蜜柑とアイスの共存

ナイチンゲールと棘のない薔薇

十二月

 枯れ葉もすっかり落ちきって、飾りっ気のない木が立ち並ぶ道を歩いていく。白い息が風に揺られてはすぐに消えていき、朝特有の、張り詰めた反面透き通っている空気が肌に刺さるのを感じながら、オレはマフラーに首をうずめた。
 ここのところ、嵐山隊の広報としての仕事が立て込んでいた。しかも年末に向けてまだ増えるらしく、気合いを入れてはいるもののラジオにテレビに雑誌撮影にと、通常任務に加えての業務はなかなかに多忙だった。その上タイミングの悪いことに、渥美先輩に会えそうな日に限って用事ができてしまったものだから結構しょんぼりしていた。それでもやっぱり頑張ったことはきちんと見てもらえていたようで、根付さんからここしばらく働きづめだったからと、嵐山隊の全員が一日お休みをもらえた。A級部隊のいくつかが遠征に出ている関係で通常の防衛任務がいつもより高い頻度で入るため、ほかの隊の人たちも忙しいのは変わらないんだけど。広報や新隊員向けの仕事もこなしているオレたちはどうしても色んな仕事を任されることも多いので、それを慮ってもらえたみたいだ。
 とはいっても今日は平日。普通に学校はあるのでいつも通り登校して、授業を受けて。ここ最近てんやわんやしていた影響で早くも顔をみるのが懐かしい気がしてくる太一と半崎、それから日佐人の席を眺める。そんなぼんやりしていた気分を見透かされたのか、先生はタイミングよく次の問題に答えるようオレを指した。
 今回はいつだかのように何度呼びかけられても気がつかないなんてことはないが、先生の話はそっくりききながしていたのだ。すぐに授業中の現実へと引き戻されて、わたわた教科書に視線を落とした。すると、見かねたとなりの席のクラスメイトがこっそり答えを耳打ちしてくれる。
「る……√3です」
「うーん、残念。ちょっと違いますね」
 先生が解説を始めて、となりのクラスメイトは気まずいのと笑顔の中間、といった表情をしていた。……聞いてなかったオレが悪いんだけど……答え、違うんじゃん!

 放課後、これからボーダーに向かうという日佐人と別れて、とっきーは他に用事があるらしく。オレも特にやることはないし、ぶらぶらして帰ろうかな、と思ってたが、なんとなくぐらいの気持ちで踵を返す。
 ガラガラと引き戸を開けて入ったのは図書室だ。まさか放課後のこのタイミングで都合よく先輩がいるとは思ってないけれど、なんとなく気が向いたから。突然与えられた休暇の使い道を、いつもとは少し違う使い方をしてみようと思っただけで。
 ……とかなんとかあれこれ言い訳をするもののばっちり期待はしているらしく、本ではなく人をせわしなく探してしまう。しかしながら案の定、そう都合よく目的の人物がいるわけもなく。面白そうな本はないかなと自分を誤魔化しつつも、結局はぐるりと室内を軽く一周しただけで、やっぱり今日ははやめに帰ろうと出入り口へ戻った。
「……あれ、珍しい……ね。佐鳥が、委員会以外で……ここに、いるの」
 出入り口でばったりと出くわしたのは、渥美先輩だった。あまりの唐突さに口から心臓が飛び出る思いになりつつも、かろうじてこんにちは、と挨拶をすると先輩も同じくこんにちは、と返してくれる。先輩の様子はいつもと特に変わりはないんだろうけど。思わぬタイミングでの出会いは、今日のオレにはひときわ後光が差しているように見える。
「オレは、ちょっと……。せっ、先輩は、本の返却ですかっ?」
「うん……。そんな感じ。……佐鳥は、今帰り?」
 オレの背後をちらりと見て先輩はきいた。荷物を背負ったオレは帰る準備は万端だ。頷くと、先輩はそこで待ってて、と言って図書室の中へ入っていき、すぐ戻ってきた。本当に返却だけの用事だったらしい。一人、だよね。小首を傾げて尋ねた先輩に頷く。
「……駅まで、帰らない?」
 まなじりを下げた先輩にそう尋ねられて、断れるオレなんていない。

 一人で帰るときよりもいくらかゆったりとした足取りで道を進む。オレは口の中で、さきほど先輩からもらったのど飴をころころと転がしている。ちょっとスッとするけど、そんなにキツくはない。冬は特に、乾燥には気をつけないとね、という世間話から、風邪が流行っている、という話になり、それからボーダー隊員の休みも増えている、という会話に徐々にシフトしていった。
「ここしらばく……今さんとか、他のクラスのボーダーの人たちも、忙しそうだけど……」
「あー……そうなんですよ。十二月って師走っていうぐらいですし、年末で忙しいんですよね。……それに、嵐山隊も冬休みに入ったら広報のお仕事ももっと増えるので、これからが頑張りどきなんです」
「……そう。寒いし、身体には……気を付けて、ね」
「はい、ありがとうございます」
 ちなみに当真さんと国近先輩は長期任務に当たっているので、学校に来るどころか家にも帰っていないはずだ。近界にもインフルエンザとかあるんだろうか。A級隊員として以前受けたことのある説明をぼんやり思い出してみる。
 この前の喫茶店を通り過ぎたところで、先輩が不意に足を止めた。そんなに遅い時間ではなくとも、すっかり日がくれるようになったこの季節。それでもこの辺りは店の明かりや街灯も多く、大通りのため人通りもそこそこある。細い路地を覗き込むようにした先輩にどうかしたんですか、と聞きながら同じように覗き込む。暗がりの奥まではさすがに街灯もおぼつかず、できる影は広い。
「……いま、何かいたような気がして……猫、かな」
「先輩、猫お好きなんですか?」
 そういえば先輩のよく使っている動物のスタンプには猫もいたんだったな。思い出しながら頬を緩ませていると、肯定の返事が返ってきたのでさらに口元は緩んだ。
「……うーん、……帰ろうか」
「ですね」
 ちょっと見ていても、にゃーと鳴くわけでもなく物音がするわけでもなく。
 諦めて駅までの道に戻ろうとしたところで、聞きなれた──その一方で、こんな市街地では聞きたくなかった音を耳が捉えた。

 ──バチバチッ

 振り返ると、暗い夜道で見えにくいが確かに存在を視認できる門が開いていた。どうしてこんなところに門が、そう思うと同時に、身体は勝手に先輩を庇うように一歩前へ出ていた。制服のポケットに忍ばせていたトリガーを取り出し発動を意識する。
「トリガー機動!」
 瞬く間に学校の制服から、嵐山隊の真っ赤な隊服へ替わる。肩越しに先輩を振り返った。
「……先輩、おれの後ろに…──」
 下がっていてください、振り返ってそう続けようとしたけれど、伺った先輩の顔色が紙のように白くなっているのを見て言葉を失ってしまった。彼の目は門から出てきた近界民……バムスターに釘付けだ。普段は立ち入り禁止区域にしかいないはずの近界民が急に現れたのだから無理もないだろう。けれど、今は緊急時だ。オレは先輩の肩をつかみ呼びかけた。ズシン、バムスターの一歩踏み出す足音が地響きとなり足元に伝わる。
「先輩、渥美先輩!」
 ぐら、と彼の瞳が揺れる。深海の色がひとくざわめき立っている。かろうじて目が合った隙に、オレはにこりと微笑んで見せた。
「渥美先輩、大丈夫ですよ。先輩のことはオレが守りますから」
「──…さ、とり……」
「はい、佐鳥です! ……けどこのままだと危ないので、ちょっとだけ、下がっていてくださいね」
 彼は浅くうなずいて、少しふらつきながらも距離をとる。うん、よかった。これで大丈夫。バムスターに向き直り、イーグレットを取り出した。スナイパーは近接タイプではないけれど、そこで後れを取るようなオレではない。こういうときのために、オレは日々訓練を重ねているのだ。
 バムスターの身体の大きさに対し細い路地は少々狭すぎるようで、見たところ方向転換は出来そうにない。さっと周りに視線を巡らせる。バムスターの半径十m以内に人はいない。タイミングよく人並みが途切れていたのか、バムスターから少し離れたところで立ち止まってくれているのが不幸中の幸いだ。路地の向こう側も、暗さはあったがついさっきまで注視していたため人が通っていたらすぐにわかるし、バムスターの奥から人の声や足音らしきものは聞こえない。オレの隣を歩いていた先輩が唯一近くにいる市民だけど…──大丈夫。先輩は今オレの後ろにいる。
 イーグレットを二丁、慎重に構えた。ここはいつも戦っている立ち入り禁止区域じゃなく、生活の場だ。立入禁止区域以上に、下手に攻撃を当てるわけにはいかない。照準を合わせて、狙いをつけるとピタリとめた。本来この距離は狙撃銃を使うには近すぎる。通常の戦闘において、この距離に寄られている時点で狙撃手は落ちる手前を意味するからだ。本来であれば、絶対にここまで敵を近づけてはいけない距離。でも、オレの後ろには守るべき市民が。先輩がいる。
 バムスターがオレに狙いをつけ、一歩、二歩踏み出し、狙い通りの位置に来た瞬間を捉え、構えた二丁狙撃銃で撃ち抜いた。
 閃光が走り、イーグレットの弾がバムスターの中心を捉えた。一発──正確には二発だけど──で動かなくなったバムスターに飛び乗ってトリオン供給機関が破壊されていることを確認する。あたりを伺っても、オレが撃った弾が流れて建物に当たった様子はない。目標撃破を確認して、やっと詰めていた息を吐き出した。
 やがて耳に入ってくるのは通りすがりの人たちの驚きの声。オレは振り返ってみんなを安心させようと「もう大丈夫ですよ~」とにこにこ手を振る。すると緊張した面持ちの人たちも相好を崩してぱちぱち拍手を送ってくれた。「嵐山隊の」、そう声を上げる市民にも大きく手を振った。
 イレギュラーな事態に強ばらせていた肩の力を抜き、本部に連絡を入れるため無線を意識するとタイミングよく本部から連絡が入る。どうやら今日防衛任務に当たっているB級隊員がすぐにでも到着するらしい。門が出現するその瞬間にいたオレはその見たままを報告して、一旦無線を切った。

 応援を待つ間に考える。どうしよう、渥美先輩には先に帰ってもらった方がいいかもしれない。報告や後処理のために残らないといけないかもしれないし、顔色も悪かったし……そう思っておれは、先輩に声をかけようと振り向いた。
 ──すると人並みの奥の少し離れた位置で、渥美先輩が項垂れるようにへたり込んでいた。
「……渥美先輩っ」
 さっきよりさらに体調が悪くなっている気がする。もしかして、オレが気付けなかった被害があっただろうか。慌てて駆け寄ったオレは彼をすぐそこのベンチに誘導して怪我がないかをチェックする。彼の顔色はいままで見た中で一番ひどい。見たところ擦りむいたりはないみたいだけれど、厚着をしているからどこかを打っていたらわからない。先輩はひどく浅い呼吸を繰り返しながら、あちこちを触るオレの手をやんわり止めた。
「……ごめんね。びっくりさせて……。大丈夫、なんとも、ないから……」
「何もないようには見えません。怪我じゃないなら、気分が悪いとかですか?」
 十人が見たら十人が無理をしている、と判断するような顔で微笑まれても、むしろ心配は増すばかりだ。オレが聞くと、先輩は真冬にも関わらず額に汗をにじませながら観念したようにうなずいた。
「でも、だいじょ、ぶ、なのは……ほんと。すぐに、落ち着くから……」
 そう言うと渥美先輩はうなだれた頭を重そうに起こして、ゆっくりと、深く息を吸った。大きく肩が上がり、そしてゆっくりと吐き出すにつれて肩の位置が下がっていく。それを何回か続けると、ひとすじの汗がぽたりと落ちてアスファルトに染みをつくった。
 彼を見守っている間にB級隊員が到着し、渥美先輩に一言断ってから少し離れたところで報告をする。報告上は建物の被害も民間人の怪我もゼロだ。けれど目を離した隙に先輩が倒れていたらどうしよう、と気が気でなくって、しきりに先輩の方を気にしていたら応援に来た隊員に尋ねられた。
「友達?」
「あ、ええと、学校の先輩で……」
 答えると、「あとはこっちでやっておくから、送ってあげて」とすすめられた。続けて示されたのはボーダーと提携している医療施設だ。頷いて、また報告しますと無線を通す。
 明言こそされないものの市街地にバムスターが現れたのは、最近頻発しているうちの一件だという見方がされているようだ。ゲートが誘導装置から遠く離れた市街地に開く理由はまだ解明されていないが、今までの傾向から見て少なくともこの場にこれ以上ゲートが開く心配はないらしい。隊員の口ぶりからそう判断したオレは、お言葉に甘えて先輩の元へ向かった。

「せんぱいっ、呼吸、ちょっとは楽になりましたか?」
 わざと明るく声をかけた。パニックになっている先輩に焦って声をかけたのは、あんまりよくなかったかもしれないと反省したからだ。
 オレを見上げた先輩の顔色はいまだに悪いけれど、紙みたいに真っ白だったさっきを思えば大分よくなっている。
「佐鳥……もう、そっちは……大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です。……渥美先輩、まだ気分が悪いなら、もう少し休んで行きましょうか」
「ん……。いや、もう……大丈夫。ちょっと……人に酔っちゃった……のかも」
「……救急を呼びましょうか?」
「……ううん、呼んで、どうにかなるものじゃ、ない……」
 やっぱり、あまり明るいとはいえない声色で先輩は答えた。声を聞いた感じではどうしようもないぐらい体調が悪い。という風には感じないが、それでも元気がないのは確かだ。それに誤魔化しているのもわかってしまった。人酔いというのは明らかな嘘だろう。今まで人混みが苦手だという話は聞いたことはなかったし、それっぽい様子を見たこともない。十中八九、原因はバムスター、だと思う。
 無理を通そうとする先輩に見ないフリをするのも一つの優しさなのかもしれないけれど、おれには出来なかった。
「……でも、大丈夫……。すぐにおさまる、から……っ」
「あっ……」
 立ち眩んだ先輩の身体を支えると、やけに冷えた先輩の手に焦りがつもる。先輩は手袋をしていないから、冬の寒さというのももちろんあるのだろう。しかしそれを抜きにしても、やっぱり相当具合が悪いようだ。
「先輩、オレ、家まで送っていきますよ」
「え……い、いいよ。平気……家、逆だし……」
「ダメです」
 首を左右に振って先輩の言い分を拒否すると、あんまりオレがこういう言い方をしたことはないからか、すこし先輩が驚いているのがわかる。驚いているのと、あと、困っている。それはわかるんだけど、オレだってここで引き下がるわけにはいかない。
「ダメ、って……」
「おれ、今日はもとから暇だったんです。先輩ふらふらしてるし、放っておけません」
 先輩を困らせるのは本位ではないけれど、もしオレがここで引き下がって、先輩が家に帰る途中で倒れでもしたら? そんなこと考えたくもない。オレは半ば押し切るように、いつも先輩と帰るときに分かれる改札をそのままついていくことにした。

「……えっと……ここ、なんだけど」
 電車を降りてから歩いて十分ほど。一軒家にたどり着いた。玄関の灯りに照らされた先輩の表情は、ほぼいつもと変わりないものに戻っていて、ほっとしつつもちゃんと休んでくださいね、と言ってから去ろうとするが。
「うん、……送ってもらってそのまま……っていうのも、悪いし……。お茶、飲んでいってよ」
「えっ、い、いいえ。この時間だと、先輩のご家族にもご迷惑でしょうし……」
「……いま、誰も家にいないから大丈夫。……あ、それとも……今日、はやく帰る予定だった、かな」
「それは全然、もう、まったく問題ないんですけど!」
「そう? ……じゃあ、どうぞ」
(──…し、しまった……)
 先輩に招き入れられる空気になってしまった。本気で先輩の家が嫌とかそういうわけじゃない。先輩のご家族にもこの時間からお邪魔するのはちょっとダメじゃないかな⁈ って思ってたのも本当だ。だって、まだすこし早いとはいえこれからごはんどきだし。
 ていうか誰も家にいないって、そんな先輩の家にいきなり訪問とかどうなの、とか。無駄に心臓が、こう。すごい勢いで生きてる証を刻みつけまくってしまうというか。家まで送りますよ、って先輩に言った時は邪な気持ちは一ミリもなかったって断言できるのに、いざ来て誘われるとばっちり好奇心が顔を出してくるのはどうしてなんだろう。
 そんなこんなで招き入れられた渥美邸。暗い中でも先輩は慣れたようにパチパチと電気をつけていく。一家で団欒するのだろうリビングやちらりと見えた和室の中には仏壇があったりと、生活感を覗かせながらもどこも綺麗に整理がされている。二階に通されて二つ目の扉を先輩は開けて、「ここで待っていて」と荷物だけを置いてまた階段を降りていった。先輩の部屋には四角いローテーブルと広い本棚、ベッド、勉強机、そして部屋を出ていくときに電源をつけた暖房器具。はやくも流れてきた暖かい風に吹かれながらどうしよう、とすこし固まって、おずおずとカバンを下ろし、ローテーブルの前に座る。
 渥美先輩の部屋も他の部屋と同様に、綺麗に片付けられていた。す、すごい……数日前から片付けるか、もしくは物置にありとあらゆるものを押し込まないと、とても人を招き入れられないオレの部屋とは大違いだ……。
 散らかっているとはいえ、自分で住む分には全然問題ないんだけど。どこに何があるとかだいたい把握してるし、うん。なんて誰に言い訳をしているのかわからない言い訳を頭でこねくり回しながら、視線は自然とスペースを取っている本棚にいく。
 本の大きさや厚さは様々で、一目で小説とわかるものやスリーブに入れられたもの、書店のブックカバーがかけられたものなど様々だ。たまに布のブックカバーがかけられているものがあって、それがお気に入りの本なのかな。わからないけど、ぼんやりそう考えたりして。あ、この前先輩から借りた本だ。なんてことも思い出したりして。
 そうしてしばらくするとトントンと階段を登る音が聞こえてきて、オレは慌てて居住まいを正す。扉を開けた先輩の手には皿とカップが二つずつのったお盆が。
「佐鳥、紅茶でよかった……?」
「あ、はい、おかまいなく……」
「あと……冷蔵庫にブラウニーもあったから、食べちゃおう」
 ブラウニーを見下ろして、ちょっと嬉しそうにする先輩。それをみて、体調はもう大丈夫そうだと胸をなでおろす。お言葉に甘えて、フォークを手に取った。
 そうしておやつタイムに突入した。ナッツの歯ごたえと、濃厚なブラウニーが美味しい。もぐもぐ咀嚼していると、先輩が改めてオレに向き直った。
「……さっきは、言い忘れてた。言うのが遅くなってごめんね、……助けてくれて、ありがとう」
「えっ……と、はい。オレは、当然のことをしたまでですから」
「そう……」
 いつもならカッコよく決められるお決まりの言葉も、ちょっと今回はイマイチだったようだ。あれ、やっぱおかしいかな、って思いつつ。美味しいブラウニーをもう一口もぐり。
 渥美先輩は考え込むように俯いて、しばらくしてから顔を上げた。ねえ、呼ばれたのではい、返事をする。
「……それと、家まで送ってくれたのも。……こういうこと、いつもしてるの?」
「こういうこと……と、いうと?」
「佐鳥は……ぼくがフラフラしてたから、送ってくれた、んだよね。……ボーダーの人たちって、そこまで……求められるものなの?」
 つまり先輩が言いたいのは、市民に急病者が出た場合、逐一家まで送り届けているのかということだろう。
「ち、違います。……えっと、もし民間人が近界民に襲われたり、崩れた瓦礫で怪我人がでたら救急を呼びます。さっきオレが送ります、っていったのは……ボーダーとはまた別で」
 そうしなきゃいけない、って言われてるとかじゃなくって、オレがしたかったからやったことだ。例えば先輩の言ったように、隊員として怪我人の保護も任務内容に含まれていて、怪我人がいればもちろん病院に行けるようにオペレーターを通して連絡をしたりとか、色々あるけれど。
「……もちろん、先輩は市民で、オレはボーダー隊員です。そりゃあ街の平和を守ることはオレの務めですよ。そこは当たり前なんです」
 ぐるぐる考えたせいで段々とこんがらがってきた。つまり、つまり。オレの言いたいことは。
「ただそこを抜きにしても……えっと、オレ個人が、先輩のことを心配したいんです。大丈夫そうじゃないのに、先輩が大丈夫って言うとか。そうじゃなくって……心配させてほしいんです。大丈夫じゃないときは、そう言ってほしいんです」
「…──」
 フォークを持ったまま、先輩は沈黙している。対峙するオレは言い切ったあと、じわじわと自分の言ったこと理解するにつれ冷や汗が浮かびはじめていた。……思っていたことを言えたのはいいんだけれど、もしかすると出し過ぎたかもしれない。
 ここ数ヶ月で話す回数が以前とは比べものにならないぐらいに増えたといっても、オレと先輩はあくまでも委員会が同じで共通の知り合いがいる先輩と後輩、というだけの間柄だ。にもかかわらず、とんでもなく偉そうなことを言ってしまったのかもしれない。とはいえ、一度出した言葉は取り消せない。せめて、先輩に無理して欲しくないという、気持ちだけでも伝わってほしい。
「佐鳥…──」
「……ご、ごめんなさい。いきなりこんなこと言われても困りますよね。……でも、オレだってちょっとは、先輩のこと気にしてるんですよ。それは、覚えててもらえると嬉しいです」
「……、」
 先輩はまた沈黙してしまった。彼は考え事に耽るように視線を手元に向ける。日の暮れた住宅街には外から聞こえる物音もない、ただ静寂だけがある。
 渥美先輩が顔を上げると、それに合わせて前髪が揺れる。いつもと変わらない彼の瞳がおれを映した。
「……四年前」
「……はい、?」
 ぽつりと先輩がこぼした。続きを促すようにゆるく頷けば、先輩はゆっくりと瞬きをした。一瞬目を伏せてまたおれを見つめる。
「四年前、初めて近界民が三門市を襲ったとき……佐鳥って、この街に住んでた?」
「……はい」
「そうなんだ。……ぼくもね、前の家が壊されて……その時、下敷きになっちゃって。……運良く物と物の隙間にいたから、そんなに酷い怪我にはならなかったんだけど……」
「……」
「カーテンの隙間から見えた、迫ってくる近界民がね。……うーん、あんまり……記憶から消えてくれなくて」
「──…そう、だったんですか」
「……うん。だから……さっきは、ちょっと、思い出しちゃって。……ごめんね、こんな、話して」
「……いいえ。ありがとう、ございます、話してくれて」
 オレは小さく首を振った。先輩の身に起こった、「大丈夫じゃない」話。先輩は謝るけれど、そんな必要はない。オレが話すにたる人物だと判断して、信頼してくれたからこの話をしてくれたのだろう。フォークを握る指に力を込めた。オレがボーダーに入ったのは、第一次侵攻で助けられたオレが、助ける側になりたいと思ったからだ。
 さっきまでの冷や汗はなくなって、いくらか落ち着いた思考に戻ってきた。
 この街出身なら大なり小なり誰にでも、四年前の第一次侵攻についてトラウマめいた思い出はあるものだろう。たとえ自分が肉体的に無傷でいられたとしても、今まで住んでいた街並みがすっかり変わってしまったことにショックを受けたり、あるいは親しいものが怪我をしてしまったり。……自分が元気だから、無事だったからなんともない、なんてそうひとまとめに言えるものではないはずだ。
「……」
 湿っぽい話をしてしまったという思いからか、心なしか先輩がそわそわしているような気がする。ブラウニー、美味しいですね、どこのやつですか? と軽い話題転換のつもりで先輩に聞くと、予想とは少し違った返答がきた。
「それは……姉が作ったもの、だね」
「お姉さん……⁈」
 前々からお姉さんがいるという話は聞いていたけれど、美味しいブラウニーを作るお姉さんがいらっしゃる⁈ 今まで知り得なかったことを聞いて、先ほどまでの湿っぽいテンションからは一転。オレの方がそわそわと落ち着きをなくしてしまった。忙しないようだけど、今回はこれでよかったのかもしれない。
「うん……、県外に出てるんだけど、そこまで遠いってわけじゃないから、ちょいちょい帰ってきて……ブラウニー、は……たまにね」
 気が向いたときに作ってくれるよ。と。口ぶりから察するにお姉さんは独り立ちをしているようだ。渥美先輩のお姉さん。とっても気になる。先輩の家族の話になったのをいいことに、気になっていたことをついでだからと切り出してみる。
「あの、先輩のお家の人は……?」
「共働きだから……帰ってくるのは二人とも、すこし遅めなんだ」
「……なるほど……あれ、じゃあ晩御飯って」
「一応……ぼくが作ることが多い、かな……」
「……やっぱり今日、オレがお邪魔したらマズかったんじゃないですか……⁈」
「あ……そこは大丈夫。作る気ない日とかは……ちゃんと連絡入れてるから」
 本当はいまごろ晩御飯を準備している時間だったろうに、オレが押しかけてしまったばっかりに……。青くなりつつ先輩に尋ねると、先輩はなんでもない、といった様子でスマホを持ち上げる。さっき偉そうなことを言った手前とてもバツが悪い。
「……佐鳥こそ、誘っておいてなんだけど……ほんとに帰りが遅くなっても大丈夫?」
「大丈夫です、オレも今日はぶらぶらして帰るって言ってあるんで」
「そう……なら、よかった。佐鳥も、妹さんがいるんだっけ。……仲は、いいの?」
「そうですねー、あと兄もいます。妹は最近ちょっと反抗期っぽいんですけど……仲はいい方だと思いますよ!」
「反抗期……」
 オウム返しにする先輩にうなずく。もちろん反抗期でもかわいいのには変わりないんだけど。ちょっとさみしくなる時がなくもない。でも、オレが怪我したときはうさぎの絆創膏をくれるのでやっぱりかわいい。

 それから家族の話からまた別の話に変わっていって、湿っぽい空気はいつの間にかすっかりなくなっていた。ふと、先輩の机に目がとまる。ペン立てとノートパソコン、参考書。その中の一つを見て息が詰まった。
「……先輩の志望校って、……県外なんですか?」
 参考書の表紙に大きく大学名が書かれていた。オレでも知ってる、有名なところだ。
「あ、うん。滑り止めでこっちの大学も受けるけど……本命はそっち、だね」
「……。……先輩、おれ、応援してます!」
 わななく唇を一度引き結んで、それから伝えると先輩は微笑み頷いた。緊張を気取られない様にもう一つ尋ねてみる。
「ってことは……渥美先輩、卒業したら三門市を出る感じですか?」
「ううん……ちょっと遠いけど、通えないほどじゃないから……。うちから通うつもり」
 横に振られた首に胸をなで下ろした。……ひとまずほっとはしたものの、先輩の卒業後はろくに会う機会もなくなってしまうだろう。夏休み前はオレから無理矢理会いに行っていたようなものだし、委員会が始まってからだってそうだ。同じ市内といえど最寄り駅だって違う。渥美先輩が卒業した後、生活圏はもう被らないだろう。
「……佐鳥、どうか、した?」
 黙ってしまったオレに先輩は首を傾げる。何でもないです、と慌てて否定したけれど、やっぱり先輩は不思議そうにしている。
 結局、その後はオレが今読んでる漫画の話を始めて、またしばらく話してからの帰り道。コンビニに寄るという先輩に駅まで送ってもらいながら、駅まで持つよ、と今日先輩に借りることになった数冊の本を持ってくれている。紙袋に収まっているそれと、先輩を横目で交互に見た。体調が思わしくない先輩を心配して送ってきたというのに、逆に送られて、あまつさえ荷物までもってもらうことになるとは。
 見たところ先輩はすっかり元の調子に戻っているようだし、コンビニに寄るという話も気を遣ってもらっている気配はする。でもそこは多分、渥美先輩としても引けないところなんだろうな、ということはオレにだって察しがついた。
「先輩、今回も本、ありがとうございます」
「ううん……返すのはいつでもいいから」
「はい。……それじゃあ、また」
「うん、また、学校で」
 駅について別れの挨拶をする。またね、なんてごく短いありふれた普通の挨拶なのに。この言葉を交わすたびに、自然と次があることを前提に挨拶できるようになったことを嬉しいと、オレは噛みしめる。それと同時に、もう何ヶ月もしないうちに先輩からの「またね」は聞けなくなってしまうことを思い知る。
「……またね、渥美先輩」
 せめて、そう言える間だけでも。

 *

 今日は朝からついていなかった。いつも使っている道が工事で遠回りになって遅刻しかけたり、お弁当の箸を入れ忘れたり、買ったジュースのプルタブを開けた瞬間に炭酸があふれてきたり。そして極めつけは、
「渥美先輩……! 数学教えてください‼︎」
 図書室に入るなりおれは先輩に泣きついた。どうして泣きつく必要があるかというと理由は簡単で、小テストの結果が散々だったのだ。たかが小テスト、されど小テスト。オレのクラスを受け持っている数学の先生は小テストのポイント制を導入していて、一定回数以上小テストの結果が悪ければ、定期テストでどれだけいい点数を取っていても強制補習になってしまうのだ。
 そもそもおれは定期テストの結果もいいところ、まずまず……というとちょっと盛ってるかもしれないんだけれど、補習を受けるとなると当然ボーダーにも委員会にも支障が出る。それに、放課後にまで授業を受けたくない。いくら学校とボーダーが提携しているから多少の融通は聞くとはいえ、忍田さんたちに迷惑をかけるわけにはいかないし、限度だってある。
 なんとも情けない顔と声をしているだろうおれをきょとんとした表情で見た後、ハードカバー本にしおりを挟んだ渥美先輩はわずかに口角を上げて、横のパイプ椅子を引いた。
「……どうぞ?」
「あ、ありがとうございますぅ……!」
 お礼の言葉も震えてべしょべしょになってしまった。
「どこがわからないの?」
 教えを乞うた人から必ず聞かれる質問にオレはうっと言葉をつまらせた。問題集を開いて、特に苦手な単元を指さす。
「この、問題なんですけど……」
「うん」
「どこがわからないかが、わからなくて……」
「ん、……ああ、そっか……。教科書も、ある?」
 おずおずと差し出した教科書を先輩はぱらぱらめくっていく。「……懐かしい、」ぽつりつぶやく声が聞こえた。やがて目的のページにたどりつき、先輩はちょうどおれとの間に教科書を置いた。そして、同時に取り出したノートにさらさらと問題をうつしてペンを置く。
「佐鳥の間違えた単元は、その前に習ったところとつながってるんだけど……こっちは、わかる?」
 教科書をよく見ると、オレが聞いたところとは別の単元だった。迷いながら途中式を書き込んでいく。やがて手が止まったところで先輩が覗き込んだ。読みながら小さくうなずいている。色ボールペンを使って、おれの書いた箇所にメモをつけていく。
「うん、ここまでは……合ってるね。そのあとは、このページに書いてあるんだけど……」
 流れるような字がオレのノートに書きこまれていく。うわ、先輩って字も綺麗なんだ──見とれかけて、いやいやいまは勉強を教えてもらっているんだからとかぶりを振る。ここまではわかる? 渥美先輩の問いに慌ててうなずいた。
「じゃあ、ここは何になると思う?」
「ええと……」
 自信のないことがまるわかりな言い方で答えると、先輩は「合ってる」と目を細めた。
 渥美先輩はそれからも根気よく付き合ってくれて。たまに返却や貸出の手続きをしながら、ついにぼろぼろだった小テストも解きなおすことができるようになった。やった! と、図書室なので声には出さずに身振りで喜ぶオレに先輩は控えめな拍手で称えてくれる。
「先輩、教え方めちゃめちゃ上手くないですか?」
「なら……よかった。クラスのみんなにたまに聞かれたり……あと、今さんと一緒に当真と国近さんの課題に協力することもあるから……それで鍛えられた、のかも?」
 ああ、たしか文化祭の時に、国近先輩がそのようなことを言っていた気がする。先輩の話している光景が易々と想像できてしまった。教えてもらった手前オレだって人のことは言えないけれど……当真さんはボーダー隊員としてはめちゃくちゃ優秀だけど、学校の勉強にやる気を出すことってあるんだろうか。
 三年生の勉強会へ想像を膨らませるのもそこそこに、もう一度深々と頭を下げた。
「ありがとうございますっ! 渥美先輩がいなかったら、オレ、近いうちに教室に缶詰になっちゃってました……!」
「どういたしまして。……次のテストって、いつあるの?」
「……来週です……」
 すぐだね、先輩の言葉にこっくりうなずいた。
「そっか。次の単元は、今やったところも使うから……またわからないことがあったら、いつでも聞いてね」
「はい。……いつもはとっきー……友達とか、同じ隊の先輩に助けてもらったりしてるんですけど……オレ、人に助けてもらってばっかりなんですよね。もうちょっとしっかりしなきゃーって、思ってはいるんですけど……」
 目下の悩みがひとまず解決して気が緩んだせいか、ついぽろっと愚痴をこぼしてしまった。はっとして、ふざけて茶化そうとする前に渥美先輩は首をかしげながら言った。
「……そうかな。助けてもらえるってことは、佐鳥がそれだけ、周りに助けを求めたり……周りが助けたいと思えるってことだから……ぼくは、いいことだと、思う」
「……は、あはは、そうだったら、うれしいんですけど……」
「ん、少なくとも、悪いことでは……ないんじゃない、かな」
 少しぎこちない笑いになってしまった。渥美先輩が言ってくれたことでちょっと気持ちが上向きになったのもそうだけど、すぐに気付く。この場で数学を教えてもらっているのってオレが渥美先輩に助けを求めて、先輩がそれに応じてくれたからで。つまり、先輩だってオレを助けたいと思ってくれているっていうことになるのでは。そうだったら嬉しい、とは思うけれど。
 心臓がどきどきしているのがわかる。まだ開いたままの教科書に視線を落としてなんとか落ち着こうとしたけれど、渥美先輩の次の言葉でオレの心臓はさらに大きく高鳴った。まさにそうだったら嬉しいな、と思っていたままの言葉だったから。
「ぼくも……そうだよ」
「えっ……」
「佐鳥にお願いされたから、佐鳥だから、助けたいって思ったんだよ」
「そ……そう、ですか。うれしいな……」
 わかってる。先輩は仲良くなった後輩だからこう言ってくれてるんだってことは。わかってるけど。
 ちょうどよく、時計が委員会終わりの時間を指した。図書室の利用者もほとんどの人が自発的に席を立ちあがり荷物を手に退室していく。戸締りして帰ろうか、いつものように穏やかにいう先輩に、オレはいつもより控えめに返事をすることしかできなかった。

 *

 十二月も中旬に入ると、いよいよ街中はクリスマスの雰囲気に包まれている。渥美先輩から借りた本によれば、十二月に入ってからクリスマスイブまでの期間のことをアドヴェントと呼ぶ国もあるらしいけど、日本は暦の上では二十五日はクリスマス、その前日はクリスマスイブ。でもデパートなんかの飾り付けはハロウィンが終わってすぐくらいにはもう始まっているから、クリスマス商戦はとっくに始まっているとも言える。本格的に始まるのは十二月に入ってからなんだろうけど……。そう考えると、日本にもアドヴェントはあるし、捉え方によってはずっと長いのかもしれない。イベントごとに売り上げを伸ばそうとあれこれ暖めた企画をお披露目する期間。それはこの三門市も例外ではなく街路樹に飾り付けがされていたり、軒先にサンタクロースを模した人形がぶら下げてあったりとお祭りムード全開だ。
 で、そんな街中を歩くオレはというと。本の貸し借りというもっともらしい都合をつけて先輩と並んで歩いているのだった。渥美先輩がクリスマス限定のお菓子をくれることは予想済みなので、オレもあらかじめ買っていたクリスマス限定パッケージのパックジュースを手渡す。用意周到だね、と先輩はふふふと笑って楽しそうにしていたから大成功だ。それに加えて、元からオレも祭りは好きだけど、先輩がよく買ってる影響で、オレも次第にお菓子やジュースの新ラベルに注目するようになったのもある。お菓子は先輩が買うので、じゃあオレは何を持って行くのかというとさっき渡したような、お菓子によって失われた口内の水分を補給するためのドリンクで。必然的に、お菓子とドリンク類の新しいパッケージにはやたらと詳しくなっていたのだ。
「あ……佐鳥、あれ」
 何かを見つけた先輩が指さす方向を見ると、大きな長靴のなかにたくさんのお菓子がつまっている商品が店頭で売り出されていた。ターゲットど真ん中であろう小さな子供が、保護者に買ってとしきりにねだっている姿も見られる。
「ああいうのって……、小さい頃、憧れたよね」
「ね。なんか、おっきいってだけで特別感が段違いなんですよね……」
 中のお菓子は見慣れたものばかりだが、スケールの大きさはそれだけ子供心を刺激するのだ。それに、普段はたくさん食べるとご飯が入らなくなっちゃうから、これだけね。そう言って分けられた分は思い描いていたお菓子袋の中身よりずっと少なくて。子供のことを思った親の判断だが、もっとほしいと思うのが子供心でもある。
 そんなこともあったな、と思い出しながら懐かしさに目を細めた。
「そんなに高いものでもないし……今なら自分でも十分買えるんですけど。でもやっぱりああ言うのって特別なもの、って認識が残ってて、不思議ですね」
「うん。……もしかすると、誰かからプレゼントしてもらうから……余計に、うれしいのかも」
「ああ、かもですね」
 親にねだって買ってもらえた時とか、当時付き合いのあった年上のお兄さんお姉さんからもらった時とか。うん、思い出してみると、そうかもしれない。
「……佐鳥って、いつまでサンタクロースのこと……信じてたの?」
「いつまで……うーん。クラスの子に聞いちゃったか……もしくは親戚のお兄さんお姉さんから聞いたのかもしれないです。渥美先輩は?」
「ぼく、? ぼくは……。自然に……?」
「自然に?」
 お家の人の様子からなんとなく察するパターンだろうか。渥美先輩は小さい頃から頭がよさそうだし、結構想像がつく。
「ほら……サンタクロースはいない、っていう前提で進む本って、結構あるから」
「ああー……。……先輩っぽいですね」
「ぼくっぽい……って、ふふ……」
 どんな印象を持ってるの? 先輩の視線が尋ねてくるけど、それっぽい、という感覚を説明するのは難しい。うまくいえずに結局ごまかしたオレに、先輩は小さく笑い声を漏らした。
「……ところで、先輩、お時間を取ってもらっていてなんなんですけど……今の時期って忙しいんじゃないですか」
「……そう、だね。……そうなんだけど、息抜きも、しないと、ね」
 具体的には何を、といわずごにょごにょごまかした言い方をすると、先輩も具体的には何を、といわずごにょごにょごまかしっぽい言い方をする。まぁ、何をというとつまり先輩の大学入試のことなんだけど。あんまり受験生を追い込んではいけないというのはオレは去年自分自身が体験しているので痛いほどわかっているし、オレはオレで学期末テストがあるのだ。下手に突っつきまくってやぶ蛇でも出てきたらたまったものではないのであくまでも軽ーく、どうなんですか? と尋ねるぐらいにとどめる。
「もちろん油断は……しちゃいけない、けど。ギリギリってことはないし。……それに、佐鳥とも、話したかった……から」
 せ、先輩すぐそういうこと言うー! もちろん先輩にどういうつもりなのかと聞くまでもなく、本の話をする相手が現状当真さんかオレぐらいしかいないからっていうのはわかってるし、オレも先輩と話をしたいがために本を理由にしてるからオレが卑怯なだけなんだけど!
「……年明けたら、三年生はすぐに委員会終わっちゃいますよね」
「うん、そうだね……一応、センターギリギリまではあるみたいだけど……まあ、休んでも休まなくてもって言ってたから……」
「えっ……じゃあ先輩は、もう今学期で最後にするつもりなんですか?」
「……、」
「……?」
「ううん……最後だし、行くよ」
「……! そ、そうですか。……あっ、でも絶対に無理はしないでくださいね!」
「うん……ありがとう」
 うなずいた先輩にオレもうなずき返した。ほんとにですからね、と念押しすると、心配しすぎだよ。とちょっと笑われてしまった。オレも冗談っぽく笑い返しながら、オレがどうしてこんなに心配するのかも、したいのかも。先輩はわかってないんだろうな。そう考える。もちろん言ってないから当たり前なんだけど。それでもしたいと思うのは、オレのわがままなんだし。