蜜柑とアイスの共存

指先ほどの



「った……」
「どうした?」
 ぴっ、ほおに走った痛みに小さく声を漏らせば、ウールーに構っていたホップが顔を覗き込んできた。
「ん……や、ほっぺた引っ掻いちゃった……昨日爪切ったばっかりだから」
 ちょっと痒いなーと思っただけなのに。切り立ての爪は油断してると牙を剥いてくる。爪なのに。ホップは手を引き寄せて、じっとみつめた。
「ほんとだ。……、爪やすりはかけないのか?」
「あー……あれ苦手なんだよね……うまくできないし、削れてるのかもよくわからないし」
 指先が削れてる感じしない? そう聞くと、ホップは笑ってくれたけど、ちょっと心配そうだ。かすったぐらいで血も出てないのに大袈裟だなぁと思う。嬉しいけど。
「……そうだ! うまくできないなら、俺がやってやるよ」
「えっ……ホップが?」
「おう! これでもウールーの蹄の手入れもしてるから、結構慣れてるぞ!」
「ウールーの蹄と人の爪を一緒にしないでよ……。……まあ、でも、お願いしようかな……」
 お願いすると、彼はにぱっと笑って爪やすりをとりに行った。定位置はいつも決まっているのですぐ戻ってきて、正面に座って手を取る。
「爪をやする時って、いつもどんな感じでやってた?」
「どんな……? うーん……適当に……?」
「うん。俺もやり方がわからない時は無茶苦茶にやってたんだけど、それだと二枚爪になりやすいし、余計に爪が尖っちゃうことがあって危ないんだ。だから、一方向から斜めにかけるといいんだぞ」
「へー……」
「……って、母さんから聞いた!」
「お母さんからかぁ……うひっ」
 ホップが爪やすりを滑らせると、ぞりぞり、という独特の感触が伝わってくる。完全に油断していたので変な声が出てしまう。うわー、恥ずかしい声出しちゃったな……と気まずく目を逸らすと、ホップはまたやすりを滑らせた。ぞりぞり。嫌悪感とまではいかないけど、あまり気持ちの良くない悪寒のようなものが背筋を通っていく。そう、この感触が苦手で、爪やすりはあんまりかけたくなかったんだ。さっきウールーの手入れで慣れてると言っていた通り、自分でやった時よりはずっとマシだけど、それでも苦手なものは苦手だ。
「……もしかしたら、指先の神経が鋭いのかもな」
「ん゛ん゛〜……」
「もっと目の細かい爪やすりでやったら、マシになるかも」
「い゛〜〜……んん゛……ごめんねホップ……せっかくやってもらってるのに嫌な顔して……」
「ははっ、ゴメンな。ちょっと声面白いなって思ってた」
「ゔ……いや、いいや、はい……もう一思いにやっちゃってください……」
「今やってるから、もうちょっと待って欲しいんだぞ」
「はい゛……」
 ホップと話すことと、奇声を発することでなんとか気を紛らわせているがやっぱりやすりをかける感触は苦手だ。苦手すぎてちょいちょい姿勢を変えないと落ち着かないし、鳥肌もオールスタンド席か? というレベルで立っている。なるべく手元は動かさないようにしてるつもりだけど、ホップ、やりにくいだろうな……ごめんね……動くけど……。
 そうして身悶えしつつ、たまにホップがきゅっと指を握るのにビビりつつ。多分そんなに時間はかけていなかっただろうけど、苦手な感触だったのでとても長く感じた。
「できたぞ! 苦手って言ってたのに、よく我慢できたな」
「ゔぅ……ありがとう……もっと褒めて……」
 まだ指先が細かく振動している気がして、しきりにグッパーをしてごまかす。やがてその感覚も薄れて指先を見てみると、滑らかに整えられた爪が目に入った。
「おおー……綺麗……」
「よかった! 次は細かい目のやすりを用意しておくから、また俺のこと呼ぶんだぞ」
「えっ……じ、次回ですか……」
「また傷付けちゃったら困るだろ?」
 口籠る。爪やすりが苦手なことと、ひっかきそうなことを天秤にかける。普通にひっかく方に天秤が傾くが、ホップが、やる気に、なってくれている! お世話を、してくれようと、はりきっている!
 ホップに「悪いよ」とかいうのは全く効かない。押し付けてくるとかじゃなくて、こっちが苦手だなと思っているだけで本気で嫌がっているわけではないのと、さっきホップ自身が言ったとおり、変な声を面白がってるのもあるだろうけど。……あとは、彼が純粋に心配してくれているからだ。
「じゃあ……目が細かいやつ……試すぐらいなら……」
 妥協案を出せば、ホップは笑顔でうなずいた。


2020/01/21