蜜柑とアイスの共存

break tea time

exist


「紅茶がいい? それともコーヒー?」
「……どちらでも、」
「じゃあ紅茶にしよう。いい茶葉を最近譲ってもらったんだ」
 ポットから湯を注ぎ、色の変わっていく様をぼんやりと眺めていれば、しだいにあたりに漂うのは紅茶の香り。ソファで俯くテオの前にティーカップが置かれた。
「砂糖はこっち、お好みでどうぞ」
「……ルーカ、ありがとう」
 テオの言葉にルーカは微笑みで返す。砂糖を少し入れてからテオの横に座り、さましつつ一口。テオもそれにならい砂糖を入れてから紅茶の香りをかぐと、少しばかり気分が落ち着いた。
 ルーカの部屋を尋ねたのは、彼の仕事が終わってからだった。やや深刻そうな面持ちで相談があるとテオがもちかけると、ルーカが自分の家はどうかと誘ったのだ。彼のオールメイトは止まり木の上でスリープモードになっている。そういう設計になっているので当然なのだが、器用なものだとテオはぼんやり思った。横にいるルーカをちらりうかがうと、ふうふう冷ましてからカップに口をつけるという流れを繰り返しており、そのせいか彼を少し幼く見せている。
 それに少し微笑んだあと、数口飲んだ紅茶をソーサーごとテーブルに戻して姿勢を正した。
「それで、相談ごとなんだけど」
「うん」
 話しだすと、ルーカもカップを手元においたまま、テオに向き直るように居住まいを正す。
「僕の……両親のことなんだ。ええと、何から話したらいいか……蒼葉さんのことは紹介したよね、兄さんのパートナーで、今兄さんと一緒に暮らしてる人なんだけど」
「ああ、観光客かと思ってたから、驚いたよ」
「……うん、それであの日、実は兄さんと蒼葉さんが言い合いになってたみたいで。出て行った兄さんを探してた蒼葉さんと偶然会って、兄さんの行き先は僕には心当たりがあったから……迎えに行く前、二人が落ち着くために少し時間を置こうとして、その時ルーカのカフェに入ったんだ。兄さんと蒼葉さんの言い合いになった原因が父さんだってことはその時に聞いたから、家に戻った後に訳を聞いたんだけど」
 テオの手に力が入り、指先が白くなる。彼は唇を引き結んで震える息をこらえた。
「男性二人で一緒に暮らしてることについて、父さんが兄さんに言ったらしいんだ。……あらぬ噂を立てられるとか、……僕に、迷惑がかかるとか」
「……そう、なんだ」
「僕は両親にそんなことを心配されたくはないし、そもそも僕と兄さんは全く別の人間だ。それなのに順番がどうとか、周りからどうみられるだとか、そんなの、そんなの……絶対におかしい」
「うん」
 頷いて、ルーカは彼の言葉を待つ。いまは口を挟むときではない。ソーサーのふちを持つ手に力が入り、意図せずわずかな音を立ててしまった。これ以上音をたてさせないよう、意識してゆっくりと指をほどいていく。
「だから言ったよ。兄さんと僕は関係ないし、ちゃんとそれぞれ一人の人間だってこと。……それと、僕には男性のパートナーがいるってこと」
「……、言ったのかい」
「……うん」
「……それで、ご両親はなんて?」
「……何も。……ていうか、僕がそこで怒って出て行っちゃったから。何もきかないうちに……それで今朝も、挨拶ぐらいしか、話はしてない……」
 段々と花がしおれていくかのように言葉尻がすぼんでいく。テオは顔をうつむかせたまま、何も言わないルーカの顔を見られなかった。テオは今まで、尋ねられれば答えはするもののあまり積極的に家のことを教えようという気は無かった。最近になって家に帰ってきた兄のことは別だが、テオは"常識"に捕らわれすぎている両親のことを、テオと同じ男性で、交際関係にあるルーカには伝えづらかったからだ。
「そうか……とても勇気のいることだったろう、頑張ったね、テオ」
「そん、……頑張った、だなんて……半分以上、勢いで言っただけ、だよ……」
「勢いでもなんでも、だよ。おれだって昔、家族に言うときは怖かったもの」
 ずっと膝に乗せていた紅茶をテーブルに置き、固く握られているテオの手に触れた。彼の指は氷のように冷たく、ひどく緊張していることがうかがえる。手すさびをするようにゆっくりとほどいていき、ルーカは自分の体温が彼に移るようやわく握りしめる。
「……ルーカはどう思う?」
「……何がだい?」
「もし、僕たちのことを反対されたら」
 そう尋ねながら、何を聞いているんだろうとテオは思った。テオの両親が男性同士で付き合うことに対し反対したとしても、親に言われてどうこうするような話ではないとルーカに伝えたばかりなのに。ルーカに「それでも一緒にいたい」と言ってほしいのだと、そう誘導している自分の狡さに歯がみする。
「……。テオは……、テオは、どう思う? ご両親に反対されたとして、どうしたいんだい?」
「……僕は……」
 つながれていた指がより絡まった。力を入れたのはどちらだろうか? 僕は……。そういいかけて顔を上げると、ルーカはまっすぐにテオを見つめていた。その瞳は一種の覚悟のように見える。相手の言葉を待っている目だ。自分の中にある、こうありたいという形は見えているが、踏み切ることができない。もし相手が自分との離別を望むのならば、自分はそれを尊重しよう。そんな、危うい覚悟。きっとその瞳の意味は、テオでなければわからなかった。なぜテオはルーカの機微を感じとれたのか? その理由はあまりにも明確で、だからこそテオは切なさで泣きそうになった。
 ──ルーカの考えは、テオと同じだったのだ。相手のことを愛しく思っているけれど、愛しく思っているからこそ、手を離すことを考えてしまう。
 そのことに気付いたならば、踏み出さなければならない。何のために? 他ならない、自分たちのためだ。テオは、からからになった喉に無理やり唾液を押し込み口を開く。
「僕は、それでもルーカと一緒にいたい」
「……テオ」
「両親がなんと言おうと、僕が大切に思っているのはルーカだ。他の誰でもない、ルーカなんだ」
「……」
「だからルーカも、……君にも、僕を選んでほしい」
 繋いだ手を自分の胸元に引き寄せる。先ほどまで緊張で冷たくなっていた指先は次第に温まっていく。ルーカが数度瞬きを繰り返して、引き寄せられた手に視線をやる。
「……、テオ……」
「なに? ……わ、ルーカ……」
 テオの肩に顔を押しつけるようにしてもたれかかった。ぐいぐいとルーカの体重がかかっているが、驚きつつも文句を言うことはない。彼の背中にそっと手を回すと彼は身じろぎをして、くせのある茶髪が頬をくすぐった。ルーカがもう一度、常よりいくらも頼りなさげな声色で彼の名前を呼ぶと、テオは柔らかくどうしたの、と聞き返した。
「……うれしい」
「うん?」
「そんなの! おれだって君と一緒にいたいに決まってるじゃないか」
「……うん、ありがとう。ルーカが僕に、ずっと好きだって言ってきてくれたおかげだね」
「これからもずっと言い続けるよ。大好きだよ、テオ」
「ありがとう、僕もだよ。……ふふ」
「? なんだい?」
「……いや、ごめん……本当に、たくさん好きだって伝えてきてくれてたんだなって思って……。最初の頃はあんまりストレートに伝えてくるから、なんとなく恥ずかしくて。でも今は素直に嬉しいって思える」
 ずっと握ったままだった手もルーカの体温ですっかり熱くなった。そちらも彼の背中に回すと、彼もテオを抱きしめ返す。まっすぐに伝えられた好意を照れずに返せるようになるとはテオ自身思っていなかった。次はなんでもない時に自分から言えるようになるべきかな、と想像してから少し笑う。

 そういえば、とぬるくなった紅茶を飲みつつルーカは尋ねた。
「おれはテオのご両親に挨拶に行けばいいの?」
「えっ」
「あれ? 相談事っていうから、ご両親に畳みかける作戦なのかと思ってた」
「え、えっと……うん? それもアリなのかな……?いやいや、ちょっとまって」
 あまりにもけろっとルーカが言うのでテオは流されかけた。自信満々な提案は時に人を混乱させる。こめかみを抑えつつ自分を律してテオはストップのポーズを取った。
「流石にそれは、ごめん、ちょっとまって。キャパオーバーだと思うから」
「あはは」
「あははじゃないってば……もう」
 先ほどの自信なさげな態度はどこへいったのか、とテオは思ったがそれはお互い様だ。なにも恥ずべきことはしていないという自信を持ちながらも、やはりどこかに後ろめたさのようなものを抱えている。だからこそルーカも、あえてテオの質問に問い返したのだろう。そもそもルーカが初めに一歩踏み出さなければ、始まらなかった関係なのだ。
 だからといって、それをルーカが引け目に感じる必要はないとテオは思っている。ルーカが連絡先を渡したことと、それからテオがルーカの気持ちに応えたことはまた別の話だからだ。ルーカがテオにアプローチをして、結果的にテオがルーカに振り向いた、それが全てだ。
「じゃあさ、おれのうちくる? 実家」
「……実家」
「うん、おれに彼氏がいるってことはもう言ってあるから」
 いつもの調子にもどったルーカはにこにこと誘う。テオがあまり自分の家について話さない代わりに、ルーカはよく自分の家について話していた。そもそもルーカは話好きなので彼に関することはきかなくても直接聞けるのだが、いままで聞いた話を思い出しながらテオは尋ねる。
「ご両親と妹さんがいるんだったっけ」
「そうそう、兄と姉はもう結婚してるから家から出てるよ」
「……あれ? お姉さんこの間離婚したっていってなかった?」
「そうなんだけど、またこれは! っていう人見つけたみたい。知り合って二ヶ月だって」
「……そうなんだ……。それは……おめでとうございます……?」
「あはは、ありがとう」
 愛多き人なんだな、とテオは思った。あまり聞いたことのない種類の話に驚いたが、ルーカは特に思うところはないらしく朗らかに笑っている。紅茶のおかわりを淹れるというルーカに甘えて二杯目を待った。今度は砂糖を入れずストレートだ。ふうふうと少し冷ましてからいただく。テオは落ち着く香りで満たされた。となりに腰かけたルーカと目を合わせて微笑む。
「……そうだね、そのうち、ルーカの家族にも会ってみたいな」
 その時のルーカの嬉しそうな表情といったら。


18/3/12