蜜柑とアイスの共存

ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる


隊長になります!

※愚かなモブが出ます

「おっ、辻ちゃん、ひゃみちゃんお疲れ」
「犬飼先輩」
「お疲れ様です」
 学校から一緒に本部まで来たのだろう、並んで歩く氷見と辻を見付けた犬飼が声をかけた。彼らの目的地は同じなのでそのまま共に歩き出す。いつも通りの光景だが、そんな平和な昼下がりにはおおよそ似つかわしくない言い争うような声が廊下の先から聞こえてきた。
「なんだろ、喧嘩かな?」
 犬飼が野次馬よろしくその先を覗きにいこうとするのを他の二人が止め、もし複数対一人や年下であるならば仲裁するなり職員を呼ぶなりした方がいいのではないかと氷見が提案したところ。
「もうっ……しつこい! うるさい! ついてこないで!」
 焦れたように叫ぶ声には聞き覚えがあった。
「……、この声……柳瀬くんじゃないですか?」
 言うなり、辻は迷っていた爪先を前に進めた。それにつられるように犬飼と氷見も後を追う。足の速度と比例して話し声は大きくなる。どん、と鈍い音がしたのに、後輩が無事であることを祈りながら。

「ねえ、今フリーなんでしょ? いいじゃん、ウチ入ってよ」
「ヤです」
「なんで? どこにも誘われてないんでしょ」
「なんでも」
 ボーダー内をいつも通りふらついていたところで、見知らぬ高校生に絡まれた。話を要約すると「自分たちの隊に入らないか」という誘いではあるが、そのやり口は強引としか呼べないものだった。柳瀬はずっと断っているのに後をつけ回して、薄笑いを浮かべている彼らに早い内から我慢の限界がきていた。
 人気の少ない場所で目をつけられたということは、このまま人の多い廊下やラウンジまで行けば諦めてくれるはずだ。どうかそうであってくれと祈りながらつかつか廊下を歩いていく。
(……じゃ、じゃなきゃぼくがこの人たちのこと殴っちゃう……!)
 柳瀬はDomということもあり下手に振る舞った場合の他者への影響が大きいため、普段は激情を抑えようと努めている。が、元々そんなに気が長い方でもなかった。しかし神経を逆撫でするような、端的に言えば柳瀬のことを舐めきっている態度で接せられれば、怒りを感じるのも無理からぬことだった。
 しかしボーダー隊員同士の私闘は禁止されており、そうでなくとも喧嘩でさえ、良識ある一市民としてはご法度だ。それは付きまとってくる彼らとて理解していないはずがないのに、何故こんなにもしつこいのか。理解できない行動により柳瀬の苛立ちは積もっていく。
「俺たちの方がポイントも高いしさ、先輩のアドバイスは素直に聞いておいた方がいいと思うよ?」
(そんな価値は、ない……!)
 これ以上答えるのは時間の無駄なうえにうっかり悪口がまろびでてしまいかねない。柳瀬はぐっと唇を噛みしめて無視することに努めた。そもそも柳瀬を弱いと揶揄するのであれば、なぜわざわざチームへ誘うのか、何もかもが理解不能だった。
「っていうか噂で聞いたんだけど、柳瀬くんって千里眼のサイドエフェクトあるってホント?」
「あってたまるか、そんなサイドエフェクト!」
 しかし決意もむなしくすぐに口を開いてしまった。
 何かと思えば、やはり柳瀬のサイドエフェクトが目的で近づいてきたらしい。大方サイドエフェクトさえあれば楽をしてランク戦を勝てるとでも思っているのだろう。柳瀬がかつて所属していた部隊員と全く同じ思考回路をしている。彼らにとって、サイドエフェクトは便利な魔法なのだ。いくら使い道があったとしても、そんなめんどくさそうなサイドエフェクトは一生いらない。
 サイドエフェクトの話は柳瀬にとっての逆鱗のひとつだったが、あまりにも話が盛られすぎていて突っ込みどころを失ってしまった。喧嘩をしたい訳ではないのだから問題ないのだけれど、それにしてもどこからそんな噂が流れているというのか。今すぐ聞き出したい気分だったが、それもなんとか堪えて歩を進める。早く人目の多い場所につかないだろうか、こういう時ばかりは、ボーダーの広大な敷地が憎らしい。
 それからも次々浴びせられる心無い言葉に、やはり口を開いてしまう。その語気には、堪えがきかない己への苛立ちが多少ならず入っていた。

「もうっ……しつこい! うるさい! ついてこないで!」
「うわ、そんな態度だとすぐ師匠にも見捨てられちゃうんじゃない」
「あはは、けどあいつも凶暴だし、似た者同士でいいんじゃない」
「……なに……?」
「それになんだっけ、最近は二宮隊にも擦り寄ってるらしいし。そろそろ誘われた?」
「……誘われるわけないし、誘われたとしても入るわけないだろ……もう黙って……」
「やっぱり? おまえなんかが選ばれるわけないもんね」
「でも二宮隊も二宮隊で隊務違反で降格だ……うわっ?!」
 柳瀬のみならず、柳瀬の周囲の人間まで馬鹿にする彼らは最後のラインを踏み越えた。柳瀬の耳からは音が遠ざかり、怒りのままに彼らを壁へ叩きつける己の動きがスローモーションに感じて、それをどこか他人事のように見つめていた。
 言いたい文句は山ほどあった。けれど何より、これ以上彼らのことを汚らしい言葉で語られることが我慢ならなかった。
「うるっ……さいな。そのおしゃべりな口をスコーピオンで縫ってやろうか」
 ずっとつきまとってきた彼らは驚き目を見開いている。柳瀬がそもそも年下かつ小柄であり、加えてさほどランクの高くないフリーのB級であることから御しやすいと判断していたのだろう。しかし、トリオン体であれば身体のサイズは違えど性能は変わらないのだ。本来の肉体よりもずっと力がある。
 気圧された様子の彼らの視線が柳瀬からその背後に移った。そしてさらに顔を青くさせる。
「……にっ、二宮隊の……」
 その呟きを理解した途端、目の前の彼らに続いて柳瀬の顔が青くなった。襟元を握っていた手を放し、ゆっくりと振り返る。そこには、二宮以外の二宮隊面子がそろっていた。
(……お、終わった……)
 絶望する柳瀬の傍ら、氷見と辻は案の定驚いていた。一方、犬飼はいつも通りに見えるが実のところはわからない。
 柳瀬の放つ空気が目に見えてかわったからか、しつこく付きまとっていた彼らははいずりながら、つい先ほどまで馬鹿にしていた彼ら手を伸ばす。
「た、助けてください! 僕たちこいつに脅されて……」
「はぁ……?!」
 何をいけしゃあしゃあと、そう思ったが迫及する気力は残っていなかった。ふと我に返り、怒りに任せてまたGlareを撒いていたらどうしようかと肝が冷えたが、放たれていた場合に真っ向から浴びるはずの彼らには、Glareをぶつけられたとき特有の症状はでていない。苦々しく思いながらも、複数の強い感情が絡み合った末疲れてしまった柳瀬は、半ば自棄になってその場に座り込んだ。
 一方、彼らに助けを求められた犬飼は、からりと笑い低い位置にある肩を優しくぽんと叩いた。ぱっ、と彼らの空気が和らいだのは、たった一瞬のことだ。
「脅された? いやいや、後輩と肩がぶつかったぐらいで大袈裟でしょ~! それよりもさ、さっき俺らの悪口が聞こえた気がするんだけど……誰が話してたのか、知らない?」
 彼の笑顔には迫力があった。わずかに上向きになった顔色を瞬時に青く戻した彼らは、足をもつれさせながら大きな足音を立て走り去った。

 間髪入れずに辻と氷見が掛け寄り、放心しへたりこむ柳瀬に合わせてしゃがむ。
「柳瀬くん、怪我とかない?」
「ゆっくりでいいから、立てる?」
「……え……?」
 かけられた優しい言葉に、伏せていた視線を上げてぼんやりと答える。辻も氷見も、柳瀬を見つめる瞳は心配そうにしている。がっかりされていない? それだけは理解して、はっとして立ち上がった。
「……トリオン体なので、なんともないです」
 それでもやっぱり大丈夫とは判断されなかったようで、二宮隊作戦室で休憩していきなよ、お誘いを受けてしまった。せめて二宮さんに会うまでにシャキッとしないとなぁ、とぼんやり考えていると、犬飼が元気ないね、と直球に背中を叩く。少し考えて、そうですねぇと返した。
「今月の、非暴力不服従のスローガンが……守れなかったなぁと……」
「聖人目指してるの?」
 柳瀬の斜め上の回答に辻と氷見は虚をつかれたような顔をしている。犬飼は大丈夫そうだと判断したのか、思い出したように肩を震わせた。
「それにしてもさ、さっきの柳瀬くんの……スコーピオンで縫い付ける、みたいなやつカッコよかったね、ねぇ辻ちゃん」
「えっ?! な、なんか決め台詞みたいだなぁとは……」
 指摘されて、柳瀬は首までかぁっと真っ赤にさせた。年齢通りの中二病過ぎるセリフをどうにか説明できないか考えて、出た言葉はお粗末なものだった。
「……違うんです!」
「何が?」
「昨日の夜やってた洋画のせいなんです!」
「あはは、なんかやってたよねそういえば。柳瀬くん影響されやすすぎ」
「洋画好きなの?」
「たまたまなんですよぉ……」
 おススメあるよと微笑む氷見にしおしおとなりながら、それはそれとして興味はありますと食いついた。柳瀬は放心していた余韻も抜けて、気づかわしげに緊張していた辻と氷見の表情も和らぎ、作戦室につく頃にはすっかりいつも通りの空気になっていた。どうやらまだ二宮はいないようだ。冷蔵庫から辻が登場させたバターどら焼きはちょっとしたトラブルのあとだったからか、よけいに輝いて見えた。


 口の中に広がる甘さに顔を綻ばせると、高校生三人もそれぞれ手を付け始めた。一口だけ食べた犬飼が柳瀬にむけていつもの笑みを浮かべ尋ねる。
「言いたくなかったら答えなくていいんだけどさ」
「ふぁい?」
「柳瀬くんってDomか、Domが強めのSwitch?」
「ふぁい……?」
 ダイナミクスはグラデーションだ。すべての者はDom、Switch、もしくはSubに分けられ、比率は国地域によって差はあるがおおよそ2対6対2の割合に分布している。専門機関で検査を受けると、九段階にダイナミクスの数値が表され、どのくらいどのダイナミクスに寄っているのか、という結果が渡される。
 数値が中央の〇に近いほどDomとSubの状態が切り替わりやすいSwitchであることを意味し、端に近い数値はそれぞれDom、Subと診断される。あくまでもグラデーションのため、何かのきっかけがあればDomとSubの診断を受けた者でもダイナミクスが切り替わるということも、確率は低いもののあるらしい。閑話休題。
 あくまでも犬飼は微笑んでいるが、辻は犬飼を咎めた。氷見は口の中のものを緑茶で流し込んでから、はす向かいに座っている犬飼と柳瀬との間に腕で塀を作る。犬飼は相変わらずの笑みを浮かべたまま眉だけを下げた。
「まってよ、おれがめちゃめちゃ無神経なヤツみたいじゃん。辻ちゃんともひゃみちゃんとも、普通にダイナミクスの話することあるでしょ?」
「急に聞くのはかなり無神経ですよ、先輩」
「言いたくなかったらって前置きすればいいって話でもないですよ」
「えー、でも結構おれたち、仲良くなれたと思うんだけどなあ。さっきもおれたちのこと庇って怒ってくれてたんでしょ? ねぇ、柳瀬くん」
「えーと……? 仲良くなれてたら、うれしいですけど……」
 さすがに犬飼の聞き方だけで放置されてたら面食らっていただろうが、辻と氷見のフォローがあったため柳瀬から見た場の空気の評価はプラマイプラだ。柳瀬は自身のダイナミクスをどうしても隠したいわけではないし、二宮隊に関しては一定以上の信頼を置いているため犬飼の質問を肯定して、どうして聞いたんですか? と質問の意図を計る。柳瀬が気にしてないなら特に問題は無いらしく、氷見は腕で作っていた壁をすっと戻した。
「さっきの柳瀬くん、結構怒ってたよな~って思って。怒らないように……みたいなことも言ってたし、もしかしてそうなのかな? って思ってさ。……あ、ちなみにおれ自身はかなりSub寄りのSwitchなんだけど。姉がDomで、あんまりため込むと爆発することもあるから、お節介だろうけど大丈夫かなと思って」
「……ご心配、ありがとうございます……?」
 首をかしげながら言うとなんで疑問形? とからから笑った。

「さっきぼーっとしてたでしょ。うちの姉の場合、そうなってるとけっこうギリギリなときだから」
「……そうなんですね。でも、大丈夫だと思います。今まで爆発したことないってのもありますけど、さっきぼーっとしてたのは……確かに怒ってたのもあるんですけど、ああいうところ、辻先輩達に見られたくなかったなってのが大きいので……」
 先ほどのことを思い出して肩を落とした柳瀬に、隣に座る氷見が「誰だって怒ることくらいあるよ」と慰めた。話題を変えようとしてか、辻が口を開く。
「……爆発って、どうなるんですか?」
 検査値がちょうど中央の辻が問う。大変だよ〜? にこやかな犬飼に反して内容はヘビーだった。
「泣きながら、四方八方にGlare撒いちゃう」
「わぁ……」
 それは大変だ。本人にとっても、周りにとっても。家の中ならまだしも、もし公共の場でそうなってしまったら。ぞっとしてすぐに想像をやめた。
 実際犬飼の場合も大変だったようで、Glareに当てられてキッツイのにめちゃくちゃパシらされてさぁ、と対処法を語っていた。参考のために話してくれているのだろうか。爆発ということは、プレイで意識的に使うものとは違う、容赦のないGlareということで、当てられた犬飼の負担は言葉通り相当だったのだろう。
 けれど通常であれば、たしかにダイナミクスが噛み合うきょうだいが居ることはプレイがしやすくていいのかもしれない。よくよく聞けば辻も氷見もそれぞれきょうだいがいるらしく、幼い頃からある程度の頻度でプレイをしてお互いの精神の安定を計るらしい。
「……二宮さんって、ごきょうだいはいるんですかね」
「いないって言ってなかった? そもそも二宮さん、全然プレイする必要ないらしいし」
 二宮の家には何度となく訪れたものの、突然全ての部屋を見て回ったわけではない。よく整理整頓された家で、常に家族全員が出払っている時に招待されるため、柳瀬は二宮家の家族構成をはっきりわかるほどの情報は持っていなかった。なんとなく口にした程度だったが、彼が部下たちにダイナミクスの変化を話していないことも知ることになった。
 まあでもきっかけがきっかけだしな、と、あくまでも自身の推測であることを思い出しつつ相槌を打つ。
「あんまりダイナミクス性の話も興味ない感じでしたよね。プレイの必要が無いってなると、そうなるのかも」
「一見すると、すごく典型的なDomっぽいけどね」
「少女漫画とか恋愛ゲームに出てきそうな?」
「それそれ」
 余計なことを口走らないよう、バターどら焼きをもう一口食べた。辻の好物らしいことは聞いていたので、店の名前とロゴを覚えておく。
「それを言うなら柳瀬くんも典型的なSubっぽくない? ほら、こないだのテストの時とか、褒めて褒めて~ってめちゃくちゃアピールしてたらしいじゃん。見たかったな~」
「まあでもそういうのって血液型占いみたいなものですし」
「あー……、確かによく言われます。ちっちゃいし甘えたなのにみたいな。でもわかんなくないですか? 今後ぼくが、それこそ少女漫画に出てきそうな感じになるかもしれないじゃないですか」
「なるかな~」
「可能性はありますよ」
「楽しみにしとこ」
 話の流れで、そういえば、と思い出したように氷見が辻を見やる。くすくすと思い出し笑いをしているのが楽しそうだ。
「辻くんも、ぽいとは違うけどちょっと面白い体質してるよね」
「あ、あんまり面白がらないで。大変なときもあるんだから……」
「ふふ」
「……? ぼくが聞いても大丈夫なやつですか?」
「……俺はSwitchの中でも特にスイッチしやすいみたいで……意識してなくても、ちょっとした弾みで切り替わっちゃうんだ。前に、プレイ中に切り替わったことがあって……」
「でも、わたわたしてるうちに戻ったんでしょ?」
「うん……コントロールが効かないって大変……」
「はえ……そんな風になるんですか」
「二宮さんほどじゃないけど……プレイの頻度は低めで十分だから、比較的楽な方だとは思うんだけどね」
 プレイ相手ならばともかく、ここまであけすけにダイナミクス性について話すのは柳瀬にとってははじめてに近かった。自分の大切な情報だから誰彼構わず話すことではないですよと教わるのもひとつ、最初に氷見と辻がかばったように、少なからず個人に踏み込んだ話題ということがひとつ。ほかには、自分はよくても相手がダイナミクス性について、積極的に触れてもいいと考えているのかわからないというのがひとつ。
 曲がりなりにも性に関する話題なので、はしたないとか、なんとなく恥ずかしいと思いがちな者も多いのだ。とはいえ、個人や生活とは切っても切り離せない話題であることも事実である。
 オープンに話せるのは二宮隊の雰囲気がいいのか、それとも中学生と高校生では温度感が違うのか。ダイナミクス性に関して二宮に偉そうに語っていても、やはり知らないことばかりだ。柳瀬は興味深く耳を傾けていた。
「……柳瀬くんは一人っ子なんだっけ。ちょっとプレイしたいなってときはどうしてるの?」
「基本的には友達ですね。元々頻繁にしなくちゃいけないって訳でもないですし……あと、体調悪そうな人に声かけると、たまにダイナミクスの乱れだったりするのでSubの状態だったらそのときに……」
「えっ、初対面のひととってことだよね? そんな状況でプレイってうまくいくんだ?」
「ぼくみたいな見た目だと、相手も安心しやすいみたいで、その分プレイしやすいし安定も早いっぽくて」
「あ~……」
 犬飼がなんとなくわかるかも、と相槌を打つ。気心が知れた者以外となると、どうしても視覚情報から判断する第一印象によって心構えは変わってくるからだ。道に迷ったとき、より親しみが湧く見た目の者に尋ねるだとか、そういうものにも似た話。もちろん傾向の話であるので、強引なDomにエスコートされたいSubというのも当然ながら多く存在するけれど。
 ともかく、"人助け"をするにあたって身体が小さいことが有利に働く点のため、柳瀬は背が低いことに言及されるのはそんなに気にしていなかった。勿論、先ほどのように舐められたり侮られるのは別の話だけれど。
「じゃあ、あんまり背は伸びなくてもいいと思ってる?」
「いえそこは、目標は高く持ちたいので……ゆくゆくは二宮さんくらいは欲しいところですね……」
「ふふ、ホントに高いね」
 きらりと目を光らせた柳瀬に、彼らはくすくす笑った。



 ダイナミクスの話がひとしきり盛り上がった後。話戻るんだけどさ、そう前置きをして犬飼が切り出した。バターどら焼きの包み紙は結んでテーブルの上に転がっている。
「さっきのあれって結局何だったの? ホントに肩ぶつけられたりした?」
 結構治安悪い層もいるからああいう手合いは避けた方がいいかも、とあくまでも軽い話題であるかのように話す彼も、控えめに視線をよこす氷見も辻も、純粋に柳瀬を案じている。だからこそ柳瀬は正直に答えざるを得ない。──誤魔化しても嘘をついても、上手くいかないという点は置いておくとして。
「えーと……強引な勧誘……といいますか……」
「……。それって、柳瀬くんの……サイドエフェクト関連で?」
「あ……二宮さんから聞きました?」
 辻が控えめに尋ねたのに返せば、彼は頷いた。中途半端に知られるよりは全部知られていた方がいいと二宮には話していたし、彼もそう判断したのだろう。
「そーなんですよ。今日のは千里眼って言われたので、過大評価が更新されましたね」
 明るく言うつもりだったが、なんとなく上滑りした言い方になってしまった。
「サーモグラフィーだっけ?」
「そうですねー、一応研究室ではトリオン熱感知って名前がついてるらしいですけど」
「私たちのこと赤く見えてるの?」
「細かく言うとちょっと違うんですけど、だいたいそんな感じです。なので熱ある人とかわかりますね、あとは……」
 ちら、と辻を見やった。目が合った辻が首を傾げると、にへ、と笑いかける。
「辻先輩が、女のひとと話してるときとか」
 冗談交じりで伝えると辻の顔が赤くなった。「それは私たちにもわかるね」と氷見がこれまた冗談交じりに言う。
「からかわないでよ……」
 犬飼が愉快そうに笑いながら、思い出すようにして問いかける。
「二宮さんから話聞いて思い出したんだけどさ、柳瀬くんって何シーズンか前のランク戦出てたよね?」
「えっ、よく覚えてましたね、B級下位の試合なのに」
 どうやら二宮はサイドエフェクトについては彼らに話したが、前に所属していた部隊のことは話していないようだ。それよりも犬飼の記憶力のよさ、どころか試合を観戦していたらしい事実に舌を巻く。あの時期、二宮隊はA級の最前線で活躍していたはずだ。
「まあね。それで、もしかして柳瀬くんがずっとフリーなのって、そっちでなんかあったのかな~って思って」
 犬飼はエスパーなのだろうか。柳瀬は瞠目した。いまも柳瀬の反応をみて当たった? と笑みを浮かべているし。この人の前では特に嘘や誤魔化しが聞かないかもしれないなあ、と思案しながら頷いた。
「まあ、そうですね。多分お察しの通りぼくのサイドエフェクトで誘われて、それきっかけで解散……みたいになっちゃって」
 意識して淡々と語る。けれど直近で二宮に話したからか、思ったほど苦々しい感情は込み上げて来なかった。二宮から叱られたのも一助となっているのかもしれない。誘われたからと言って短絡的に行動せず、したとしてもまだやれることはあったはずなのだ。今の柳瀬は冷静に理解できている。内心で頷いた。けれどその一方でいまだに怖気付いているのも確かだった。
 でも、と辻は尋ねる。
「隊に誘われるのってさすがに、さっきみたいな強引なやり方だけじゃないよね?」
「ん……まあ、そうなんですけど……。ただ、……前に入ってた隊が元々仲良かった三人の中にぼくが入って行ったっていう形で、解散もその三人の話し合いで決まっちゃってて。ぼくって最後までお客さんだったんだな〜……みたいなのが……あって」
 言いながら徐々に悲しくなり、気分と比例するようにテーブルへずるずると、前のめりにもたれかかっていく。
「ああ、そういうこと。だからどこに誘われても……仮に、二宮隊に誘われても入らないんだ」
 さっきの輩との会話はばっちりきかれていたらしい。う゛っ、呻き声をこぼし、テーブルにめり込む勢いで頭が下がっていく。
「……生意気言ってごめんなさい」
「犬飼先輩はそういうこと言ってるわけじゃないから」
 氷見が柳瀬の丸い頭を軽く撫でた。ちょっと嬉しくなる。
 気分は乱高下で、今度はこれまで友好的に誘ってくれた隊に対しての申し訳なさが襲ってきた。
「うぅ……柿崎隊なくならないで……」
「えっ、誘われたのってザキさんのとこ? あそこ一番そういうので無くならない隊でしょ」
「重症だねえ」
「二宮隊なくならないでぇ〜……」
「泣いちゃった」
「無くならない、無くならない」
 氷見の手に便乗して犬飼も半ば遊び混じりで柳瀬の頭を撫ではじめた。べしょべしょ泣いている柳瀬をそわついた様子で見ていた辻は犬飼に目線だけで促され、少し迷ってからふんわりと柳瀬の頭を一度だけなぞった。そして考えながら、といった様子で口を開く。
「……柳瀬くんは、隊に所属したくないんじゃなくて。もう出来上がってるところに入るのが怖い、ってことだよね?」
「……はい、たぶん……」
「……じゃあ、柳瀬くんが……隊を作るのはどう、かな」
「……」
 撫でられたままの柳瀬がはたと辻を見上げた。瞬きの拍子にころりと涙の粒が落ちる。氷見も犬飼も、辻がそんな提案をするとは思っていなかったらしく全員が辻を見つめていた。
 少しまごつきながらも辻は続ける。
「その……安直かもしれないけど、一から隊員を集めるなら……募集でもスカウトでも、みんな同じ地点からのスタートだからと思って。もちろん、大変ではあるだろうけど」
 呆けたように、穴が開くほど辻を見つめたあと柳瀬はおもむろに立ち上がった。三人に見られて少し照れた様子の辻の手をしっかり握ると視線がぶつかった。柳瀬の瞳はきらきらとやる気に満ち溢れていた。
 まるで、初めて辻と個人ランク戦で試合をしたときのように。
「……やります! ぼく、自分の隊……作ります!」
 氷見と犬飼は目を見合わせ、へらりと笑った犬飼が立ち上がった柳瀬を見上げる。
「柳瀬くんが隊作って、早くに上がってこれたら、もしかするとうちと当たれるかもね」
「……!! 絶対上がります!」
 直前まで泣いていたのが嘘のように彼は笑った、否、目が潤んでいるだけより輝いているようにさえ見える。そして言うが早いか柳瀬は試案を巡らせた。申請書類はどこそこにもらいに行って、次回のランク戦まであとどれくらいだから、それまでになにそれをして。
「ランク戦って、戦闘員一人でも参加できますよね、たしか漆間隊が……あっ」
「どうしたの?」
「……戦闘員は募集かスカウトかで何とかするとして、ぼく、フリーのオペレーターの知り合いが……いなくて……」
 すっかり普段の調子を取り戻したかのように見えた柳瀬だが、またもや表情を暗くした。隊として認められる条件は戦闘員とオペレーターがそれぞれ一名以上必要なのだ。しかし隊に所属していないオペレーターは普段本部のオペレーター室で訓練を行っているため、戦闘員の柳瀬は接点がない。それでも募集という形で申請すれば興味を持ったオペレーターが応募する可能性はあるが、実績も何もない柳瀬に興味を持ってくれるかというと、中々難しいだろいうというのが柳瀬の見立てだった。

 復活したのが嘘のように再びしなしなと席についた柳瀬の頭を見て、もう一度三人は目を合わせる。ひとつ頷き動いたのは氷見だった。
「柳瀬くん、柳瀬くん」
 つんつん、指先でつつきながら呼びかけた。彼は脱力したままゆるゆると身じろぎして顔を上げる。
「ふぁい……」
 つついていた指先をそのまま自分に向けて、くいくい、氷見が無言でアピールする。しばらく考えてから、はっ、と衝撃にのけぞった柳瀬は神妙な面持ちで囁いた。
「えっ……?! ひゃみ先輩を……ヘッドハンティング……?!」
「ちがうちがうちがう」
「ひゃみさんはダメだよ」
「無くならないでって泣いてた直後になんてこと言うの」
 なんて、四人でひとしきり騒いだ後、犬飼が改めて人差し指をたてて説明する。
「こらこら、そうじゃないでしょ。ひゃみちゃんはオペレーター、それはわかるね?」
「はい」
「ってことは、同じオペレーターの友達も多いわけじゃん? つまり?」
「はっ…….!」
 もう一度柳瀬は氷見を見た。氷見はこくりと鷹揚にうなずく。
「柳瀬くん、聞いてごらんなさいな」
「綺麗でかわいくてハイパー優しいひゃみ先輩!」
 うん? 首を傾げて一旦言葉を止めさせる。
「ちょっとまって、それはいくらなんでも持ち上げすぎ」
「えっだめですか? ひかちゃん先輩はめちゃめちゃ喜んでくれるんですけど」
「柳瀬くん、女の子にそんなこと言えるの……?!」
 二度目のストップが出た。辻は柳瀬の口からすらすらと出てきた言葉に戦慄している。聞き慣れないあだ名に犬飼が尋ねた。
「ひかちゃん先輩って誰?」
「仁礼光先輩」
「ああ、仁礼ちゃんならたしかに喜ぶかも……」
「普通に聞いてくれれば答えるんだけど……。でも褒められるなら、私はもう少し具体的に褒められる方が嬉しい」
「えっと……じゃあじゃあ、いつも御髪がつやつや綺麗なひゃみ先輩!」
「うむ。聞いてしんぜよう」
「新設隊のオペレーターに、興味のあるご友人はいらっしゃいませんか!」
「うん、心当たりあるから聞いてみるね」
「やった! ありがとうございます! ひゃみ先輩の連絡先聞いてもいいですか」
 快くオッケーがでたためぽちぽち端末を操作し無事に連絡先を交換する。用事があるときはいつも柳瀬が二宮隊の作戦室を訪れるため、いままで交換していなかったのだ。ついでとばかりに犬飼と辻とも連絡先を交換した。辻のアドレスを入力する手は少し震えていた。
 入力された情報を確認しがてら、犬飼がそういえばと柳瀬を振り返る。
「もいっこアドバイスするとね、柳瀬くん。女の子の前で別の女の子の話しない方がいいよ」
「そうなんですか?」
「少なくともうちの姉たちはめちゃくちゃキレる。彼氏が別の女の話しだしたみたいな愚痴」
 どうなんですか? 首を氷見に向けると、彼女は首を斜めに傾げた。
「私と柳瀬くんの関係ならいいけど、もし好きな女の子がいるならその子の前ではしない方が無難かもね」
「なるほど……覚えておきます!」
 しかしながら柳瀬の好きなひとは女の子ではないのだ。二宮はどうなんだろうとちょっと考えて、世間話で色んな人の話をお互いにしまくっていることに気が付く。そもそも二宮との共通の話題となると限られてくるためそれも仕方の無いことだが。結局、考えても分からないなというところに着地した。
 そして、犬飼はお姉さんたちと仲が良くて大好きなんだなあとも思った。それを口に出せば犬飼はもっともらしく神妙な顔をして「弟なんてものはね、姉たちのおもちゃなんだよ」と説法を始めるのだが、それは口に出さなかった柳瀬には預かり知らぬところである。

 氷見がいつくらいまでにはまた連絡できると思う、と告げて、柳瀬は元気よく頷いた。
「えへへ……うれしいなぁ……ありがとうございます、ひゃみ先輩、辻先輩、犬飼先輩も!」
 居ても立っても居られないといった様子で立ち上がり作戦室の出入口へ向かう。早速申請用紙をもらいに行くらしい。しかし扉を開ける直前ぴたりと足を止めた。どうしたのかと辻が口を開きかけたが、自ずと扉は聞いた。──作戦室へ戻ってきた、二宮の手によって。
「二宮さんっ!」
 ぴょん、と柳瀬は二宮へ飛びついた。作戦室に柳瀬がいるとは、それどころか扉の目の前で待ち受けているとは思わず、二宮は反応が遅れた。一瞬で身体を離し、いつもの表情のまま固まっている二宮に気にせず笑顔を向ける。
「ぼく、隊長になります! 絶対……二宮さんに追いつきますからね!」
 それだけを宣言して、扉の直こう側へ走り去っていった。意気揚々と出て行った彼が、子供っぽい行動はしないようにと決意したばかりだったのを思い出して頭を抱えるのはまた別のお話。
「……なんだ、今のは」
 一方、呆けた様子から復活した二宮が、すでに閉まった扉を振り返りながら尋ねた。氷見があらましを説明すると、納得したように頷いていつもの席につく。抱きつかれたことの方にびっくりしてる、と犬飼は面白そうに笑った。
「あれ、二宮さん、あんまり驚かないんですね」
「……前の隊の話を聞いたときから、遅かれ早かれこうなるとは思ってた。……だが辻が提案したというのは、少し驚いたな」
 氷見が同意した。辻は少し視線をさまよわせながら口をひらく。
「なんというか……勿体ない、というか。柳瀬くんは、隊に入ったらもっと伸びるだろうに、とは前々から思ってたので……その理由が、本人からして不本意なものだったみたいなので、つい口を……」
 挟んでしまいました。そう尻切れトンボに呟く彼に犬飼はいやいやと首を振る。
「ナイスアシストだったんじゃない? 実際、めちゃくちゃフッ軽だったし。大好きな辻ちゃんに背中押してもらえて嬉しかったんでしょ」
「そ……うですかね。……あ、でも、ひゃみさんが知り合い紹介するっていうのもびっくりしたかも」
「うん? うん、そうだね。モチベーションがあるなら応援したいっていうのもあるけど、柳瀬くん、実は申請方法とか前に調べたことあるんじゃないのかなと思って。申請に何が必要とかいつまでとか、辻くんそらで言える?」
 つまりはまあ、それぞれがちょっとずつ柳瀬を応援しているということで。相変わらず我関せずといった様子で書類を眺めている二宮に声をかけた。
「それにしても、俺たちに追いつくですって。柳瀬くんがどんな隊を作るのか、楽しみですね」
「……柳瀬がどういう隊を作るかは知らんが……。おまえはB級の層がそんなに薄いと思ってんのか」
「いやいやまさか。でも、だからこそ余計に楽しみですねって話です」
 二宮は肯定も否定も返さなかった。


2023/06/16