蜜柑とアイスの共存

ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる


話し合い

※二宮さん(20歳)と夢主(13歳)の合意キスがあります


 昼休み。自分の机にだらんと力なくうつ伏せになる。柳瀬隊の今シーズンランク戦はすべて終わった。自分の隊を作ると決めてからの日々はあっという間で、いろいろなことが……本当に、色々なことがあった。しかしいざ時間が空いてしまえば何をすればいいのかわからなくなってしまったのだ。最終順位の確定までにはもう何日かあるが、ひとまず中位帯なのは確定している。上々の結果と言えるだろう。
 近頃、なんとなく落ち着かない。食欲はなくはないけれど、人影がちかちかと目を刺激してあまり食事の気分にならない。眉を寄せながら目を閉じた。原因はわかっているが、どうかしようとも思えない。
「たつき」
 が、親友の声に呼ばれてぱっと目を開ける。伸びをするように身体を起こし、背もたれに身体を預けた。彼は机の縁に手をかけて屈み、内緒話のようにひそひそ声で話かけてくる。なるべくいつも通りに見えるように顔を作り、彼の声がよく聞こえるよう耳を寄せた。
「こた、どした?」
「……さっき、隣のクラスの人が声かけてきたんだけどさ。最近、たつきがプレイに誘ってものってくれないって」
 寄せた耳を、思わず逆側にのけぞらせた。巴とプレイの話をするのは久々も久々だった。けれどスルーするわけにも行かず口をもにょもにょと動かした後、同じくひそひそ声で返す。
「えっ……えっ? どういうこと? なんでこたに?」
「いや、普通にいつも一緒にいるからだと思うけど……。ボーダーが忙しいからじゃなかなって答えておいたけどさ、……あっ、でもその人も、言いふらしてたとかじゃないよ、普通に相談って感じだったし」
「ああ……そっか。うん、ありがと……」
 柳瀬と巴は、他の同級生がいて話の流れで、という場合を除き、互いにプレイの話をすることはなかった。特に致命的な何かがあったわけではないが、以前ちょっとしたケアを目的として、ノリでプレイする? という話になったことがある。実際にして、できたのだが、なんとなく気まずい雰囲気になってしまったのだ。どちらが悪いとかではなく、強いて言えばこれまでの彼らの関係性ではプレイをするという行為の相性があまりよくなかったのだろう。少なくとも自分たちはプレイをする仲ではないな、というのが明言せずとも共通認識となり、自然とお互いのパートナーの話も避けるようになっていた。
 巴もいくら相談されたとはいえ柳瀬に話をするのは気まずいのだろう、やはり柳瀬と同じように口をもにょもにょさせている。
 話というとそれだけのはずなのだが、巴は意を決したように柳瀬を見上げた。
「……あのさ、ボーダーが忙しいっていうのは、隊長だし、ランク戦があったし、本当だと思うけど。……でも、友達とプレイする時間くらいはあるよね? ……何かあったんだよね」
 確信をもって巴は問うていた。その視線に柳瀬はひるんでしまい、その反応だけで巴には十分な答えとなる。
「いやぁ……」
 何か言おうとしたが結局まごついてしまった。心配させているというより、心配ばかりさせている。申し訳なさが積もるが友人は、申し訳ないと思うくらいなら早く話しなよ、と言う目でみてくる。柳瀬はやはり迷って……それでも選択肢はない。おずおずと口を開いた。

「……えっ、無理矢理キスしたの。最低じゃん」
「うぅっ……」
 端的な言葉が胸に刺さるが、甘んじて受け入れるほかない。
 弁当を広げ、人があまり来ない場所を選んで一連の話をした。柳瀬は相手が誰かというのは伏せて、プレイするだけという話をしていた相手のことを好きになっていたこと、パートナーを解消するにあたり、最後のプレイでキスをしたこと、それによりセーフワードを使わせてしまったこと。諸々あって、今は誰であってもプレイをする気にはなれないことを話した。巴はSwitchなのでDom側の視点もSub側の視点も持っているが、そのどちら側から見ても、柳瀬のしたことはとても褒められる行為ではなかった。
 友人が何らかのトラブルに巻き込まれているのかと思ったら、その友人がトラブルを起こした側だった。それを知った巴の心境は複雑だったが、柳瀬が今にも死にそうな顔をしているため、現状把握のために一つ尋ねる。
「……それ以来、相手とは会ったの?」
「……連絡は、来てたんだけど……っていうか、作戦室にも来てたんだけど……」
「……ボーダー隊員?」
「うぐっ……。う、うん……、ただ……に、にげ、てて……」
「……たつきが?」
「……うん……」
「……」
 柳瀬のあんまりにもあんまりな行動に重い沈黙がうまれた。やっぱり昼食をとる気にもなれず、柳瀬は食べかけのパンを袋に戻した。
「……連絡来てるんだったらさ、向こうに顔も見たくないくらい嫌われてるってわけじゃないんでしょ? 謝りなよ」
「……うん……」
「メールしなよ、今」
「えっ、い、いま……?」
「いま!」
 急かされるままに端末を開き、わたわたと操作する。いくつもの不在着信と、未開封のまま放置されたメールが目に入りぐっと息がつまる。ひとまず新規作成画面だ、文面は……。
「……、」
「……送った?」
「……な、なんて送ろう……」
 ふにゃふにゃと半泣きで困り果てていた。様子のこんな友人を見るのは巴も初めてでぎょっとする。落ち込んでいるのは、彼の前の隊が急に解散してしまったときに散々見たけれど。しかしいくら驚いたとしても、ここは彼を甘やかすべき所ではない。きゅっと唇を引き結んでもう! と少し怒ったように言う。
「それはたつきが考えないと意味ないでしょ!」
「は、はいぃ……」
 結局昼休みの時間いっぱいつかって考えたメッセージは『無視してごめんなさい、お話ししたいことがあります』という一文だった。



 午後一のコマが終わり、新しくメールを受信していることに気が付いた。確認するとあれだけ待ちわびていた人物からのメールで、文面からはどうやら話し合いに応じてくれるらしいことがわかる。ノータイムで彼の番号に送信して……コールが続いても中々でないことに焦れ、応答無しの自動メッセージが流れはじめたところでようやく中学の時間割ではまだ授業中であることを思い出す。授業一コマの時間が大学と中学ではまるでちがうのだ。
 思わず舌打ちをして再びメール画面を開く。了解した旨を一言だけ返信して端末をしまった。今日は次のコマまで授業が入っている。授業に身が入る気はしないが、ここしばらくの二宮はそもそも身が入っているとは言いづらかった。それでも内容は漏らさず把握しているので元々の能力の高さがうかがえるのだが、それでも出ないわけにはいかない。
 次のコマが終わる時間と中学の終わる時間にあたりをつけ、何から話すべきかと、深呼吸のような深いため息をついた。

 返ってきたのは『了解』の一言のみだった。文字だけの文面では相手の感情を推測でも受け取ることが難しく、しかし同時に、メールの返信よりも先に入っていた不在着信にやはり心臓が跳ねる。
「返信来てた?」
「うん、了解って……」
 そう話しながらボーダーへの通路をくぐると、名前を呼ばれた。ひどく懐かしく感じて、聞くのが怖くて、けれどなによりも聞きたかった声。
「──柳瀬!」
「……に、のみや、さん……?」
 声は驚きに掠れていた。彼も大学からそのまま柳瀬の元へきたのだろう、いつものスーツではなく普段着らしかった。すぐ側まで駆け寄った二宮は柳瀬の手を取り、やっと安心したようにまなじりを緩めた。その表情に柳瀬はより驚き固まる。
 ふ、と息をつき、隣で呆然としている巴に二宮は声をかけた。
「……巴、悪い。柳瀬を借りる」
「え、あ、はい……」
「っ、こた、ごめん、またね!」
 早足になりつつ巴を振り返り柳瀬は告げた。二人が去り、やっと我に帰った巴はぼんやりと呟く。
「……もしかして、たつきが話してた相手って……二宮さんだったの……?」



 二宮が柳瀬を連れてやってきたのは二宮隊作戦室だった。話し合いをするにしてもここでいいのだろうかと、まだきていない他の隊員を思い出しながら部屋の中を見渡せば、「犬飼たちが来るまでまだある」と二宮が補足する。
「そう……ですか」
 思っていたよりギクシャクはしていない。そのことにほっとしつつ、しかし言うべきことを思い出して背筋を伸ばす。そして、
「二宮さん……ごめんなさい!」
「柳瀬、悪かった」
 同時に頭を下げた。少しの間沈黙が落ち、二人して首を傾げる。
「え……なんで二宮さんが謝ることあるんですが」
「おまえを傷つけたのは俺だ」
「……?? いや……? いや……」
 見るからに頭に疑問符を浮かべて訳がわからない、といった表情をしている。頭をフル回転させるせいで口から出る言語が疎かになっており、そのあどけなさに深く懐かしさを覚えた。彼の疑問を解消させるため二宮は口を開く。
「おまえが謝った、というか……俺がセーフワードを言った件だが……俺は、嫌じゃなかった」
「……う、嘘!」
 首をぶんぶんと横に振る。告げた言葉を即刻否定された二宮はやや眉を寄せたが、自身の言動が柳瀬へ誤解を与えた自覚はあった。
「だ、だって、嫌じゃなかったらセーフワードなんて使わないじゃない!」
「違う。セーフワードを使ったのはおまえを止めるためだが、キスのコマンドをされたのが嫌だったわけじゃない。おまえが……義務感で、俺にキスしたのかと思ってたからだ」
「……わ、わかんない……なに……?」
 混乱している様子の柳瀬を椅子に座らせ、二宮自身も向かい側に座る。いいか、前置きをして、頷いたのを確認してから口を開いた。
「おまえは、よく困ってる奴に手を貸してるだろ。俺の時もそうだった。そうそうプレイできない体質のせいで……おまえに迷惑をかけてた。ずっとだ。おまえに怪我までさせておいて」
 机の上に置かれた柳瀬の腕をちらりと見た。柳瀬からしてみればとっくのとうにあざは消えたのだし、急病で余裕がなくなっていたのだから仕方のないことで、全く気にしていない。しかしそういう所が嫌なのだと二宮は顔を顰める。他人を許すのに、いざ自分の体調が優れないときは隠し平気なフリをする。助けを求めようとしない。そう苦々しげに言う二宮は、確かに柳瀬のことを心配していた。柳瀬本人にも伝わるくらいには。
「……そういうところを、……」
「……?」
「……クソ、隊員が増えた途端に生存時間延びやがって……」
「そ、それはいいことじゃない?!」
「一人のとき無闇に突っ込んで死んでんじゃねえって話をしてんだ」
「うぅ……」
 二宮の言うことはもっともだ。柳瀬自身は特に自覚していなかったが、戦闘員が増える前後での生存率や被ダメージ率の違いは、オペレーターから既にデータ付きで解説をされている。ていうかランク戦の話って今関係あったっけ……。二宮から視線をそらしてぼんやりと考える。

 そらされてなお柳瀬を見つめながら、二宮は尋ねた。
「だからおまえが俺にキスしたのも、ただのケアの一環でしたんだと思った。でも違うんだな?」
 泣いて謝りながら言った告白のことを思い出し、顔が熱くなる。なるべく顔を伏せてはい、と蚊の鳴くような声で肯定する。
「俺もおまえが好きだ」
「……は……?」
 あっけにとられてつい顔を上げると、そのまま二宮の長い指先が柳瀬の頬を包んだ。反射的に、先ほどと同じことを叫んだ。
「う、嘘だぁ……!」
「……どうしてそう疑う」
 疑うもなにも。そうは思うが二宮は理由を言わないと納得しないだろう。震える唇を開けば、声までもが震えていた。訳を話せば話すほど、視界も徐々に滲んでいく。
「だ、だって……二宮さん、ぼくのことめちゃくちゃ子供扱いしてたし、Sub spaceのこととか、プレイできる相手が少ないのはおまえには関係ないとか……そ、それにセーフワードであんなに、つらそうにしてて……ぼく、全然二宮さんに信頼してもらえてなくて……。そんな、そんな相手のこと好きなわけ、ないじゃん」
「前にも言ったが子供扱いをしたつもりはない。甘やかしはしたが……俺はなんとも思ってない奴を甘やかそうとは思わない」
「……っ、じゃ、じゃあなんで急にそんなことしようと思ったんですか」
「おまえが人を頼らないからだ」
「……」
 それは、確かに彼から言われていたことだった。言葉に詰まる柳瀬を見つめながら、ひとつずつ彼の言葉に答えていく。わざわざ言えば彼を傷つけるかもしれないと思いあえて理由は言わなかったが、余計に傷つけて思い悩ませる結果になってしまった。
「Sub spaceは、前後不覚の状態ではおまえを襲いかねないから入らなくていいと思ってる」
「襲っ……?」
「おまえに触れたいと思ってるし、触れられたいとも思ってる」
「……」
 頬が赤く染まった。口をぱくぱくと開閉させてやはり何も言えないままだ。
「プレイだって、ティーンの頃は特に同年代が相手の方が望ましいだろ。まだ、おまえと離れられると思ってたから。パートナーを解消してからも……それ以外では今まで通りにするつもりだった」
「だからって、あんな言い方しなくても……」
「……それについては俺の癖……みたいなもんだ。……。これからは善処する。……それにセーフワードも、使いたくない時に無理やり使ったらああなった。そういうもんじゃないのか」
「し……知らないよ、そんなセーフワードの使い方なんて、されたことないんだから……」
 そもそも練習以外でセーフワードを使われたことすらないと柳瀬は小さく付け足した。二宮とはいざという時のためにセーフワードを使う練習はしたが、実際に使われてたことがないのなら、二宮から告げられた時のショックは計り知れないだろう。
「責任は取る」
「はぃ……?」
 頬に添えていた指先を顎に向けて滑らせる。丸みの残る少年らしい頬のラインはなめらかで柔らかい。成長の兆しは見えている、そのうちに彼は青年へと変わっていくのだろう。

 柳瀬はなぞられた顎の辺りの空間を視線で追って、それから二宮を見上げる。絡んだ視線の先は凪いだ穏やかな眼差しだった。少し目を細めて、聞き返した柳瀬の唇を柔くなぞられれば柳瀬の顔は強く熱をもつ。
「好きだ、柳瀬」
「……、っ……」
「本当は、あのとき。おまえとキスがしたくてたまらなかった」
 そう言いながら、また指先で唇をなぞっては時折そこを指先で押す。ふに、と柔らかな感触は、まるで本当に口付けを受けているような動きだ。くらりとした。
「ぼ……ぼくは……」
 言い淀んで、際限なく頬が上気するのが見えた。本当なら柳瀬が大人になるまで待つべきなのだろう。けれど待っていたらその間に彼がどうにかなってしまうかもしれない。彼が自分のことを好いてくれていると言うのなら、少しくらい強引でもその隙間に割り込んでしまえと思った。
「……やっぱり二宮さんが好き。……パートナーも解消したくないし、あなたと……こ、恋人、に、なりたい……」
 しきりに瞬きをして、視線も左右にうろついていたというのに。そう言った瞬間だけは真っ直ぐに二宮を貫いていた。二宮の瞳がぐらりと揺れる。表情は変わったようには見えないが、それでも喜んでいるのだと柳瀬にはわかった。その証拠に彼はすぐ、最後にしたプレイの話を持ち出した。
「あのときの、続きをしてもいいか」
 キスのコマンドのことだ。柳瀬の頷きはひどくぎこちないものだったが、二宮には伝わっていた。柳瀬からのキスは触れるだけのものだったから、二宮も同じものを返す。唇が一瞬だけ触れて、そして離れる。
 顔が離れるまで数秒足らずの動作が、離れていく二宮の顔が寂しくなって、柳瀬の方から身を乗り出した。ガタタッ、椅子の倒れかけた音がしたけれど気にしてはいられない。
 離れかけたはずの二宮の唇に、再び柔らかな感触が押し付けられた。三回目のそれ。
 自分からしたばかりのものを返されて、二宮の目がわずかに見開いた。
「……へへ、いまのは、コマンドじゃない、やつね」
 言いながらはにかんだ柳瀬にさらに追撃をしたくなったが、なんとか理性で押しとどめた二宮は息を吐いた。

 二宮と同じ気持ちだったことがわかり、口付けも交わした。柳瀬の内心は有頂天だったが、二宮の言葉によりすぐさま突き落とされることになる。
「……柳瀬、俺とパートナーを続けて、かつ恋人になりたいなら条件がある」
「……な、なんでぇ?!」
 てっきりもう付き合っているつもりだったので愕然とした。条件次第によっては今から改めてフラれるのだろうか、キスまでしておいて? 口付けの余韻も何もあったものじゃない。あんまりだとは思ったが二宮は構わず続ける。
「自分のために死ぬぐらいなら、俺のために生きてもらう」
「……どういうこと……?」
「おまえを今のまま放置してたら″人助け″とやらのために死にかねん。必ず怪我なく、俺のところに帰ってくると約束しろ」
「……」
「できないのか?」
 いつも通りの調子で二宮は語るが、内容を理解するにつれて自分の理解力が正しいのかどうか、柳瀬にはわからなくなってきた。しばらくぽかんとして、悩むように眉を寄せたあと怪訝な顔をして尋ねる。
「死なないですけど……?」
「自分の怪我に無頓着なヤツの言葉なんて信じられるか」
「ぼくだって別に、痛いのは嫌ですからね……。約束は信じられるんですか?」
「自覚しないことには始まらん」
 また、ランク戦のことを思い出す。増えた戦闘員はスナイパーで、隠れることが仕事。接近戦には弱い。つまり柳瀬が落とされればその分味方も落とされる危険性が高くなる。ブリーフィング中はともかく、戦闘中はそこまで考えて行動をしているわけではなかった。けれど結果的に柳瀬の生存時間は延びて戦績も上がっている。
 二宮が言っているのもきっと同じことだ。柳瀬の内側に二宮が入り込むことで、柳瀬が無茶をして危険の中に飛び込まないようにしている。死ぬとかどうとか言葉選びは剣呑だけれど、その言い方ではまるで、命が尽きるまでの話をしているみたいだ。
 そこまで考えて、ひとつの単語が思い浮かんだ。そのままを口に出す。
「……なんか、プロポーズみたいですね……?」
「……? すぐにでも別れるつもりなのか、おまえは」
「あ……え……?! な、ない、ないですけど」
「けど、なんだ」
 思いがけず肯定されてぐっと息を詰まらせた。フラれる心配だとか、そんなことをしている場合じゃなかった。どうしてそんなに大きなものを、涼しげな表情の下に隠しておけるのか。二宮の言葉から伺える心情は、柳瀬をこれでもかと言うほど揺さぶった。おかげで言葉につまり、やっと出たのはたったの一言だ。
「……ないです!」
 その宣言に二宮が満足げに目を細めるのだからたまらない。子供扱いだと思っていた行動だって、甘やかし一辺倒だとわかっていたらもっと堪能しておけばよかったとか今更ながらに考える。しかしこの調子なら、柳瀬が何か言わないまでも近い何かが与えられそうな気もした。
 やっぱりまだ熱い頬を押さえながらちらと二宮を見上げる。いまから告げる言葉は、浮かんだ言葉をそのまま口にしただけじゃない。今までの彼の行動と、先ほどの言葉を重ね合わせて実感として出てきた言葉だ。
「……二宮さんって、ぼくのこと結構好きな感じ……なん、ですね」
「……結構じゃない」
「……?」
「おまえが思ってるよりも、ずっと好きだ」
「……ぅ、はい……う、うれしい……です」
 煙が出そうなほど顔を真っ赤にしながらもこくこく頷く柳瀬にまた「好きだ」と思う。それから、一つ思い出したことがある。
「……柳瀬、俺はこの前誕生日だったんだが」 
「……あ、ああ。はい、そう、でしたね……」
「おまえにも祝って欲しかった」
「……おめでとう……ございました……?」
「ああ」
 要求されるまま言った疑問系にも構わず、表情も変わっていないのにどうしてか彼が嬉しそうなのはわかる。
(……本当にぼくのこと好きなんだな)
 また実感した。机に置かれた二宮の指先を握る。
「……当日、お祝いできなくてごめんなさい。おめでとうございます。お祝いしましょう、ケーキとか買って」
「……ああ」
 そして、来馬の言葉も思い出した。太刀川とは違い、彼の助言は素直に聞こうという気になる。
「柳瀬、俺はおまえを一人にしない。おまえが側に居てほしいと願うとき、必ず側にいる」
「……じゃあぼくは、二宮さんが側にいてほしいって思うとき、側にいてあげますね」
 とりあえずお祝いがあるので、今日ですね。はにかむ柳瀬に握られた手を持ち上げて、彼の指先にキスをした。



2023/06/25