蜜柑とアイスの共存

ああ魅惑のサスペンダー



 高倉さんを連れて帰宅し、電気ケトルにスイッチを入れつつ自分のものと、彼用に用意したカップにそれぞれコーヒーをセットした。背中をするりと撫でられ、振り向きかけるとそのまま抱きすくめられた。ありがとうございますと囁く彼の吐息が頬を掠める。帰宅時にテレビをつけて、観てていいですよ、と言ったものの、彼はキッチンまで来たようだ。
 二言、三言ことばを交わす間も彼は僕の腰回りに触れていた。このくらいの触れ合いはいつもしていることだし、というか、元々そのつもりで連れてきたわけなので異存はないけれど……強いて言うならば、お湯を注ぐときはさすがに危険なので離れてもらえればいい。
 しかしながら、なんだか彼の触れ方がいつものしっとりとした触れ方とは、また違っているような気がする。具体的に何と聞かれれば答えに窮してしまうけれど……。
 思考の海に沈みかけたところでタイミングよく、カチリとケトルの音がした。お湯が沸いた合図だ。僕は彼の手を軽くたたいて離れるように合図をすると、彼はすんなり身体を離す。お湯を注ぐ間も背後に視線を感じながら、内心首を傾げていた。
 キッチンからソファへ移動し、コーヒーを飲むと彼はため息のような吐息を落とす。
「サスペンダーって、いいですよねえ……」
 しみじみと呟く彼の真意を測りかねるも、僕は頷いた。
「? はい、そうですね。作業にも適していますし……」
 フフフ……と穏やかに笑う彼。訳はわからないけれど、まあ嬉しそうならいいか……と、カップで温まった手で彼の手を握る。
「今日、あなた、倉庫で書類整理をしていたじゃないですか」
「ええ、先方への営業のために、過去の書類が必要になって……」
「腕まくりして重いものを運んでる姿、めちゃめちゃ素敵だったなあ……」
 思わず握った手に力がこもった。作業を見られていたのは知っていたけれど、まさかそんな目でみられていたとは。いや、これでもアイドルのプロデューサーをしているのだから、恋人のふとした姿にドキッとするシチュエーションというのは、わかる。実際にそういうグラビア写真やCMの撮影の話がきたことだって、ありがたいことに一度や二度ではないのだ。
 しかしそれはそれとして、担当アイドルたちではなく自分がそのような対象として見られ、面と向かって言われるとうろたえるものがある。照れと焦りから出てきたのは途切れ途切れのため息だった。
「しっ……仕事をしてください……!」
「いや、いや。してましたよ! でもちらっと見えてしまったら……わあって……嬉しくなっちゃうじゃないですか!」
「もう……ちょっと、静かにしてください……もういいです……!」
 騒いでいた僕たちがしんとすれば、テレビのバラエティ番組の音が余計に大きく聞こえた。けれど妙な空気になってしまったのでやけに浮いている気がして居心地が悪い。この雰囲気をどう仕切り直そうか考えあぐねていると、ややあって彼がすっくと立ちあがり僕に手を差し出した。
「わかりました……サスペンダーの良さ、私が身をもって証明します! 貸してください!」
「……ええと?」
「私はこれでもプロデューサーの端くれですからね、アイドル達へ表現のアドバイスをすることもありますし、きっとあなたにも、この身をもってサスペンダーの魅力をお伝えすることができると思います!」
「……その理屈だと、僕もあなたと同じ立場になってしまうのでは?」
「あなたはもう証明しているでしょう! 私がこんなにメロメロなので!」
「め……めちゃくちゃですよ!」
 きっと彼も、段々とわけがわからなくなってしまっているのだろう。しかしパッション溢れるその瞳は熱意に溢れていて彼の本気度をうかがわせる。彼の決意を感じ取った僕は一度深呼吸をすると、ゆっくり頷いた。
「……わかりました。知識としてのみ知っているサスペンダーの良さを……ぜひとも実感させていただこうじゃないですか……」
 パチンとサスペンダーを外すと、高倉さんはすかさず「その仕草も、とてもいいですね……」とおもむろに拍手した。そして僕からサスペンダーを受け取り、ニヒルに微笑んでみせる。
「今夜は、寝かせませんよ……」
 こうして、夜は更けていくのだった。


2022/12/18