蜜柑とアイスの共存

それではひとまず、お茶をご一緒しませんか




 おれの目の前では、フィガロが端整な顔立ちをむすっとむくれさせている。おれよりもずっと長く、気が遠くなるような時間を過ごしている大人が、まるで子供のように。机に肘をついて、眉を寄せて、頬を膨らませて、唇を尖らせて。お手本のようなむくれ方だ。子供にはとても見せられないが。
 じっとみつめていると、彼はそらしていた視線をチラリとこちらに向けて、しかしばちっと目が合うとすぐにそらしてしまう。
 拗ねている。自称「いい魔法使い」である、彼が。
 なぜ。
「……あの、フィガロ?」
 このまま放っておいた方が後々厄介なことになるだろうなと思ったから声をかけたが、フィガロは素知らぬ顔だ。つーんというオノマトペが聞こえてくる。自分は何かしてしまったのだろうか、己の行動を振り返ってみたが今日も昨日もフィガロとは特に関わってはいないはず。今朝食堂で見かけたときはいつものように南の魔法使いたちと一緒にご飯を食べていて、そのときは「いい魔法使い」の顔をしていたはずだ。
 じゃあ昼過ぎに何かあったのだろうか。でも、いつも温厚に振る舞っている彼がこんな風に拗ねるのは見たことがない。見たことがない物はわからない。じゃあ、考えても仕方がない。早々に結論づけて、おれはフィガロの向かい側の椅子を引いた。
「こんにちは、フィガロ。調子はどうですか?」
 とりあえず軽めのジャブとして挨拶を入れてみる。本当はこういった曖昧な言い方はあまり好んで使わないんだけど、フィガロが何をどうしてこうなっているのかが知りたくて、探りを入れるような言い方になってしまった。
 対するフィガロはむっつりとした顔のまま、ちらりとおれを見て、そしてまた何を見ているのか分からない方向に顔を背けてしまう。
「……ええと、なにかおれが、あなたの気に障るようなことをしてしまったのならすみません。きちんと謝りたいので、訳を話してもらえませんか?」
 拗ねるという大人げない行動ではあるけれど、今まで見たことのない反応をしているということは、フィガロにとっては重大な出来事があったのだろう。
 つとめて柔らかく聞こえる声で尋ねると、自分で思っていたよりも子供に聞くときのような言い方になってしまった。それでも、フィガロの機嫌をこれ以上損ねるという最悪な事態にはならなかったようで。固いながらもいくらか視線が和らいだあと、ややあって気まずそうに口を開く。
「……じゃないの?」
「え?」
「……賢者様は、俺のことが好きなんじゃないの?」
「……え、ええ?」
 予想していなかった方向からの返答に思考が鈍る。賢者様は俺のことが好きなんじゃないの? ……うん? うん、何の確認だろうか。
 鈍りながらも必死に頭の中で考えるが、その間にも先ほどの声かけによってやや和らいだフィガロの視線が再びじとっとしたものに戻りかけてしまう。それを感じ取ったおれはとりあえず好きか嫌いかで考え、うなずいた。
「……好きですけど……」
「そうだよね?」
 食い気味に言われた。圧を感じる。だからどうしたというのだろう。おれがフィガロを隙か嫌いかが、彼の機嫌を左右している?
 彼のことは、普通に好きだ。正直うさんくささはこれ以上ないほどあるけれど、よく人を見ているなと思うし授業風景を見ていてもいい先生だと思うし、現職の医者らしく怪我や病気をしたときにはとても頼れる人物だ。
「じゃあ、なんで最近俺に手料理を振る舞ってくれないの?」
「……お腹空いてるんですか?」
「そうじゃなくて」
「はぁ」
「普通の人間って、好きな人には手料理を振る舞うものじゃないの? だから賢者様は、俺にしょっちゅう料理を食べさせてくれてたんじゃないの? それがなくなったのは、もう俺のことが好きじゃなくなったってこと?」
「……ええと」
 戸惑いつつも、フィガロの言葉でなんとなく状況が読めてきた。
 彼の言ったとおり、おれは最近料理の練習をするようになった。ネロやカナリアにいつも任せきりというのは悪いという思いと、おれも少しぐらい日常生活でみんなに還元したいというのと、あとは単純に、ここでの生活は日本での暮らしよりも時間の進みがずっとゆっくりで、かつ娯楽も少ない。料理は、時間を潰すための手慰みにもなるからだ。
 そして、まずは簡単なフライパン調理からはじめた。最初はアレコレ作ってタイミング良く食堂に来た人たちに振る舞っていたけれど、ある日ちょうどカルパッチョが完成したときにフィガロが現れたのだ。
「あ、俺これ大好き」
 ふわっと微笑んだ彼に本当に好きなんだろうなぁという小学生並みの感想を持ったおれは、食べますか? と皿を半ば押しつけるように渡した。そして彼もおれの味付けには満足したようで、度々食堂を訪ねてくるようになったのだ。彼の大好物を頻繁に作れたのは、カルパッチョの素材だけやたらと豊富に揃っていたのもある。
 おれとしては料理の練習が出来るし食材のロスも減る。フィガロも好物を食べられて一石三鳥だやったー。ぐらいの気持ちだったのだが、最近は鍋やオーブン料理にも挑戦しはじめたため、彼の好物を作る機会はぐっと減ってしまった。
 なるほど、彼はそれを残念に思っているらしい。
 しかし、子供のような拗ね方をするのだなとは思ったけれど、理由も子供じみたものだ。この人もかわいいところがあるのだな、となんとなくしみじみ思ってしまう。口には出さないけど。
「……今は、残念ながらカルパッチョの食材はないので……、どうです。たまには一緒に、ミルクティーでも飲みませんか?」
 さて、珍しく子供っぽい態度を取る彼は、これで機嫌を直してくれるだろうか。


2020/06/02