蜜柑とアイスの共存

誰が為の懺悔か


 懺悔します、懺悔します。私が彼女に出会ってから二十年、我が中央国の国教である教会へ行くにも半ば上の空で疎かにし、聖ファウスト様へ祈りをささげることもどこか流れ作業のように心を欠き。かといって他の既存の宗教を信ずることもできず、しかしながらこの悔恨を神へ告白することをお許しください。私は今宵も自らのあさましい考えや行いを懺悔します。許しを請います。そしてどうか、光に陰った雲を払う術を賜りたく存じます。

 私は国王陛下から仰せつかった大役を全うしようと、また他の侍従仲間たちからの羨望や嫉妬の視線に挫けないよう、それはそれは張り切って日々の仕事に励んでおりました。中央の国民として、王族の方に、それも嫁いできたばかりの王妃のお世話を任せていただけるだなんて、身に余る幸福を放してはならないと強く思っていたからです。
 しかし私がそう決意したのはそれだけの、名誉ある役職だからという理由だけではありません。どんな小鳥や花であっても、彼女の前では霞んでしまうほど可憐な王妃に、私はかつて彼女に約束したのでございます。
 あれは私が彼女つきの侍従となるさらに数年前のこと。彼女がまだ王妃ではなかったころのお話です。あの時分、私は王城で働き始めてからしばらくたった頃でした。侍従としての能力を自負しつつもまだまだ経験が乏しく、私は正しく若者でした。仕事に追われ、しかしそれを周囲に気取られないようすました表情で王城を歩くことにやっと慣れてきた頃です。私は庭師により丁寧に整えられた中庭を横切りました。
 薄色の薔薇の咲く庭で、不安そうな表情を浮かべる貴族のお嬢様と出会ったのです。お客様に快適に過ごしていただくことも大事な仕事の一つですから、私は勿論彼女に尋ねました。いかがしましたか、と。彼女の話を聞くに、どうやらお付きの者と離れた際に目的の場所も見失ってしまったようでした。私は彼女ににこりと微笑んで、彼女が仰っていた部屋へご案内差し上げました。
「ありがとう、助かりましたわ」
「勿体ないお言葉です」
 彼女はほころぶような笑顔を浮かべてこう仰いました。
「わたくし、これから登城する機会が増えるの。グランヴェル城はとても広いでしょう? だから大丈夫かしらと思っていたのだけれど、あなたの様な使用人がいるなら安心だわ」
 彼女から賜った忌憚のない言葉はきらきらと輝く恒星のように、ずっと私の胸の中にきらめいています。忙殺されそうなほど慌ただしい日常の中、彼女の言葉は私の胸の奥底にまで染みわたっていったのです。ですから私は生意気にもこう申し上げました。
「お約束します。お嬢様がお困りの際はどこからでも駆けつけてお助けします。いつでもお呼びください」
 きっと彼女は冗談だと思ったのでしょう。それはそうです、王城はその広さに準じた使用人を大勢抱えているのですから。わざわざ私を呼びつける必要などなくそのあたりの使用人に命じれば、そもそも彼女がお屋敷から連れてきた家の者に言いつければ事足りるのです。けれど彼女はくすくすとたおやかに笑いながら、私の言葉にうなずきました。
 この日から彼女は、かけがえのない私の光となりました。

 そんな私の約束が守られるのは──捨てられていないとわかったのは、彼女をお嬢様ではなく王妃とお呼びすることになったのと同時でした。
「お嬢様」が定期的に正域に訪れていたことを知りつつも偶然出会うことなど早々ありませんし、初めての邂逅からは彼女と会話をする機会などありませんでした。あっても遠目から影を拝見する程度のことです。ですが彼女は覚えていてくださったのです。「王妃」の証である冠を被りながら、「──ステラという使用人は、まだこちらにいるかしら?」そう尋ねたと聞いています。
 大慌てで城中の「ステラ」が呼び出されました。私はそのいきさつを聞いたとき、まさに天にも昇る気持ちでした。侍従長にかつて彼女とあった出来事をお話しすると、私は彼女に謁見を賜ることになりました。──他のステラの何人かも、王妃とお会いしたいがために各々のエピソードを語ってはいましたが、それはさておき。
 王妃ははっきりと私に向かって微笑んでくださいました。あった出来事、名前だけでなく、顔までも覚えてくださっていたのです。何年もお会いできないままだったにも関わらず。ええ、やはり私は確信を深めました。王妃こそが私が誠心誠意を込めてお仕えするべきお方です。王妃ほど素晴らしいお方に私は出会ったことがありませんし、これからも永劫、あのお方より素晴らしい御人などいるはずもありません。これからもあの微笑みで私を見ていただけるのならば、たとえどんな難題でもこなしてみせましょう。
「久しぶりね、ステラ。陛下からまたお話があると思うのだけれど……おまえ、わたくしの元へ来てはいかが?」
 私の人生は、この方のためにあるのだと。私は幸運にも気付くことができたのです。
 彼女に使える日々はとても幸福です。民のために執務をこなす凜々しいお姿も、お気に入りの紅茶を飲んで、あの日のような可憐な微笑みをたたえるお姿も、いついかなる時も彼女は完璧で、素晴らしいお方です。
 お二人にそっくりな御子も無事お生まれになり、これからもこの幸福が、時には憂いたとしても一日の最後にはきっと笑顔でいられる日々が続くのだと誰もが信じておりました。
 御子は──アーサー様は、元気でわんぱくな王太子殿下でした。けれど早くから物事に理解を示し、王妃や陛下のお話や教師の教えもしっかりと聞いていらっしゃいましたから、それはそれは聡明な国王になられるのだと、周りもみな安心して彼の成長を楽しみにしておりました。
 しかしそんな願いは、すぐに打ち砕かれることになります。
 ──アーサー様は、不思議な力をお使いになる。
 そう囁かれ始めたのは、メイドがカップを誤って落とした際、不自然な力によって割れずに済んだという話が出てからです。普段、王城のものは特に。王族の方々への悪意の言葉など到底許されざるものです。しかし不安というものは伝播するのが水の流れよりも速く、アーサー様が人助けをするために、という事実は無視される形で「アーサー様は不思議な力をお使いになる」という噂が流れていきました。
 悪意では決してないのだから、という建前で始まった不安のうわさ話は、瞬く間に塗装がはがれていきます。ぽつりと誰かが、アーサー様がいずれ、いたずら心でも持たれたら我々はどうなってしまうのか。そう呟いたが最後です。皆の不安は急激に膨らんでいき、中には聞くに堪えがたい、王妃を非難する流言飛語までが飛び交う始末でした。
 私は陛下から仰せつかった役目を果たすため、なんとか王妃とアーサー様をお守りするために動いて…──。
 動いて、お守りできませんでした。

 アーサー様はどうやら魔法使いらしいということが城中に知られるにつれて、王妃の表情は曇ることが多くなりました。そしてしまいには私たち王妃付きの侍従との会話でも上の空で、最低限のお世話をした後もう下がっていいわ、とのお言葉に部屋をあとにするばかりの日々を送るようになりました。
 どうしてこんなことになってしまったのだろうと唇を噛む日々が続きます。楽しみにしていたはずの日課の散歩も断られるばかりで籠もりがちになると、アーサー様のことがなくてもご病気になってしまうだろうと気が気ではありませんでした。
 いくら中央の国が魔法使いへの差別はないと謳っていても、実際問題それが根深いことは──ええ、事実です。認めましょう。建国の祖としてアレク・グランヴェル様を。並んで、建国に尽力した魔法使いとしてファウスト様をお祀りしていても変わりません。去年の話でしたか。それとも一昨年の話でしたか。歴代で最も強く人望も厚いとされていた騎士団長が、魔法使いだからという理由で身分を追われたのは。……結局、そういうお話しなのでございます。彼は魔法を使って「ズル」をしました。浅はかな行いのせいで、彼は地位も名誉も失ったのです。事実はどうであれ。
 魔法使いを幸福をもたらす者だと、頼れる隣人だと賛美する傍ら。私たちは、魔法使いがパイや仕事を私たちから奪う存在だと怯えているのです。アーサー様が魔法使いだと知るや、私たちは己でさえ知らなかった自分自身の胸の内を、直視せざるを得なくなってしまいました。そしてそれすらも、魔法使いたちのせいにしてしまうのです。

 深夜の王城。私は人目を忍ぶように呼び出しを受けました。大臣が声を潜めて私に告げます。
「アーサー様の件について……王妃はとても心を痛めておられるそうだな、その話を聞いて、国王陛下も大層心配されている」
「……はい、どうにか、解決できればよいのですが……」
「解決……か。——ところでステラ、おまえはアーサー様とよく遊んでいるというのは誠か?」
「え? は、はい。日頃は乳母や家庭教師と過ごされる時間が多いですが、たまに……他の侍従たちよりは、頻繁に」
「そうか。ならば近々、北の国境近辺にある別荘にでも行くといい」
 唐突な話にどういうことか計りかねていると、大臣はさらにこう続けました。
「なに、心配するな。騎士団の中でも選りすぐりの者を護衛につける。……まあアーサー様は元気がいいから、遊びに夢中になるあまり、うっかり別荘を離れすぎてしまう・・・・・・・・・・・・・・・かもしれないが……」
「……なっ、一体何を仰っているのか分かっているのですか?! そんな滅多なこと…──」
「私の独断だと思うか? 命令でなければこのようなこと言うものか」
 つい声を荒げた私を咎めるように、大臣が視線をよこしました。ひどく冷たく鋭い視線です。いま、私はやれと言われたのでしょうか? ……私が? 王妃の大切な御子であるアーサー様を?
 次第に震え出した手足を必死に押さえつけ、どう返答すべきか迷っている間に大臣はさらに声を潜めて言います。
「……お前は侍従の中でも特に王妃と親しいと聞いている。よいか、アーサー様にどんなことが起きても・・・・・・・・・・・・・・・・、気をしっかり持ち王妃をお慰めするのだぞ。そうすれば、王妃も次第に元気と笑顔を取り戻し、陛下も安心して国政を執れるであろう」
「……し、しかし……」
「……何も難しいことではない。魔法使いが一人いなくなれば、すべてが丸く収まるのだ。王子には、それに協力していただくだけ・・・・・・・・・・のこと。……そうであろう?」

 決行日は私が決めてよいということでした。しかしそれは裏を返せば、時間に流されたという言い訳を使えなくするためだということは言われずともわかっていました。このまま決行日を先延ばしにしていけば、いずれアーサー様がご自身の置かれている状況を理解して、そんな恐ろしいことをしなくてもよくなったりはしないのでしょうか。けれど残念ながらそんなことはありません、はっきりとはわかりませんが近いうちに、誰かが命を落とすことは決まっているのです。そもそもこんな機密事項を伝えられてそれを無視して、何も起こらないはずがありません。
 どうしたらよいのでしょうか。アーサー様と私の命など、天秤にかけることすらおこがましいのはわかっています。けれど私がここで命を落としたとて、また別な者が話を持ち掛けられることは分かっていました。それが、より私の決断力を鈍らせていました。尤も、これも少しでも決断を遅らせたい言い訳でしかないのですが。
 ガタン、パリン。王妃の部屋で大きな物音がしました。メイドたちの悲鳴と、王妃の悲痛な叫びが聞こえます。
「いや、いやぁっ! わたくしは魔女なんかじゃないの!」
 取り乱す彼女に呆然としている若い侍従を下がらせて、彼女にゆっくりと近づきます。こっちにこないで、と投げつけられたものがクッションだったのは幸運でしょう。
「王妃、急に激しい運動をしては、お体に障ります」
「ステラッ……! あ、ああ、ステラも、おまえもわたくしのことを魔女だと思っているの……悪魔と交わったと……」
「思ってなどおりません。そんなことを嘯く者の言葉を信じてはなりません」
「わたくしが愛しているのは陛下だけよ。陛下と……愛しい子……アーサー……」
「ええ、十分に存じております。陛下もアーサー様も、もちろん私だってそうです。あなた様のお側に、あなた様のお心を疑う者などおりません」
 王妃の体調は日に日に悪くなるばかりでした。こうして取り乱すことも茶飯事で、そのたびに侍従が宥めるのですがその場しのぎにしかならないのは皆わかっていました。
 ここ最近の彼女はアーサー様に会うのを楽しみにしていたかと思えば、アーサー様のお名前を聞くだけでも心ない言葉がよぎり、家族の時間などとても持てない日々が続いています。
 ようやく彼女の様子が落ち着いてきたのは、破れたカーテンや割れたガラスなどを片付け終わった頃でした。髪を振り乱して、ほっそりとされた頬を隠すためのメイクは涙ににじんでしまっています。彼女ははらはらと涙を流しながら、かと思うと、顔を上げてきょろきょろと何かを探しているようなそぶりを見せました。
 何か気になるものでもあるのでしょうか? 見渡しましたが、特筆すべき点は見つかりません。
「王妃?」
 私が彼女を呼ぶと、彼女はガラス玉のように透き通った眼差して私に尋ねました。
「アーサー」
「アーサーはどこ?」
「もうお勉強の時間は終わったはずよね? また中庭で遊んでいるかしら、それとも本を読んでいるのかしら」
「ステラ、一緒にアーサーを迎えに行きましょう。きっとアーサーのお気に入りの本の話をしてくれるはずだわ」
 そう微笑む彼女はとても婉麗でした。食事に手を付けられないせいで顔色は優れませんが、ここ数日の表情を思えば小さなことでした。やっと落ち着いて前向きになってくださった。そう思ったのは一瞬でした。
「ふふ、アーサーったらここ最近は魔法使いが主人公のお話が気に入ってるの。魔法は、生まれつきそうである者にしか使えないのに。でも、わたくしも昔は憧れたものだわ」
 きっと彼女をここまで追い詰めてしまった原因は、私のせいでもあるのでしょう。王妃のお側にいながら、何のお力にもなれなかった。
 彼女のそんな様子を見て私は、自分が何をするべきなのか今度こそはっきり決めました。

 聡明で、わんぱくで、とてもかわいらしい王妃の御子。アーサー様。彼の小さな手が私の手をきゅっと握り、嬉しそうに私に笑顔を向けました。
「今日はステラと遠出と聞いて楽しみにしていたんだ」
「ええ、私もですよ。アーサー様とお出かけができて嬉しゅうございます」
 私もアーサー様ににっこりと笑顔を返します。その時は、誰にも。特にアーサー様にだけは絶対に計画を悟られてはなりませんでした。
 いくらアーサー様が聡明であらせられるといっても、やはり子供です。「向こうの方に綺麗な景色の見える場所があるのです。空気が澄んでいますから、星空がよく見えますよ。上手くいけばオーロラも見られるかもしれません」と連れ出して、「いけない、忘れ物をしてしまいました。すぐに戻って参ります」と言えば、人を疑うことを知らないあの無垢なガラス玉の瞳は、王妃と同じ宝石の瞳は、また細められるのです。「わかった、ここで待っていよう。気を付けるのだぞ」ご自身も寒いでしょうに、卑しい私などの心配をされて。
 計画はあっけないほど簡単に終わりました。アーサー王子のお姿がある時を堺にお見えにならない話は当然瞬く間に広まりましたが、一体なにがどうなってしまったのかはついぞ語られることはありませんでした。また、他国の者にかどわかされたのではないかとの噂話は、噂話になるまえに消えました。殿下は現在人前には出られないが、大事ないと大臣から語られたためです。
 そんな折、再び真夜中に呼び出された私の手の重みは、人の口よりも雄弁に語っていました。沈黙は金。さもなくば──。
 それ以降、特に殿下について語られることはほとんどありませんでした。語られないということは語られない事情があるということです。決してはっきりと口に出すことはしませんでしたが、きっと誰もが皆、どのような事情があったのかは各々察していたのでしょう。これでアーサー様がわがまま放題の乱暴者で、どうしようもない殿下でしたら少しはましだったのかもしれませんが、皆から愛されるお方でしたから。中には耐えきれず、涙ながらに城や国を後にする者もいました。それでもなお妙な噂話が流れなかったのは、四百年続くグランヴェル王家の威光あってこそのことでしょう。
 王妃付きの侍従が片手では数えきれないほど減り、またそれ以上に増えても正妃の様子にあまり変わりがありませんでした。よくない意味でです。
 ご自身を責められるきっかけとなったお姿が見えなくなったとはいえ、王妃の愛する御子も同時にいなくなってしまったのですから当たり前でしょう。加えて彼女が魔法使いを生んだことに対する心無い言葉は相変わらず、嘆かわしいことに、彼女の心を蝕んでいました。
 アーサー様はきっと妖精の国で幸福に暮らしているのですとお慰めしても、逆にアーサー様のことはまったく話題に上げないようにしても王妃のお心がほんとうの意味で晴れることはありませんでした。陛下も随分とお心を砕いて、政の合間に王妃と時間を共に過ごすようにされていましたが彼女は何年たっても「小さくてかわいい、元気なわたくしのアーサー」のお話をされるのです。そのようなことを何年も続けるうちに無理が祟り、ついに陛下も病を得てしまいました。

 陛下の病状が長引き、中央の国は変わらずの平和を維持しながらも不安の陰りが見え隠れしていました。そんな最中、大臣から発表がありました。てっきりお隠れになったと思われていたアーサー王子は、実はずっと魔王オズの元で健やかに過ごしておられたというお話です。
 ここ数年の間ずっと口を閉ざしていた人々が様々な憶測を並べる中ただ私はああ、そうかと納得していました。英明で明敏なアーサー様はきっと、魔王に育てられ復讐に戻ってきたのだと。あの日、誰かが命を落とすはずでした。私はアーサー王子を指さしましたが、アーサー王子がまだご存命だということは、指をさした私の命が無くなるだけです。それだけのお話です。むしろ何年も猶予をいただけて、その間ずっと王妃のお側にいられたことが奇跡だったのでしょう。万が一にもアーサー王子が王妃をお恨みになどならず、私にだけその刃が向けられるのであれば。王妃の盾になれるのならばそれこそ幸甚の極みでございます。
 しかしアーサー様は、アーサー様をただ雪しかない凍てついた場所へ取り残した私を糾弾することはありませんでした。
 アーサー様が帰城され、廊下で私とすれ違った時のことです。ただ頭を垂れ目を伏せて何も言わず、粛々と礼をする私の前に立ち止まり彼は言いました。
「……ステラ、今まで苦労をかけた」
 私は思わずアーサー様を見上げました。あの方の瞳はあの日見た無垢なガラス玉そのもので、復讐など微塵も考えてはおられませんでした。
「お前は昔から、何よりも母上のことを一番に思い仕えてくれていたな。どうか……母上をよろしく頼む」
 そう仰って、アーサー様は一瞬寂しそうな顔をなさり……瞬きをしてしまえばすっかりにこりと微笑んでいて、そのまま彼は立ち去りました。
 後から聞いたことですが、廊下ですれ違ったのは、アーサー様が王妃の部屋を訊ねると「わたくしのアーサーはどこ?」と尋ねられた直後のことだったそうです。
 大臣からのお咎めも陛下からの沙汰も下ることはありませんでした。ただ今まで通り心の臓が動き呼吸ができる意味について自分で考えるほかありません。きっと、それはおそらく。結果論、ということでしょうか。
 あれからもアーサー様は頻繁に、彼付きの侍従に王妃の様子を訊ねているようです。彼付きの侍従から王妃の体調は如何かと聞かれるのが新しい日課になりましたから。
 アーサー様が戻られてから、王妃の病状は良くなったようにも悪くなったようにも思います。落ち着いた様子で「現在の」アーサー様の様子についてお話しされたかと思えば、次の紅茶を淹れる頃には「幼い」アーサー様への本を相談されることもしばしばです。
 ただ分かることは、彼女が何の憂慮もなく微笑んでいられるようになるのはまだ先の話だということのみでした。

 私の、懺悔についてです。
 ええ。実のところを申し上げるに私は、アーサー王子が帰城された際も、現に今も。私はアーサー王子に申し訳ないなどと匙一杯分も考えていないのです。あるのは王妃のお力になれずただ日々を浪費することしかできなかったことへの慚愧と、王妃の愛しい御子をあの方から遠ざけてしまった後ろめたさだけです。アーサー様へ、時期国王となられる方への尊敬や畏怖、親愛の感情はもちろんございますが、仮にあの時と同じような決断を迫られたとしても私は──一度目は上手くいかなかったことを鑑みて手段は変えるにしても──極めて非道な行為を行うであろうことは、火を見るよりも明らかです。
 中央の国には魔法使いへの扱いがひどいのは変わらずあると申しましたね。あれをきっと一番持っているのは、私なのでございましょう。魔法使いをよき隣人だと頷く裏では、彼らは嘘つきだ人間を裏切ると絶えず疑心を働からせ、あいつがいるからすべてが善くない方向へ行くのだ、あいつさえいなくなれば万事は快く回るのだと信じて疑いなどしません。
 いいえ、このことを懺悔したいのではございません。王妃とともにアーサー様の成長を見守りながら、最後にその手を放したのは私です。先も申し上げました通り彼女と御子を引き離したことについてつらく思えど、行為そのものについての後悔は雀の涙ほどもありません。何よりそれを後悔しては、アーサー様を置き去りにしたこと以上の無礼になりましょう。
 しかしながら、そうです。私が懺悔したいのは、私がお尋ねしたいのは。私のその悪魔のような心持ちによって、王妃の病を長引かせたり、悪い方向へ導いてしまったのではないかということです。私は私が王妃に頼られているのが嬉しくて私がかわいくて、王妃のためにならないことをしたことがあるのではないか、そのような選択をし続けているのではないかということです。
 彼女に出会ったあの日から、私にとって彼女は私の光そのものです。私は神を信じながら聖ファウスト様に祈りを捧げながらその実、神が私に直接お言葉をかけてくださることなどないと分かっていましたから。しかし王妃は私だけに声をかけてくださり、微笑みを向けてくださいました。あの少女の日の王妃も「ステラ」はどこかと尋ねた王妃も、塞ぎ込んでおられた王妃も、現在の王妃も変わらず私めの光でございます。王妃のその光を遮ったり、あまつさえ陰らせることはとんでもないことです。それこそ私が、一番に恐れていたことだとだというのに。もしそうだとしたら私は私を許すことができません。私を憎み続けながら、あの日の落とすべきだった命を今度こそ喜んで差し出しましょう。私はもう既にあの方のものですが、あの方が穏やかな日々を取り戻してくださるのであれば本望でございます。
 けれど果敢無いことに、どうすれば最善とはいかずとも、少しでも善くなるのか、方法がまったくもってわからないのです。ですからどうかお願いします。私はどうすべきですか。どうしたらいいのですか。どうか教えてください。思いつく限りはすべて試しましたが成果がないのです。
 国中の権威ある名医を探し連れてきても「穏やかに過ごされることが一番でしょう」と首を振るばかりです。おぞましい言葉を吐く者はもう王妃の近くにはおりません。ですが一度彼女を傷つけた言葉の群れ群れは悪夢のように、今も彼女にまとわりついています。そんな状況でどうやって穏やかに過ごせましょうか。安穏のための安穏を用意せよというのはどうにも、頭と尾を取り間違えているようにしか思えません。
 お願いでございます。私はあの方と確かに約束をしたのです。お困りの時には必ず駆け付けてお助けすると。あの方がずっと持っていてくださった約束を、どうか私に破らせないでください。あの約束があって、今日の私があるのです。あの約束があって、あの方との今日までの絆があるのです。
 あの方のためになるのでしたら、私はどうなっても構いません。私なんぞの体でどうにかなることがあるのでしたら、どうぞいくらでもお好きにお使いください。そう希うこの身を少しでも哀れにお思いになるのであれば、どうか知恵をお授けください。その日まで私は懺悔しお願い奉り申し上げます。

 懺悔します、懺悔します。
 懺悔します……。