賢者をはじめとした西の魔法使い一行は、以前を大いなる厄災のこの影響があったこの場所を訪れ、新たな異変がおきてないかの調査を行っていた。結果として特に妙な異変もその予兆もなく、明日帰るまでに様々な書類や書籍が散らばった床を少しでも掃除しよう、と手分けをして──例えばラスティカは演奏係として──事に当たっていた。賢者はこちらの世界の文字をあまり読めないが、ひとまずまとめてあるファイルの大きさや、表紙の柄で大まかに分ける、という作業を手伝っていた。
 そんな中、書籍の中身にあったような長文の手書き文字の横に、細かく殴り書きやグラフが書き加えられた長い羊皮紙を見つけた。ひとことで言い表すと巨大なレシートのような。製本もされていないが、けれど紙片のメモ書きのように書きっぱなしで終わりという印象はない。ムルは論文を数多く発表していたというし、その草稿のようなものだろうか?
「シャイロック、この紙についてですが……」
 中身を見てもらった方が早いだろうと、近くにいたシャイロックに声をかけた。彼は賢者から紙を受け取ると、冒頭のタイトル部分を見てすぐに納得したようにうなずいた。
「研究のメモやレポートのように見えますけど……」
「そうですね、これは昔、彼が論文として提出しようとしていたものです」
 どうやら賢者の考えは合っていたようだ。同じような紙をまとめていれる箱に収納しようとたたみ直すと、望遠鏡を覗く係をしていたムルがシャイロックの背後からひょっこり顔を覗かせた。
「懐かしいね、それ!」
 そう言って賢者に手を差し出した。紙を受け取り広げると、彼の目に学者の輝きが灯る。ここの推論が甘いな、と過去の自分の書いたものに批評をした。
「それは、どういう内容の論文なんですか?」
「マナ石についての研究でしたよね」
「そうだよ。胎児のマナ石について研究してたんだ」
「たい……えっと、どう……? ……なるほど……?」
 脳内でなんとかムルの言葉を噛み砕こうとし、けれど上手くいかなかったようだ。ぶすぶす音を立てて煙が上がりそうな賢者の様子にシャイロックが助け舟を出した。
「もう少し、詳しく説明して差し上げてはどうです?」
 いくら過去自分で書いたものといえどそんなに速読できるものだろうかという速度でするすると紙を流していく。一番最後まで目を通して、「思い出してきた!」と猫のように笑った。
「人間の子供と同じように魔法使いの子供も流産することがある。その時、遺体はマナ石となって体外に排出されるんだ。生まれる前から魔力はあるし肉体もあるんだから当然だよね。マナ石の大きさから大まかに週数を計算したり、魔力量を調べたり色々! やっぱり成熟未熟以前に生まれる前の存在だからね、魔力は微々たるものだった」
 魔法使いの魔力は肉体の成長に伴って強くなっていき、魔力が成長しきったタイミングで肉体の成長も止まるという話を思い出した。だから魔法使いの彼らは見た目の年齢がバラバラで、特に幼い子供にしかみえないスノウとホワイトは魔力の成熟が早かったらしい。肉体年齢に反してその実、ふたりは魔法舎どころか大陸中で最も長生きの部類に入る魔法使いだ。
 詳細な説明を受けた賢者はぽかんと口を開けている。情報量についていけていない。しかし噛み砕いて説明されたことにより徐々に処理が追い付いてきた。賢者は、今度こそ納得の感情からくる「なるほど」を呟いた。
「でも、サンプルがこの一例しか用意できてないからデータが全然足りない。もっと沢山集められたら、成人以上のマナ石とだけじゃなく胎児のマナ石同士で比較もできるのに」
 並べられる情報量だけではなく、単語の重みに「マッドサイエンティストみたいだな……。いや、そういえばムルってマッドサイエンテスト寄りの魔法使いだったな」と思いながら、賢者はふと湧いた疑問を投げかけた。
「……ちなみに、その赤ちゃんのマナ石はどこから……? というか、マナ石になる前の年齢や性別って、わかるものなんですか?」
 ムルはその問いににっこりと笑って答えた。
「この論文のマナ石は、俺のきょうだいのマナ石だよ!」

 *

「性別は結局わからない、というか無いと言った方が正しいね! もう少し大きくなってたらわかったかもしれないけど、丸まった状態で石になってたら結局わからないままかも。賢者様は魔法使いの兄か姉、どっちが欲しい?」
「まだ俺が小さかった頃……んー、俺が魔法使いだってわかったすぐの頃かな。母親がこっそり、特別な宝石箱の中のひとつを俺に見せてきた。「ムルのお兄ちゃんかお姉ちゃんですよ」ってね。彼女は平凡な人物だったけど、魔法使いを二人妊娠したという点では非凡だったかも? でも子供か親が非凡だとして、そのステータスが親や子供のものとイコールになるかといえば違うよね」
「父親や兄が流産したことを知ってたかどうかは……わかんない! 興味がないから!」
「彼女はマナ石を、例えば指輪やペンダントには加工したりせずそのまま持っていた。だから家を出てから、研究しようと思い立った時に使うことができた」

 そう語るムルはいつも以上に饒舌であると賢者は感じた。家族の話だからだろうか、と思いかけて、以前家族についてムルにどうにか思い出してもらい、一通り聞いた後「用が済んだならもう忘れちゃうね」と宣言されたことを思い出す。ムルは、魔法使いというだけではなく、変わり者が集まった魔法舎の中でも一際不可思議な魔法使いだ。
「それじゃあ、ムルはお母さんからごきょうだいのマナ石を貰ったんですね」
 家族に対する感情の置き所はともかくとして、ひとまずそう結論付けた。けれどその予想は思い切り外れていたらしい。賢者の言葉にムルはあっさりと首を振った。
「もらってないよ! 家を出てくるとき、一緒に持ってきちゃった」
「もっ……持ってきちゃったんですか?! え、ええと、マナ石を大切にとっていたということは、ムルのお母さんにとってご遺体そのものだったり、少なくともへその緒みたいなものだったんじゃないんですか?!」
「賢者様はへその緒取ってあるの? 面白いね」
「あ、いや、実家に……あると思います……いえそうではなくて……! じゃあつまり、今もムルはその、お兄さんかお姉さんのマナ石を持っているんですか?」
 賢者は、いつだかに訪れたムルの部屋に置かれた宝石箱のことを思い出していた。あの中のどれかひとつに、ムルのきょうだいのマナ石があったのかもしれない。しかしこの予想も外れていたらしい。ムルはまた首を横に振った。
「ううん、あの中には普通の宝石しかないよ。普通でとびきりの、特別の、俺のお気に入りの宝石!」
「そうなんですか。じゃあ、他の場所に?」
「うん。他の場所といえば、他の場所だね」
 どこか含みのある言い方だ。賢者が首を傾げると、シャイロックは微笑み尋ねる。
「話してしまっていいのですか、ムル? 賢者様に引かれてしまうかもしれませんよ、当時の協会の学者たちのように」
「引かれちゃうかな? でも賛同してくれるかも? どっちもワクワクするね。せっかくだから賢者様に決めてもらおう! 賢者様、どう? 俺のきょうだいのマナ石がどこにあるか聞いてドン引きしたい? 賛同したい?」
「……ええと、なるべく露骨な態度にはならないように気を付けますが……どちらにせよ、場所を聞いてから決めてもいいですか?」
 それを聞いたムルはにっこりと笑い、あーん、と大きく口を開けて答えた。
「俺のお腹の中! 食べちゃったから!」
 それを聞いた賢者は、一瞬時間が止まったかのような錯覚に陥った。ムルは楽しそうに賢者の様子を観察している。露骨な態度はとらないようにする、と言った手前、はっと我に返り言葉を絞り出す。
「……北の国では特に、マナ石を食べて魔力を自分に取り込んだり、弔ったりすると言っていましたもんね。西の国でも同じような風習があるんですね」
「あはは、びっくりしてる!」
「こらムル、あんまりからかってはいけませんよ。……賢者様の聞いた通り、ムルは実験の一環としてマナ石を食らいました。しかし赤子のマナ石を食べたという話は協会の倫理に違反したらしく……。加えて、ムルの発明する数式や設計図のうち多くは有用性が認められていますが、当時は魔法科学の研究すらほぼされていませんでしたから。有用性も何もないただ非倫理的な研究として、提出すら認められなかったとか」
 ねえ、ムル。そう優雅に笑うシャイロックは、マナ石どころかムルの魂そのものを食べたことがある。とはいえ賢者が魔法使いたちから聞いた話のように、魔法使いが別な魔法使いの亡骸であるマナ石を食べるという行為は、魔法使いたちの倫理観からはそう外れた行為ではない。しかしそれぞれの倫理観があれば、環境や時代と共にそれが変わっていくのも自然なことだ。厳しい環境の北の国では弔いの他に、力を付ける目的も含めてマナ石を口にする。反対に、南の国では人間と魔法使いが手を取り合い共に暮らしていることから魔法使い独自の風習は消えつつあり、マナ石を口にすることに抵抗を覚える魔法使いもいる。
「うーん? 食べた行為がたまたま弔いの形をしていただけで、俺が知りたかったのは硬さや食感、味に成人以上の魔法使いと比較したときの違いがあるかとか、俺自身の魔力に何か影響があるかってことなんだけどな」
「……その結果を論文に書いたから、マナ石を食べたという事実が協会に知られたんですね」
 魔法使いは魔法使いの、人間は人間の、ムルはムルの倫理観で動いている。
「あなたはイカレた魔法使いですから。あなたの"それだけ"が他人にとっての"それだけ"とは限りませんよ。少しは自覚なさって」
 シャイロックははっきりと言い切った。しかし、
「シャイロックの言うように自覚したとしても、思いつく限りの公正な予測をして実験して結論を出さなきゃ。意図的に可能性を排したものは研究だなんて呼べないからね」
 あっさり答えるムルに笑みを深めた。賢者も研究者としてのムルのそんな姿勢を純粋に尊敬している。
「わからないって面白い! だから研究は好き!」
 そう言ったきり彼は、つま先をはじいてくるりと宙に浮いた。にゃーん、欠伸のように鳴いて、この話はもう終わりとでも言うようにそのままくるくると天窓から屋根へ抜けていってしまった。
 彼の姿を見送り、残された二人は無言で目を合わせる。
「……なんだか、また新しいムルの一面を見られたような気がします」
「ふふ。私もムルとの付き合いは短くありませんが、驚かされることも多いですよ。気まぐれな猫のようなものです」
「それは……とっても魅力的な例えに聞こえます」
「おや、褒めすぎてしまいましたか?」

 *

 ごくん。嚥下して、また筆を執る。十分、三十分、一時間、三時間。正確に時間を計り記録していく。余白部分にもはみ出しながらメモをして、わずかな魔力の変化も余さずに記録する。
 一二〇時間。青年のこれまでの経験から得た、マナ石を摂取したあと体調や魔力に異変が生じうる最長の時間だ。ピリオドを打ち、最後の記録を取り終えて──無論、この時間を越えても何かあれば逐一すべて記録する──短く息を吐き、冷えきった紅茶を飲み干した。徹夜続きのあとはすぐにでも寝たらいいのだろうが、あいにく青年は実験後の高揚感で眠気を全く感じていなかった。
 だから彼は寝室ではなく先ず玄関に向かい、部屋の扉を開けてシャッターを上げる。新聞等の郵便物がたっぷり五日分、家主に回収されるときを今か今かと月明かりの中待っていた。特に新聞は都市新聞も地方新聞もとっているため、近隣から見れば家主も使用人も長く不在なのだという印象を与えるだろう。青年は実験中、シャッターが閉まっている間は業者も知人もパトロンも、何があっても部屋に入るなと言づけてある。無論入ろうとしたところで絶対に入れない魔法がかけられているのだが。
 魔法でそれらを回収し、これまた魔法で沸かしたポットでコーヒーをいれる。椅子をデスクの前から窓際に移動させ──る前に、徹夜で乱れた髪を整えてからようやく――椅子に深く腰掛けた。深呼吸のような、深い深いため息をつきながら日付順に雑誌や手紙、新聞を次々読んでいく。
 実験や研究は──特に今回のような対象につきっきりになるような研究は、まるで対話のようだと感じることがままあった。視線を送る相手はもう自らの内に融けてしまっている。口に含んだ瞬間の存在感すら極めて微小であったあの小さな石を思い出して、青年は人知れず口角を上げた。実験は終わった。けれど、わからないことはまだまだ沢山ありすぎるくらいだ。それが、どうしようもなく青年の心をうわつかせる。
「……君とも対話を何百年と続けてきているけれど……。そろそろ君の声も聞きたいな。どうだい? 愛しの君」
 一二〇時間前とは随分姿の変わった"愛しの君"に語りかけた。けれど夜の静かな囁きと、星の密やかな瞬きがあるだけで青年の愛しき存在はついぞものを言うことはなかった。それをあらかじめわかっていたように彼は月に笑いかけてから、再び愛しい存在の照らす中で新聞を読み進めていく。
 いくつも郵便物を読んでは足元に落としていくのを繰り返す。その中でとある記事が目に留まった。好き者の魔法使いたちが集まり定期的に刊行している、魔法や精霊、魔法使いに関する各国の出来事をまとめた雑誌の記事だ。
『マナ石を食べる行為は、死者との対話である』
 その見出しが躍るコラムは、マナ石の弔い方を地域ごとにまとめたものだった。例えば海の近くでは海辺に撒いたり、山の近くでは土に埋めたりと傾向がある中どの地域にも共通していたのがマナ石を食べる行為だ。マナ石を食べればその者の力を得ることができる、という前提を共有しつつ、その風習が生まれ現在まで続いてきた推論が述べられていた。力の差がありすぎると自我がのまれてしまう可能性について、一種の降霊術ではないかという提起もされている。
 青年はそのコラムを他の記事よりも長い時間眺めていたかと思うと、ぬるくなりつつあったコーヒーを一口啜った。そして深い眠りについた街を見下ろして、静かに語りかける。
「対話……か。この記事を書いたのは……あぁ、東の魔法使いなのか。少々以外でもあるし、同時に納得でもある。……フフ、執筆者は随分なロマンチストだ。なぁ?」
 君もそう思うだろう? 数百年前。生まれるよりも先に死んでいった、名も無ききょうだいよ。


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