蜜柑とアイスの共存

震える体と染まる耳

 私はひとつ子一人いない夜の大修道院を、一歩一歩確かめるように歩いていた。しんと静まり返った空間は、そこの物陰からいきなり何かが飛び出してきてもおかしくない。……ああやだやだ、なんでそういう想像しちゃうかな!?
 昼間はあれだけいた猫ちゃんやワンちゃんも今はそれぞれの寝床に戻ってしまっているし、信じられるのは己の身ひとつだけ。
「おっ、おばけなんてウソさー……わぶっ!?」
 自分を鼓舞するために音程の狂った歌を歌いながら角を曲がると、硬いような柔らかいようなものに激突した。完全に油断していた上にただでさえ恐怖に身がすくんでいた私は、そのまま尻もちをついて…――。
「あ、あれ……?」
「……お前は……レオか。こんな時間にどうした」
「ドゥドゥー!?あ、いや、今日の戸締り当番だったのに、うっかり忘れてて……」
 ドゥドゥーが倒れないように支えてくれていた。ありがとう、そう言うと俺もよそ見をしていたと首を振るドゥドゥー。人間ができすぎている。
「ドゥドゥーは?忘れ物とか?」
「まあ……そんなところだ」
 濁すような言い方だな、とは思ったけど、まさかドゥドゥーに限って悪いことはしてないでしょうと思うし、そっかーとだけ返す。それじゃあ私は戸締りが……と言いかけたところで言い淀む。
「レオ……どうかしたか?」
「あの……同じクラッセのメンバーとしてのお願いなんだけど……戸締り、一緒についてきてもらえる……?」
「なに……?」
「あの、私すっごい暗いのとかお化けとか全然ダメで!私一人だと朝までかかっても戸締りが終わるかどうかわからないの!だからお願い!明日のご飯のおかずあげるから〜!」
 必死にすがりつく、救世主の如く現れたドゥドゥーを私は話すわけにはいかなかった。だって、怖い。広いし暗いし、怖い。
 私の必死さに押されたのか、ドゥドゥーははあとため息をついてうなずいた。
「あ!ありがとう!ドゥドゥーは私の命の恩人だよ……あっデザートもいる!?」
「いや、いい。おかずも自分で食え」
「なんで!?ご飯いっぱい食べたいでしょ!?」
「少し声のトーンを下げろ……。お前が、たくさん飯を食べたいと思っているから、そんな奴から取り上げるようなことはしない。……それに、これぐらいのことなら、礼を要求するようなことでもない」
「聖人じゃん……ううっありがとドゥドゥー……私ちょっと泣きそう……」
「……泣くな……」
「泣かない!今度、アネットとメルセデスと一緒に、お菓子作らないかって誘われてるの。出来たらドゥドゥーにもあげるね!」
「それはお前が食べるために作るものだろう」
「そうだけど、元々みんなにも渡すつもりだったしたくさん作って、今日の分も多めにドゥドゥーに渡すから!そうでもしないと私の気がおさまらないの!受け取ってね?……あっもしかして甘いもの苦手とか!?」
「いや……そうだな、その時は受け取ろう」
「ほんと!?よかったー!」
 そう話しながら戸締りをしていく。よかった、本当に一人でいるよりも全然怖くない。じゃああとは一箇所だけ、そう言いかけたところで、いきなり大きな物音がした。
「ぎゃあー!!なに!?お化け!?」
「落ち着け、ただ物が倒れただけだ」
 ドゥドゥーが指した方を見ると、置き方が不安定だった樽が落ちただけらしい。ていうか私は、何回ドゥドゥーに落ち着けって言われれば気が済むんだろう……。
「……あの、ドゥドゥー?」
「なんだ」
「今の音、びっくりして……あの、また怖いのが戻ってきてしまってですね……すごく言いにくいんだけど、ドゥドゥーの服の裾掴んでて、いい、ですか……」
「……」
 あれだけ優しかったドゥドゥーがついに黙ってしまった。つらい。いたたまれない。やっぱりなんでもない、と声を振り絞ろうと口を開いたところで私は彼に手をとられた。
「服の裾は……お前の先程の驚きようをみていると伸びそうだから、掴むなら手にしろ」
「は、はい……」
 行くぞ、と軽く手を引かれるままについていく私。まさかの男の子から手を握られるという展開に心臓が破裂しそうだった。挙動不審にならないようにせめても黙っているが、逆に挙動不審になっていないだろうか。ドゥドゥーは元々口数が少ない方なのでなにも言わなくても違和感がないけど、私はあれだけ騒いでいたし、普段もかなりうるさい方だし、何か喋らないと、変に思われてしまう気がする!
 あっだめだ!意識するとすごい!ドゥドゥーの手は私よりもずっと大きくて、私の手を一周してもまだ指先の部分が余っている。手の皮だって厚くて……私にだって剣ダコはあるけど、それ以外の、基礎的な部分が全部違うんだなっていうのがよくわかる。あとは筋肉量も違うからか、ドゥドゥーの手はとても暖かかった。
 それからは私たちの間には、ほとんど会話はなかった。鍵の返却やおまけに寮の部屋にまで送ってもらってしまった。
「ドゥドゥー……ごめんね、あと、ありがとう。ドゥドゥーがいなかったら私まだ校舎を彷徨ってたと思う……」
「大袈裟だ。あまり夜更かしはするなよ」
 なんてお母さんみたいなことを言うドゥドゥーにふふふと笑ってしまって、最後にもう一度ありがとうとお礼を伝えた。すると彼もふっと笑って踵を返す。彼の耳元のピアスが揺れて――。
(……あ、)
 どうやら手を繋いでいたことを、恥ずかしくも嬉しく思っていたのは、私だけではなかったらしい。その証拠に、彼の耳はいまだに真っ赤になっていた。


2019/11/15