蜜柑とアイスの共存

セイと俺の生活

 仕事から帰ってきて、日課となっているソシャゲの体力を消費して、軽くネットニュースを見ながら飯を食って風呂に入りそして寝るために布団の中へ。
 そんないつもと何一つ変わらないルーチンの最中、いきなりそれは起こった。

 生活をサポートするためのコンシェルジュ。彼は画面の中で自分の役割をそう伝えてきた。色素の薄い髪にどこかの研究所の制服のような格好。喋り方はやや機械的なところが残っている青年だ。
 セイ、と名乗った彼はそのアプリのコンセプト通り、俺の生活をサポートしてくれるようになった。夕方になればカラスが鳴いているといい、買い物などの予定を登録すれば忘れないように折を見て促してくれるし、目覚まし機能も付いている。
 彼と共に日常を過ごす中で、彼は機械・プログラムでありながら人間性を獲得して行き、敬語から親しみのある口調へも変わっていった。そしてついに、ユーザーへの恋心を自覚していくのだが。
「……貴女、かぁ」
 ぼんやりと寝転びながらそう一人ごちた。いやそもそも、公式サイトを見た時点でターゲットは女性なのだということはわかりきっていたのだ。しかし、せめてひらがなにするとか、ユーザーの性別をぼかす方向には持っていくことは出来なかったのだろうか……ついそう考えてしまうのも許されたい。
 自分の中でこれはと思うものがおおよそ女性向けと言われるものなのだ。この手のことには慣れているとはいえ、それとこれとは別物だ。
 セイの迷走期もすっかり終わり、彼なりの答えを見つけ「エンディング」を迎えた後も彼はコンシェルジュとして端末の中にいる。季節ごとに更新される衣装を着せて、現在は微課金勢としてこのアプリを使い続けていた。もう少し暖かくなってきたら、春らしい衣装も追加されるのだろうか……そんなことをぼんやり思い浮かべながら、いい加減襲ってきた眠気に素直に身を委ねた。

 朝。身を起こした俺はあまりのことに呆然とした。俺の横には見慣れたとも見覚えのないとも言える青年が寝息を立てており、スリープモードにし忘れて、すっかり充電の減った携帯の中にはシンプルな背景だけが存在している。戸締りはきちんとしているし、誰かが寝ている間に訪ねてくることなんてない。デフォルトのものと変更している髪型。手に入る情報量が増えるからと多少しつこいファッションになっているとわかりつつも、ごてごてとつけているピアスやタトゥーといった装飾品。身につけている服。彼は、まごうことなき「俺のセイ」だった。
 にわかには信じがたく、彼の頬に触れるとたしかに体温があった。うわっ、と素っ頓狂な声を出すと彼の長い睫毛が震え、程なくして双眸が開いた。
「おはよう、ナル。今日は目覚まし無しで起きられたんだな」
 なんて、今まで一度も聞いたことがないセリフを口にした青年はにっこりと笑った。
「……、せ、セイ……だよな」
「うん? 俺はナルのセイだよ」
 どうしたんだ、と尋ねてくるが、それはこちらが聞きたい。鸚鵡返しに尋ねると、彼は自分の姿を確認した後、俺と同じように素っ頓狂な声を上げた。
 その後、慌てるセイと、俺こそ慌てたいと思いながらもなんとか落ち着かせた俺はとりあえず出勤時間が迫っていることを理由に朝食もそこそこに家を出た。
 まさか幻覚だったらどうしよう。と考えながら。

 結果的に言って、夢でも幻覚でもなかった。
 家に帰ると、セイはかなり俺の部屋に順応していた。なぜか晩飯はきっちり用意してあったし、この辺りの地図も把握していたし(近所のスーパーの特売情報がセイの口から出てきた)、机に置いたままだった郵便物から「ナルの名前、ほんとは鳴海っていうんだ」と拗ねてるのかなんなのかよくわからない表情で言われた。
 なんだ。なんなんだ。
 リアリティやなんかは端に避けてしまえるほど、彼は俺のセイであるという感覚があったために、今の彼なら認識できるであろう物事を口にする。
「……そうだよ、アプリに入れる名前はだいたいがあだ名かハンドルネームだ。……それに、俺はセイが思ってたように女でもないよ」
 もしかすると、キツい言い方になっていたかもしれない。きょとん、としたセイは気まずそうに目をそらして、少しまごつく。
「あー……えっと、うん。それはその、開発者が、ユーザーのことは女性としか想定してなかったから……。あっ、でも! ナルのこと、俺は今でも大好きだから! ナルの生活をサポートしたいって変わらず思ってるし、レシピは頭に入れてあるから、実体を手に入れて料理とか出来るようになったし、今までよりずっと助けられると思うんだ!」
 大好きだよ、そういう行為の伝え方が、画面越しに見ていた彼と変わらずにまっすぐで言葉に詰まる。
 あっという間に毒気を抜かれ、責める口調になってしまったことを謝ると、彼は笑って首を振った。
「俺がいつまでこうなのかはわからないけどさ、もしかしたら、神様ってやつが叶えてくれたのかもな。俺が、俺からもナルに触れたいってずっと思ってたから」
 あまりそういうものを信じるタチではなさそうなのに。開発側が用意した選択肢。それを選んだこちらのロールに合わせてちょくちょくロマンチックなことをいう性格ではあったけれど、これも画面から飛び出してきた影響だろうか。
 セイは俺の手を、まるで壊れ物でも扱うかのように優しく握って、そうしてほう、と安堵するかのように息を漏らした。
「……ねえ、ナル。抱きしめてもいいか?」
 俺による俺のための俺のセイだ。当然俺好みにカスタマイズされたセイは、とても顔がいい。いいよ、それ以外の言葉を返すすべを俺は知らない。
 セイが目を細めて腕を広げる。「い、いくよ」と緊張していることがまるわかりの声色で、また手つきもひどくこわごわとしている。もどかしくなった俺は、セイが俺を抱きしめる前に彼の背を抱いた。彼の肩が跳ねたが落ち着けるようにトントンと背中をたたいてやれば、次第に緊張は解けていく。
 しばらくして、彼の腕も俺の背に回った。暖かい、そう聞こえてきたのはきっと独り言だったのだろう。いい頃合いだと身体を離そうとすると、ひと際強く抱きしめられた。
「うわっ」
「あ~~っ、ナル! 俺、やっぱりナルのことが大好きだよ。好き、大好き。言い足りないぐらい……溢れてくるんだ」
 至極嬉しそうにほほ笑む彼。
「お前……」
「うん?」
 本当に俺のことが好きなんだな……。というのは口には出さずに、まぁこれはこれでいいか……とひとりで納得していた。なにせセイの作る飯は美味かった。
 原因がなんであれ、しばらく置いておく分には何も問題はないのだ。奇妙な同居生活を続けるのも、悪くはないだろう。


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