蜜柑とアイスの共存

すべて夢の中ね



 ぼくは、夢の中ではいつでもなんでもできた。ソラを飛んだり、ライオンの背中に乗ったり、深い海の底を泳いだり、星を捕まえたり!
 映画をみたり本を読んだ日は、もっと沢山のことができるから、僕は映画館に行ったり本を読むのが大好き。夜になると、弟と妹はまだ起きていたいとぐずっていることが多いけど、ぼくは布団に入って、今日はどんな夢が見られるのかあれこれ想像しながら眠りにつくのが大好きなんだ。

 でも、今日の夢はなんだかいつもと違うみたい。薄暗くてじめじめしたところで、ねずみのちゅうちゅう鳴く声も聞こえる。地下探検の夢なのかな。いつもは明るい場所で探検することの方が多いから、こういう場所は初めてだ。もしかしたらモグラや地底人にも会えるのかも。ぼくはわくわく好奇心を抑えきれずに賭けだそうとすると、ぱちゃんと水の音がした。足にはじんわりと湿った感覚がある。どうやら、器に入った水を倒してしまったみたいだ。ぼくは慌ててこぼした水を戻そうとするけど──ううん、だめだ。今日の夢では、ぼくは思い通りにものを動かすことはできないみたい。いつもは大体何でも出来るんだけど、たまにあるだめな日らしい。
 仕方なく器だけでも元に戻そうとしたところで、気が付いた。
 ふわふわの灰色の毛につつまれた、もふもふの腕。びっくりして手のひらをみると、そこにはピンク色の肉球と爪があった。
 ──ぼく、動物になってる!
 そっか、さっきいつもと違うなって思ったのは、ここがじめじめしてるところだからじゃないんだ。ぼくの姿が変わってたからなんだ!
 器をこぼして地面に出来た水たまり。そこに反射するいまのぼくは犬の姿で、ええと、そうだった。白と灰色の体と、ところどころ黒い模様の犬の種類は、たしか、シベリアンハスキーっていう名前。ちょうどこの前テレビでやってたし、そのあと図書館に行って図鑑を見たから覚えてる。顔はちょっと怖いし体も大きいけど、とってもかっこいいワンちゃん。
 動物と友達になることは多いけど、ぼく自身が動物になるのは初めてだ。でも、すごく楽しい! そうやって笑っていると(笑い声もワンちゃんの鳴き声になってる、面白い!)、近くで男の子の声が聞こえた。
「……な、なに……誰か居るの……?」
 まるで、妹と弟が、お母さんたちに怒られたときみたいな声だった。本当はぼくも怒られたときにはこういうしょげた声になってしまうけど、ちょっとばつが悪いから内緒。
 たぶん、男の子はぼくのことを言ってるんだろう。今日の夢は不思議なことばかりが起こる。じめじめしたところを探検する夢も、そこに居る人がぼくのことを知らないのも、思い通りにものを動かせないことも。でも、だからこそ新鮮だ。
 ぼくはふわふわの耳をぴんとたてて薄暗い場所を歩いていく。暗い場所でもその子の姿がはっきりと見えたのは、ぼくがいま犬になっているからなのか、実は思い通りにできる夢の力があるからなのかはわからない。でもわからないことも楽しい!
 その子は、いまのぼくと同じ灰色の髪の毛をもっていた。目はこの前家族で出かけたときにみた薔薇みたいに赤くって、すごく──すごくきれいだ。
『こわくないよ』
 ぼくの姿を見て泣き出しそうになるその子をどうか元気づけたくて、もふもふの鼻先とふわふわの肉球をその子に押しつけた。いつも妹と弟が転んだときはぎゅっとしてあげると落ち着くし、ぼくもお父さんやお母さんにやってもらうと、痛いけど、痛くなくなるから。だからきっとこの子も泣かないで安心してくれるはず。今は犬の姿だから、いつもとはちょっと違う形になっているけど。でも男の子の体といまのぼくはだいたい同じぐらいの大きさだ。きっと気持ちは伝わるはず!
「……、き、きみは……犬……?」
『そうだよ!』
 ワンワン鳴き声がでた。すごくびっくりしてるみたいだけど、泣いてしまいそうなお顔ではなくなったから、たぶんもう大丈夫。よかったよかった。
 男の子からちょっと離れて、やっとこの場所の探検を始める。じめっとした土のにおいが一番強くて、ううん、あんまりいいにおいとは言えないっぽい。
 部屋の中をうろうろしていると、つっと鼻先に何かが触れた。よくよくみると、擦り切れた絵本があった。あの子のにおいがたくさんついているから、大事に何回も呼んでいるのだろう。ぼくにもお気に入りの本はあるけれど、こんなにぼろぼろになるまで読んだ本はない。ぼくがかつてしてしまったことがあるように、妹や弟もしたことがあるように、びりびりにわざと破いたあとみたいなのはなくて。でも、半分くらい本というよりは紙の切れ端みたいになって、地面にある土まみれになってしまっている。そのせいでどういう内容の絵本なのかはわからない。こんなになるまで読むぐらいこの本がお気に入りなら、お家の人に、新しくもう一冊買ってもらったりはしないのかな。
 思っていたよりもこの場所は狭くて、すぐに全部を調べ終えることができてしまった。今日の世界というよりは、部屋というほうが合ってる気がする。
 そんなぼくをぼうっと見ていたその子は、はっとしたようにぼくに尋ねた。
「ねえ、きみはどこからきたの? きみみたいな子が入れるぐらい大きな穴は、ここにはないと思うんだけど……」
 きょろきょろとあたりを見回すその子に、ぼくはえへんと胸を張って(と思ったら張れなかったけど、とにかくびしっと座って)こたえた。
『ここは夢だから、ぼくはなんでもできるんだ』
「ゆ、夢……? 夢、そっか……。僕とお話しできるきみがいるのは、夢なんだね』
 途端にその子の声は落ち込んでしまった。どうしたんだろう、夢だからこそ、好きなことができるのに。
「僕は、ここがいやなんだ。こんなじめじめして暗くて、こわいところ。ねずみとモグラしかいない。誰にもあえない。こわい、さみしいよ……」
 その子は、また泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにしている。ぼくはあわててその子に駆け寄った。大丈夫? とその子の周りをうろうろしてからさっきみたいにぎゅっと抱きしめてあげる。顔をぐりぐりと押しつけて慰めていると、その子は手を伸ばしたり引っ込めたりして、しばらく迷ってからとうとうぼくの毛に触れた。まるで、触りたいけど触るのが怖いみたいだ。ぼくが初めて自分の体よりも大きい犬を触ったときもこんなさわり方をした記憶がある。おんなじだ。
 ぼくは驚いた。この場所、あんまりいいにおいがしないなと思ってたけど、この子は好きでここにいるわけじゃないんだ。どうしてここにいるんだろう。誰かに閉じ込められてるのかな、いつもみたいに一瞬で、どこかに移動できればいいけど……今日のぼくはそれができないし。
 うんうん悩んでいるうち、ついにぼくは一つの考えを思いついた。名案だ! 男の子からぱっと体を離してぼくの考えを伝える。今日がだめでも、また来ればいいじゃないか!
『あのね、夢から覚めても、また会いに来るよ』
「……ほんとう?」
『うん、だから、そのときはぼくといっしょに冒険しよう! ぼく、色んな楽しい場所をしってるんだ。いつもは一人で行くことが多いけど、友達と一緒に冒険できたらもっと楽しいよな、ってずっと思ってたんだ!』
「……。うん、うん……待ってるね、きみがまた会いに来てくれるのを」
『うん、約束!』

 そういった瞬間ぼくは、夢から覚めた。夢の中でたくさん冒険をしたことはあるけど、あんなにたくさん話をしたのは今日が初めてだ。あの子が最後にどういう顔をしていたかわからないけど、笑ってくれてたらいいな。
 あくびをして、ぼくを起こしに来たお父さんにおはようって挨拶をした。朝ご飯のいい匂いがする!


2020/06/03