蜜柑とアイスの共存

酒場にて。約束を破ったとある元魔法使いの話


 ……やあ、久しぶり。四十年ぶりくらいか? うーん、ならそこまで久しぶりという感じでもないか。百年合わないとかも結構あるんだし……おれがここ数十年を、長く感じているんだろうな。それにしても、この酒場は何十年経っても変わらないね、落ち着くよ。……ところで、他の魔法使い達は今日は来ていないの? ……そう、こんな天気だし、仕方ないか。
 え? 本題は何なのか、だって? ふふ、急かすなんてきみにしては珍しいじゃないか。ああ、でも、おれが魔力を失ってることはわかるのか。うん、あのね、今日おれはきみにお別れを伝えに来たんだ。たぶんあとひと月もしないうちに、おれは死ぬから。

 ある約束をしたんだ。でもおれは約束を守れなかった。だから、もうじき死ぬ。

 外は土砂降りの雨だし、お客も珍しくおれ以外はいないのだし、ちょっと話をしてもいいかな。もしききたくなかったら……まあ、石が何かしゃべってるな、ぐらいに聞き流しておいてよ。そういうの得意でしょ、ベネットの酒場のマスターさん?

 そうだな、まずは……おれの奥さんの話をしよう。彼女はおれと違って普通の人間で、でもこんなおれと一緒になってくれた世界一の美女だ。ふふ、昔耳にタコが出来るほどきいた? まぁそう言わずにさ。えーと……きみに紹介したのは最後に会ったときだから、四十年前か。うん、逆算してもそのぐらいのはず。おれの奥さん、結構面食いなところがあるからさ、きみのこと見てカッコイイお友達ねって言い始めちゃってさ。あのときはかっこつけてなんでもないふりをしてたけど、実はこっそりきみにジェラシーを感じてたんだよね、ばれてた? あはは、そっか。きみはひとの感情の機微に聡いもんな。
 で、彼女なんだけど、結婚してもう、そりゃあ、楽しかったよ。今まで人と一緒に暮らす生活なんて全然してこなかったし、合わせるなんてもってのほかだ。でもそれぞれの違いを知って、相手に合わせるのも楽しいなっておれは思ってたよ。……彼女には物事を考えるときのスパンが長すぎるって、たびたび雷を落とされてたけど。やっぱり時間感覚がずれてたのかも? でも、おれたちなりにうまくやれてたと思うよ。ご近所でも評判のおしどり夫婦だったし。他人からどう見られるかとかもあんまり気にするたちじゃなかったんだけど、出がけに奥さんのこと褒められるとそりゃうれしくてさ、うんうんそうでしょ? おれの自慢の奥さんをもっと褒めてもいいよ。みたいな気分にもなっちゃったりして。既婚者だって知らない男が奥さんに言い寄ることもあったりして、ハ? ってなることもあったけど、そういうときは彼女がおれと腕を組んでこう言うんだ、「私には世界一素敵な夫がいるから、ごめんなさいね」って。おれの奥さん格好良すぎない? 美女な上にかわいくておまけに格好いいとか、こんな素敵な人が実在していいのかな? って何度思ったことか!
 それで、しばらくは二人の時間を楽しんで、ひと一倍ペースの遅いおれがやっと彼女に及第点をもらえるぐらいになったころ、あの子が生まれたんだ。

 おれたちのかわいい子供の話をしよう。おれたちはずっとあの子のことを待っていたけれど、恥ずかしがり屋だからかな、中々おれたちの元に来てはくれなかったんだ。でも待ちわびた子だったから、おれと彼女はすごく喜んだ。
 人間の彼女は適齢期もすぎていたしお産は結構大変だったんだけど、それでもあの子と彼女ががんばって、おれも応援を頑張って、あの子が産声を上げた日のこと。二人を抱きしめたあの日のことは一生忘れないよ。
 子供って、あっという間に育つんだよね。昨日まで首も据わってなかったのに、もうつかまり立ちができるようになってるし、わけわかんない速度で目の前からいなくなるし。……ってことを彼女にいったら、「この間まで、何をしても泣き止んでくれないって私に泣きついてきた日々のことをわすれたの?」って意地悪な顔をして言われちゃったけどね。
 あの子はよくおれに似てたけど、笑った顔は彼女そっくりなんだ。おれと彼女の顔つきは全然似てないのになんだか不思議だよね、でも、だからこそ、おれは彼女にもあの子にも、ずっと幸せを感じていて欲しいと思ったんだよ。

 ところで、人間の結婚式って誓いを立てるじゃないか。「汝、死が二人を別つまで、いついかなるときも伴侶とともにいることを誓いますか」ってやつ。そうそれ。彼女は魔法使いがめったに約束をしないってことを知ってるから、あのときの誓いがすごくお気に入りだったみたいでね、子供にも何度もその話をしてたよ。ふふ、ロマンチストだろ? それで、彼女がそれだけ嬉しそうに話をするものだから、あの子も約束ごとが好きになって彼女にもおれにも、よく小さな約束をせがんできた。
「パパ、ママ、次のお休みの日には一緒にピクニックに行こう」「今日は寒いから一緒に寝てもいい?」「きれいなどんぐりをみつけたら交換こね」
 本当に何でもないようなかわいい約束ごとばかりなんだけど、おれは誰かと約束をできるのがうれしくて、その相手が我が子であることが尚のこと嬉しくて、それこそ数え切れないぐらい約束をしたんだ。あはは、たぶんおれは、一番約束をしたことのある魔法使いだと思うよ。ロマンチストな彼女好みのね。

 けれどあの子が五歳になる頃、彼女は亡くなってしまった。元々あの子を産んだときの無理がずっと後をついていたんだけど、ついに息をすることすら疲れてしまったんだ。……そのことはなんとなく覚悟していたから、すごくさみしかったしとても悲しかったけど、おれがあの子を立派に育てるからと安心させたくて彼女にそう伝えたよ。それを聞いた彼女は目を細めて永い眠りについた。
 結婚したときにあれこれ空想していた彼女との日々は想像よりも早くに終わってしまったけれど、あの子と一緒になんとか頑張ろうと思ったんだ。
 でも、なんでかな。悪いことって続けて起こってしまうみたいで、数年もたたないうちにあの子も病気にかかってしまったんだ。治らない病気だ。
 高名な医者を連れてきても、医療に詳しい魔法使いの知り合いに頼んでもことごとく首を横に振られてしまったよ。あの偉大な哲学者であり天文学者である彼のように、彼女に会うまでののんびり過ごしていた時間を最大限に利用していれば、あの子を助けることができたのかな? そんなことを今更考えても栓のないことだとはわかっているんだけど、どうしてもね。何百年生きていても、後悔ってしてしまうものなんだね。
 あの子がさ、病床で言うんだ。「もうすぐママに会えるのかな」って。でもこうも言うんだ。「まだパパと一緒にいたいな」って。やっと母親の死がわかる年齢になったばかりだというのに、こんなのってあんまりじゃないか。あの子は夏生まれだから、寒いのが苦手なんだ。身長がおれの膝もないぐらい小さな頃から、冬の日は特におれたちの寝床にもぐりこんできたぐらいだ。だからおれはずっとあの子の手を握って、寒くないように大丈夫だよって言い続けてたんだ。それしかできなかった。
 あの子がおれの作ったシュガーを食べるのにも苦労するようになった頃、独り言みたいにこぼした言葉があった。きっと、子供心にも自分がながくはないことを感じていたんだろうね。明日の朝おきたとき、パパの手を握れなくなるのが怖いって。

 あの子は彼女に似て聡明だから、魔法使いが約束をするときのリスクは彼女から聞いていて、たぶん成長する中で意味を理解できるようになっていたんだろう。彼女が亡くなってからは尚のこと大きな約束をねだることはなかったよ。でも、それだけに、おれから約束をしたらきっと、素敵な未来を信じてくれるんじゃないかと思ったんだ。
「きみは大丈夫だよ。怖いことなんて何もない。ママに合うのはもう少し先の話だ。きみはもうじき、思い切り駆けっこができるようになるしピクニックにもいける。また一緒にほうきに乗って、海を見に行って、きれいな貝殻を集めるのもいい。そうして楽しいことをたくさんしてから、ゆっくりとママを迎えに行こう。約束だよ」
 そういう約束をしたんだ。約束、という言葉を聞いたあの子の瞳は、またきらきらと輝いた。ああ、おれはこの子の、心のふちのぎりぎりのところはなんとか守ることができたのかもしれない。やっと魔法使いらしいことができたんだって、思ったんだ。
 小さな身体で、あの子はとても強かった。でも病はあの子を飲み込んだ。約束を守れなかったおれは、今では魔力を失ったただの人間だ。魔力がない人間が何百年も生きられるわけがないから、いまここに居るのはもう色すらない出がらしの茶葉みたいなものだ。今だって、昔からの知り合いに変なところ見せたくないからかっこつけてるだけで、ほんとは……わからない? はは、ありがとう。……うん、ありがとう。


 ……とまあ、おれの話はそんな感じ。……雨もやっと小雨になってきたし、また大降りになるまえに帰ろうかな。他の奴らがいたら、どうせなら挨拶ぐらい、と思ってたけど、タイミングが合わなかったみたいだしそれも巡り合わせだよね。おれのことは、もし誰かに聞かれたら答えるぐらいにしておいてよ。や、悪いね。
 今日は付き合ってくれて助かった。もうきみの酒が飲めなくなるのかと思うとさみしい気もするけど、ごちそうさま。おいしかった。
 ……ふふ、ああ、おやすみ。おれは、そうだな。どんな天気になっても家族三人で、ピクニックにでもいこうかな。


2020/05/27