蜜柑とアイスの共存

今日は小さな王冠で勘弁してくれ


 居間で映画を見ていると、パートナーであるハブネークがぼくにもたれていた身体を起こし、わずかな摩擦音を発した。次いで玄関の鍵が開く音がする。ぼくのもうひとりのパートナーであり、この部屋の家主である人物が帰ってきたようだ。
「おかえり」
 玄関へと続く扉を開けると、そうっと入ってきたらしいダンデはぼくの顔をみるや相好を崩した。
「ただいま。……起きてたのか。寝てるかと思ったぞ」
「映画みててさ、もう暗くなってたんだね」
 画面に夢中になっている間にとうに日は暮れていた。そうか、相槌を打った彼がパチパチと電気を付けていく。シアターモードの暗さに慣れていた目にはいささか刺激が強く、一緒にいたハブネークも緑色のひたいをぼくに押しつけてくる。甘えた仕草に身体をさすってやりながら、わずかに微笑んでいるダンデに首をかしげた。
「ダンデ、……ご飯食べた?」
「……いや、まだだ」
「そう……今日は珍しく気が向いたから、なんとご飯があります」
「え、え! うれしいな……頂いてもいいのか?」
 ぼくの気が向く、というのは本当に珍しいので、彼が驚くのも無理はない。本来のぼくの住居である隣の部屋から持ってきた鍋は、ほとんど使われないという理由で綺麗なキッチンに置いてある。
 マンションの一室。多忙を極めている彼は距離のある実家に帰ることが難しく、またセキュリティを考えた際に警備会社と連携の取れる部屋を持っている方が色々と都合がいいだろう、とローズ氏の勧めで住居を構えるに至ったらしい。ぼくはたまたまその隣の部屋に住んでいて、紆余曲折……という程のことはとくに無かったが、ただのお隣さんから、次第に相手の不在時にも鍵を任せ合うような関係になった。

「……今日のことなんだが」
「うん」
 ぼくのハブネークとダンデのポケモンたちに食事を用意して、自分たちの分も盛り付け食卓についた頃彼は切り出した。
「負けたんだ、オレは」
「……そうなんだ?」
「……、知らなかったのか?」
「ごめん……えーと、あ、だからやたら今日はスマホロトムの着信が多かったのか……」
「知ってたから、晩ご飯の用意をしてくれてたのかと思ったぞ……」
「ぼくがそんな気の使い方を出来るひとだと思う……?」
「……だから、ちょっとびっくりしたんだ」
「よくわかってるじゃん。……そっかあ、えー誰? キバナさん?」
「いや……前に話しただろう。オレがすいせんじょうを渡した、弟の友達だ」
「ああ、あの子……へえー、すごいねえ」
 持っていた食器から手を離して、顔を思い浮かべる。十代半ば……にもならないぐらいの子だ。ダンデの弟くんに会ったことすら数えるほどもないくらいで、ほとんどダンデからの情報だけれど。そうそう、彼らは二人とも、あの時期特有のかわいらしい顔立ちをしていた気がする。
「えーとじゃあ……ワインだすか。それかビール」
「えっ」
「えっ。あっ明日忙しい?」
「……いや、いつも通りだが……」
「んじゃーいっか。えっとーコルク抜き栓抜き……」
 眉を変な方向に曲げて微妙な顔をするダンデをよそに席を立ちうろうろしていると、ハブネークが自慢の尾でスパーンとボトルの首を落とした。
「さすが」
 言いながらハブネークの身体を撫でると得意げに彼は鳴く。そして、二人分のグラスにひとまずワインを注いでいった。
「んー……お疲れ会、兼、決起会な」
「決起会、」
「新たな目標に向けてがんばろー、って感じの。……ん、あれ、またその……新チャンピオン? に挑むんだよね? 引退とか考えてたらごめんだけど」
「……いや……オレは……まだ引退は、するつもりは……」
「そっか! じゃあ乾杯」
「……決起会、か」
 しばらくキーの実を生で食べたように訝しげな表情をしていたダンデだが、ぼくの言った言葉を独り言のように繰り返したあとにやっと薄く笑いを浮かべた。グラスを手に取り、乾杯をする。その表情は、テレビでみるトレーナーとしての彼がいた。
「そう……だな。うん。すまない、ちょっと呆けていたみたいだ」
「まあ……十年トップの座を守り続けてたってなら、そうもなるんじゃない? ……ふふ、でもそうか。ダンデは一途だね。ぼく、なんの疑いもなく、君が挑み続けるって思ってた。諦めるって選択肢はないものだと思ってた。周りにそう思わせるぐらい、君は一途なんだよ」
 ……かと思えば、ぼくの言葉に微笑む、いつも通りの優しい眼差しの彼がいる。こうして自分の決めた目標に向かってひたむきに進んでいく彼を、進むことの出来る彼を、ぼくはまぶしく思っている。どうか彼の道に光あれかしと、そう思わずにはいられない。
「オレは……十年前からずっと、ポケモンのことばかりだった」
「うん」
「でも君は……オレと違って、好きなことも得意なことも多くて。そのなかでもポケモンバトルには特に興味は無いようだったから。……バトル以外のことはこれと言って得意なこともないオレに、きっとすぐに愛想を尽かしてしまうかもしれないと」
「ぼくが、浮気性だって?」
「そういうわけじゃない……そういう訳じゃないが」
「……なんてね。今日はやけに弱気じゃないか」
「……今日のような機会でもないと、オレは、こういうことが言えないタチなのかもしれない」
「はは、じゃあ次に君の弱音が聞けるのは十年後かな? ずいぶん気長な話だ」
 テーブルの上をうろうろとさまよっていた彼の金色の瞳がぼくをみた。少し動揺したように揺れた瞳が瞬きによって遮られて、そしていま、彼はおかしそうに笑っている。
「……っふふ、確かに……。弱気なオレだが、これからもよろしく頼むよ」
「こちらこそ。君ほど一つのことに夢中にはなれない浮気性だけれど、ぼくをよろしくね」
 そう言ってワインを煽ると、口の中でぱちぱちと炭酸が弾けた。


2019/12/31