蜜柑とアイスの共存

break tea time

first contact


 ある日の昼下がり。ルーカは客と談笑を交えつつ今日も今日とてカフェの店員として働いていた。料理を運んだり常連客にマキアートを淹れてほしいとねだられたり、何ら変わらない日だ。
 来客を告げる音に振り向きいらっしゃいませ、といつもの笑顔で迎えると、長い青髪の青年がそれよりも深い色をした青毛の犬を連れていた。きょろきょろとしきりに見渡している様子を見るに、この辺りには不慣れなのだろう。顔立ちがアジアっぽいのでおそらく観光客か。簡単な言葉を選んで一人かどうかを尋ねるとなんとか聞き取れるらしく、頷いたので席へと案内する。
「ねえ君、アジア人? 中国人かな」
「……?」
「あー、なるほど……Are you Chinese?」
「! No,I'm Japanese」
「Japanese!」
 ルーカの反応に彼は肩を跳ねさせた。ルーカとしては、恋人の兄が日本人と縁があったという理由でテンションが上がっているのだが、そんな理由を知る由もない彼は目を白黒させている。対するルーカも、目の前にいる人物がまさにその日本人だということは露ほどにも想像していないのだが。
 このカフェには地元客はもちろん、観光客も多く訪れる。なので、ある程度観光客の多い国の軽い言葉ならば話すことができるのだ。加えて、現在のルーカは「日本人にはいつもよりもっと優しくしようキャンペーン」中なのでいつもよりさらに割り増しの笑顔で彼に話しかける。
『コンニチハー!』
 すると、緊張した面持ちの彼がふっと相好を崩した。その国の言葉でのあいさつは、慣れない国で緊張している観光客の肩の力をほどよく抜いてくれるのだ。その手助けができるならばガンガン話しかけよう、というのがルーカの考えである。
『こんにちは』
『注文決マったら、呼んデね』
『ああ、ありがとう。……えっと、Danke schon』
 つたないドイツ語で返すとルーカは笑みを深めて去っていく。日本人観光客である──こちらに移住するつもりで来ているので、正確には観光客ではないが──蒼葉は、足元にいる蓮に話しかけた。
『びっくりしたー……、たまに日本語通じる店もあったけど、向こうから日本語で話しかけてもらえるのって、やっぱうれしいもんだな』
『ああ。ノイズとの会話以外では、ドイツ語が基本だからな。コイルを通しているから意味はちゃんと分かるとはいえ、直接耳に届くのが母国語というのは、やはり安心感が違うだろう』
 な、と相槌を打ち、メニューを見る。やはりドイツ語で書かれているため翻訳にはコイルが必要だが、あの店員のおかげで午後の語学勉強は捗りそうだ。と蒼葉は微笑んだ。

 先ほどの日本人客と入れ違うように来店したテオに、ルーカは微笑ましい客がいた、という話をした。
「テオと同じくらいの年かな? 日本人の子が来てね、ドイツ語はほとんどしゃべれないみたいだったけど、かわいかったよ~。その子、犬のオールメイトを連れてたんだけど、頼んでくれたラテでその犬を描いてあげたらすごく喜んでさ」
「そうなんだ、喜んでもらえてよかったね。……僕もたまには、ルーカにラテアート頼んでみようかな」
「おっ、何をリクエストしてくれるんだい?」
「うーん……ルーカのオールメイトにしようかな」
「……おれの? どうせなら君のオールメイトの方がよくないかい?」
「僕のオールメイトのこと、一度しか見たことないよね? 思い出しながら描けるの?」
「……やって出来ないことなんてないさ!」
「っふ、頼もしいけど……やっぱりルーカのオールメイトをお願いするよ。……ふふっ……」
 くすくすと笑いをこらえきれずに身体を震わせるテオ。ルーカはわざとらしく口を尖らせて、それでもすぐ一緒になって笑ってしまう。一度厨房に戻り、しばらくして出てきたカップの中を覗き込むと、そこには凛々しいフクロウの姿があった。
「わ、流石だね」
「ふふん、お褒めに預かり光栄だよ。最近は料理もね、店長から鍛えられてるんだ」
「そうなんだ。それじゃあ近々、ルーカが作った料理も出すの?」
 テオに尋ねられ、少し難しい顔をする。将来的にはそうなるかもしれないが、店長からみてルーカの料理はまだまだらしい。不味いという言葉こそ使われてはいないものの、未だに店長がルーカの料理を食べていい表情をしたことはない。及第点をもらえる日もいつになることやら。そもそも、店長から直々に鍛えてもらえるだけありがたすぎることなのだ。
「ルーカは器用そうに見えるのにね」
 施されたラテアートを見下ろしてテオは言った。それに、今まで彼の家を訪れた時に出してくれたものも、十分美味しかったのに。そう感じているだけに、流石プロは厳しいのだな、と今日も変わらず美味しい家庭料理を口に運んだ。
「んー……そもそも料理に対しては苦手意識があるからなあ。そこもいけないのかも……まあ、克服できるように頑張るさ」
「うん、頑張って。……ね、ルーカ」
 去ろうとしたルーカを呼び止め、テオはさっとあたりに視線を送る。この囁き声が聞こえそうなほど近くにいるのは、うたた寝をしている老人客一人だ。
「……今日、君の家に行ってもいい? ……ルーカのオールメイトに会いたくて」
「勿論、彼も喜ぶよ」
 じゃあ、また後で。お得意のウインクをしながら、彼はそう告げた。



「ルーカ、いつもの頼むよ」
「オッケー、今朝は店長が市場でいい食材が手に入ったって言ってたから、いつもよりさらに美味しくできるよ。楽しみにしてて」
 口端を引き上げてオーダーを通す。「それは楽しみだ」と上機嫌に返した老紳士は週に何度も通っている常連客で、また偶然隣り合った客ともよく世間話をしている、おしゃべり好きの老人だ。次第に混み合ってくる時間帯だが、このカフェのコンセプトは客にゆったりと過ごしてもらう時間を提供することだ。心なしかいつもよりソワソワとしている彼に心当たりがあり、ルーカはそういえば、と声をかける。
「メンテナンスに出してたっていうオートメイルはどう? 元気かい?」
「ああ! すっかり元気になって戻ってきたよ。彼女はもう古い機体で、パーツを見つけるのが難しいと言われていたんだが……タイミングが良かったみたいでね」
「そうなんだ、彼女が元気になって本当によかった。またウチに連れてきてよ、久しぶりに挨拶したいな」
「ああ、彼女も喜ぶ」
 ニコニコと嬉しそうにする彼につられる。オートメイルを長く使っている人はそれだけ機体に愛着がわいており、なるべく同じ姿のままずっと暮らしたい、と考える人が多い。特に彼は自身のオートメイルを、暮らしを豊かにするための機械というだけにとらえているわけではなく、本当の子供のようにかわいがっているのだからなおさらだろう。
 来客を知らせるベルがなった。手の空いていた別のホール担当が接客に向かったのを見て、はた、とルーカは会話をとめる。
 二人連れで入ってきた客はルーカの恋人であるテオ。そして、そのあとに続いたのは青い髪をした日本人。数日前、ルーカが接客をした観光客だったからだ。
 ──…彼らは、友達同士だったのだろうか?
「ルーカ? どうかしたのかい」
「──…ああ、いや、なんでもないよ」
「うん? ……ああ、あのアジア人っぽい子、この前も来ていたね」
「……そうなんだけど……彼とは話した?」
「いいや? 残念ながら。今日はいつも来る彼と一緒のようだけど、しばらくこちらに滞在するのかな。機会があれば、是非話してみたいものだね」
 彼らの様子は剣呑──というような感じではないが、なんとなく話しかけづらい雰囲気がある。テオは一人でこのカフェに訪れることがほとんどで友人と共に訪れたことはほぼ見たことがない。何か大切な話だろうかと思案して、今はあまり触れない方がいいだろうとそっとしておくことにした。

 とはいいつつ、通常の接客から外れない範囲で気にするものはする。奥の席へかけていた客へ料理を運んだ後、ふと彼らを見やるとテオと目が合った。連れの日本人客もこちらを凝視している。
 注文だろうか、そう思いにこやかに近づくと、青髪の彼は動揺したようにテオとルーカを交互に見た。
「ルーカ、この方が、兄さんが日本でお世話になった蒼葉さん」
「……え、」
『蒼葉さん、こちらが、先ほど言った僕のパートナーの、ルーカです』
『……』
 いきなりの紹介にルーカは彼と視線を合わせたまま固まった。ゆっくりとテオの言葉を飲み込み、先に復活したのはルーカだった。
「君が! へえ、そうだったんだ。驚いたな、こんな偶然ってあるんだね!」
「……あれ、もしかして、もう既に……?」
「うん、君に以前話しただろう、かわいい日本人客がいたって。彼のことだよ! ……わぁ、また会えてすっごくうれしいよ、コンニチハ、アオバ!」
『……え、えっと……?』
『貴方にまた会えてうれしい、と言ってます』
『こ、こちらこそ……?』
 きょとんとしていた表情から一変、笑顔に変わり蒼葉の手をぎゅうと握ったルーカに目を白黒させる。行方不明になったノイズの居場所を探していたら偶然テオに会い、このカフェで蒼葉から見たノイズのことや、テオの話を聞いていたら、テオから「兄と蒼葉さんは付き合っているのではないか」と問われた。嘘がつけないこともあり素直にそうだと頷いた蒼葉だが、テオの口からは驚くべき言葉が聞こえた。
「……それに、僕のパートナーも……男性なので……」
 だから、先ほど話した理由も含め、実の兄が男と付き合っていたとしてもマイナスの感情を抱くことはない。と続けられた。さらに聞けば、相手はこのカフェで働いている店員だという。呼ばれた人物は蒼葉にとっても印象深かった、蓮のかわいらしいラテアートを披露してくれた人物で。
『ええと……ラテアートを作ってくれたオニーサンがテオの彼氏で……?』
『蒼葉、思考がショートしそうだ』
『だぁあ、わかってるよ』
「? 大丈夫かい」
「……顔見知りだったみたいだから、余計に蒼葉さんは驚いてるんじゃないのかな」
 足元に蓮の感触を感じて視線を下に落とす。テオとルーカが何かを話しているが、ドイツ語なので蒼葉にはよく聞き取ることができない。あまり回転がいいとは言えない思考回路のなかではじき出した結論。
『……なぁ蓮。……偶然って、あるもんなんだな』
『そうだな、蒼葉』
 事実は小説より奇なりとはこういうことなのだろう。しみじみと蒼葉は思った。

 ルーカが蒼葉と喜びの再会を果たした後、しばらくして蒼葉が少し急いだ様子で店の出入り口へと向かっていく。見送りの言葉をかけると、それに反応した彼はぐるりと進行方向を変えてこちらへと向かってきた。かと思うと「今日はありがとう、また今度改めて話したい」というようなことを、たどたどしいドイツ語を使って話してくれる。頷いて「またね」と手を振ったルーカに会釈をして、彼は店から去っていった。
 その様子をみていた老紳士が「仲がいいんだね?」と少し驚いたように話しかけてきたのを、ルーカ自信満々に「だろう?」と胸を張る。
「彼とは、これからもっと仲良くなる予定だからね」


18/3/8