蜜柑とアイスの共存

break tea time

zoo


 以前電話で約束した通り、テオとルーカははずれにある店で料理に舌鼓を打っていた。この店はテオが見つけた場所で、前々から気になってはいたが中々訪れる機会がなく、どうせならと思いルーカを誘ったのだ。評判を聞いていた通りでとても美味しい。テオが様子を伺うとルーカも同じ意見だったようで表情を綻ばせていた。
 一通り料理が済みデザートも食べ終えた頃、そっとルーカがテオの手に触れ、じっと目を見つめながら問いかける。
「ねぇテオ、次のデートはどこに行く?」
 伊達男然とした態度はこの短期間で慣れるものではないな、とテオは思う。気恥ずかしさから客や店員の目がないことを探り、触れられた手を指の腹で撫で返した。蓋を開けてみれば彼はスキンシップが多いタイプなようで、ふとした拍子に触れてくることが多い。テオ自身は誰に対しても、多いつもりも少ないつもりもないが、ルーカは人一倍そういった触れ合いが好きなようだ。
 もしかして、仲のいい人ならば女性相手にも自然にボディタッチを含むスキンシップを取るのだろうか……。以前は知らなかったが故に気にならなかった疑問が浮かぶ。やきもちというよりは単純に、気さくなルーカの性格であればそういうアピールであると受け取る女性も少なくないのではないか、という懸念からだった。
 考え込んでいると、テオが答えあぐねいていると受け取ったのだろう、ルーカは再び口を開く。
「もし君がいいなら、行きたいところがあるんだ」

 二人の休日が合うタイミングを話し合い、訪れたのはいつものカフェの近くにある動物園だった。通り道としていつも近くを通るのだが、長らく中には入っていない。テオは久々にみる園内に懐かしさを覚えながらぐるりとあたりを見回す。
「最近、ライオンの赤ちゃんが生まれたっていう話を常連の子から聞いたんだ。その分いつもより人も多いけど、見てみたくって」
 そう言って笑うルーカは楽しみで仕方がない、といった様子だ。つられてテオも微笑みながら園内を周り始める。
「そうだったんだ。……動物園に来るのは、久しぶりだな。でも、建物の位置とか結構覚えてるものなんだね」
 受付でもらった園内マップを見ているルーカの手元を、横から覗き込んで現在地を確かめる。多少は増設されていたり飼育されている動物の配置が変わっていたりということはあるが、記憶の中とそう大きく変わった様子はない。
 テオのルーカに対する口調が砕けたものに変わったのは、ある勘違いからそれまでするつもりのなかった連絡をテオがとった後日、ルーカからの電話を取った際に言われたからだ。ルーカは元々フランクな話し方をしていた反面、テオは基本的に丁寧な言葉遣いを心がけている。現在はただの店員と客という関係性ではないのだから、と納得したテオは友人や家族と接するときと同じ砕けた話し方をするように変えたのだ。
 どうやら今日一番の目当てであるライオンの飼育舎は、少し歩いたところにあるようだ。家族連れや友人同士できているのだろう人混みにまぎれて園内を見て回った。日向でまどろむ象や悠々と泳ぐペンギン、黙々と草を食むヤギなど、それぞれの動物を眺めてはあの姿がかわいい、その姿がかっこいいと会話をはさむ。いつも大人びて見える──テオよりも年上だから当たり前なのかもしれないが──ルーカも、今日ばかりは童心にかえり楽しんでいるようだ。そしてテオ自身、久々の動物園に興奮していることも自覚していた。
 やがて、ライオン飼育舎の前へとたどり着く。子供が生まれたばかりとあって、その姿を一目でも見んとする人々で賑わうそこは、やはり人の流れが複雑だ。場所が場所なだけあり小さな子供も楽しげに走り回っている。時折スッと足下を横切るのを見逃さないように注意するのが大変だ。
「……ルーカ、疲れてない?」
「うん、問題ないさ、テオこそ大丈夫かい?」
「僕は大丈夫」
 テオよりも体格のいいルーカは、なるべく人に流されないよう先導している。その後ろをついていくだけのテオより気を遣う場面も多いだろうに、振り返る彼はいつもの笑顔だ。
 そっと、空いている彼の手に触れた。彼から触れてくるときもそうだが、彼は大抵の場合手が熱い。趣味で運動をよくすると言っていたし、おそらくテオとは筋肉量が違うのだろう。決して薄いわけではないと自負しているが、自分だって、もう少し運動をすれば頼りがいというものがでてくるのではないか。
 少し驚いたようにルーカが振り返った。逐一テオを気にかけるルーカは頼もしいが、楽し気にすごしていたとしてもそれではルーカばかりが疲れてしまう。
「はぐれないか心配なら、こうしていればわかるでしょ?」
 そう言って微笑めば、あふれんばかりの笑顔で握り返される手の感触。言ったそばから強めに背中を押されてしまった。たたらを踏んだが、転ぶ前に力強く手を引かれた。さっそく役に立ってしまったね。冗談めかして二人で笑いあった。
 やっとたどり着いたライオン飼育舎前。強化ガラスで仕切られた中にとうとう仔ライオンとその母らしいライオンがすやすや眠るのを見付けた。ガラス前はほぼ暗黙の了解で子供専用となっているので、少し離れたところからその様子を見守る。周りから聞こえるのは和やかな声ばかりで、それと同じ感想をテオも抱いた。
「気持ちよさそうに寝ているね」
「ちょうどお昼寝の時間なのかな?」
 元気に動き回る姿を想像していたが、眠っている姿も微笑ましい。それからもうふたつ、みっつと感想を言いながら人の流れにゆるやかに乗っていくと、ガラス前以降は皆思い思いの場所に散っていくのか、先ほどの混雑はなんだったのかというほど楽に歩くことができるようになっていた。握ったままの手を少しだけ気にしていると、そのままルーカが「こちらだ」とでも言うようにくいと軽く引いた。
「人混みにいたし、疲れてない? 良い頃合いだしお昼にしようか」
「……うん、そうしよう」
 つながれたままの手をすこしむずがゆく思うが、決して嫌ではなかった。彼の後ろ姿をもう一度見て、口元が緩んでいないか確認する。腕を引かれていた状態から数歩進んで、彼の隣へよりそった。

 テオはいつも彼の働く店で食事を取っているが、逆にテオがルーカの食事をしている場面をみたことはほとんどない。ルーカはいつもまかないをスタッフルームで食べているようだし、実際のところ、この間一緒に食事へ行ったのがようやく初めて見る彼の食事シーンだった。つまり今回がやっと二度目。ホットドックを頬張るルーカを新鮮な気持ちで眺めていた。
「……? どうかした?」
「あ、ううん、ごめん、じろじろと……」
「いや? 歓迎だよ、テオがおれのこと熱く見つめてくれるのはね」
「熱……ぼ、僕……そんな風に見てた……? そんなことないよね……?」
 ご機嫌なウインクを贈られたテオはぱっと目をそらして自分の顔を触った。その様子にルーカはまた笑みを深めて冷めてしまうよ、と食事を促す。からかわれている、とまでは言わないが、ルーカのペースに翻弄されているようで少し恥ずかしい。顔の熱さを誤魔化すように、テオも昼食をはじめた。
 腹ごしらえも済み、次に向かう場所はどんな動物の飼育舎があるのかパンフレットを覗き込んでいると、今度はルーカがテオを見つめている。先程言われたセリフを借りて、そんなに熱く見つめてどうしたのと問い返すと、彼はおかしそうに笑った。わかってはいたけれど、ルーカの照れた顔を見るのは難しいようだ。
「ふふ、おれはね、君を一目見た時から好きになっていたんだ」
「……、そ、それって……」
「一目惚れってやつかな。こう、ビビッ! と、でももしすぐに声をかけて、君が店に来てくれなくなったらどうしよう、そう思ってなかなか言えなかったんだけどね」
「……すごく、手慣れてるように見えたけど……」
「そう見えた? おれとしては結構ドキドキしっぱなしだったんだけど……、でも、そんな君と一緒にデートをしているなんて、まるで夢みたいだよね」
 知らなかった。ルーカがどういう気持ちでテオに声をかけてきたのか、いつからテオのことを見つめていたのか。テオがルーカの気持ちを受け入れてから紡がれる愛の言葉に、どれほどの感情が詰まっているのか。家族からもこんなに頻繁に愛情を口に出されたことはないが故に、ルーカの前ではいつも照れている気がする。黙り込んだテオにルーカが首を傾げた。
「……ううん、僕って、思った以上に貴方に好かれてるんだな……って、改めて知ったというか……」
「! ふふ、おれはテオのこと、大好きだよ。これからもいくらでも、沢山伝えていくからね」
 こういうところだ。きっとルーカは家族や友人たちから、いま彼がテオに伝えているようなストレートな愛情をたくさん受け取って来たのだろう。そう素直に感じるくらい、彼の愛情表現には迷いがない。
「……僕も、ルーカのことが好きだよ」
 彼から向けられるものに対して返したものは、彼よりもずっと小さいはずなのに。心の底から嬉しそうにするのだから、テオはたまらなくなってしまう。
「……こういうところ、なんだろうな。本当に」
「……ん、何か言ったかい?」
 ただの独り言だ。首を振って、次はどこに行こうかという話に戻ろうとパンフレットを指した。

 園内を周り、また同じように次々動物を見て行く。しばらくするとライオン飼育舎ほどではないが、賑やかな場所があった。
「テオ、うさぎに触れるみたいだよ!」
「ほんとだ、かわいいね」
 どうやら飼育されているうさぎと触れ合えるようだ。ここも昔と変わらないな、とルーカに誘われ触れ合いコーナーへと向かう。飼育員の話とおりにうさぎを抱くと、指示通りにできていたのか暴れることもなく腕の中に収まってくれた。
「テオは、うさぎは好き?」
「うん、好きだよ。……元々好きだったけど、どちらかというと兄さんの影響が大きいかな?」
「兄さん? 兄弟がいるんだ」
「うん、兄さんは僕よりも二つ年上で……昔から僕に優しかった」
「へぇ、仲がいいんだね! それってとっても素敵なことだ。是非今度紹介しておくれよ」
「……」
「……テオ?」
 急に黙り込んだテオを不審に思い声をかける。いや、と返事をしてかぶりを振ったテオは浮かない表情だ。
「……ごめん。兄さんは、何年も前から家には戻ってないんだ」
「……えっと、家出……ってこと、なのかな」
 頷いた。今どこにいるのかすらわからない。きっとどこかで過ごしていると信じてはいるけれど、心配でたまらない。だが、その兄がいつ家に帰って来てもいいように、テオは努力をし続けているのだ。
「……また、君の兄さんに会える日が来るよ。きっと」
 そんなテオの心情を慮ったルーカが、それ以上深く聞くことはしないまま、膝に乗せたうさぎを撫でながら言う。その言葉にはなんの根拠もないことはわかっていたが、慰めの意図を受け取ったテオはそうだといいな、とかすかに笑い返した。

 園内をぐるりと回った頃にはもうすでに夕暮れ、辺りは暗くなりかけていた。ルーカとテオ二人と同じく退園ゲートをくぐる人も多く見うけられ、この時間特有の侘しさが風とともにやってくる。
「今日は誘ってくれてありがとう、ルーカ。とても楽しかったよ」
「楽しんでくれたならよかった! おれも、今日一日君と過ごせてとっても嬉しかった」
 おれも動物園に来たのは、すごく久しぶりだったから、そう続けられた言葉に少し驚いた。ルーカが動物園に行こうと誘ったきっかけの話を聞いたのは、常連客からの情報だ。きっと今までに誘いを受けたことは一度や二度ではないだろうし、こういうのもなんだが動物園はデートスポットとしては定番だから、当然何度も足を運んだこともあると思っていた。
「……ルーカは、よく女性のお客さんからデートに誘われることも多いんじゃない?」
「ああ、そういうこともあるけど……おれは一途なタイプなんだ。言ったろう? テオに一目ぼれしたって。君にフられるまでは少なくともそういう気にはならないし」
「そ、……うなんだ」
「意外?」
「えっ、と、そういう訳じゃ……」
 図星を突かれてしどろもどろに答える。テオからルーカへの評価は手慣れている、というのが正直なところだし、その慣れている理由は今まで様々な経験をしてきたことが理由だと考えていたからだ。テオへ連絡先を渡した時の様子からもきっと相手は女性に限らなかったのだろうし――本人は本人なりに緊張していたと言っていたが――とにかく、愛多き人だというイメージが強かった。
 なんとなく後ろめたい気分になりながら歩を進める。ふと名前を呼ばれ、少し高いところにある彼の顔を見上げると、頬にやわらかな感触とリップ音が聞こえた。
「おれは、テオが一番だよ」
 恥ずかしげもなく伝えられ、数度挨拶のようなキスが繰り返されたあと、今度は唇にも同じ感触が幾度も降ってくる。通りから一本入ったところで辺りに人影はないが、二人きりという状況もそれはそれで心臓に悪い。
(こ、こういうところが手慣れてるようにみえるんだけど……)
 ここまで自然にされると、むしろ自分がうぶすぎるだけなのではないかという思いが生まれるが、仮にそうだとして、そこまで不慣れであるように思われるのは男としてのプライドが刺激される。
「ルーカ、く、くすぐったい……」
「んー、ふふ、好きだよ、テオ」
 くすくすと笑いながら彼はキスを繰り返す。これでもか、というほど好き好きオーラを振りまくルーカをどうしようかと逡巡した後、いつのまにか握られていた手をそっとはずして彼の首の後ろに回した。少し力を込めれば難なく彼を引き寄せられて、彼の吐息が唇をくすぐる。しっとりとした唇を開けるように促して、そっと開けられた口に入り込んだ。わずかに聞こえるくぐもった声と、触れ合う柔らかな感覚。
「、っん……」
「……ふ、……」
 しばらくしてようやく離れると、二人の間を銀糸がつなぎやがて落ちた。そっと目を開けると、とろり熱っぽくこちらを見つめるルーカと視線がぶつかる。もう一度近付く顔にテオは応えようと――して、耳に届いた楽しげな誰かの話し声を聞きつけ、ルーカの口元を塞ぐ。
「んん、……テオ?」
「ひ、人が……」
 言うと、ルーカも気が付いたのだろう。テオに口を塞がれたままんー、と小さく唸ってから頷いた。
 ほっとして身を離そうとすると、それよりも早くルーカがテオの手首を掴み指先をやわく食む。わざと音を立てて吸われると、テオが何か言葉を言うまえにぱっと解放された。
「……さ、帰ろうか」
「……、うん」
 もうすっかり日は落ちて空は暗くなっている。表情が分かりにくい時間帯でよかったと、テオは熱い頬と指先を感じながら内心で呟いた。


18/3/6