蜜柑とアイスの共存

ポケモンセラピストを目指すトリップ者の話

ポケモンセラピストを目指していますが、パートナーと対話することすらままなりません!



 ポケモンセラピストになろう! と一念発起した俺はすぐさま受験勉強にとりかかった。この世界は学びについてはかなり広く開かれているらしく、一定の教育段階を経た後は受験年齢の制限は比較的ゆるいみたいだ。でもね……今までポケモン好きだったけどエンジョイ勢には厳しくてね……やっとこの世界の文字にも慣れ始めてきた頃なのに、相性の暗記は基本とか、覚える技とか、わざマシンとか、一般教養レベルにもポケモンが入ってきててね……。対応表をじっとみてたら化学の周期表を思い出したよ。
 でもこれもかわいいポケモンたちと自分のため! そう自分を奮い立たせて、一年目はさすがに日程的に受験すら難しかったため見送って、二年目に入りさらにしばらく経った頃。
「おめでとう!」
 先生が俺に証書を渡してきた。そこにはポケモンセラピスト養成学校、特待生枠合格の文字があった。
 うわーーー!!! よかった! 本当によかった! これで特待生の枠から漏れてたらバイトしながら勉強しなきゃいけないところだった! 小遣い稼ぎのためにバイトしたことはあっても、自分の学費を稼ぐとなるとめちゃくちゃ大変だろうことは目に見えているので本当によかった!!!!!
「燃え尽きないでねー、じゃあ先生と入学するまでの期間、少しずつ準備を進めて行こうか!」
「! はいっ」
 そうだ。俺はまだスタート地点に立ったばっかりなのだ。将来的にポケモンを思う存分かわいいかわいいできるように、これからが真の頑張り時なのである!
 やる気に燃える俺に、先生と、それから教室に遊びにきていた半野良のポケモンたちもがんばれーとエールを送ってくれた。
 もちろん受験が終わったからと言って勉強から解放されるわけでもなく、一日の目標ラインは多少ゆるくなりつつも変わらず机に向かう日々なのであった。
 そんなこんなで過ごしていれば、入学式まであっという間だ、シュートシティのホテルの一室に前乗りをして、明日からは地方生向けの寮が解放される運びとなっている。明日の入学式に持っていくものだけを先に分けてしまおうと封書を取り出していたところ、ひらりと一枚の紙がベルベットの絨毯に落ちた。
「あれ? こんな紙入ってたっけ?」
 その紙の中を見ると、こう書かれていた。
『入学式には、自分のポケモンを最低一匹は連れてくるように』
 ここで問題です。俺の手持ちのポケモンは、何匹いるでしょうか? ヒントは「俺は自前のモンスターボールすら持ってない」だよ!
 突然現れた別紙の存在に、ホテルの一室から叫び声が上がったのは言うまでもないだろう。
「お客様!? どうかされましたか!?」
 ホテルの従業員がドアベルを鳴らしながら必死に話しかけてくる。大声を返す気力もなかった俺は這うようにドアを開けて、
「でん……でんわ……かしてください……」
 先生に助けを求めた。
 俺からのヘルプコールに先生はゲラゲラと笑っていた。まって、俺はいまただでさえ焦りで死にそうなのに、なんで笑ってるの。手遅れだからもう笑うしかないってこと? やめて、俺を見捨てないで。私を離さないで。
「ヤバイね! とりあえずいまから先生のココガラを向かわせるから、ホテルに話だけは通しておいてもらえる?」
「あっ、えっ、はい!」
 頼もしい言葉に俺は胸を撫で下ろした。天は俺を見放してはいなかった……。
「でもそうだね、あなたもそろそろ自分のポケモンがいてもいい頃かもね。ココガラは孵化したばかりだし、餞別としてあなたのポケモンとして育ててあげて」
「えっ……! あ、ありがとうございます。先生!」
「うんうん、それじゃあまた困ったことがあったらいつでもかけてきてね」
 先生の言葉にじわりと涙腺が緩くなる。先生……好き……ありがとう……。っと、こうしちゃいられない。電話を切って、ココガラが到着したらわかるようにしないと……えっと、フロントでいいのかな?
「お客様のポケモンになるココガラが……かしこまりました。部屋の内線でご連絡させていただきます。しかし……」
「……もしかして、こういうこと頼むのってあんまりいいことじゃないですか?」
 言い淀むフロントさんに不安になって見上げれば、彼女は慌てて首を振った。ただ……と前置きをして続いた言葉に、俺は絶句することになる。
「いえ、滅相もございません。ただ……通常ホテルなどの施設にはポケモン転送装置が備わっています。当ホテルも例外ではないので、そちらを利用していただければ、今頃こちらにポケモンが居たかと……」
「せ、先生……」
 いや、そもそも俺が別紙の存在に気が付かなくて今更泣きついたのが悪い!!!! そうだよ!!! 人のせいにしてはいけない!!! ココガラには謝らなければならない!!! あともし次回が合ったときのためにきちんと利用する施設のことは調べておく!!!!
 遠い目になった俺はああ、イエッサンが雌雄そろって綺麗にお辞儀をしているなぁ。かわいいなぁお辞儀きれいだなぁ。と現実逃避を始めるのだった。

 受験生のみんなやこれから新生活をはじめるみんな!!! くれぐれも、忘れ物や見落としには気をつけようね!!!!!! うっかりやな俺との約束だぞ!!!!!!!



 次の日。明け方にベルが鳴った。正直興奮と心配で眠れていなかったので2コール目で受話器をとった。相手はフロントさんで、ココガラが到着したらしい。慌ててロビーまで迎えに行くと、早朝にも関わらずキリッと決めているフロントさんと、疲れ果てながらも達成感に高揚している様子のココガラ。俺の顔を知っていたのかこちらに気が付くとこちらめがけて飛んできた。
「うわっ!」
 慌てて腕を刺しだして止まり木にしてもらう。よくよく見ると、ココガラの足には筒がくくりつけられていた。
「君が先生のところから来てくれたココガラだね。ありがとう」
 そう言って部屋からもってきたオボンのみをココガラに差し出すと、目を輝かせてついばみはじめる。おやつにしようとたまたま買っていてよかった。フロントさんにありがとうございました、と一礼してから部屋へ戻り、ココガラの足にくくりつけられていたものを取りつつ、ふかふかのベッドで休んでもらう。

『セラくんへ 先生も一緒に確認したのに、見落としててほんとうにゴメンね! ココガラにはこの手紙と、彼が元々入っていたモンスターボールを持たせました。ココガラはとってもやる気のあるすばらしい子なので、頑張り屋で優しいきみとは気も合うと思います。きっとポケモンバトルでも頼りになる味方になってくれるはずです。ふたりで元気に過ごしてね。 先生より』

 手紙の内容は先生の優しさと思いやりが詰まっていた。二度、三度と繰り返し読んで、羽繕いをしているココガラを振り返る。
「……ココガラ、君が元々入ってたボール、持ってる?」
「ガァッ」
 翼の中に隠し持っていたのは、小さなサイズのムーンボール。ふつうのモンスターボールすら見慣れていないのに、いきなり登場したオシャボに少し……いやかなりテンションが上がってしまった。ムーンボールは通常つきのいしで進化するポケモンを捕まえるときに有効なボールだが、ココガラは卵から孵したという話だし、先生の趣味なのだろう。ココガラは将来的にアオガラスやアーマーガアに進化するポケモンだし、青色と月のエフェクトが綺麗なこのボールにはぴったりだ。かっこいい。
 図らずともオシャボ勢への道を一歩踏み出してしまった俺は、ムーンボールのボタンをカチリと押した。俺の手のひらに収まるサイズのボールを握り、高鳴る心臓を押え付けながらココガラと視線を合わせた。
「ココガラ。先生からもう聞いてると思うけど、これからは俺がきみのパートナーになる。君のパートナーとして相応しいトレーナーになるように努めるから、……ええと、よろしく、してね……?」
 なんとも語尾が頼りない雰囲気になってしまった。ああ~~決まらない……。
 そんな俺に、ベッドでくつろいでいたココガラがトットッと近づいた。こつん、とおでこを優しくつつかれて、鼻もついばまれた。もちろんこっちも優しくだ。施設からこのホテルまで飛んできたときの記憶だろうか? 風を切って羽ばたくイメージが彼から伝わってきた。
「ガァ」
「……うぇへへ、」
 ココガラの方もよろしくね、といってくれたことが嬉しくて、一ミリも締まりの無い笑い方をしてしまった。

 そんな心温まる会話をしつつも、俺にはひとつ気になることがあった。先生の手紙でも言及されていたポケモンバトルについてだ。ポケモンバトル。それはポケモンがいるこの世界において最も競技人口の多いスポーツである。通常はトレーナーと、トレーナーが育てたポケモンとのコンビで相手と戦い、技の構成や息の合った連携でどちらがより優れているかを決める競技だ。ガラル地方ではダイマックスといってポケモンが巨大化する現象をポケモンバトルに利用していることもあり、スタジアムでのバトルは毎回満員御礼、千客万来の大人気競技。
 しかし、俺はポケモンバトルにわりと抵抗があった。理由は「ポケモンが痛そうでつらい」から。マジでこれだけ。でも最も大きな問題点だ。いやそりゃね、カイリキーとハリヤマテのおっきいポケモン同士のぶつかり合いはとても迫力があったし、レスリングとか相撲をみてる気分になったよ。そういう意味で人気が出るのはとてもよくわかるんだよ。でも俺のパートナーになってくれたココガラや、バトルカフェでマスターと一緒に居たマホミルを見てみろよ。ちったいんだよ。つついたら倒れそうなぐらいの子たちがバトルで傷つけ合うのはめちゃくちゃつらいし、前述したカイリキーやハリテヤマみたいな大きいポケモンも全く例外ではないんだよ。
 どうしてもマイスイートわんわんのリアちゃんの顔がちらつくんだよ……。俺の愛犬であるシベリアンハスキーのリアちゃんは、とても穏やかで優しい女の子だ。とても社交的で散歩道を歩いていても他の犬とすれ違うと挨拶をしにいきたがるし、相性が悪くて向こうの子に吠えられたときはすごくわかりやすく落ち込んで俺の方に帰ってくるんだ。そんな……そんな繊細な子にバトルなんてしてほしくない……。と、どうしても俺はめそめそしてしまうのだ。
 いや、わかる。わかってるんだよ。バトルをしてるポケモンはみんな輝いてるし、街中でバトルをしているポケモン達を観察していても、今のところトレーナーに無理矢理バトルをさせられているポケモンに出会ったことはない。第一ポケモンはリアちゃんじゃないしその逆もそうだ。それに、俺が飼ってたのはたまたま温厚なシベリアンハスキーだっただけで、土佐犬とか戦闘向きの犬のブリーダーとかでバチバチに訓練してたり、むしろ激しい運動をしないとストレスがたまるっていう子が身近に居ればポケモンバトルへの捉え方は全然違ってたんだろうよ。だから今俺が思い悩んでることは、めちゃくちゃ俺のエゴで自己満足なんだよ。
 そもそも先生の手紙にも、ココガラはやる気があるって書いてあったし、多分彼はバトル的な意味でもすごく頑張れる子なんだろう。でも、でもさ、でもさぁ~~~~??????!!?!?!?!
 俺はポケモンバトルができるのだろうか。
 ……なんてことを考えたばかりだってのに、なんで、学校に入って最初にすることがポケモンバトルなんだ。

 魂が抜けそうになっている俺と対峙しているのは、俺と(見た目上は)同じくらいの年の三つ編みの子。キリッとつり上がった眉が力強い印象を与えている。気合いを入れた投球フォームで繰り出したのはバニプッチ。対する俺は弱々しくボールを投げてココガラを繰り出した。ひこうタイプのココガラよりもこおりタイプの向こうの方が有利だ。ただバニプッチははじめからこおりタイプの攻撃技を覚えているわけではないので、ごく低いレベル制限のついたこのバトルにおいては、わざマシンを使っているのでもなければ十分に勝機はある。
 ただ、放心状態の俺にそんなことを考える余裕も無く、焦れた彼女が少し向こうでねえ! と声を上げた。
「バトル、はじめるよ!」
「……え、あ……う、うん」
 俺の返事が煮え切らないのに彼女は怪訝な顔をする。それはそうだ。し、ココガラも不安そうに俺を振り返る。向こう側にいるバニプッチはこれからするバトルにわくわくしている様子で、まるで新雪の上を遊び歩いているような心地だ。ポケモンバトルに否定的な感情は少しも伝わってこない。
「……そっちから来ないなら……バニプッチ!」
 ……あ、だめだ。俺がしっかりしないと、ココガラが傷ついてしまう。どうしたらいい? ココガラに傷ついてほしくない。俺はいままで一度も実際のポケモンバトルをしたことがないから、きっと指示も失敗してしまう。
「こわいかお!」
 俺に、何が出来る……? 考えるよりも前に、バニプッチが表情を変えるよりも前に。俺は走り出していた。
「……お、俺が戦う!!!」
「……はぁ!!??」
 ココガラよりも前に立ち、バニプッチに向かいたった。彼女が指示したこわいかおはゴーストタイプの技だ。名前の通りこわいかおをして、ダメージを与えつつ攻撃相手をひるませることもある。つまり、ココガラの前に立ち塞がった俺は、こわいかおのダメージを受けることになる。バニプッチはつい先ほどまでかわいらしい笑顔を浮かべていたのに。バニプッチの表情を変えた瞬間を見た途端にゾワ、肌が総毛立ちヒュッと喉が鳴った。息をすることを忘れてしまったのか? 足がガクガクと震えだして、極寒の地にいるかのように歯がカチカチとなり出す。だめだだめだだめだ、見るな。そう脳みそは赤信号を出しているのに、俺はバニプッチから顔をそらすことが出来ない。
 ココガラの動揺した鳴き声が聞こえる。いつの間にか目の前は真っ暗になって、俺の意識はそこで途切れた。



「ポケモンセラピストを目指すあなた方には、ある程度ポケモンと一緒に強くなることも必要です。癒やす対象のポケモンが落ち着いていればいいですが、気が立っていることも珍しくありませんから。あなた方が強くなることは、あなた自身もあなたのパートナーも守る手段となります」
 目を覚まして一番に顔を合わせたのは、この学校の校長だった。老齢の紳士は訥々と語り、しばらくしてからようやく俺は叱られているのだということに気が付いた。そりゃそうだ。バトル中のポケモンの間に割って入ったのだから。気を失った俺は騒ぎを聞きつけた職員の手によりすぐさま救急に運ばれたらしい。静かな声でどういうことかわかりますか、と聞かれて、俺は小さく返事をした。すると校長はおもむろに頷いて、また明日校舎で待っていますよ、といって帰って行った。
 右腕にわずかなしびれがあると首を向ければ、ココガラがのっしりと俺の腕に乗っていた。
「ココガ……」
「ガッ、ガァッ!」
 俺が声をかけると同時にココガラは俺をつつきだした。今朝のホテルでの優しいものとは全く違う。彼は俺に怒っているのだ。何故勝負の邪魔をしたと。何故いらない手を出したのかと。
「っ……ココガラ……」
 謝ろうにも口が動かず、そのまま腕に傷が増えていくのをじっと見つめていると、突如として病室の扉が開いた。ずかずかと勢いよく飛び込んできた彼女は先ほどの対戦相手で──。
「よくもあたしのバニプッチに人殺しなんかさせようとしたわね!」
 パァン、乾いた音と、数秒遅れて頬に熱を感じた。彼女に叩かれたのだ。ココガラは危機を察知したのかベッドの手すりを止まり木にしたため、彼女の腕があたるということもない。
 そういう彼女の目元は真っ赤で、腕に抱えたバニプッチも元気があるとはとても言えない。彼女はバニプッチを俺の視線からかばいながら、もう一度手を振り上げようとして……ココガラの力強い鳴き声を聞き、強く手を握りしめて下ろした。
 俺は、自分が傷つきたくないからと身勝手な行動をして周りを傷つけた。彼女も、彼女のバニプッチも、……ココガラも。ココガラは戦いたがっていた。彼自身勝ちたいと思っていたし戦うことに前向きだった。なのにパートナーである俺はあろうことか彼の勝利の機会どころか、戦う場すら奪い彼の信頼を裏切ったのだ。それに、一歩間違えれば彼女が俺を詰めた通り、怪我では済まなかった場合もある。もしそうなった場合、彼女とバニプッチはどうなる? そんなこと、考えなくともわかるはずなのに、本当に最低だ。校長は明日も待っているといってくれたが、どんな顔をして行けば良いのだろう。
 呆然としている間に彼女は帰った。ココガラも、病室の窓を開けてどこかへ行ってしまったようだ。ココガラに見捨てられた──目の奥が熱くなり、視界がぼやけるのを振り切るように俺は病室を飛び出した。彼はどこにいってしまったんだろう。道行く人たちやポケモンに尋ねて少しでも彼の痕跡が無いか走り回った。ちゃんと、ココガラと話をしなければ。何が「ポケモンの気持ちがわかる」だよ、俺は自分のことばっかりじゃないか。気持ちなんて全然理解できていない。また視界が滲むが、俺は泣いていいやつじゃない。そんなことをしている暇があれば、少しでも足を動かすんだ。


2020/01/17