蜜柑とアイスの共存

にーさん、事件です

 鳥のさえずりで目がさめる。その圧倒的な包容力で身を包み込む布団は肌触りがとてもよく、このまま瞼を開けずに二度寝を決め込みたい欲にかられる。
 何故なら――何故なら、そう。昨晩は職場の飲み会があり飲み屋で腹を膨らませ、頭をアルコールで酔わせてから帰宅したのだった。元々そんなにアセトアルデヒドの代謝能力が高くないおれは上司からアルハラか? と疑うような酒の注ぎ方をされ、また自分でもペースをセーブできないまま飲んでしまったためかなり早い段階で潰れたのだ。おれは一軒目ですでにへろへろだったが、その後も他のメンバーはきっと何軒か店を渡り歩いたのだろう。
 それから、食うだけ食って飲み会を早々に切り上げたかったらしい先輩が介抱という名目の元おれを自宅まで送ってくれたのだ。そうそう、思い出してきた。
 だから酔いがまだ残っているような気がするおれはまだ寝ていたい。いや、たとえ酔いが残っていないとしても寝ていたい。二度寝、それは人生を豊かにする行為である。
 
 ……なーんて言ってみても平日に溜めに溜めた洗濯ものがあるので起きなければならないのだ。悲しい。そういえばスーツのまま寝た気がするからしわくちゃなのでは? とぼんやり思い出して、なおのこと二度寝をしたい欲が高まった。怠惰である。
 しかし信頼できる己の体内時計が目覚めさせた以上起きなければ最悪昼を通り越して夕方ないしは夜になってしまう。いい感じにぬくい布団から顔をだして、さぁ起き上がろうと腕に力を入れて、初めて気が付いた。
 なんか身体にのしかかっている。ずっしりとした重みが腹から背中にかけてたしかに存在していた。寝相が悪くてぶつかった拍子に何かを倒したのだろうか。
 それが何なのかを確認するためにも、気合を入れなおして起き上がる。
「……ん、ンン……?」
 横を見ると、男前がいた。紫色の髪に彫りの深い鼻筋、キリリとりりしい眉毛に頼りがいのある筋肉。間違いなく世の奥様方が放っておかないだろうとんでもない美丈夫がいた。
 えっ何で? である。まさかそんなことになるとは考えられないが、百歩譲っておれと同じように酔いつぶれた先輩が寝ていたとしても今となりにいる彼と先輩とでは姿かたちがまるで違い、一夜にしてこんなミラクルチェンジが起こるとしたら全世界でニュースになるレベルだ。結果にコミットするどころじゃな。骨格から違いすぎる。明晰夢だというには具合が違うし試しに頬をつねってみるも普通に痛い。
 こんな立派なお兄さん見たことも聞いたことも……首をひねったあたりでぼややんと頭に浮かんだ顔があった。まさに紫頭で、こんな感じの立派な眉をした、日本人には見えない顔……の、少年! あれれ、いつ見たことがあるんだっけ、そう記憶をひっぱりだすと出てくるわ出てくるわ、そういえば中学生の時、二週間ぐらいこの男のホームステイ先になっていた気がする。ホームステイ先といってもただの留学生ではなくある日起きたら隣にいたのだ。まさに今この時と同じような状況。
 直接会ったことがあるのはその十数日の間のみだが。そしてそれに加えて夢の中では幾度となくあったことがある。夢。起きてからしばらく経てば普通に忘れる感じの。よくわからない真っ白い空間で、「あ、これ夢だな」という明晰夢の中明確な目的をもつでもなく、なんとなく同じ空間にいたおれたちはなんとなくお互いに珍しい格好をしているなぁと思いなんとなく話しかけた。おれは勉強や家族友人の話をして、彼は冒険や仲間の話をしていた。
 朝起きたら隣に侵入者がいたとかいう驚くべき出来事をなぜスポーンと頭から忘れさせていたのだろうか、たしかに自分はのんきな性格をしているなと言われることは多いけれども。夢か、夢のせいなのだろうか。それにしても……うーん、首をついに九十度ほど傾げても隣ですやすや寝息を立てている彼のことを思い出し続けるばかりだ。そうそう電車にのってはしゃいでたりもした。動物園にもいった。ゲームもした。……めちゃくちゃ青春をエンジョイしているではないか! 
「……シンドバッドにいさーん」
 ぐうぐう寝ている彼に向って、懐かしのあだ名で呼んでみる。おれが中学生だったとき彼は高校生か大学生ぐらいだった気がする。一人っ子だったおれにとって突然できた年上の異邦人は世間知らずで世話のかかる、しかしその半面自信満々な態度で頼りになる兄さんのような存在であった。とは言ってもこの呼び名には店子がその辺を歩いていた人物に呼びかけるぐらいの軽い意味合いであるのがほとんどなのだが。
 おれの呼びかけに眉を寄せたにーさんが、ん、と吐息を漏らす。ついでに肩をゆすって覚醒を促すとゆっくり目が開けられた。
「あ、起きた? おはよー」
「おはよう……。おまえは……ん……? ……葉夜太!?」
「ぐえっ」
 押しつぶされた。ぐわっと目を見開いたにーさんは記憶のとおり寝るときは裸族であるらしく、素晴らしいムキムキな筋肉が輝いていた。布団で隠されているが、あんまり視線は下に向けたくない。
「に、にーさ……ぐるしぃ」
「す、すまん葉夜太。いや、それにしても久しぶ──」
 にーさんがどこうとしたところでガチャリと扉が開いた。そこで初めてここが初めて見る景色、というか部屋であることに気が付く。とんでもなく異国情緒のあふれる部屋だ。入ってきたのは緑色の帽子をかぶった男の人で、なにやらにーさんに対しお小言を言いながらの入室だった。そしておれの顔を見た途端部屋に踏み入れようとしていた足をピタリと止める。
 ご理解いただけるだろうか。シンドバッドにーさんは今現在おれの上にのしかかっており、ついでにいうと全裸である。そしてinベッド。ひとが二人いれば掛け算せずにはいられない趣味を持った人間以外にもわりと勘違いされやすそうな状況はそろっているのだ。
 案の定帽子をかぶったお兄さんは口元に袂を寄せて「ついに女性だけでは飽き足らず男性にまで手を出すようになったんですか……」とつぶやいた。ついにってなんだ? にーさんそんなに女の人侍らせているのか? まぁたしかにめちゃくちゃイケメンだけど……。とりあえず誤解であることは間違いないので違います、と否定しておく。おれの衣服は寝ていたことによりしわくちゃながらもきっちりとスーツを着たままだ。にーさんが起き上がるのと同時におれはベッドから降りて何もありませんアピールをする。ていうかスーツだと暑いな!? クールビズだ! おれはさっそくジャケットを脱いでネクタイを外した。昨日おれを家まで送り届けてくれた先輩は介抱といいつつそのへんは何もしてくれなかったのか……確かに酒に呑まれたのは自己責任の部分も大きいけれど……やや冷たい気がする。しょんもり一人で凹んでいるといつのまにか服をきたらしいにーさんに肩を叩かれる。
「ジャーファル、俺の古い友人の葉夜太だ! 今日からしばらくうちにいさせることになるだろう、よろしく頼む」
 不安やらなにやらがいろいろ吹っ飛ぶキラッキラな笑顔でそう宣言した。そう、こういうところがにーさんの只者じゃないオーラの元な気がするのだ。
 とはいえ納得できない帽子のお兄さん、もといジャーファルさんはハァ!? と大声を出した。
 わかる。おれもにーさんの即断力にはとても驚いているのだから。
 
 かくかくしかじか。にーさんがおれたちの事情を説明すればジャーファルさんは時折「ああ」という表情で納得したようにこちらを見ていた。きっとにーさんからちょくちょく話は聞いていたのだろう。順を追って説明していくうちに本当に勘弁してくれという雰囲気は次第になりを潜め、終わるころには普通に歓迎ムードになっていた。曰く、「主の窮地を助けていただいたと聞き及んでおります」と。深々としたお辞儀付きで。いえいえそんな、と首と手を振ったあたりでん? と思った。主って言った? 
 にーさんに尋ねると彼は頷き、まぶしい笑顔で窓辺におれを連れて行く。見下ろすのは賑やかな街並み。
「俺はこの島、シンドリアの王なんだ」
 なにそれめちゃくちゃカッコイイ。ヒューッとはやし立てるとにーさんはうれしそうに照れていた。
 そんなこんなでとんとん拍子に話は進み、ここにいてもいいという許可は王様であるシンドバッドにーさんから直々にもらった。しかしそうはいうものの、問題はどうやって元居たおれの部屋に戻るのか、という点で。
 にーさんが帰ったときって何か前兆みたいなものってあった? そう尋ねると彼は首を横に振る。
「俺が葉夜太の元で生活していたのは十日と数日くらいだったか……その間も、帰った日も特別なアクションは起こしていないはずだ」
 というか、起こせなかった、が正しいな。その言葉におれもうなずく。何せ朝起きたら、という状況なのだ。夢の中で何度か顔合わせは済ませていたので警察通報ルートはなくなったのだが、逆に特殊なシチュエーションというものがなく再現をさせようがなかった。しいて言えば寝て起きるぐらいか。
「私たちも、当時は大慌てでしたからね。ふらっと出ていくことはあっても二週間となると……」
 そうだよなぁ。うーんとみんなして首をひねる。そしてはっと気が付く。戻れる目安が二週間だとすると。
「二週間も無断欠勤って……普通に会社クビになるじゃん……?」
 オーマイガー。神は死んだのか? まだ働き始めて数年、貯金がままならない状況で無職はつらい。いずれは転職しようと思っている職場ではあるけれども! いきなりそのままほっぽりだされるのはとっても厳しい。日本社会はそんなに甘くないのだ。
 しかし「その時は俺の元で働けばいいさ」とカラカラ笑ってにーさんがいうので、おれは「元いたとこに戻ったら意味ないじゃんー」と突っ込む。もー、とぶうぶう言いつつもまあそうなったらその時になんとかするかぁ、とぼんやり思うのだった。とりあえず悩むのは疲れるので後回しにしておこうという魂胆である。
 その後はにーさん自慢の国を案内してもらったり、夜になると久々に会ったお祝いだと酒を抱えてきてくれたのでありがたく乾杯して。それがめちゃくちゃうれしいもんだから自分が酒に弱いということはスッポーンと忘れてにーさんに酒を注ぎまくり、また注がれるまま酒を飲みまくり。
 べろんべろんに酔っ払いぐーすか寝たのだった。
 
 そして朝。ちゅんちゅん雀のさえずりで目を覚ます。ぴっぴろ鳴る目覚まし時計を叩き見ると朝の七時。そろそろ起きて仕事の支度を始める時間だ。ぐええと寝ぼけまくった目で起き上がり時報代わりのテレビをつけるといつもはみない番組が始まっていた。アレ? と思い日付を確認すると日曜日。平日でもないのに鳴った時計はどのタイミングでつけっぱなしにしていたのか。
 と、しわしわになったシャツを見下ろしてから思い出す。そうだ、にーさんの国に行ってたんだ。
 それで、金曜の夜先輩に連れられ家に帰り、一日シンドリア観光をしていた昨日は土曜日で、起きた今日は日曜日。なるほど辻褄はあう。つまり目覚まし時計は昨日一日ずっと鳴り響いていたことになるのか? お隣さんに聞こえてなければいいが。それにしても、日帰り国外旅行とは我ながら充実した休日をすごしたなぁと洗濯機に洗濯物を放り込みながらうんうん頷いた。とても楽しかった。
 そしてシャツを脱いだところで思い出した。
「──ジャケットとネクタイ、にーさんとこに置いてきちゃった……」
 一着しか持っていない、なんてことはないが、新しく買うべきか。次にいつ会えるかもわからないのだ、下手するとまた会うのが数年後になっても何らおかしくはない。
 洗濯物第一陣を干し、第二陣をゴウンゴウンかけている間に服を買いにでかけて、その帰りに寄った商店街で、そういえば昨日食べさせてもらったパパゴラス焼きがとてもうまかったなぁ、と思い出したので焼き鳥を買った。老舗のお店で、自慢の味だと所々抜けた歯をにっかり見せて笑っていた店主のおばちゃんが言うだけあり、負けず劣らずうまかった。にーさんのおかげで近所のおいしいものをまた一つ発見してしまったな……と方角はわからなかったがとりあえず拝んでおいた。数年越しでもなんでも、またにーさんが遊びに来たときはこの焼き鳥を奢ってあげよう。
 
 にーさんとおれの世界が混線するきっかけが、両者が酒に酔っている状況下にある、と判明するのは数か月後おれが再びシンドリアに旅立った時である。
 
 
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