蜜柑とアイスの共存

政略結婚の話

 シンドリア王宮にて。王であるシンドバッド宛にとある手紙が届いた。ただの手紙ではない、ハイヴァーン王国の印がついた、由緒正しきそれはそれはきちんとした正式な手紙である。差出人はハイヴァーン王家の第三王女である、ラナー・アルフ・ハイヴァーンからのものだ。彼女は、まだシンドバッドが国を興す前、それこそ西に東にと冒険していた頃にその正体を隠して一行と旅を共にしていた仲間であった。過去形。
 なぜ過去形なのかというとそれはもちろん彼女が一国の姫であり、その素性を隠してそれまで迷宮探索に商売にと行動を共にすることが難しくなったからである。難しくなったというか、そもそもの前提がおかしかったというのが多大にある。
「……ジャーファル、中身を見てみろ」
 封を開け、全て読んだのか怪しいほどの短い時間でシンドバッドは手紙を机の上に置きうな垂れるようにして政務官に指示を出す。
 シンドバッドとラナーは旧知の仲だろうに、何か良からぬ知らせでもあったのだろうか? ジャーファルか訝しんで中身を目を通すと、彼もまたシンドバッドと同じように手紙を落とすように机に起き、よろよろとおぼつかない足取りで机にすがった。
「……王よ、こ、これは……」
「――…ああ、恋文だ」
 恋文。
 甘酸っぱい響きが溢れる言葉だが、あいにく二人に響くのは悲鳴か悪寒、もしくは冷や汗である。恋文。シンドバッドとラナーは、そんなものが交わされるような仲であったか? 答えは否。断じて否だ。今も昔もどの知人に聞いても首を横に振るだろう。なぜなら二人はあくまでも友人であって、間違っても男女の仲に進展するような間柄ではなかった。
 そもそも、ラナーは姫であるが、女性ではない。肉体的には女性でも、精神的にはれっきとした男性なのである。つまりラナーを刺す時は彼女ではなく彼の方が正しい。
 もともとラナーは男性として、また「アキラ」という偽名を名乗りシンドバッドらと行動を共にしていた。彼が姫という立場を捨て名も捨てた理由は男性であることを周りに理解が得られなかったからだ。女性として生きることを拒んだ彼が男性として生きるのは自然のことであり、また男性として出会ったのだから、それまで女性として見られていたことは知る由もない。シンドバッドらがそのことを知るのは随分後になってからだった。何しろ彼らはただのアキラとして接していたのだから。
 ついでになぜアキラとして、つまり肉体的には女性であるということがばれなかったのかは彼が体格に恵まれていたから、というのが大きい。最悪一人でも戦えるように鍛えていたのもあるし、もともと動けばそれだけ筋肉がつくアスリート体系であったのだ。男の服装をして乱暴な言葉遣いをしていれば女性として見られることはまずない。
 なので彼は自国の追っ手がくるまで、アキラとして過ごすことができたのだ(その際王族の責務云々によりセレンディーネと一悶着あったのだが、ここは割愛する)。
 
 それで、だ。悪友のような仲であったはずのアキラもといラナーがシンドバッドに当てる手紙の内容が恋文であるというのはなかなかどうして予想がし難い。いや悪友という気安さがあるからこそたちの悪い冗談として恋文を送ってきたのかもしれない、そう考えることもできなくはないが、何しろ王家の印がついた正式なものである。
 もしかすると何か暗号が隠されているのかもしれない、そう疑ったシンドバッドは手紙を裏返して見たり封筒の中身を改めて見たり、はたまた縦読みではないかといろいろ試して見たがよくわからず。ジャーファルは記憶の中の彼と手紙の恋文が一致せず谷より深く刻んだ眉間のシワに悩まされていた。
 そんな中、ずっと黙っていたマスルールが一言ぼそりと呟いた。
「手紙から柑橘類の、匂いがします」
 そうして思い出すのはかつての思い出、そういえば昔にも手紙に関してこういう会話をしたことがあるような……。
「あっ、炙り出し!!!」
 暗号が隠されていた。さてその内容とは。わざわざヤムライハを呼んで万全の体制で挑む。なぜなら相手はあのアキラである。炙った瞬間に何か良からぬ仕掛けが発動するのかもしれない。なぜならこんな恋文を送ってくるような人間だから。それ以外にも枚挙に暇がない。彼は様々なことをやらかしてきたのである。
 軽く爆発が起きても大丈夫なくらいの防御壁を訝しむヤムライハにはってもらい、いざ炙り出しの時。じりじりと文字が浮かび上がる。
 『つべこべ言わずさっさと来い』
 あっ、俺たちの知ってるアキラだ。ジャーファルの眉間のしわが消えた。
 ラナーとあまり面識のないヤムライハだけは頭にハテナを浮かべていたがひとまず危機は去った。が、依然として謎は謎のままである。恋文の内容自体は平たくいえば幼い頃結婚の約束をしていましたね、というシンドバッドとしては覚えがないどころではない話なのだが、炙り出された文章はつまりハイヴァーン国に来いと言われているのだろうか。ラナーの文字は美しいが、柑橘類の汁で書かれた方の字には焦りが滲んでいるようで乱れが生じていたのだ。相当切羽詰まっていることは予想されるのだが、その事情はこの手紙からはさっぱり読み取れない。
「恋文を送ってきたくらいなのですから、彼も案外結婚相手がいなくて困っているのかもしれませんよ」
「ははは、まさかそんな」
 ラナーはシンドバッドと同じ歳の頃である。女性としては行き遅れと言われるに十分な歳であるが、ラナーはそんなことは気にはしないだろう。そもそも彼自身に進んで結婚したがるようなタイプにも思えなかった。なぜなら彼は女性が好きだと言っていたのだから。
 
 ひとまず旧知の友人に会いに行く、ぐらいのノリでラナーの様子でものぞいてみるかとハイヴァーン王国へ向かったシンドバッドに待ち受けていたのが、まさか冗談で言っていた通りのことだとは思うまい。
 数週間の船旅を経てたどり着いた先、迎え入れられた扉の先で待っていたのは落ち着いた装飾のドレスを身に纏ったラナーであった。
 シンドバッドが片手を上げて挨拶をしようとすると、それよりも先にラナーが胸に飛び込んできた。
「シンドバッド様……ずっとお待ちしておりました……」
 その上こんなことを瞳を潤ませていうもんだからシンドバッドの笑顔は固まる。ついでに後ろに控えていたジャーファルとマスルールも固まる。あまりにも記憶の中の人物と齟齬が発生しまくっている。
 正直、鳥肌がたった。
 どんな女性に対しても礼を欠かないことを己の道とするシンドバッドだが、ラナーはあくまでも男の友人として接しているため完全に女性としてみてはいない。その友人にこの態度で来られたら引きもしよう。
 シンドバッドらが固まっている間に周りの空気はおやおやまあまあ、あとはお若い者に任せて……というようなよくわからない雰囲気になり、控えていたお付きのものも含め皆いなくなる。ラナーとシンドバッド、そしてシンドバッドが連れてきたジャーファルとマスルールを残してこの空間に他のものはいない。警護のための兵も扉の向こうで控えているのみだ。
 パタン、扉が閉まった音を皮切りにラナーはシンドバッドの胸ぐらを掴みかかり、顔立ちによく映える化粧が崩れるのも気にせず凄む。
「というわけだから結婚しやがりませんかシンドバッドォ……」
 この世で一番ひどいプロポーズを聞いた。
 ジャーファルはラナーを落ち着かせようと間に入るが、知っているラナーで安心した反面、いきなり結婚を申し込むとはどんな立て込んだ問題があるのか反面、気が気でなかった。その間にシンドバッドは着崩れた衣服を整え、改めてラナーに問う。何があったのか、と。
 促され、あまりに焦っていたことに謝罪をしたラナーは渋面で苦々しくこれまでの経緯を話し出した。
 途中、給仕の者が持ってきた茶が温くなった頃にシンドバッドはつまり、とこれまでの話の要点を挙げる。
「お前は他国の王族から求婚されているが、その国と手を組んだらハイヴァーン王国に何をされるかわかったもんじゃない、と」
「ああ」
「でもこの国の軍事力は高いじゃないか、あの国はさして問題ではないのでは」
「……それがどうも最近、金属器を手に入れたらしくてな。一騎当千のあの力では我が国の兵をもってしてもどれだけ持つか……それに、ここの土地は戦争を仕掛けるには都合がいいんだ、あの国とつながりを持つと間違いなく自国に被害が出る」
 シンドバッドはふむ、と考え込む様子を見せた。なにやらきな臭い噂が絶えない例の国はやはり妙な動きを見せているらしい。それにしても金属器とは。その情報は知らなかったなと言うとトップシークレットだとまたもや渋面で言われた。
「断ればそれを口実に侵略して来られかねないし、受けても変わらない。ならシンドリアとつながりを作って無理矢理にでも抑えてこむ方がいい」
 シンドリアにとっても有益なことである、と口々に売り込んで行くラナーは炙り出しの文字にあった通り焦っているようだ。シンドバッドはひとつ気になっていたことを口に出す。
「アキラ、お前、単純に男と結婚するのが嫌なんだろう」
 ぴしりと固まるラナー、もといアキラ。そわそわと落ち着かない様子で二人を見守るジャーファルと、ほぼ置物状態のマスルール。
 すっかり冷めきった茶をぐっと飲み干して、音を鳴らしてソーサーに戻す。荒みきっている。
「あっっ……たり前だろ!!? 誰があんなクソ色ボケジジイと結婚するかってんだ!!?」
 ダンッ、鈍い音を立てる。その肩は激しく上下しており、相当鬱憤が溜まっているらしい。いかに例の国の者が不躾な視線を送ってきたのが不満だったのかをつらつらと述べ上げる。思い出させたのはシンドバッドだが、流石に不憫になってきた。逐一相槌を打っていたがそろそろもういい、と言いかけたところでアキラにとって一番重要な言葉が飛び出した。
「第一、オレはっ……女性が好きなんだっ……!!!」
 妙齢の女性が絞り出すような声色で叫んでいた。うんうんと頷くシンドバッド。とても、わかる。たまたま女性の身体に生まれたというだけで彼はれっきとした男性である。女性と遊ぶこともままならなかったのだろう、同じ男としてアキラの心中を察し、シンドバッドはアキラの手を取った。
「お前の気持ちはよくわかった。アキラ……結婚しよう」
「ほっ……本当か!? 恩に着る! ありがとうシンドバッド……お前は……間違いなくオレの友人だ……」
 結婚しないと公言していたシンドバッドが結婚の申し込みに頷いた。今回はかなり特殊なケースであるためいつもの調子で王を諌めようとしたジャーファルは一拍考えて着席し、マスルールがそれを眺めていた。へなへなと座り込んだアキラが深い深い安堵の息を吐く。
 ここに、恋愛感情は一切ない、友情と自国の利益によりのみ成り立つ結婚が成立した。
 
 
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