蜜柑とアイスの共存

ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる


二年目の誕生日


 時計とにらめっこをして表示が変わった瞬間にメッセージを送信する。規則正しい生活をしているからもうすでに寝てしまっているかもしれない。それでもいい、ただ自分が送りたかっただけだから。
 そう何度か自らに言い聞かせて十秒ほど画面を見つめたあとソファに寝ころんだ。ドキドキと胸が高鳴って眠れそうにないけれど、明日も平日で朝が早いのだ。返信はまた朝待つことにしてベッドに入らなくてはならない。
 一息ついて立ち上がったところで通知が鳴った。光の速さで確認すればただ一言、
『夜更かししてないで寝ろ』
 というそっけないメッセージが来ている。そんな内容にもかかわらず、にやつく表情を抑えもせずにまたぽちぽちと文字列を形成していった。
 一番最初に柳瀬が送ったメッセージの内容は『お誕生日おめでとうございます』と、恋人がこの世に生を受けたことを寿ぐものだった。
 続けてメッセージを打ち込むも、やりとりは何度か往復するよりも前に返信が来なくなったため早々に打ち切りとなった。二宮が送った言葉とたがわない、言外の「寝ろ」というメッセージだと理解した柳瀬はしぶしぶ端末を伏せてベッドへ潜る。
 眠れないと思っていたが、目を閉じてしまえば眠りに着くまではあっという間だった。

「にーのみーやさんっ」
 二宮の家のチャイムを鳴らすと彼はすぐに玄関を開けた。いつもどおりの表情で駆け寄る柳瀬を迎える。
「えへへっ、お誕生日おめでとうございます!」
 飛びついたにもかかわらず体幹のブレない二宮は涼しい顔だ。柳瀬の身体と言葉を受け止めああ、と返事をした。
「たつき。おまえ、ただでさえ居眠りが多いんだから夜はちゃんと寝ろ」
 そして開口一番、お説教が始まった。しかし柳瀬は彼の言葉を聞きつつも意に介していない様子でにこにこと首をかしげる。
「えー、でも二宮さん、日付変わった直後にぼくからメッセージきて嬉しかったでしょ?」
「──…」
 何せ去年の誕生日は柳瀬と冷戦状態にあったのだ。後日改めてお祝いをしたとはいえ、祝ってほしかった、という言葉を聞いた時の衝撃は筆舌に尽くしがたい。
(これからは絶対に二宮さんのこと……寂しがらせないようにするって決めたんだから!)
 そう決意を新たにした柳瀬が彼の表情を伺うように見上げると、唇が横一文字に引き結ばれていた。
「……今も言っただろ。……それで十分だ」
 照れ隠しと、そこから見える本音。両方が混ざり合った彼の態度ににやける頬を隠さず笑い声をあげると、二宮は無言で柳瀬の頬を摘まんだ。
「……なんだ」
「ふふ、二宮さん、大好き!」
 頬を摘まんでいた二宮の指が、弧を描く唇をそっと撫ぜる。そのまま二宮自身の唇に押し当て目を細めた。
「ああ……俺もだ」
 その姿のあまりの妖艶さに、柳瀬は彼の部屋に上がるまでの記憶がない。



 薄暗くした部屋の中で肩を寄せ合いテレビを見つめる。柳瀬の持ってきた手土産のケーキ──お名前入りプレートは、それとなく拒否されてしまった──と、紅茶を味わうのに不安のない明るさで予告CMを眺めていた。
「……ほんとに、映画でよかったんですか? どこか行きたいところとか……」
 準備中にも聞いたことをもう一度尋ねるが、やはり彼はうなずくだけだ。
「気になるって言ってただろ。俺も公開中に行けなかったからちょうどいい」
 柳瀬はサイドエフェクトの関係で、本来ならば静かでかつ暗闇のはずの映画館もスクリーン越しに人々の影がちらつくため、映画鑑賞が得意ではない。だから普段から作品を見る機会はあまりないのだが、以前ふと漏らした言葉を二宮は覚えていたらしい。
 二宮の誕生日なはずなのに、結局甘やかされている。そう考えながら横にいる二宮を見上げ、今度こそ画面に意識を向けた。
 映画の内容は、主人公がダイナミクス性が存在しない平行世界にトリップしてしまうというSFものだ。
 ごく性質の弱いSwitchである主人公は今までの自分と同じように過ごそうとするが、それでも日常生活では補いきれないダイナミクスの性質が出てきてしまっててんてこ舞い……という内容。全体的にコメディとしてまとめられているが、主人公の体調やダイナミクス性の有無により変わってしまったように見える周囲の人々との軋轢を、シリアスなエッセンスとして機能させている。
 それでもなんやかんや主人公は元いた世界に戻ってくることができた。エンドロールを眺めながら、ぽつりと二宮へ尋ねた。
「どうしますか? ダイナミクス性が存在しない世界に行っちゃったら」
「……Sub dropは一度で十分だ」
「あはは、やっぱり、そうなっちゃいますよねえ……」
 二宮の方がプレイの必要頻度は高いが、柳瀬自身もプレイが日常的にできなくなればひと月も経たないうちに体調を崩してしまうだろう。しかし、ダイナミクス性が存在しないというのはどういう感覚なのだろう。褒められたいとか支配したいだとか、そういう感情が希薄になった世界。エンタメ作品なので誇張された表現は多々あったが、だからこそ想像の余地は広い。
 そして、ふと思い浮かぶ。
「……もしぼくたちの世界にダイナミクス性が存在しなかったら……二宮さんとぼくは、出会ってなかったかもですね?」
 国も隣人も近所のチェーン店も同じ。けれど身体の仕組みが決定的に違う。別に深刻に捉えていたわけではないが、柳瀬の疑問はすぐさま否定された。
「いや、変わんねえだろ」
「え? そうですか? だって、二宮さんのダイナミクス性の乱れでこう……関わりができたわけですし」
「……ダイナミクス性に関したことがごっそり抜けてたとはいえ、歴史上の出来事も、家族も友人も変わりなかっただろ。この世に起こる出来事の中で、ダイナミクス性が一つも関わってないなんてあり得るか?」
「それは……たしかに?」
 でなければ、どこかで全く違う歴史を歩んでいない方がおかしいと。
 つまり彼が言うには、ダイナミクス性がない世界だったとしても、二宮はあの日体調を崩し柳瀬に介抱されていたということらしい。
「最近じゃ、タイムパラドクスも起きないというのが定説らしいしな」
「タイムパラドクス? って……過去に戻って何か行動を起こすと未来が変わっちゃうけど、そうするとそもそも過去に戻ったという歴史がなくなる……みたいなやつですか?」
「ああ」
「へぇー、そうなんですね?」
 だから少なくともこの作品を前提とするならば。平行世界でもタイムトリップでも同様に、ダイナミクス性の存在の如何によって変わることはない、というのが二宮の論らしい。また想像の翼を羽ばたかせたところで「あんま考えすぎんな」と釘を刺される。
 何はともあれ、イフの話に乗ってきたということは二宮もこの作品を楽しめたようだ。DVDを取り出す彼に隠れて、手土産の他に用意してきたものをこっそりと取り出した。



 誕生日プレゼントはネクタイにした。
 これから何かと入り用になるだろうからと、彼を純粋に応援する気持ちで選んだのだが。しばらく見つめた後に「……..新しいCollarか?」と尋ねられたのは大層焦った。そういう気持ちが全くないかと言われると、内心のことだとしても断言するのは難しい。
 それに恋人に対しての贈り物を全否定するのもやはりどこかおかしい気もする。そもそも大抵のアクセサリーはCollarになりえるのだ。回避する方が難しいだろうと、どうしても言い訳がましく考えてしまう。
 そうだとも違うともはっきり言えず、答えに窮して口を開閉させる柳瀬に二宮は柔らかく笑った。どうやら冗談だったらしい。
「増やすのもいいんだろうが……俺にはこれがある。まだ変えるには早いだろ」
 と、服の上からCollarを摘まんだ。二宮と柳瀬が恋人、そして正式なパートナーになった際にプレゼントしたものだ。二宮が柳瀬のものでいてくれている証。二宮が、柳瀬を近くに感じるための証。これを贈って、もうすぐ一年になる。
「……うん」
 そういう言いつけをしているから、柳瀬の指示した通り二宮はずっとCollarを付けている。くらりと甘美なめまいを覚えながら柳瀬はうなずいた。
 二宮が改めてネクタイをまじまじと見つめ、ありがとうと、聞こえた言葉に目を細める。しかしそれ以降彼が無言でいることを不思議に思う。
「……二宮さん?」
「──ああ、いや……」
 ゆるく首を振って息を吐いた。曖昧な態度を珍しく思っていると、彼は控えめに尋ねる。
「……たつき。抱きしめてもいいか」
「──…!!」
 答えるよりも、考えるよりも早く柳瀬の身体は動いた。大きく腕を広げ、瞳は期待にキラキラと輝いている。
二宮が抱きしめてもいいか、という聞き方をしなければ、もう既に飛びついていただろう。全身で「うれしい」を表現する彼を二宮は愛しく思いながらそっと、力強く抱きしめた。間髪入れず彼からも力いっぱいの抱擁が返される。
「……たつき」
「はい」
「……」
「……えへへ、二宮さん、あったかいね」
 二宮からの言葉の続きはなかったが、柳瀬は笑みを浮かべたままそう言った。肌寒くなる季節だ。衣服越しの体温に触れると、寒かった自覚はなくともほっとする。それが恋人の熱ともなればなおさらだ。彼の言葉に二宮はああ、と掠れた同意を返して、存在を確かめるように背中をなぞる。すると柳瀬も応えるように、二宮の背中をやわく叩いた。
 腕に、胸に相手の体温を感じて、髪に頬ずりをするとこつ、側頭部同士がゆるくぶつかった。その内のいったいどれが面白かったのか、柳瀬の肩が楽し気に震えている。
 この一年で背が伸びた恋人の身体を実感しながら、そして当日に祝ってもらえる幸福を実感しながら。二宮はそっと瞼を閉じた。


2023/10/27