蜜柑とアイスの共存

ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる

キウイもぐもぐ

※二宮さん(19歳)が夢主(13歳)の指を舐めます

 二宮の言った"次会った時"はすぐに来た。その週のプレイをする約束をしていたからだ。駅まで迎えに行き、まだ落ち込んでいたらどう接すればよいだろうかと考えていた彼に反して柳瀬はいつも通り溌剌と挨拶をした。数日間引きするほどのことではなかったようだ。
 すっかり慣れた家で、お邪魔しますという挨拶は変わらずいつもの部屋へ向かった。プレイの話になる前に二宮はつぶやくように彼を呼ぶ。
「柳瀬」
「はい?」
 くるりと振り返り首をかしげる。そこで少し考えた。褒める、とは、具体的にどうするのがいいのだろうか。いつも部下にしているのはよくやったという言葉ばかりなのだが、今回の場合それでは足りないというのはわかる。そうでなくともプレイ中、二宮自身はもっと褒めろとねだることが多いのに、柳瀬に対して一言もそういった言葉をかけなかった後悔もあった。
 ああそうだ。彼からのコマンドを受けて初めて使められたとき、大袈裟だと感じつつもそれ以上に心地よくもあった。彼ははじめから二宮に安心をもたらしていた。
 声をかけたにも関わらず、中々話し出さない二宮に柳瀬は尚も首をかしげている。その傾いた首元に向けて、おもむろに手を伸ばした。
「……テスト、頑張ったんだな。たつき」
 自分からこんなにも穏やかな声が出るのかと驚いた。そうだ、彼は柔らかい声で名前を呼んでいた。いつも柳瀬が二宮を褒めるときのように、髪に指をとおして、撫ぜた。さらり、指先に彼の髪の感触が伝わる。撫でるのはこんな感触なのか。部下を言葉で褒めることはあっても行動で褒めることはなかったから覚えのない感触に息を吐いた。撫ぜながら、頭の大きさや頭蓋骨の形もわかるのだなとまた知見を新たにする。
「……、」
 はく、柳瀬が言葉もなく唇をわななかせた。何か言いたいけど何を言えばいいのかわからないというように、けれどやがて柳瀬は目尻を赤くさせ、とろけるように微笑んだ。
「ふふっ、あは、……それ、いまですかぁ?」
 くすぐったそうに、至極幸福そうに柳瀬がはにかむ。撫でている二宮の手に擦り寄り大きく深呼吸する。彼は一目でわかるほど、安堵と充足に満ちていた。
 ──はじめて、プレイ中の柳瀬の気持ちがわかった気がする。彼にとっては本能的な欲求を満たすためだけの行動だと思っていたが、己の行動に対して嬉しそうに微笑まれるだけで、こんなに満たされるものなのか。無論、ただの褒めるという行為とプレイでは違う話なのは、分かっているけれど。
「二宮さん」
「……なんだ」
「ぼく、褒めるのも好きですけど……褒められるのも大好きなので。覚えててくださいね」
「……そうか」
 短い返答だが、柳瀬は満足げにまた笑った。
「でも急に、……何かあったんですか?」
「……部下達に、求められていたのは復習じゃなく褒めることだと言われた」
「あはは! やっぱり」
 柳瀬の側頭部をとらえている手に、彼の両手が添えられた。成人間近の二宮の手とは違った、骨と丸みの共存している手だ。



 机におかれたのは、柳瀬が調達してきた果物だ。リンゴ、梨、キウイ。
「どれが食べたい? 選んで」
 彼の言葉がじんわりと脳髄を痺れさせていく。二宮は三つを眺め、キウイを手に取った。柳瀬は受け取りしなに二宮の頭を撫でる。
「ありがとう。ぼくが剥いて、食べさせたげるね。包丁だけ借りてもいい?」
「俺は食べるだけか」
「ううん、剥くところもちゃんと見てなきゃダメだよ」
 視線が絡まった。わかった? 尋ねられて、そのまま言葉を返す。いい子だと褒められる言葉に頬をくすぐられている気分になった。
「前にさ、コンビニのおやつを匡貴に食べてもらったことあったじゃん。あの感覚が好きだから」
 ちゃんとプレイとしてやりたくて。言いながら包丁を操りするすると皮を剥いていく。手際がいいなと伝えると、これも褒めにカウントするのか彼は得意げに頷いた。
「うん、家事は……まあ、あんまりしないんだけど。これは慣れてるから」
 果物を剥くことだけ慣れているなんてあるのだろうか。そう考えて──今の二宮と同じように、他のSubに対しても同じようなプレイを繰り返しているのだろうと思い至り、どこか胸の奥がしくりと痛んだ。
(……、何を痛める必要がある)
 続いて浮かんだ疑問に深く考えすぎてはいけないと直感が告げる。痛みにも疑問にも見なかった振りをして、柳瀬のコマンドを守るため彼の手元を見つめた。

 そのまま黙々と皮むきを進める柳瀬を見つめるだけかと思っていたが、彼はぽんぽんと世間話を始めた。この前のランク戦がどうだった、どこで食べた何がおいしかった。そういうとりとめの無い話。二宮は相槌を打ちながら、ふと思い出したことを尋ねる。
「柳瀬にはサイドエフェクトがあるのか?」
 それまで淀みなく包丁を扱っていた柳瀬の手が止まった。ぎょっとした表情で振り返り、なんで? と尋ねた声は動揺している。その反応でサイドエフェクトを持っていると肯定したようなものだが、何故尋ねただけでこれほど狼狽えるのかまではわからない。
「氷見がそのようなことを言っていた」
 テストの答案用紙を見せに来た際、入室する前から柳瀬は二宮が来ることを分かっていた。だから、例えば迅のような、未来予知だとか、もしくは透視のようなサイドエフェクトがあるのではないか。
 本気でそう言っているわけではなく、あくまでもよもやま話の一環だ。しかし、柳瀬はよく人助けや、有り体に言えば厄介ごとに首を突っ込むことが多いらしい。その点は二宮にも思い当たるところがあり、それがサイドエフェクトに関わっていることもあるのかもしれないと尋ねたのだが。
「あー……そっか、たしかに……したかも……」
 独り言のように唸った。その反応がどういう意味かを尋ねる前に柳瀬は視線を二宮から手元に戻した。
「たしかにぼくはサイドエフェクトありますけど……。未来予知とか透視とか、そんな大層なものじゃないですよ。えーと……サーモグラフィーって言ったら分かります? 大体あんな感じなんですけど」
「……温度が見えるということか?」
「はい。ただぼくの場合はトリオンに反応してるらしくて、生き物にだけ擬似的に透視っぽくはあるというか……あー、例えば……そこの道路、おじさんが犬の散歩してる。ちょっと暑そう」
 と、柳瀬からは死角になっているはずの部屋の隅を指さした。窓越しに覗けば柳瀬の言ったとおり男性が飼い犬のリードを引いている。
「本部内だと、壁とか床とか全部トリオン製だから視界狭いしチカチカするんですけど……密度なんですかね、やっぱり生き物が一番濃く見えるから、壁越しに見えた二宮さんを、ひゃみ先輩といるときにうっかり……」
「隠しているのか」
 気まずそうに包丁の柄を握ったまま手首をぷらぷらさせ始めたので注意すると、今度はバツが悪そうな顔をした。
「元々は隠してたわけでもひけらかしてたわけでもないですけど、前に、ちょっとややこしいことになって……」
「……要領を得ないな、具体的に言え」
「ま~……なんていうんですかねえ、前所属してた隊で、あんまり役に立てなかったというか……」
「……なんだと?」
 明らかに声のトーンが下がった二宮に柳瀬はぎくりとして顔を向けた。自分が怒られているのかと思ったからだ。思った通り二宮は渋面を作っている。柳瀬の様子は目に入っているはずだが、二宮は口を止めない。
「いま聞いただけでいくらでも戦術の立てようがあるが、おまえの元チームメイトは馬鹿なのか?」
「えっ」
 柳瀬の元部隊員への罵倒だった。さらに視線を鋭くさせて続ける。
「おまえもおまえだ、サイドエフェクトのことは柳瀬が一番分かってんだろうが。部隊長に献策せずになにがチームだ。笑わせる」
「ええっ」
 かと思ったら柳瀬にも言葉の刃が飛んできた。しかし二宮の言うことは尤もだ。
 しばしぽかんとして、彼の言葉を理解するにつれ少し怖かったはずの二宮の表情が違って見えている。
「っ、ふ、あははっ」
「何がおかしい」
 今度こそ真っ直ぐに二宮の眼光が飛んできたが、柳瀬は目尻に浮かんだ涙を拭いながら首を振った。
「いえっ……へへっ、二宮さんの言うとおりぼくが馬鹿だったんです。でも、ありがとうございます」
「何がだ」
「ぼくのために怒ってくれて」
 言うなり二宮は眉のしわを増やして「おまえのためなものか」と一蹴した。けれど柳瀬の胸の内は爽爽としていた。尾を引いている笑いをなんとか納めながら、柳瀬は話を元に戻す。
「だからまあ……ぼくのサイドエフェクトについては、わざわざ言ってないんです。……けどまあ、二宮隊ならいいですよ、ひゃみ先輩たちに話すかどうかも二宮さんにお任せします」
 中途半端に知られてる状態が一番よくない状況になるので。柳瀬はそう言って、またキウイの皮向きを続行させた。二宮はそれ以上尋ねなかったが、問題点を認識していてなお、いつまでも隊に所属せずフリーで居続けているのは何故なのか。
 まだわずかに怒気を滲ませる二宮に対して「ちゃんと見てる?」と尋ねた柳瀬はすっかりいつもの調子だった。言われて、そういえばプレイ中だったことを思い出した。

 程なくして、半月状に薄く切られたキウイが皿に並ぶ。そのうちの一つを摘み上げ、柳瀬は自分の口をぱかりと開きながら二宮に差し出した。
「あー、」
 包丁を用意する際に二宮が勧めたフォークや爪楊枝はとうに断られている。彼の指先に触れないよう、キウイの端を唇で咥えて味わった。甘酸っぱさが口に広がると同時に達成感がを覚える。
「お行儀がいいね」
 果汁がつかないようにと言う配慮のためか、手の甲ですりすりと頬をなでられた。二宮の意図を察した皮肉ではなく単なる感想らしい。
 滑らかな甲の感触が気持ちいい。噛み砕いたものを嚥下してやっと喉の渇きを思い出したように、次の一切れをねだった。
「もっと、くれ」
「まだあるよ」
 欲求がするりと口から出た。彼が手ずから差し出した果実は、もともとの甘さもあるだろうけれどそれ以上に瑞々しく、また美味しく感じた。
 理屈をつけようと明晰な頭脳を働かせる傍ら、一切れごとにその思考は削ぎ落されていく。けれどそれに恐怖心はなく、ただただ、目の前の相手に己の身体の操縦を任せることに安心感と快楽を覚えつつあった。二宮は無言でその果実を頬張った。けれど最初に考えていた通り、彼の指先に唇が触れないようにするのは変わらず続けられていた。目を伏せていても柳瀬がじっと見つめているのがわかる。きちんと彼のコマンド通りに食べられたのだ、二宮は彼からの称賛への期待がピークに達していた。
 やがて最後の一切れを飲み込み、柳瀬が皿を傾けて中を示す。
「全部綺麗に食べられたね、上手だったよ」
 そしてまた、手の甲で二宮を撫でようとしたのだろう。近づいてきた彼の指先から、果汁が滴り落ちそうになっている、まさにその瞬間が見えて。ああ、まだ"全部"ではない、残っているではないか。
 それと同時に、コンビニで買ったスナック菓子を食べさせられたときのことを思い出した。そうだ、俺はあの指先が目についた時からずっと考えていたことがある。

 ──じゅる、

 考えるよりも先に身体が動いていた。柳瀬の親指を舌にのせ、落ちかけた雫を拾った。そして指についた果汁もまとめて平らげてしまいたくて、彼のふちを舌先でなぞり上げ、そして吸った。
 ばちばちと痺れるような、眠気にも似た心地よさが視界を遮る。果物の甘さだけではない、目の前にいる彼の、柳瀬を、ずっと求め続けていたものがようやく与えられて二宮の身体はどうしようもなく歓喜していた。彼の親指を軽々咥えて二宮の舌先は指の股へと渡った。ここにも果汁のあとがある。薄い水かきを撫でればくすぐったかったのかぴくりと柳瀬の指先が震え──爪が舌を甘くひっかいた。痛みはまったくない、本当に掠っただけの感覚。それがさらに気持ちよくて、二宮は目を細めた。
 そうして、果実をつまんでいたもう一本の、人差し指についた果汁も綺麗に舐めとってしまおうと、
「──…っダメ、」
 ぴたりと、身体が止まった。一瞬でぼやけていた思考がクリアになるのがわかる。
 中途半端に口は開いたままで、柳瀬の親指がゆっくりと引き抜かれた。二宮の唾液にまみれたそこはてらてらと光り、よほど粘度が高いのか少し糸を引いている。そこからぽたりと一粒が垂れてラグに染みを作ったのを見て、身動きの取れない二宮は内心で愕然としていた。コマンドを正しく聞けなかったことだけではない。己の欲望のままに動いてしまったことが二宮自身信じられなかった。
「ぼく、舐めてとは言ってないよね。……うーん、お仕置きがいるかな……」
 お仕置きという単語を聞いて胸がざわつくのを感じる。これの正体が期待か焦燥かの区別さえつかない。思考がまとまらず、殴り書きにされたような脳内で二宮の呼吸は次第に荒くなっていった。
「匡貴、こっちみて」
 彼はいつの間にか、二宮よりも視線が高くなるような姿勢を取っていた。目が合うと彼は身体を硬直させている二宮を安心させるように小さく微笑み、唾液の垂れた顎をぬぐった。
「もう、口は閉じていいよ」
 それはただの許可だったけれど、コマンドを打たれた時のように二宮の口は閉じられた。まだ息は荒い。
「……そうだな。余計な事しちゃう子は、何もできないようにしないとね。……こっちに来て、壁に向いて座って」
 こっち、と示した場所にクッションを置いた。ふらつきながら立ち上がり彼の指示したとおりに座る。視界の範囲には鏡やガラスはなくて、背後に立った彼が次何をするかが分からない。まるで心臓に氷をあてられているような心地だ。続けて後ろ手を組むように言われそうすると、彼の手がそっとそこに触れた。
「……お仕置きは、ぼくがさっき使ったものを片付け終えるまで、ここで待ってること。手はきちんと自分で組んで、勝手に離したらだめだからね」
 二宮がゆっくりと頷くのを見て小さく息をついた。その呼吸にすら過剰な反応を返してしまいそうになる。
「……タオルとか、結束バンド……は、ないかな。とにかく、道具を使わないのは、なんでかわかる?」
 そんな様子に気付いてか気付かないでか唐突に問われ、戸惑いながらも無言で首を横に振った。まだ、声を出していいのかわからなかったから。
「跡が残らないようにって理由もあるけど。道具で強制されなくても、いい子にできるか見るためだから」
 きゅ、と指先を握られた。念を押すように指先が二宮をくすぐりなぞる。
「セーフワードは?」
「――…Red」
 もし耐えきれなくなったら言えという意味だろう。プレイの初めに確認したことを繰り返したあと、柳瀬は無言で二宮から離れていった。二宮がわかるのは音の情報のみだ。ここから動いてはいけない。身体はおろか首の向きさえ、今の彼には決定権がない。
 はじめの何分かはよかった。背後で彼が動いている音がするから。皿の音、ビニールの音、柳瀬の歩く音。その一つ一つにじっと耳を澄ませていた。彼がキッチンに移動してもゴミ箱を開いたり、洗い物をする音は続いていた。けれどその後、彼の歩く音も気配もしなくなった。きっとこの"お仕置き"の本番は彼の様子がうかがえない状況で放置することなのだろう、部屋の時計の秒針と、せいぜい己の呼吸しか聞こえない。この部屋には自分しかいない。この家の中にも、音がしない以上本当に彼がまだいるのかもわからない。けれど柳瀬の言ったことを守り続けなければならない。
 小さな子供でもないのだ、きっとプレイの一巻でなければここまでの寂寞に襲われることもなかったのだろうが。それでも二宮にとっては己を律しきれなかった罰にはまだ足りないくらいだと思っていた。その感情がSubとしての奉仕精神なのか、おおよそ彼へ向けるにはふさわしくない──例えば、性欲や支配欲のような──そういったものを否定するためなのかの分別すらついていない。どれだけ考えても、きっと堂々巡りなのだろうことはここしばらくの思案でとっくにたどり着いていた。

 一方そのころ柳瀬は、一通り片付けた後キッチンでうなだれていた。
(やってしまった……)
 二宮に果物を食べさせ、舐められた親指を眺める。もう諸々洗ってしまった後だから彼の唾液はすべて洗い流されているのだけれど、彼の舌や、当たった歯や口内の記憶は生々しく思い出せる。顔が赤くなるのを自覚して慌てて記憶を振り払った。
 案内されたフォークも爪楊枝も断って、手から直接食べ物を与えたかったのは柳瀬のわがままだ。まさかそのまま指を舐められるとは思っていなかったとはいえ、果汁も果物の一部と考えれば、"綺麗に"の範期に入らなくもない、の、かもしれない。いや、やっぱりおかしいだろうか。
 どちらにせよ柳瀬は二宮の行為をすぐ止められずに、あまつさえ明確に禁止していないことを"余計な事”としてお仕置きをしている。これでは後出しジャンケンだ。まったくフェアなプレイではない。
 個々人によるだろうが、柳瀬はSubが比較的自由に動くことを好むタイプのDomだ。指示したコマンドさえ守ってくれればたくさん褒めるし、プレイに限らず元々スキンシップが好きなためSubの方からあれこれしてくるのも大歓迎だ。自由に動けるだけの信頼関係が築けているという証拠だし、相手が楽しめていることもわかり純粋にうれしいしキュンとする。もっと気持ちよくしてあげたくなる。だからいつものプレイで二宮を褒めたとき、コマンドでなくとも彼から抱きしめてくるのに柳瀬はとても満たされていた。
 けれどそうしてまで彼の行為を遮ったのは、このままだと当初の取り決めを反故にしてしまいそうだったからだ。性的なコマンドはしない。その取り決めを。
 何も性行為をしたいとか、そういうわけではない。そりゃあ普通の中学生らしく年相応の興味はあるけれと、以前笑い飛ばした通り二宮が白眼視されるような状況に追い込むつもりはない。けれど、ご褒美にどこにキスしてもいいと言った時、考え込んだ末に頬へキスをするような彼を裏切りたくはなかった。あのキスだって、ぼんやりしていた彼の長考の分だけうれしくて心地よくて、気持ちがよかったから。
 Domなら主導権を手渡そうとするなという叱責も含めて、柳瀬は"ただプレイをする仲"以上に二宮のことを好きになってしまったから。
 しかしその結果が、とっさの判断だったとはいえ彼に負担をかけるものだったのはいけないと後悔もしていた。今後もし同じようなことが起きたら信頼関係の崩壊にも繋がりかねない。
 キッチンから見た二宮のいる部屋は死角になっているが、柳瀬のサイドエフェクトであれば彼が言いつけられた通りその場から動いていないことがわかる。腕も変わらずに組んでいるようだ。
 片付けはもうすべて終わったし、初めてのお仕置きであまり長い時間待たせるのもよくない。柳瀬は二宮の元へ戻った。

 柳瀬が近づいているのは足音で分かっていた。呼ばれて、返事をするべきか迷っているうちにひょっこりと脇から顔をのぞかせる。
「片付け終わったよ」
 にこりと笑う。二宮の組まれている指一本ごとを戻して、腕がほどけたところで腕を広げた。ほぼ毎週行われるプレイの積み重ねで、コマンドを終えた後のその行動はハグを意味していたが、二宮は屈むことはなかった。仕方がないので柳瀬は腕を伸ばし、高い位置にある首を抱きつくように引き寄せる。
「よしよし、お仕置き怖かったよね。どう動けばいいのか分からなくなっちゃった?」
「……、」
 無言だけを返す彼に、ホントにやり過ぎちゃったかも、と平常心を装いつつも内心焦っている。ケアもかねてしばらく二宮の後頭部の感触を味わっていると、やがてもぞ、と身じろいだのを肩越しに感じた。
 彼は熱に浮かされたような。しかし途方に暮れたような声をしている。
「──…柳瀬、俺を……躾けてくれ」
「……。いま、したじゃない」
「違う。やってから、じゃない。やる前の話だ。……俺を、縛ってくれ」
 台詞だけを聞くと熱烈だが、そう単純な話ではない。ここでようやく、柳瀬は二宮の行為がしようと思ってした行動ではなかったらしいことに気が付いた。少し考え込み、一つのコマンドを出した。
「匡貴、ハグして」
 それにまたもぞりと動く。至極不思議そうに聞き返された。
「……? しているだろう」
「ぼくからじゃなくって、匡貴からがいいの!」
 駄々をこねるように言った、少々わざとらしかっただろうか。だが意図したとおり彼の腕がうろ、と迷った気配があり、そっと背中に手が回された。いつもよりずっと力のこもっていないハグだ。柳瀬はそっと目を伏せて、けれどもっと強く! と注文をつける。戸惑っている気配はこれ以上なく感じるが、柳瀬は表情が見えないことをいいことに唇をかみしめた。二宮の自由さを、よりにもよって己が損なうようなことはしたくない。やっと、力の入った腕に押されるように息を吐き出した。
「忘れないでね、ぼくのハグはこれぐらい強いから。ぼくがハグしてって言ったら思い出して、絶対にコマンドを優先させること。…──わかった?」
「……ああ、わかった」
 再び彼を、思い切り抱きしめた。一度緩んだ彼の腕が、合わせるようにまた強くなる。柳瀬に言われたことを再確認しているらしい。彼の声は芯を取り戻していた。

2023/06/02