蜜柑とアイスの共存

押しかけ居候



「同棲してたヤツと別れたからしばらく世話になるわ。よろしく!」
 深夜。いきなりチャイムがなったと思ったら、頬を真っ赤に腫らしながら笑っていた。その人物は、久方ぶりに会ったオレの兄だった。
「……色々聞きたいことはあるが……まずその頬! 喧嘩別れでもしたのか?」
「喧嘩別れってか……そいつが男連れ込んでてさぁ。数日間家開ける予定だったけど、早めに帰ったらにゃんにゃん中……って、浮気発覚のあるあるパターン」
 とりあえず部屋の中に入れて、頬に湿布を貼りながら尋ねるととんでもない話が聞こえてきた。昔から兄は話に聞いたようなやばい女に引っかかることが多く、二股ならかわいいと思えるぐらいには、やばい女に引っかかりまくっていた。
「アニキ、いい加減まともな女見つけて落ち着けよ……」
「あー……それなー……」
 そうしてくれれば、幼い頃から抱えている欲望にもあきらめがついて、これ以上アニキの言動に心乱されることもなくなるのに。
 人知れずため息をこぼせば、けらけら笑いつつも言い淀むアニキ。何か言いたいことがあるのかと視線で続きを促せば、へらりと笑って特大爆弾を落とした。
「今まで付き合ってたヤツ、みんな男なんだよ」
「……は?」
「だからまあ、見つけるとしたらまともな男かな! それが無理だからこんななってんだけど、アハハ!」
 とかなんとか言うもんだから、アニキの言った言葉をぐちゃぐちゃの頭で整理して、そして一つの考えが浮かんだ。兄弟だし、根っからの異性愛者だと思っていたから、でも一つの壁がなくなって、それなら、オレにもワンチャンあるんじゃね? なんて、ひとかけらでも思ってしまったのだ。
 ずっと必死に蓋の中に押し込んでいたものが、溢れ出してしまったのだ。



 その日は、ちょっといい酒飲もうぜ、と言ってアニキが酒瓶片手に帰ってきた。オレ自身そんなに造詣が深いわけではないが、それでも耳にしたことはあるぐらいの高級品。
 一緒につまみも買ってきてたので、ちまちま食べながらゆっくり過ごせばいいかとオレは思っていたのだが。ただでさえ度数の高い蒸留酒を、ちょっと目を離した隙にこの馬鹿はパカパカ飲んで、気付いた頃にはすっかり出来上がっていた。
「んで、そいつは俺らが強く言えない立場だってわかってて色々無茶振りしてくんの。うぜーのなんのって!」
「ハイハイ、水も飲んどけよ」
 職場の愚痴が止まらないアニキから酒を取り上げ、かわりに水を渡す。オレも身内で酒を飲むときはつい飲みすぎてしまい、そこまでにしとけよ、なんて突っ込まれることもあるが、アニキは度を超えている気がする。まさかオレが人の介抱をする日が来るとは。とはいえ同じ卓を囲んでその場に酒が出ることは今までほとんどなかったし、アニキは一応元恋人に浮気されて傷心中の身だから、大人しく酔っ払いの相手をしてやろうと優しい弟であるオレは思っている。
 思っていたのだが。
「……水、ありがと……キバナはいい子だなあ……やる気も実力もあるし……おまけにかわいいし……」
「はぁ、どうも」
 ちびちび自分用のグラスから酒を煽る。つまみのスモークサーモンとのしょっぱさが噛み合っていてとてもうまい。
 素っ気ない返事にもめげず、しなだれかかってきたアニキはオレのヘアバンドを外して頭を撫でてくる。が、酔っ払いのすることなのでいかんせん力が強く、首がぐわんぐわん四方八方へ曲がっていく。
「ジムリーダーとして頑張ってるし……俺、テレビとか雑誌とかでお前のことちゃんと見てたんだぜ?」
「えっ、そうなのか!?」
 アニキからポケモンバトルの話が出ることはほとんどなかったから、驚きのあまりつい大声が出てしまった。彼は真っ赤な顔で大きく頷く。やべー、すげー嬉しい。これだけで機嫌が急上昇するのだから、我ながら安いなと思う。
「いい子にはちゅうをしてあげよう」
「へぁ、」
 頭の後ろを固定され、眼前にアニキの顔が迫ってくる。やべえ、こいつ酔っ払いだった! いや、ここは役得として受け入れるべきでは!? アニキからしてくるんだから、兄弟だから、仕方ないよな! 脳内で思考を繰り返す間にも彼の顔が迫ってくる。初めて見る彼のキス待ち顔に心臓が跳ねた。オレと似た顔のはずなのに、いつも鏡で見ているものとは全然違う。アニキの吐息がオレの顔にかかって――。
 ちゅう
「……」
「……へへ、いい子いい子」
 めちゃくちゃ期待したにもかかわらず、口づけが落とされたのはヘアバンドが外された額だった。うん、そりゃそうだ。アニキからしたらオレはただの弟で、今頭を撫でているのも、額にキスをするのも、全く意識しないでできる範囲の「ただ弟を可愛がって褒める」だけの行動なのだろう。
 しかしオレは違った。ぶつりとなにかが切れてしまった。オレの純情を返せと、不純にまみれた頭で思う。
「アニキ……一回のちゅうは、一回のちゅうで返すべきだよな……?」
「へぁ? なになに、キバナも俺のこと褒めてくれる、んっ……!?」
 アニキの顎をがっちり掴んで口を開けさせ、唇を重ねた。あいた隙間から舌を滑り込ませれば、最初は驚いていたのか奥に引っ込んでいたアニキの舌も、すぐノッてくるようにオレのものに絡めていく。触れたところが全て熱い。この熱さも彼が舌を絡めてくるのも、どちらの酒のせいなのだろう。アニキは誰を思って身を委ねているのか、別れた元恋人か、それともまだみぬ誰かなのか。
「っアニキ、……ん……」
「ふ、ぁ……キバナ、ぁっ……」
 キスの最中にオレの名前を呼んだ。それだけで舞い上がる自分がいる。アニキとする初めてのキスは触れる部分がどこもかしこも気持ち良くて、一生こうしていたい。このまま服を脱がせて、アニキの身体の隅々まで見たい。知りたい。今まで積み重ねてきたオレの想いを全て受け止めて欲しい。オレたちは血さえ繋がっているのだ。身体だけの繋がりしかなかった他のヤツらとは違う。
 最後にアニキの舌を吸って、そっと離れた。彼の唇が二人の唾液でてらてらと光っている。やってやったという充足感がある。先にアニキから始めたことなのだから、オレは悪くない、むしろ被害者なぐらいだと完全に開き直っていた。あとになって思い返せば、オレも相当酔ってたのだとしか思えない。
「……キバナ、」
「……なんだよ」
 アニキは口元を手で覆った。目尻から涙が一筋伝う。
 一瞬ドキッとして、それでも動揺を悟られないようにどうしたのだと尋ねれば、彼は俯いて肩を震わせた。
「……吐きそう……」
「……」
 そういうことだと思ったよ畜生!



「アニキ、タトゥーとか入れてたっけ」
「ん? あ〜これ……えっと……よん……五番目くらい前の彼氏に付き合って入れたやつ」
 ソファの上に寝そべって、オレの特集が組まれた雑誌を読んでいるアニキ。めくれたシャツから脇腹が見えており、そこには青い花が描かれている。疑問に思い理由を聞いたのだが、その内容に思わずオレは渋面になってしまった。明確な嫉妬だ。
「んはは、キバナすげー顔になってる。大丈夫だよもう痛くないし」
 身を捩ってよしよし、なんて言ってオレの頭を撫でるが、オレの考えていることとはだいぶ方向がずれていた。その手をとってソファに乗り上げると、アニキの顔に影がかかる。
「……あのさ、忘れてるかもしれないけど、オレ、こないだ酔ってるおまえにキスしたんだぜ」
 ここに。そう言ってアニキの唇をなぞる。しっとりとしているそこに、今すぐにでも食らいつきたかった。キスをしたと知って彼はどういう反応をするだろうか。拒絶されてもいい。自分の気持ちを押し殺して過ごしてきた今までに比べればずっと楽だ。
 視線を唇から瞳に移すとアニキは──。
「……あれ、キバナ覚えてたんだ」
 そう、蠱惑的に微笑んでいた。
 思った以上に動揺している自分に、拒否されることしか考えていなかったなと冷静な一部分の頭で思う。自覚したところで脳内で慌てている自分が覆ることはないが、──アニキは、どういうつもりでこの数日間を過ごしていたのだろう。
「……なぁ、キバナ」
 彼の手をつかんではずが、思わず力が緩んでいたためするりと抜け出されてしまった。そしてそのまま、オレがアニキにしているように、彼もオレの唇をなぞる。
「お前はあの日、どうしてオレにキスしたんだ?」
「……、」
「酔ってたからか? にーちゃんを驚かせようとしてた?」
「アニキ……」
 彼の指がオレの唇から顎を伝い、喉仏や鎖骨を降りていく。触れるか触れないの位置でなぞるものだから、あちこちにむず痒さを与えられてしまった。そしてその指は、やがて心臓の位置で止まる。その瞬間に、自分の心拍が上がっていることをようやく自覚した。
「俺、結構いいかげんだからさ。わりとその場のノリで色々して、そのままズルズルーってパターンが多かったんだけど」
 手のひらをぺたりと当てられた。薄いTシャツ越しでは、強く脈打つ心臓を隠せはしないだろう。
「キバナは俺の大切な子だから、キバナの気持ち。聞かせてほしいな」
「……オレは、」
「……ん、」
「オレは、ずっとアニキのことが好きだった。アニキが昔からたまにしてた彼女……彼氏だったけど、そいつらの話は、二度と聞きたくない。アニキをオレだけのものにしたい」
「……ふふ、意外と情熱的だね」
 意外とは余計だろ、そう抗議しようとしたが、彼の頬が赤く染まっていることに気が付いた。これはアニキなりの照れ隠しなのだろうか。思わずじっと見つめていると、耐えきれなくなったのかオレの頭を抱きしめて、それからキスで誤魔化そうとしてくる。が、それはダメだ。彼の唇を塞ぐと、まさかそうされるとは思っていなかったらしくアニキの目は丸く開かれた。
「……待て、オレはアニキの気持ち聞いてねえ」
「……あ、そうだった。えへへ」
 年上の男がえへへとか言ってるのにかわいく思える。重傷だ。オレさまはもうダメだ。アニキはオレが塞いだ手の指にキスをして、「好きだよ、キバナ」とささやいた。
「世界一好き。愛してるよ。キバナも俺のこと好きって知ってたら、こんな遠回りしてなかったのにな~」
「お互い様だろ」
 そう言って、俺はアニキに覆い被さった。仕返しを口実にしたあの日のキスよりも、さらにずっと甘く感じる。アニキの両耳を覆うように顔を固定して、ちゅ、ちゅうと音をわざと立てて口内をまさぐり舌を吸う。アニキも慣れたもので、ざらりとした感触があったかと思えば舌先でくすぐるように撫でられる。気持ちいい。
「ん、ん……しかし実の弟か……。フフ、俺がここに来た日、っふぅ、……キバナは、もっとまともなヤツ見付けろって、言ってたよね」
「なんだよ。オレさまは……今までの彼氏より、んっ、ずっとまともな男だろ。何でも出来るし、頭良いし……バトルも、っ……、強いし。……自慢の弟で彼氏だろ」
「んふふ、そうだね。世界に自慢はしない、……っはあ、俺だけの……自慢の弟で彼氏だよ」
「……、ん……」
「ふぁ……あ、」
 上顎をつつけば彼から鼻にかかったような声が漏れる。アニキはとろりと目を潤ませていて多幸感に包まれた。オレとのキスでアニキが感じてる。ずっと、アニキに触るのは妄想の中でだけだったが、紛れもない現実だ。その事実だけでオレの頭もふわふわとしてきて、同時に下腹部にずん、と重い快感がたまっていく。
 しばらくしてやっと唇を離すとお互いの口元は唾液にまみれていた。オレの口元はアニキが拭ってくれたけれど、そのまま服で拭いてしまうのが無性にもったいなく感じて、アニキの手首をつかんで舌を這わせる。本当はアニキの口元も舐め取りたかったが、そのまま舌に彼の指を絡められてしまったので叶いそうもない。
 オレの舌を指でいじって、八重歯も擦る。口が閉じられないせいで唾液を飲み込むのも上手くできず、アニキの服の上へぼたぼたと唾液が落ちていく。その様子を恍惚の眼差しで見ているアニキだが、これはどういう嗜好なのだろうか。気持ちよさに流されないよう柔く彼の指を噛めば、先ほどオレがしたように上顎を指先で撫でられた。息が上がるのを見るやアニキは益々目を細める。ようやく口の中から手を引いて、興奮により粘度の高いオレの唾液を、それはそれは嬉しそうに、これみよがしに舐めて挑発した。
「……なあ、俺のこと脱がせてよ」
 言われるがまま、オレはアニキの服に手をかけた。


2020/01/12-2020/01/19