蜜柑とアイスの共存

アン・ラッキーマンは眠れない

 オレ、 出水有平は人よりも不運らしかった。
 外を出歩けば鳩にフンを落とされ、噛み付く勢いで吠えてくる犬にしょっちゅう出くわし、こけた先にはガラス片が手をつく場所に落ちている。
 オレの双子の兄貴である公平は、一緒にいる時間が長い分その被害を間接的に受けることが多かったためにオレの不運に関して枚挙に暇がない。申し訳ないなあと思う反面、公平にはすごく感謝をしている。これでも。
 そして、なんやかんやでオレは一週間ほど前に死んでしまった。
 もちろん悲しかった。いままでのことが走馬灯のようにぐるぐると回っていく。こんなことで死ぬのか、とも思った。すぐ横にいた公平が怪我してないといいな、とも。
 ただ、何故かいまオレは半透明にすけながら、公平の隣でふよふよ浮いている。
 自分の通夜も葬式も、やたらと悲しいだけだった。来る人来る人みんな泣いているし笑ってる人なんて一人もいないし、ううん、来てくれることは嬉しいんだけど。粛々と執り行われる葬式。喪主の父さんと親族席の顔を見て、オレはなんて親不幸ものなんだと思った。
 ので、夢枕に立ってみることにしたんだけど、これが中々立てない。というか、二人が寝てくれない。そのせいで日に日にやつれていっているような気がする。寝て。超寝て。
 以前見た映画では心霊写真を撮るために50ポイント必要らしいが、もしかして寝させるためにもポイント消費とかあるのだろうか。んなばかな。そもそもポイントってどうやってためるのだろう。ログインボーナス? 徳を積むとか? やばい、全然わからない。
 入眠によさそうな入浴剤とかハーブティーとか公平に買ってもらおう。小さく決意した。
「そういえば弾バカ、お前今日の数学カンニングしただろ」
「はあー?」
 授業も終わった放課後。オレと公平は米屋、三輪と共にボーダー本部へ向かっている。その道中、米屋がニヤニヤと公平をからかい始めた。
 
「三輪、コイツ一番難しい問題解いたんだぜ。先生も褒めてたけど誰のノート見たんだよ」
「誰のノートも見てねえって、ひがんでんじゃねーよ槍バカ」
 確かに誰のノートも見てない。オレがその場で教えてただけ。
 三輪は話を聞いているのかいないのかマフラーに顔を埋めて、ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人をよそにスタスタ歩みを止めないでいる。
 ランク戦がどうのとか、つまり二人でバトルをする、というところに話がついたところで三輪が手のひらよりも少し大きいサイズのもの---公平が持っているのを見たことがある。トリガーだ---をほのかに光るパネルにかざした。すると、扉が開く。
 なるほど、定期とか社員証みたいになってるのか。
「すげー、ハイテク」
 扉の開き方がSFチックで感動していると小さく吹き出す音が聞こえた。公平だ。
 いきなり吹き出したためまた米屋に絡まれたのを何でもねえよと返しながらぞろぞろ入って、オレもそれに続いた。なんだか悪いことをしている気分だったが、それよりもワクワクが勝っていた。
 それからは公平は三輪と別れ、米屋ともランク戦を終えてから別れ、公平の所属する太刀川隊の作戦室へ。
 物珍しさにキョロキョロとあたりを見渡しっぱなしだったオレは気付かず誰かに衝突しそうになって、その直前でつんのめった。
 衝突と言っても実際はすり抜けるだけなのだが、気分的に微妙なので普通に人は避けて通る。
「よお出水。もう出てきていいのか?」
「太刀川さん。ちわっす、もう大丈夫ですよ」
 なるほど、このヒゲのお兄さんが太刀川さんか。
 太刀川さんの後ろにはオレたちと同い年くらいの男女がいた、同じ隊の人だろうか。
 約一週間ぶりの再会。楽しそうに談笑する公平に良かったなあと思ってから、初めて来たボーダーにそわそわが止まらないオレは公平にちょっと行ってくるなー、と言いその場から離れた。そうだ、冒険へ行こう。
 ボーダーは、縦にも横にも広い。部屋な連なっていた廊下を抜けると休憩所があったり仮眠室があったり、喫煙所もいくつか見つけた。分煙だ。進んでる。
 フラフラ歩いているうちに、先ほど公平と米屋が戦っていたフロアに出た。ランク戦、と言っていたな。簡単に言うと、試合に勝てば相手と自分のレベルを比較して、それに応じたポイントが相手からもらえるらしい。
 モニターには中学生くらいの子から大学生らしき年上まで色んな人が戦っている様子が写しだされていた。
 ロビーにいる面々をぐるりと見渡すと、ちらほら知った顔があることにも気がついた。
 学校がボーダーと提携していることもあり、オレのクラスにもボーダーに所属している人はいた。他のクラスや学年も合わせれば結構な人数になるのだろう。
 部屋を突っ切り別の場所へ移動しようとすると、ある会話がオレの耳をついた。
「──え、そうなの? あの出水先輩が?」
「そうそう、キューブにされる前にベイルアウトできたらしいけど、結構危なかったんだって」
「でも風間さんや木虎もピンチだったって」
「一番ヤバかったのっていえば、あの玉狛の……なんだっけ、三雲? 記者会見にも出てたやつ」
 公平の話は一瞬だった上に出てきたワードの意味もよくわからなかったが、話の流れを汲むとどうやらあいつは知らない内に危険な目にあっていたらしい。
 そんな話全く聞いていない。
 ボーダーには守秘義務というものがあるらしく、公平はそんな組織のトップの隊に所属している。食卓でボーダーではどうなのか、と父さんが聞くと今日も完璧だった、とか、余裕だった、とか流石A級一位という答えしか返ってこない。
 誰それに負けて悔しいから次こそはだとか、そういう話は聞いてもあいつの弱音らしい弱音は聞いたことがないのかもしれない。
 オレが知らない公平の顔。でも、米屋や三輪は知ってる公平の顔。
 別の人物だから知らないところもあって当然なのだが、オレにとって公平は、何よりも近い存在だった。
 公平は、どう思っていたのだろう。
 もしかすると、ボーダーに入ったのも不運だなんだといわれる俺から離れたかったからなのかもしれない。
 ……そればっかりは、「そりゃあ、そうだよな」としか言えない。頷けすぎて首がもげる。そのくらい面倒をかけていた自信は、ある。
 今更ながらにゴメン、と心の中で公平と、それから今まで俺を助けてきてくれた数々の友人たちに感謝の祈りを捧げた。アーメン。ちょっと違うか。

 ……だとすると。あのときの声は。
 
 *
 
 拝啓兄上様。あれから数時間経ちましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 貴方の弟は今、絶賛道に迷い中です。
 人に道を聞こうにもオレを見える人がいないのでは文字通り話にならない。適当に道行く人に声をかけてみても、わかってはいたがものの見事に完スルー。
 階段を上ったり下りたり、研究室のような所に行きついたり物々しい雰囲気でデスクにすわる強面なおじさんがいる広い部屋にたどりついたり、かと思えば射撃訓練をしているらしいフロアに迷い込んだり。
 見学と思えば順調もいいところだが、そろそろ兄と会話をしたい。沈黙は人を殺すのだ、あいにくもう死んでるけど。
 そんなブラックジョークをふかせつつ、むしろこの建物の構造が人を迷わせようとしているとしか思えないんだよなあ、と独り言をぼやきつつ、顔を上げると見知らぬ二人がモニターの中で戦っている。どうやらランク戦ができるフロアのロビーに戻ってきたらしい。
 とっぷり日も暮れたこの時間はほとんどの中高生は既に帰路についたらしく、今この場にいるのは大学生以上の年齢とみられる人たちがほとんどで、さらに当然行きがけに見たときよりも人数も減っており、先ほどのような賑やかなざわつきは感じられない。
 ここにいれば見つけてくれないかなあ、とポケットを探り、スマホを持っていないことに気が付いた。何度目かのことだ。
 モニターを注視すると、切ったはったの勝負をしている大学生くらいの男性が二人いた。場所は昼間の住宅街のように見えるが、こういうのも細かく設定できるのだろうか。と、一人の男性が持っていた刀に似た武器でもう一人の男性の首を切り落とした。数秒たち、首を切り落とされた方の男性の身体が消滅する。先ほども公平と米屋の勝負で同じような光景をみたが、リアリティが高すぎて逆に現実味がない。まるで映画のワンシーンのようだ。
 ベンチに座ってふんふんと鼻歌を刻みまた別のモニターを見ていると、あっ、と声が聞こえた。さしてざわめいてもいない空間に放り込まれた音は注目を集め、ロビーにいた視線がそちらに向けられる。
「あ、公平、お帰りー」
 立ち上がりひらひらと手を振る。公平は口を開きかけて周りの視線に気が付いたのか、黒に赤いラインの入ったかっこよさげなコートのポケットからスマホを取り出し耳に当て、「お前、どこいってたんだよ」とオレを責めるようにすごんだ。
 すると周りはなんだ通話中か……。と納得したのか視線が散っていく。公平、頭いいなあ。
「どこって、ここいろいろと見て回ってたら迷っちゃって」
「はあ? ……」
 公平に追いつくと、彼も踵を返して今まで歩いてきたらしい道を戻っていく。そんなににらむなよと宥めるように言うと公平は苦々しげに顔をしかめた。
「ゴメンな」
「……何がだよ」
「えーっと……探させちゃって?」
「……」
 相手がイライラしているときは謝るに限る。
 オレの返答にしばらくだまって、視線を下ろしていた公平はしばらくして何かをこらえるように目をつむって。
「……全然戻ってこないから、消えたのかと思った」
 あ、と思った。
 イライラというより、不安だったんだろう。
 それからは二人とも黙って廊下を進む。誰に会うかわからないためか、会話も交わされていないのに公平は耳元に電話をあてたままだ。
「心配させてゴメンな」
 少し言葉を変えて、謝る。公平は押し黙ったままだ。何を考えているのだろう、まだ目は合わせてくれない。
 と、着信音がなる。公平のスマホからだ。
 耳元でいきなり響いた音にびくつきながら公平は画面を見た。母さんだ。
 それを数秒みつめてから、通話ボタンを押す。
「もしもし。……うん、まだ本部。ああ、いや、今日は……ああ、……今から帰るから。飯いる」
 相槌が主だが、電話口から母さんの声は聞こえない。
 それからひとつ、ふたつ言葉を交わして、すぐに電話を切った。
「……帰るぞ」
「うん。……あ、茶葉かってこうぜ茶葉」
「茶葉あ? なんで」
「草! ハーブ系のやつのみたい!」
「ハーブ……お前、それ前にマズイつってただろ」
「えっ……いやほら、あの時とくらべたらオトナの味? とかわかるようになってるかもじゃん!」
「……いいけど」
 出口についた。外に出ると月が煌々と輝き、町を照らしている。風が吹いたかと思うと公平はさみい、と愚痴り、換装体とかずにいればよかった、と続けた。
 オレは特に寒いとかそういうのはないので、特に何を言うでもなく公平の横についててくてく歩く。
 
 あの時、事故があった時のことだ。衝撃がしたその瞬間、オレを引き留める声が聞こえた。
 何を言われたのかはぼんやりとしか覚えていない。たしか待ってくれ、とか、行くな、とか、そういうニュアンスだった気がする。
 そして、その声というのが公平の声。だったような。
 オレが幽霊のままでいるのはこの世に未練というものがあって、公平は双子だから見えるのかと思っていた。
 だが、オレをここに引き留めているのが公平だとしたら。
 公平が特別何かをしている様子はないし、ただ単にオレの勘違いという可能性も十分にある。
 だがもしこの仮定が本当だとすると。
 少し、考える。もしあの時、事故に遭ったのがオレじゃなく、公平だったら。あの時、オレじゃなく公平が死んでしまっていたとしたら。
 考えなくともわかった。嫌だ。悲しい。すごく、辛いことだ。
 オレが事故に遭う瞬間、公平はものが落ちてくるのを見ていたはずだ。そして、それがオレに当る瞬間も。
 ぶつかった、と思ったら痛いとかそういうのはなくて、すぐ血溜まりに横たわる自分の身体を見て、あれ、と疑問に思った。
 それから公平はどうしたっけ。と見やると、ばちり至近距離で視線が合わさった。
 手をつかまれたのは偶然だったか。
 オレはもう死んでる身で本当ならここに居てはいけない存在で、でも、もし公平がそれを受け入れられていないから、オレがここにいるのだとしたら。
 引き止めた公平はそんなつもりはなかったのかもしれないが、結果的によくわからないことになってしまっているため、何とかしなくてはならないのではないか。
 ……何とかが何かというと、なんとか、としか言えないんだけど。
 オレは幽霊で、幽霊といつまでも付き合いがあるっていうのは、あんまり公平にとって良くないことなのではないか。今まで幽霊になるどころか、幽霊の知り合いがいたわけでもないから、そこの所はよくわからないが。
 とはいえ、いきなり終わってしまったオレの人生だ。いつまで続くのかはわからないが、よくわからないながらもロスタイムをもらったのだ。
 オレの人生において最後で最悪の運を、公平が引き留めてくれたのだとしたら。そのほんの一瞬をつかんでくれたのだとしたら。
 それをオレは、幸運と呼ぼう。
 
 
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