蜜柑とアイスの共存

こんにちは、隣人さん


 さわやかな秋風が市井を駆け回り、木々もすっかり紅く色づいた頃。人々はもうじき開かれる祭りを楽しみに、そわそわと浮ついた雰囲気を醸し出していた。そしてその空気は、ひっそりと人の世に住まうものの間にも同じように広がっている。
 厳かなたたずまいの神社。その敷地内である山で、きつねが二匹、こっそりと話し合いをしていた。
 二匹のうち一匹の白きつねは言った。落ち葉を集めて奉仕をしていたヒトの手伝いをしてきたと。そしてその時出会ったヒトは、今年の舞を奉納する役目があると。その話を聞いたもう一匹の赤きつねは、その舞台を見に行かないかとせがむ。ときおり人前に姿を晒すこともあるきつね達だが、中でも特に近付きやすいタイプの人間だ、と白きつねが語っていたのに興味を引かれたからだ。
 そして祭が行われる当日。耳は出ていないか、足はうっかり爪が鋭くなっていないか。尻尾が飛び出してはいないかとお互いの身体を指さしながら確認をした。この土地にいるきつねは、大体がヒトに化けることができるのだ。
 そして、街や山が等しく夜の帳に包まれる頃。それでも人の世はまだまだこれからだと言わんばかりにまばゆい光を放つ時間。“あいどる”なる者達が奉納の舞を踊っているところを、連れあって見ていたきつねは感嘆の息を吐いた。その姿の、なんと華麗なことか。白きつねが会った人間というのは、細い銀髪の少年らしい。つま先まで洗練された動き、鋭い視線のひとつひとつがその先を射抜いている。
 やがて、銀髪の少年と目があった。少年は赤きつねの横にいる白きつねを見るとふわり目尻を下げる。それはまたたきをするほどのわずかな時間で、次の瞬間には先ほどのキリリとした表情に戻り、再びうつくしい奉納の舞を演じることに専念する。赤きつねは、息のつまった想いでその少年を、彼らの舞を見ていた。
 銀髪の少年と目があった瞬間、隣の白きつねに柔らかく微笑みかけた瞬間。赤きつねはたまらず同類の手を握り、腕にすがった。“あいどる”とは、ヒトを引き付け、信仰を集めるヒトだという話を聞いたことはあったが、なるほどあの少年ならばそれも叶うのだろう。彼だけではない、あの場にいる彼らは、彼らにしか持ちえない輝きを放っていたのだ。



「──なるほど?それで、お前さんはそのとき舞を披露した人間に会いたくて、はるばるここまで来たってわけか」
 愛用のデッキブラシを壁に立てかけながら青年が言うと、部屋の入口すぐのところでたたずんだままの少年が、薄茶の髪を揺らしてこくりとうなずいた。
「だがお前さん、神社のモンだろ?そっちをほったらかしてきちまって良かったのか?」
 そう尋ねられると少年はあからさまに肩を揺らす。おろおろと、手をさまよわせて数秒、かたく両拳を握りうなずいた。
「ほぉ……その時一緒にいた仲間には事情を説明してあると。なるほどな、まぁ、その無鉄砲さは……俺は嫌いじゃないぜ」
 フッ、と色素の薄い髪を揺らして男は笑う。嘘は言ってはいないが、きつね達のきまりごとの中ではあまり褒められたことをしていない、ということにも気づかれているのだろう。しかし、口元は皮肉気に曲がっているが、目元に悪意の現れはない。
 タイミングよく笛吹ケトルが甲高い音を上げて歌い出した。給湯室の入口で壁に肩を預けていた男は「はいはい、ちょっと待ってくれ」とまるで人間に声をかけるように返事をしながら暖簾の奥へ消えていった。
 待ってくれ、と言われたのは自分なのか判断がつかず、薄茶の髪の少年こと赤きつねは首を傾げる。しかし男は首を後ろに向けて話していた。どちらにせよ、少年は連れてこられた建物の扉前から動こうとはしなかった。
 やがて男が給湯室から出てくると、時にはミーティングに、時には菓子をもちよって試食会にと様々な用途で使われる机へ、慎重にあるものを置いた。
「なんだ、お前さんまだそんなところにいたのか。適当に……ああいや、こちらに、掛けないか?」
 こちらへ、と手招きで呼ばれた少年は、やっと足を踏み出した。そのまま男の向かいへ促されるままに座り、机の中央に置かれたものに目を向けた。割り箸で蓋をしているそれには、きつねうどんの文字。意図が読めず男をじっと見つめると、彼はもうひとつ軽い音を立てて何かを机に置いた。視線を誘導されるかのようにそちらを見ると、透明な瓢箪の中をさらさらと砂が流れていた。少年がそれを興味深げにつつくと「あと二分ちょっとまってくれ」、そう薄く笑った。
「俺は葛之葉雨彦だ。まぁ、人よりちょっとばかし目が良くてな。お前さんのような存在は見えやすいんだ」
 男──雨彦は手を組んで赤きつねと目を合わせる。ガラス玉のように透き通った二対の視線が交差した。それを唯一遮るものといえば、二人のまばたきぐらいなものだ。
「お前さんが俺のことをお仲間だと間違えたのも、おそらくそれが関係しているんだろうさ」

 話は十分ほど前にさかのぼる。雨彦は事務所への道を歩いていた。
 今日はLegendersとしても個人としての仕事もなかったが、何もなくとも事務所へ足を運ぶのが日課のようなものになっていた。その道すがら、何者かの気配を感じてあたりを見回す。しかし、おかしいところは何もない。気のせいだとは思えないが、さして嫌な気配というわけでもなかった。問題なかろうと判断し事務所へと歩みを進めていると、ややあって背中に軽い衝撃を感じた。先ほど感じたものと同じ気配だ。見ると、雨彦より半分もない背丈の少年が、にこにこと嬉しそうに、矢継ぎ早に雨彦へ語りかけていた。こんにちは、きみはどこのきつねなの?ヒトに化けて、ヒトの中で生活をしているんだね、まさか町中で同じような仲間と出会えるなんて。要約するとそんなことを、少年は雨彦に尋ねていた。
 数回の瞬きの後、ああ、と得心したように雨彦はつぶやいた。お前さん、きつねか。大層嬉しそうな少年は勢い余って、腕の肘から先が元々持っていたものに置き換わってしまっている。雨彦は少年の手を“目のいい”通行人がうっかりみてしまわぬよう、視線を遮るように優しく握り物陰へと誘う。その間にも、立て板に水を流したように次から次へと少年からの言葉が雨彦へ伝えられる。
 雨彦のことを仲間だと思っているきつねの少年に、そうでないことを伝えるのはこの喜びようを見るに、彼にとって酷なことなのだろう。さりとて本当のことを伝えないでいるのも、騙しているようで忍びない。
 文字通りきつね色の、手触りのいい毛並みがふわふわと指先を優しく刺激し癒しを誘う。雨彦は口を開いた。
「言いにくいんだが、俺はきつねじゃない。ふつうのヒトだ」
 ああ、尻尾が出た。

 その後、自分の素性を明かしてしまったことに慌てふためくきつねをなだめ、その姿をあわれに思った雨彦が茶ぐらいなら出せる、ときつねを事務所に誘ったのだ。
 前日の話ではプロデューサーは営業、他の人員もレッスンや仕事、学業など各々の生活に合わせ全員出払っているため、唯一他の用事のなかった雨彦が昼の間の留守を任されていた。話の通り事務所内には誰もいる気配はなく、秘密の客をもてなすにはうってつけの条件だった。
 少しばかり落ち着いたのか、尻尾をしまい腕を人間のものに戻した少年。彼がどんよりと沈んだ面持ちでいるのを励まそうと用意したのが、きつねうどんである。
 やがて砂時計の砂が落ちきり、雨彦の顔を伺った少年に笑いかけた。
「さぁて、出来上がりだ。熱いから気を付けて食べな」
 ぺりぺりと蓋を三分の一残すところまで剥いてやり、重し代わりにしていた箸を渡す。しばらく受け取った箸と雨彦、そしてほかほかと湯気を立たせるきつねうどんとを順に見ていたきつねだが、「腹が減っているだろう?」と促されると、ごくり生唾を飲みこんでから、箸をたどたどしく持ちかえた。
 雨彦が見守る中、器の端を利用して箸でゆっくりとうどんを持ち上げていく。もう少しで口に入るかと思われたが、うどんは箸を滑り汁の底へ吸い込まれていた。かわりに、飛び跳ねた汁が少年の頬に飛ぶ。びくりと肩を跳ねさせた少年に、一連の流れを見ていた雨彦は頬に飛んだ汁をハンカチでぬぐってやった。
「あぁ、なるほどな。ちょいと待ってな」
 そう言い残し再び給湯室へ向かう雨彦。すこし物音をさせてからすぐに戻ってきた。その手にはフォークとプラスチックでできた器があった。
「よくよく考えれば、お前さんには使い慣れないものだったな」
 今しがた給湯室から持ってきたフォークを少年に渡し、かわりにグーで握られていた割り箸を受け取る。プラスチックの器にうどんをよそっていくのを、少年は興味深げに覗いていた。三分の一ほどの量を盛って、油揚げも同様に割ってから汁を移し、少年の前に置く。
 彼は目の前に置かれた器と雨彦をまた繰り返し眺めていたが、雨彦がうなずいているのに納得したのかフォークを握りしめうどんに挑戦する。フォークの先端でうどんを突き刺し、すくい、口元に持っていく。大きく口を開いた瞬間、そのうちの一本がフォークからこぼれ落ちてしまったが、なんとか口の中に入れることができた。何度か咀嚼し、ごくり飲み込む。雨彦を見上げた瞳は輝いていた。
「そうかそうか、うまいか。もっとあるからな、慌てなくてもいい」
 ただでさえ長い道のりを来たうえ、数分の格闘の末にたどりついたうどんはさぞ絶品だろう。間食によくきつねうどんを食べている雨彦は深くうなずいた。
 最初によそった器一杯をぺろりとたいらげ、まだまだ熱々、といった風のうどんののこりをよそい、再び食べ始めたのを見計らい口を開く。
「お前さんが探しているという少年だが、心当たりがある」
 期待に満ちた目できつねが顔をあげた。子供特有の丸みを帯びた頬は、うどんがいっぱいに詰め込まれていることにより、一層まるまるとして見える。だが、と前置きして、雨彦は告げた。
「おそらくお前さんのことを見ることはできないだろう」
 少年の表情が曇った。何故と問われるが、雨彦は問い返す。
「お前さんは、自分の土地にいたときは人前に姿をさらすこともあったと言ったが、その土地を出てからはどうだ?人に話しかけたり、話しかけられたりしたことはあるのか?」
 口を引き結んでうつむいてしまった。心当たりがあるのだろう。彼は、彼の土地ではできていたことができなくなっていた。町行く人々に話しかけても応えてはもらえなかったのだ。彼が元々いたという場所は神社である。神聖な場所というものは、人とそうでないものの境目が近づくものだ。だから人々は、本来は人間ではない彼らが変化をすることで彼らの存在を受け入れ、また同時に話すこともできる。しかしその場所を出てしまえば土地の影響力はなくなり、彼らを感知することは難しくなってしまう。ある程度力をもったモノならば自らを見せることもできるのだろうが、目の前のきつねにはまだそれほどの力はないようだ。
 美味しくうどんを頬張っていたときの表情とは一変し、落ち込んだ様子の少年を慰めるように言葉を続ける。
「……直接会って話をするのは難しいが、例の舞に感動したって気持ちを伝えることならできるさ」
 肩を落としたきつねはほんとうに?と尋ねるように雨彦を見上げた。
「手紙を、書かないか?」
 どこから取り出したのか、その手には紙とペンがあった。取り立てて柄も色もない質素なものだが、直接会って伝える、という手段しか頭になかったきつねにとって、会わずとも気持ちを伝えられる手段であるそれはきらきら輝いて見えたような気がした。
 雨彦は手紙セットを一旦机の端に置き、箸が──というよりはフォークたが──止まっていることを指摘する。
「ほら、早いとこ食べないと冷めるし伸びちまうぜ。時間はまったくないわけじゃない。まずは食べ終わってからだ」
 はっと気が付いたきつねはもう一度フォークを握りなおすと、火傷の心配のない、ほどほどに冷めたうどんをまた食べ始めた。

 さて、うどんもおあげも堪能しきり、しょっぱい汁も多少啜って。時間をかけてすっかり器が冷めたころ。
 はやる気持ちを抑えきれず、期待に満ちた瞳で雨彦を見つめる少年をまあまあ、となだめ食器を片付け、台ふきでテーブルを拭く。あまり前足で食べることに慣れていない様子のきつねが食べた後は、景気よく汁が飛び散っていたのだ。これでは、せっかくの白い紙に斑点模様が付いてしまう。
 よく言えば生活感がある、ということになるのだろうか。雨彦は人知れず笑いながら、ようやく少年の前に、先ほどは遠ざけていた紙とペンを差し出した。
「……そういえばお前さん、ヒトの文字は知ってるのか?」
 肝心なことを失念していた。だが雨彦の心配は不要なものだったようで、少年は首を縦に振る。また、以前にも、手紙のやりとりは過去何度もしたことがある、とも伝えた。
 ほう?と首を傾げると、少年が取り出したのは瑞々しい木の葉に描かれた模様。文字のようにも見えるし、絵のようにも見える。葛之葉の家の者の中には、これを解読することができる者もいるのだろうが、あいにくと雨彦にはそれを読めるだけの知識はなかった。
「なるほど、それはお前さんたちの作法だな。どうせなら両方渡したらいいんじゃないか?」
 今度はきつねが首を傾げる番だった。雨彦が渡した紙と木の葉を見比べて、ヒトは、自分たちの文字はわからないのではないのか。そう瞳が問うていた。
「言葉はわからなくとも、気持ちは伝わるものさ」
 鼓舞のつもりで片目を閉じて合図をすると、伝わったのか伝わっていないのか、少年は神妙な面持ちでこくりとうなずいた。

「それじゃあ、これは俺が預かろう。きちんと責任をもって届けるさ」
 時間をかけて、大切に書き上げたもの。ひとつは紙に、もうひとつは木の葉にしたためた、きつねの気持ち。それらをひとつの封筒に入れしっかりと封をしたものを、雨彦は「確かに」と預かった。
 窓から外を見やると、日は落ちかけ燃えるような赤い光が目立ちはじめていた。
「もうすぐ烏の鳴く時間だ。距離があるから今日中には帰れないだろうが、どちらにせよ、はやいとこ立った方が得策だ」
 雨彦の提案に少年も同意する。もともと夜行性なので暗さはむしろ得意分野だが、きつね達のきまりごとの中でもあまり褒められたことではない行動をしているのだ。戻るのならば、早いうちがいい。
 帰った後に待ち受けているであろう仲間たちからの折檻を想像して、少年は身を震えさせた。「それに、」と男は付け加える。
「あんまり遠出はするものじゃない。お前さんだって、腹を空かせてひもじい思いはしたくないだろう」
 言われて少年は腹部を押さえた。先ほど雨彦によってもてなされたきつねうどんにより満たされているが、出会うまで一晩、二晩と空腹のまま過ごしていた。彼のいた土地から離れてしばらくして感じ始めた空腹感も、また元いた土地に戻ればなくなるものだ。きつねは彼の心配の言葉をかみしめるようにうなずいてから、じっと雨彦を見つめてにっこりと笑った。おいしいきつねうどんをありがとう、ということ。そして、自身の住んでいる土地にも遊びにこないか、とも伝える。
「ああ、いずれ邪魔させてもらうこともあるだろう。その時は、道案内を頼むぜ」
 きつねに合わせて雨彦も口角を上げた。きつねが立ち上がり事務所の出入口へ向かうのを追う。少年は小走りだったが、コンパスの大きさが違う雨彦はゆったりと歩いてもそう速さは変わらなかった。雨彦が扉を開けてやり、きつねが外に出ると、動きに合わせて後ろに何かが付いてくる。先ほど手紙を書くのに使用したものと同じ、ただの白い紙きれのようだが、風に舞っているにしては自由に動いている。
「お守りみたいなものだ、無事に帰れるようにな」
 彼の言葉になるほどと納得し、こくりとうなずいて別れの言葉を告げた。ひらりと振られた手に振り返し階段を降りていく。少年が建物を出る直前に階上を見ると、雨彦はもう一度手を振っていた。
 そしてきつねは、自身の居るべき土地へ戻るため、人影を縫って交差点を渡る。

「……腹を空かせたまま過ごさせるのは、さすがに忍びないからな」
 つけておいた式神からは、特に危険信号などは送られてこない。ここまで辿ってこられたというのだから、帰り道の問題を心配する必要もなかったのだろうが、用心はするにこしたことはないだろう。それに、あのきつねが雨彦に黙って、舞を踊っていた少年――榊夏来にこっそり会いにいくという選択肢をとることも、可能性は低いとはいえ考えられた。
 さて、これで己の残りの仕事は、明日事務所へやって来るだろう彼へ出来立てのファンレターを渡すことだ。渡り口として最も自然なのは、事務所に置いてあるファンレターボックスへ紛れ込ませることだが、切手も住所もないままでは、最悪不審がられて事務員に弾かれてしまう懸念もある。他でもない彼のファンである、きつねが想いをこめて書いた手紙だ。そうならないためにも、直接雨彦が夏来へ手紙を渡す必要があった。
 同じユニットのツートンカラーの青年には、また探るような目で見られるのだろう。彼とのやりとりを想像して頬を緩ませながら、雨彦はシンクの中を片付けるために、暖簾の奥へと消えていった。


END
2017/10/08夢本市ぷちにて発行「よしなしごとたがり」より再録
あとがき