蜜柑とアイスの共存

Edgedog


「よっ、ミズキ!」
 カランカラン、ドアベルの音を立てて蒼葉がブラックニードルの中へ入る。カウンター越しに客と話していたらしいミズキはその声に振り返ると、軽く手を上げて挨拶した。
「よぉ、蒼葉。悪ぃな急に呼び出して」
「いんや? 飲むときはいっつもこんなもんだろ。……て、そういう言い方をするってことは、今日は飲むために誘ったってわけじゃないのか?」
「ああいや、それもあるんだが……今日はお前に紹介したいヤツがいてさ」
「紹介したいヤツ?」
 首をかしげると、ミズキは表情を緩めて頷いた。ついで、先ほどまで立っていた辺りを親指でさす。蒼葉がミズキの向こう側を覗くと、そこには先ほどまでミズキと話していた男がグラスを傾けていた。
「真琴!」
 ミズキが呼ぶと、彼は緩慢な動きで振り返った。男、と言っても見たところ、どうやらまだ未成年のようだ。あどけなさの残る、少年と青年の間といった風貌の彼は怪我をしているようで、顔や手に所々手当ての跡が見て取れた。日常的にリブスティーズの抗争はあるが、その関係だろうか。
「蒼葉、紹介するよ。こいつは真琴。最近俺が目をつけてて、ドライジュースに勧誘中」
 カウンターに座ったままの彼の肩を組んでミズキは口角を上げた。真琴、そう呼ばれた彼は顔を歪め一言「キモい」と吐き捨て腕を触り払う。普段は慕われている面しかみないミズキに対してのあんまりな言い方に蒼葉は目を丸くしたが、言われた当の本人は特に気にした様子もない。
 狼狽えつつも、蒼葉はどうして真琴を紹介したのかとミズキに尋ねた。
「実を言うとこいつは拾ったっつーか……きっかけはたまたまなんだが、なんか昔のお前を思い出しちまってよ。ホラ、このナイフみたいな目つきとか」
 そう言って笑う。ミズキの言う通り、睨め付ける真琴の視線は彼をそのまま刺し殺しそうだ。ああそう……相槌を打ちながら、蒼葉は聞き捨てならない言葉を聞いたことに気が付き、はっと抗議の声を上げる。
「……いやいや、昔の俺に似てるってなんだよ!俺はこんな尖った態度とったことねえって!」
「んー、そうかあ?」
 ニヤニヤとからかうようにミズキは笑う。そうだよ! 肩をいからせて蒼葉は断言した。だめだ、今は人の話を聞いているのか聞いていないのかイマイチわからない時のミズキだ……。げんなりとして、それからまた真琴を伺うと、視線がばちり音がするほどに合った。このまま俺が刺されたらどうしようか……と思っていたところで、舌打ちとともに視線が外される。よかった。殴られても黙ってそのまま、という性でもないが、友人から紹介されたばかりの少年とやり合うというのは流石に気がすすまない。かといって、無傷で抑えられるかという問いには彼の腕っ節の強さを知らないのでなんとも言えない。ミズキは昔の蒼葉に通じるものがあると紹介したようだが、だからといって蒼葉にどういった反応を求めているのだろうか。
 蓮が入っている鞄を横に置いてカウンターに座る。ミズキは飲み物はどうするかと聞いてきたが、任せることにした。飲み物を待つ間に真琴をまた横目で見てから、あー、なんて前置きになっていない呟きを前置きにして、蒼葉は口を開いた。
「……はじめまして、俺は蒼葉。ミズキから少しは聞いてると思うけど、結構長い付き合いがあるんだ。よろしくな」
「……、……真琴。……ハジメマシテ」
 はじめまして、という挨拶はしたものの、まったくよろしくしたくなさそうな態度の彼に蒼葉は苦笑いを浮かべたままひっそりとため息をついた。
 程なくしてミズキからグラスを差し出された。一口飲むとあっさりとした炭酸が広がる。あまり度数の強くないものを用意してくれたのだろう。
 その後もミズキはあれこれと話を続け、蒼葉もまたそれに言葉を返すが真琴は終始落ち着かない様子で頻繁に足を組み替えたり、せわしなく店内に視線を移しているようだった。ミズキ曰く荒れていたころの蒼葉ににている、とくればよく喧嘩を吹っ掛けられることもあるのだろう。それを警戒しているのだろうか? 無論蒼葉がその様子に気が付くくらいだからミズキもわかっているはずなのだが、それについて彼が真琴に対し何か言及することはない。この二人の距離感は測りかねる。
 そうしてしばらくした後、ため息をついた真琴はおもむろに立ち上がり「もう十分だろ」とこちらに吐き捨て、店を出て行こうとする。こちら、とはいうものの、ほぼミズキ一人に向けられた言葉なのだろう。ミズキはそれを止めることなく、「まっすぐ帰れよー」と軽い調子で見送った。

 カランカラン、店の扉に取り付けられたベルの余韻を聞いてから、蒼葉はミズキを振り返る。説明を求めるためだ。視線の意味に気付いたミズキはどこから話そうか、とやや迷ったように手を遊ばせる。
「あいつは……そこそこ名の知れてきたやつでさ、どこのチームにも入ってねえし、特定の誰かとつるんでるわけでもない。あいつ一人で複数人相手に喧嘩しても、あいつが勝つって」
「へえ、喧嘩強いのか」
「そ、見た目はガキだけど、まぁファンみたいな奴も多くてよ。たまにいるだろ? この辺じゃ、腕っ節の強いやつが正義みたいなもんだ」
 それは蒼葉もよく知っている。喧嘩にせよライムにせよ、強い人間には自然と人が集まる。それは好奇の目だったり、憧憬だったり、嫉妬だったり様々ではあるが。
 グラスの表面に浮かんだ雫がコースターに落ちる。グラスを呷ると、溶けかけの氷がカランと涼やかな音を立てた。
「それで、ミズキもあいつを気に入ったってことか?」
 チームにスカウトすること自体はよくある話だ。たまたま出会った者同士が、会話をするうちに盛り上がったりして、そうしてチームは段々大きくなっていく。現に蒼葉もそうしてミズキにチームに誘われ続けている。
「気に入ったっつーか……そうだな、元々強いやつがいるって話は聞いてたんだが……。あいつには、ある意味恩みたいなのがあるんだよ」
「恩?」
「そ、この前、俺が外でてる間にうちの奴らがほかのチームのやつにちょっかいかけられたらしくてよ。そんときにあいつが、そのちょっかいかけたやつらを叩きのめしたんだ。本人は「近くでピーピー喚いてたのがうるさかっただけだ」つって、そのまま俺にも喧嘩をふっかけてきたんだけど」
「オイオイ……」
「アレでも多少はマシになったんだぜ?」
 恩が帳消しにされるような話をしながら、ミズキはおかしそうに笑った。マシになって先程の態度、とは。蒼葉がぱっとみた限りではミズキがどこか怪我をしている様子はない。いつごろ真琴と出会ったのかは知らないが、前回ミズキと会った時も特になにかあった風ではなかった。その喧嘩はお前が勝ったのか、と問うと案の定首が縦に振られる。
「そんときはあいつは既に何人かのしたあとだったからなぁ……弱ってたし。本人はそういう言い訳みたいなのはしてないが、まあそっから再戦を申し込まれてるってワケだ」
「へえ……」
 リブに対してもライムに対しても興味が薄く、あまりいざこざの話には首をつっこまないようにしている蒼葉はその界隈には詳しくないが、真琴はあまり負けをしらないタイプらしい。連戦だったとはいえ、チームの頭を張るくらい喧嘩の強いミズキを相手に負けてしまい、闘争心を燃やしている、と。

 そこで、蒼葉はん? と首を傾げた。いまいち話の繋がらないところがあるからだ。豆菓子をつまむミズキにそのまま疑問を投げかけた。
「あいつ、まだドライジュースには入ってないんだろ? 拾ったって……どういうことだ?」
 ミズキが真琴を負かし、その後ミズキに勧誘された真琴がドライジュースに加わったということならわかる。しかし、先程ミズキは勧誘中だと言った。それならまだ拾ったとは言わないのではないか。
「ああ、拾ったってのはチームの話じゃなくて、いま俺の部屋に住まわせてるって話」
 けろっと言ってのけたミズキに、思考が追いつかなかった。
 しばらく呆然とし、たっぷり間を開けてから驚嘆の声を上げる。やはり話が繋がらない。ミズキとの再戦を望んでいるあいつを、部屋に住まわせている?
「話聞いてると、あいついっつもフラフラしてて宿無しっぽかったからさ、怪我治って俺と再戦できるようになるまでって話で置いてるんだ」
「……それ、危なくねえ? あいつはお前のこと狙ってるんだろ?」
「蒼葉は、俺がそんなにヤワに見えるか? 大丈夫だって、あいつは……真琴は多分、いきなり襲いかかってくるってことはもうしないと思うから」
 ひらひらと手を振って蒼葉の心配をはねのける。ホントかよ、と訝しげに蒼葉はミズキを見つめるが、「もうしない」という言葉尻に引っかかった通り、実のところ蒼葉の予想は当たっている。真琴はミズキの隙を突こうと不意打ちで攻撃を仕掛けることもあったのだ。その度にミズキが避けるなりなんなりしているうちに、真琴は諦めたのかそういうことをしなくなった。
 もっとも、諦めたかのようにみせて、虎視眈々と次の機会を狙っているだけなのかもしれないが。ミズキはどちらでもいいと思っていた。できれば怪我が治るまで大人しくしてほしい、と真琴からすればありがた迷惑なことを思っているが、喧嘩をすること自体は嫌いではない。むしろ好きな部類に入ることなのだから。
「……俺、次会ったときにお前が怪我してるとかゴメンだからな……」
 さまざまな想像を巡らせたのち蒼葉が渋面でそういうと、ミズキはまたおかしそうに笑った。正直蒼葉からしてみればまったく笑い事ではないのだが、ミズキはあまりそういった懸念をしていないらしい。
 話が一区切りしたところで、ミズキは立ち上がり真琴が残していったグラスを持ち上げた。飲み残された中身と溶けた氷は別な層になっていたが、グラスが揺れたことによりその境界線が混ざっていく。それをなんとなしに眺めた蒼葉はふと気付いたように尋ねる。
「……っていうか、さっきあいつに出してたの、アルコールか?」
 見た目はあきらかに未成年だったが、実は成人している、とかあるのだろうか。それはそれで奇妙な気分になるなと考えていたが、ミズキは首を振る。
「いんや? ただの烏龍茶だ」
「烏龍茶……」
 ソフトドリンクだった。流石に、未成年にアルコールを出すことはしないらしい。カウンターの内側へ入ったミズキがおかわりはいるか、と尋ねたが、蒼葉は首を横に振った。どうやら今回呼び出されたのは真琴の話が本題のようなので、あまり長居するのも悪いだろう。
「それでさ、お前があんまそういうことに首を突っ込まないようにしてるのは知ってるんだが、もし真琴を見かけたらちょっと気にしてやってくれないか」
 苦笑しながら、彼は珍しく蒼葉に頼み事をする。ミズキから真琴への感情は単純に、荒れていた頃の蒼葉に重ねて放っておけない、という感情だけではないように見えた。そもそもミズキは、荒れていた頃の蒼葉とも今とまったく変わらない態度で接しているが、心配という態度で接していたわけではないからだ。もしかしたらそういう感情もあったのかもしれないが、少なくとも蒼葉はそうは受け取らなかった。あの頃に心配という感情をミズキから感じとっていたら、きっと今友人という間柄にはなっていなかっただろうから。心配という感情はなくとも、一度気になった存在は放ってはおけないという、なんとも面倒見のよすぎる性格ではあるのだが。
 何がミズキをそうさせているのだろうか? 蒼葉は疑問に思ったが、決して口には出さなかった。きっと真琴との間に、ミズキをそうさせるようなやりとりがあったのだろう。頭としてチームをまとめあげているぐらいの人間なのだし、余裕そうな口ぶりからも蒼葉が思っているようなことはきっと杞憂に終わる。
「ああ、わかったよ。……っても、ホントに見かける機会があるかはわかんねーけどな」
 なんせ、そこそこ名の知れているらしい真琴の存在を、ミズキから紹介されるまで知らなかったぐらいなのだ。面倒ごとは避けるようにしているので当たり前だが、ミズキの期待には答えられそうにない。それでもミズキは十分ありがたいと小さく息をつく。

 店を出て、帰路へ着く途中。何やらざわめきが聞こえてきた。漏れ聞こえる声を聞く限りいつも通り喧嘩をしているのだろう。決して大人数ではないが、怒号は周りの人間を寄せ付ける。
 それを避けるように迂回する道を選ぼうと足を向けたところで、聞こえた声にピタリと歩みを止める。聞き覚えがあるというほど耳に馴染んでいるわけではないが、先程聞いたばかりの声だ。
「……オイオイ、早速かよ……」
 先程ミズキにまっすぐ帰れ、と言われていたにも関わらず、早速喧嘩をしているらしい。蒼葉は呆れたため息をつくと、店の外に出てから起動した蓮が蒼葉を見上げる。
 怪我が治ってから再戦を受け入れる、とミズキは言っていたが、これではいつ怪我が完治するのかわからないのではないか。蒼葉は口元を引きつらせた。



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