蜜柑とアイスの共存

ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる


全然目が合わない


 二宮も二宮で、どうやら"ブラックホール"の時期があったらしい。プレイの終わりに、恒例となった食事で週ごと目に見えて増えていく食事量に目を丸くさせつつも、荒船に言われたことをそのまま伝えればすぐに納得していた。しかし。
「おまえは肉がなさすぎるからもっと食べた方がいい」
「よく噛んで食え」
「これも追加で注文するか」
 柿崎や影浦相手であればにこにこしながらうなずいていただろうし、巴とそういう話になれば、巴の苦手な食べ物を指して「じゃあ、こたもちゃんと食べないとね」などと意地悪く笑ってさえいただろう。けれど、そう。相手が相手なのだ。
 言い方を選ばない、一見冷淡に聞こえる言葉の裏ではその実真面目さとがあることは、二度目の邂逅で気付いていた。毎回プレイ後に夕食を奢るのも、時間をかけさせているという思いがそうさせるのだろう。柳瀬としては苦にならないし、そんなことに気をまわさなくてもいいのにと思ってはいるけれど。
 しかしそんなわかりにくい言動をとっていた二宮が、わかりやすく、ありありと柳瀬を甘やかしているのだ。それも急に。きっかけははっきりしていて、柳瀬が自身の許容量を見誤ってサイドエフェクトを使い過ぎた際に助けられて以来ずっとだ。二宮から子供のように見られないようにと多少距離を取ることを意識しているのに、柳瀬の心境などお構いなしに二宮はガンガン向かってくるのだ。どうしようもなかった。
 もしかすると二宮は、自身がダイナミクスの乱れによって受けた借りを返すチャンスだと思っているのかもしれない。その必要があるとは思わないけれど、それならそれで納得はできる。
 だとしても、二宮への想いを自覚し子供扱いされたくない、少しでも対等でありたいと考えている柳瀬は非常にヤキモキとしていた。

 一方で二宮は、柳瀬を甘やかそうとして甘やかしている自覚はあったし子供だとも思っているが、特段彼を子供扱いをしているつもりはなかった。
 目の前に座り餃子を頬張る少年をみつめる。彼のリクエストから夕食はラーメンになった。食べる量は増えたといっても速度は変わらないらしく、二宮が一通り食べ終えた後もまだ彼は一定の速度で口と箸を動かしている。それは別にいい。変に焦って喉に詰まらせたらいけないし、そもそも消化によくない。彼の食事をする姿はすっかり見慣れたといっても、じっと見ていても不思議と飽きないのだ。
 彼を眺め、水を飲み、そして店内へと視線をずらして壁に書かれたメニュー表を見る。なぜか注文し終わった後に初めて存在に気づくメニューがでてくるものだ。たしか以前中華を食べたときも好きだと言っていたはず。これも追加で注文するか、と提案して無言のままうなずいたので店員を呼び、また黙々と食事を続ける柳瀬を眺める。彼は大量に盛り付けられていたもやしが、食べ進めるうちにどんぶりの底へ沈みつつあったのを回収していた。
 二宮が明確に柳瀬を甘やかそうと決意したのは、柳瀬の推測している通りサイドエフェクトの使い過ぎでうずくまっていた日をきっかけにしてのことだ。普段は師匠や友人たちに対してべたべた甘えているくせに、肝心なところで助けてくれと言うことができない。他人には軽々手を差し伸べるくせに、いざ自分が差し出されると引っ込めてしまう。端的に言って腹が立った。他人へ奉仕するご立派な精神を剥ぎ取って、ぐずぐずになるまで甘やかしてしまいたいと思った。そして、実行した。SwicthでもないDomとSubで役割を交代して、彼が隠していた。隠しすぎて彼自身わからなくなっていた感情を引き出してやった。
 ──あれは、いつも二宮が彼にされていることだった。プレイの必要がない体質で、そうとわかる前の幼少期に父母とプレイしただけの二宮にとっては、決して他人に見せることのなかった姿だ。
 しかし、柳瀬にそうされなければ二宮はいまここにいなかっただろう。柳瀬のおかげでこそあれ、せいなんてことがないことは二宮自身が一番わかっている。
 他人へ無防備な姿をさらすのは恐ろしい。もしそれが否定されたら、嘲られたら、拒絶されたら。世の中のSubはそれを乗り越えた者ばかりなのだ。そして二宮も、柳瀬に許容された。許容する側のDomが承認されたい欲望をさらけ出せないだなんて、あってはならないことだと考えていた。
 側にいてほしいと乞われたことで、胸に広がったのは喜びだった。彼が伸ばした手を離すものかと身体ごと抱きしめた。柳瀬が自分の中で何者にも代えられない存在になっていると、確信したのだ。もっと彼に頼られたい。その感情がどこからくるのかは――己のもともとの性格なのか、Subだからそう思うのかは――関係なかった。どちらでもすることは同じだからだ。
 自分で気付くべきだと思っていたからあえて口に出すことはしなかったけれど、結局辻がきっかけで自分の隊を作ることにしたらしい。学校の勉強のようにすべてとは言わないまでも同じ隊長として、相談されればそれなりにやりかたを伝えることもできるはずだ。
 これで、あとはそう。二宮の難儀な体質のせいで難航しているが、プレイできるDomさえ見つかれば。プレイの中で刺激される、肉欲めいたものさえ逸らせることができれば、何の負い目もなく彼の側にいることができる。それも近々達成できそうなのだ。週明けには東経由で紹介された大学院教授と、"二回目"のセッションの予定が入っている。


「二宮さん?」
 彼の呼びかける声で、思考の海に沈んでいたことに気が付いた。視線を上げて「ああ」と返事をする。どうやら彼も食べ終わったようで、食器類を端にまとめて水を飲みほしたところだった。
 会計を済ませ外に出ると、空は薄暗くなっていた。多少滞在時間が長かったとはいえ、徐々に日が短くなっていることに気が付く。
 駅までの道を歩いていると、柳瀬がもの言いたげにちらちら視線をよこしているのに気が付いた。最近よく同じような行動をしている気がする。けれど、二宮がどうかしたかと尋ねる前にため息を吐いて飲み込んでしまうばかりだ。言いたいことがあるなら自ら言ってくるだろうと考えていたがこれは、追い詰められるような何かでもあるのかと口を開いた。
「なんだ」
 彼は露骨に肩を揺らした。気付かれていないとでも思っていたのだろうか。柳瀬は意を決したように、どこかじっとりとした視線を二宮へ向けた。
「……あの、ぼくのこと……子ども扱いするのはやめてもらえませんか」
「……」
 二宮は、柳瀬が何を言っているのかよくわからなかった。子ども扱いとは、具体的にどういうことなのかと。そう尋ねる前にまず、認識のずれを正すべく口を開いた。
「子ども扱いをしてるつもりはないが、おまえは子供だろう」
「……」
 むっと口を閉ざした。そして、
「……二宮さんだって、まだ十九歳で子供のくせに」
 そう、負け惜しみかのようにつぶやいた。
「そういう屁理屈を捏ねるのは子供じゃないのか」
 あと一か月もすれば二宮は成人なのだから、指摘はほとんど誤差のようなものだ。言い返してさらに柳瀬がむっとしたのを見て、はたと気付く。
「……待て、なんで俺の誕生日を知ってる」
「この前、ひゃみ先輩たちと連絡先交換したとき一緒に聞いたんです」
 別にいちいち目くじらを立てることでもないが、仮にも個人情報を。おそらく犬飼あたりが教えたのだろうが……。と、自らは柳瀬を探すため隊員ファイルを覗いたことを棚に上げて二宮は息を吐いた。
「……それで? 子供扱いって、なにが不満だ」
「……あ、頭なでたり、とか」
「? それの何がダメなんだ、いつも散々されてるだろうが」
「うっ、うぅ~……」
 当然の疑問を尋ねただけなのに、どうしてか唸りだしてしまった。暗くなっているせいで彼の表情はよく見えないけれど、声は切羽詰まった様子だ。
 これまで散々、方々に構われて嬉しそうにしていて、同じ行動を二宮がやっていけない理由とは……。例えば、二宮が大して好かれていないだとか。……まあ、それは、ありえるか。付き合いが短いとかそういう話以前に、こんな面倒に付き合わされているのだから。他の甘やかす手段はまた考えるとして、だとすると柳瀬は一体、二宮に何を求めているのだろう。
「……ならおまえは、俺にどうしてほしい。なにがダメなんだ」
「目線が合わないみたいなのが、いやです」
 彼ははっきりと告げた。そして、はっとしたように視線をうろつかせる。懸命に理由を探すように。
「その……二回目の、プレイのとき……ぼくが委縮してたせいでうまくできなかったことがありましたけど、二宮さんがSub spaceに入れないのって、あの時とは逆に、二宮さんがぼくに気を遣うせいもあるかもしれませんよ。もしかしたら遠慮……みたいなのが、あるんじゃないんですか」
 Sub spaceとは、十分な信頼関係ができた間柄のプレイで起こりうるSubの状態のことだ。ただコマンドを聞いて褒められるだけではない。身体の操縦権や意識の行方すら文字通りすべてDomへゆだねて、その結果まるで宇宙空間を漂っているような至上の心地よさを体験できるという。

 そんなことを気にしていたのか、と二宮は内心驚いていた。今までSub spaceの話が出たことはない。否、覚えていないだけで一度くらいはあったかもしれないが、少なくとも二宮と柳瀬とのプレイの間でどうこう、という流れではなかったはずだ。
 彼とはあれ以来──二宮が柳瀬の指を舐めしゃぶったことを除いて──順当にプレイを続けられているし、実際欲求が満たされていくのも感じる。Sub spaceに入る必要性を感じないし、もし入ったとしたら、必死に抑えようとしている彼の身体に触れたい、触れられたいという感情がどこへ向かうのかわからなかった。故に、二宮にとってSub spaceへ入る兆しがみえないことはむしろ好都合だった。
「Sub spaceに入ることなぞ、はじめから期待していない。経験したいとも思わん」
「……え……」
 しかし柳瀬はその返答に瞳を揺らがせる。──そういえば、パートナーを組んでいる者の間ではSub spaceへ導くことを、プレイのひとつの終着点として捉える者も多いらしい。暫定とは言え仮にもパートナーなのだから、柳瀬は最初からそのつもりでプレイをしていたのだろうか。だとしたら、二宮に言わなかったこれまでも随分とやきもきさせていたのだろう。彼がそうする必要がないことを伝える必要がある。
「そもそもSub spaceの話は最初からしてなかっただろ。余計なことは考えなくていい。……それに、おまえとのプレイも時期に打ち止めだ」
「……、打ち止め……って、どういうことですか……?」
「プレイできるDomが見つかった」
「えっ……?」
 驚き目を見張る。二宮はずっとDom探しは続けていたが、プレイのことごとくが失敗に終わっていたから自分も半ば諦めていたのだが。柳瀬以外では感じなかった"繋がっている"感覚のあるDomが、やっと見つかったのだ。それは二宮だけの感覚ではなく相手方も同じだったようで、二宮がやりづらいSubだと聞いていたにもかかわらずあっさりプレイできたことに驚いていた。
「どっ……どういう、方なんですか? 病院……カウンセラーのひと?」
「いや……知人に紹介してもらった三門大の教授だ。ダイナミクス性の研究をしている方で……俺の体質が研究対象になるって話で、その代わりにプレイに協力してもらってる」
「……、で、でも……他のDomが見つかったからってそれは、ぼくとプレイを止めるって理由にはなりませんよね? 元々、プレイできるDomは複数いた方がいいって話でしたし……もう一人見つかったのはいいことですけど、それでぼくとのプレイを取りやめたら振り出しじゃないですか」
「それはおまえが気にすることじゃない」
「……っ、……」
 柳瀬は呆然としていた。まさか今さら二宮とプレイができるDomが見つかるとは思ってなかった。それと同時に、自分だけが二宮とプレイができるDomであると、いつのまにか驕っていたことにも気が付いた。二宮は、自分だけのSubなのだと。二宮のDomは、自分だけであると。そういう勘違いをしたがっていた。柳瀬以外にもプレイできるDomはいた方がいい、過去の発言に偽りはないが、今ではもうそこに傲慢さが横たわっている。
 二の句が継げない様子の柳瀬を二宮は見つめていた。
「……それでも、まだ先方と問題なくプレイできるかどうかの確認のために、おまえにもあと何回かは協力してもらう必要があるが……」
「……あと何回か、」
「ああ、悪いな」
 さらりと告げる二宮からは微塵も名残惜しさを感じられなくて、柳瀬は知らずと奥歯を噛みしめていた。それは悔しさもあったし、自惚れへの羞恥心もあった。ろくな思考が紡げない彼へのとどめは、やはり二宮の言葉だった。
「自分の隊作って、隊員探しもランク戦もあるんだろうが。おまえには、余計なことにかまけてる暇なんかないだろ、柳瀬」
 二宮と柳瀬のプレイはつまり、二宮にとっては余計なことだったのだ。
 柳瀬は気が付いたら自宅へ戻っていた。どうやって帰ってきたのか、二宮となんと言って別れたのかは覚えていなかった。



 隊を作ると決意してからの日々は矢弓のように過ぎていった。とにかくやることが多くて、また不慣れな作業に慌てふためくことも多い。氷見から紹介してもらったオペレーターの多大なる助けがあったとは言え大変なのは間違いなく、けれど、大変さと同じくらい楽しくて仕方が無いのもたしかだった。
 元から多いという訳ではなかったけれど、あの日以来二宮に積極的に会うことは控えていた。勉強は他の人に教えてもらっているし、辻をランク戦に誘うのもロビーで会ったときか、交換した連絡先にメールを送ればいい。オペレーターを紹介してもらった氷見へのお礼は、これまでの経験から考えて二宮がまずいないだろう時間を狙ったし、実際それでうまくいった。犬飼からは「いまタイミング悪くて二宮さんいないんだよねぇ」と伝えられたがそれでいいのだ。お茶の誘いはそもそも、柳瀬が忙しいということは理解されているのか誘われることはなかった。
 どの道、プレイの予定を立てるのは口頭ではなくメールを使うのだから、二宮にはなんの不都合もないはずだ。
 濃いグレーのジャージから、何とかデザインが間に合った新しい隊服で挑んだランク戦初戦は、オペレーターの尽力もあって何の文句もなく大勝利と言える結果だった。生存ボーナスのアナウンスを聞き会場から作戦室に戻されても、しばらくは呆けてしまって、せっかく解説を買って出てくれたという柿崎の総評をまともに聞くことが出来なかった。(直後に、すべての試合の解説を録音し保存しているという海老名隊のオペレーター・武富に頼み込み、無事データを入手することができたけれど。)
 やっと放心状態から抜け出せたのは、見かねたオペレーターの背中への張り手と、直後作戦室に訪れてきた友人や先輩達にもみくちゃにされてからだった。
 柳瀬の所属していた前の部隊はシーズン中に解散した。最高戦績はB級十五位。柳瀬は一戦でそれを越した。越すことができた、越してしまった。どの表現が一番しっくりするのか自分でもわからないし、順位はシーズン終わりまで変動し続けるのだから気なんてとても抜いてる暇はないのだけれど。それでも、やっと重荷がとれた気分だった。

(……いまのいままで……何だかんだ、引きずってたんだなぁ。ぼく……)
 B級中位と下位の間には大きな壁がある。本当はすぐにでも次の試合の対策をするべきなのだが、柳瀬はラウンジのベンチでほぼ寝ているのと同じくらい脱力しながらドリンクを飲んでいた。
「……あっ、たつき!」
 呼ばれて、慌てて起き上がると大きく手を振っていたのは柿崎だった。
「ここいいか?」
「はいっ、どうぞ!」
「改めて、初戦勝利おめでとう」
「ありがとうございます! 柿崎さんこそ、解説に来てくださってありがとうございました。あとから録音聞きましたけどめちゃくちゃ嬉しかったです」
「本当にいい試合だったよ。たつきの、今までやってきたことの成果だな」
「……はい。ありがとう、ございます。……柿崎隊とは、残念ながらまだ当たれませんでしたけど」
「だな。けど当たったときはお互い遠慮無しでやろう」
「勿論です」
 真摯に柳瀬を見据える柿崎の視線は眩しい。照らされたおかげでちょっとセンチメンタルになっていた気分も上向いてきたので、気を取り直して次の対戦相手のログを見ようかと思案していると、柿崎が遠慮がちに話しかけてきた。
「……あの、な。たつき」
「はい……?」
 いつもまっすぐに話を切り出す柿崎にしてはめずらしく、迷うように口ごもっている。急かすことはせずにさまよう柿崎の瞳を見ていると、ややあってまた目が合う。
「……この前の、たつきのことをもっと見て欲しい人がいるって話なんだが……」
「あ……」
 少し前に柿崎に相談した内容を思い出して、柳瀬は顔を赤らめた。照れているのもあるがそれだけではない。柿崎に相談してからこれまでの間に、恥じ入る部分を自覚してしまったからだ。いやに胸がざわつき、かき乱されていくのがわかる。今その話は、ダメだ。柿崎が何か言いかけたのを遮って首を振る。
「その人が、どこの誰かはひとまず置いておくとして──」
「──もう、いいんです」
「……、どうした?」
 気遣わしげな視線が心配そうなものに変わる。その瞳に今すぐ泣きつきたい気分になった。あったことを洗いざらい話してしまえば、柳瀬がどんなに悪くとも、柿崎はまず間違いなく柳瀬の味方になってくれるだろう。けれどそんな風にはしたくなかった。そんな風に柿崎を扱いたくはなかったし、優しくされて慰められるだなんてもってのほかだ。
 二宮にSub spaceの話を持ち出したのはほぼ話を逸らすためのものだったが、まさか既にプレイできる相手が見つかっているだなんて、Sub spaceに入りたくないと考えていただなんて、思ってもみなかった。プレイ相手に関してはまだ本決まりではないようだったから、伏せられていたのはともかくとして。
 Sub spaceが不要だと考えているSubがいるとは考えず、二宮もきっと求めているはずだと自身の願望を押しつけていた。彼とは初めから見ているものが違った。柳瀬はちっとも二宮のことを理解できていないのに、一方的な信頼を要求していた。とんだ独りよがりだ。
 プレイできる相手は複数人いた方がいいという話を差し置いて柳瀬との暫定パートナーを解消しようとしているのは、ひょっとしたら二宮も、こんな柳瀬のことは看破していているからではないのだろうか。事実、プレイのことを余計なことと言われてしまったのだし。柳瀬にとっては楽しかった時間も、二宮にとっては煩わしいだけだったのかもしれない。目の奥がつんと痛んだ。
「ぼく、フラれたんです」
「え、」
「いや、フラれたっていうか……告白する前に、このひとの側にいる資格なんてないな、って分かっちゃったっていうか……」
「……。そ、そう、なのか……」
 何故か、柿崎がショックを受けている。いつもの精悍な雰囲気とはうって変わりどよんと沈んでしまった。やっぱりこのひとは優しすぎる。思わず潤みかけた目をぎゅっとつむり、彼が気に病まないよう笑顔を作ってみせた。
「あはは、なんで柿崎さんがフラれたみたいな反応するんですか」
「う、いや。すまん……辛いのはたつきなのにな」
「いやいや、そこまで深刻に捉えないでくださいって。……それに、ずっとぼくの話したことについて、考えてくれてたんですよね? ありがとうございます、それだけで十分すぎですよ」
 ゆっくりと首を振り、柿崎が先ほど何を言おうとしてたのだろうと考えようとして、やっぱりやめた。
 柿崎は柳瀬の表情を正面から見据えて口を開く。
「けど……資格とか、そういうのは……あんまり自分のことを下げないでくれよ。誰を好きでも好きじゃなくても、フラれても……たつきはたつきだからな、俺の大事な後輩だ」
 いつもはまっすぐに受け取れるはずの彼の言葉も、今回ばかりはできそうになかった。
 柿崎はまだ柳瀬と離れがたそうにしていたが、防衛任務の時間が迫っているらしい。後ろ髪を引かれた様子で彼が立ち去るのを、いつも通り手を振って見送る。そして彼の気配が完全になくなったところで再びずるずると背もたれにもたれかかり、ほぼ水の味しかしないストローを啜った。
 大きなため息をついたと同時に、上着のポケットに入れていた端末がヴヴ、と震える。この振動設定は二宮だ。やや焦った気持ちでメールを開き確認する。いつも通り簡潔な文章だ。

 そして、二宮との最後のプレイの日取りが決まった。


2023/06/23