蜜柑とアイスの共存

ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる

二宮さん勉強教えて!


 ボーダー本部ラウンジにて。テーブルにおやつとドリンク、それから勉強道具を広げ、柳瀬と巴は難しい顔をしていた。
「ねぇ~~~わかんない! こた教えて!」
「たっきがわかんないところ、おれが分かるわけないじゃん……」
「ここ授業中寝てたときの範囲なの~!」
 二人とも学校から出た課題に取り組んでいたが、大変苦戦していた。頼れる柿崎隊の先輩たちは現在作戦室で来客対応中だ。
「教科書見ながらでもわかんないや。どうしよう……」
 二人してきょろきょろとあたりを見渡す。どうにか年上かつ頼れそうな人員はいないかと探し、あっ、と声を上げて柳瀬が席を立った。少し離れた場所に立っていた人物の場所へ向かい、二、三回会話を往復させてからその人物とともに戻ってきた。それはいいのだが、巴はその人物に驚き目を丸くした。
「こた! いた~! 超強力な助っ人!!」
 柳瀬は輝くばかりの笑顔である。柳瀬が連れてきた助っ人は、二宮匡貴その人だった。
 戦力過剰じゃない? と巴が思いつつも自力で課題用紙に取り組むことは不可能なため、結局二宮を頼る以外の選択肢はない。緊張しつつもぺこりと頭を下げると二宮はわずかに頷いた。いつも端から見ている印象よりも、より表情が硬い気がする。やっぱり忙しいんじゃ……そう考える間にも柳瀬は嬉々として二宮に質問している。ここ、と広げた問題集の文章と、柳瀬と。そしてもう一度教科書の表紙とを見比べて二宮はしみじみいった。
「……おまえ、本当にガキなんだな……」
「えっ?! なんですか、喧嘩しますか?!」
「助っ人に喧嘩売らないで!」
 ガタガタと立ち上がりかける柳瀬をすかさず巴が静止した。柳瀬も本気で喧嘩しようとしているわけではないため止められればすっと着席する。その気安い様子に、最近二宮さんとちょくちょく会って話をするといってたのは本当だったのだな、と巴は感心していた。友人の言葉を疑っていたわけではないが、やっと実感として湧いたというか。
 結論として、二宮の指導はわかりやすかった。二対一方式であることも手伝ってともすれば教師よりも。まず教科書通りに解かせ、そのうえで引っかかった箇所があればノートに図とともに説明していく。一から十まですべてを説明するわけではなくじゃあ次はどうなるか、を考えさせ、答えが合っていれば頷き間違っていればまたその解説をする。がんじがらめの固結びのようにどこからどのように解いていけばいいのかわからなかった問題も、二宮にかかればちょうちょ結びのようにするりと解けていく。
 すると巴も柳瀬もわっと盛り上がり、あれだけぐだぐだになっていた勉強会が嘘のように次々質問をぶつけていった。
 そしてしばらくたった頃。

「えっ! ほんとに二宮さんが中学生に勉強教えてる!」
 現れたのは二宮隊の犬飼だった。スーツで勉強教えてると塾の先生みたいですね、などと軽口を叩きながら、そろそろ会議の時間が迫っていることを知らせるために呼びに来たらしい。どうやら隊員達の目撃情報を元に二宮を探し出したようだ。返事をした二宮は立ち上がり「ここまでだ」と二人に告げた。
「基本的なことは教えた通りだ。あとは自分で考えてやってみろ」
「ありがとうございました!」
「お忙しいところすみませんでした」
 それぞれ挨拶をする二人に、二宮は真顔で一言。
「おまえたちは太刀川のようにはなるな」
 そう言い残して去っていった。どうしてそこで攻撃手一位の名前が? と疑問符を浮かべている二人に犬飼はフォローを残す。
「ごめんね、二宮さんさっきまで太刀川さんのレポートに付き合わされてたみたいでさ。特に深い意味はないから。じゃあね~チビちゃんたち」
 ひらひらと手を振りすぐに二宮を追いかけていった。確かによくよく考えてみると、柳瀬が二宮を連れてきたときの硬い表情は疲れていた表情にも見える気がする。二人取り残された中学生は、彼らが去っていった方向を見つめて呟いた。
「レポートって感想文とどう違うのかな……」
「さぁ……でも大学生って、みんなレポートに追われてるっていうよね……」
「……ぼくたち、勉強頑張ろうね……..」
「うん……。柿崎さんたちに、あんなこと言わせないようにしなくちゃ……」
 ボーダー攻撃手一位の太刀川慶は、今日も学業面でよき反面教師になっている。



 それから柳瀬はたまに、勉強が行き詰まり他に誰も聞ける人がいなかった場合、二宮に教わりに行くようになった。巴と共に教わった時は太刀川の課題に付き合わされていたためガードが緩くなっていたのかと思いきや、二宮が忙しい時を除いて特に追い払われることもなかった。
「失礼しまー……あれっ誰もいない?」
 にまにましながら見つめていたプリントから顔をあげると、二宮隊作戦室には誰もいない。この時間帯ならいつも誰かしらいるので油断していた。今日は誰もいない日だろうか、でも、だったら鍵がしまっているはず……と首を傾げ、後日改めてアポを取るか勝手に待たせてもらうかをしばし悩み、今日は報告だけだし……と首が待たせてもらう、の方向へ傾いた頃。
「柳瀬くん? いらっしゃい。二宮さんならもうすぐ来ると思うけど……」
 氷見が制服姿で立っていた。ちょうどタイミングが合ったようだ。
「ひゃみ先輩! こんにちは。待たせてもらってもいいですか?」
「もちろん。今日は数学? 英語?」
「今日は……へへ……テストでいい点取れたので、ご報告にと思いまして……」
「! そうなんだ、おめでとう。二宮さんも喜ぶと思うよ」
「えへへ、そうですかね……」
 照れてしまい、手にしているプリントをぱたぱたと靡かせる。氷見はそんな後輩の様子に微笑んで返した。
 元々親交のあった辻はともかくとして、まともに顔を合わせたのが巴との勉強会のときだけだった犬飼と氷見には二宮に勉強を聞きにくる胆力ある中学生として認識されていたらしい。数回のうちに慣れ、作戦室に訪れてもすっと通されるようになり、勉強以外でもたまに辻をランク戦に誘ったりお茶に誘われたり、という緩い関係値を築きつつあった。
 ちなみに柳瀬の行動範囲が広がったことに関して、影浦は「犬飼のとこかよ」と大きな舌打ち(柳瀬が犬飼目当てに訪れることはまずないのだが)をしたところ、「弟子の交友関係狭めんなよ」と仁礼にチョップを食らっていた。絵馬も鳩原の一件以来、二宮を嫌っているためあまりいい顔はしていない。が、勉強を教えてもらっているという話をしたら二人とも沈黙した。むべなるかな。影浦は勉強が得意ではなく、そもそも絵馬は同学年だ。
「あ! 二宮さん!」
「え? ……あ、二宮さんお疲れ様です」
 柳瀬が声を上げたのに氷見が振り返ると、扉が開き二宮が姿を現した。しかしいま柳瀬は、扉が開く前に彼がくることを予見しなかっただろうか。
(……二宮さんセンサー?)
 いやいやそんなまさか。いくら懐いているといってもさすがに。内心で首を振りながら柳瀬が興奮した様子で二宮に報告するのを、デスクを整理しつつ眺める。
「二宮さん、今日テスト返ってきたんです。だから見てほしくって!」
 プリントを手渡しながら平均点よりもどのぐらい高かったとか、そういう情報を付け足している。氷見も自分がいい点数を採れた時、塾講師や親にああいう態度をしていたなぁとほのぼの思い出しつつ見守っていた。二宮の褒めるという行動はこれまで接してきた大人達のそれよりずっと淡白だろうが、わざわざ彼に教えを乞うくらいだからそれでも伝わるのだろうと。
 以前二宮に褒められたことを思い出しほくほくしていたら。
「……問七は使う公式が違うな、もう一度覚えなおす必要がある」
「……あ、はい」
 あっ、と水見は思った。手を止めて彼らを見る。二宮はまっすぐに手元を見ていて、柳瀬は背を向けているから表情がわからない。
「こことここ、はケアレスミスだ。確認すればもう五点はとれたんじゃないか」
 ああっ、と氷見は思った。表情は見えないが、柳瀬の勢いがみるみるしぼんでいくのがわかる。一度間に入った方がいいのだろうか。いやしかし。
 迷っている間にも二宮の指摘は止まらず、それに従い柳瀬の肩も落ちていく。
「それから……」
「もう、いいです」
「は?」
「……いえ、すみません。なんでもないです。見てくださってありがとうございました」
 柳瀬は二宮の手からプリントを引き抜き、明らかに気落ちした様子で……とぼとぼと作戦室を後にした。
「――…おい、まだ終わってないぞ」
 そんな彼の声は閉まった扉に隔たれた。柳瀬の様子がなぜおかしいのか気が付いていないらしい。
「……に、二宮さん……!」
 珍しく焦った様子の氷見に彼は不思議そうにどうしたと返事をする。まったくわかっていない様子の二宮に、どう説明したものかと頭を悩ませた。
 そこで、お疲れ様でーす、と氷見の焦りに反してのんびりとした挨拶が作戦室に響く。
「そこで柳瀬くんと会ったんですけど、辻ちゃん見ても一ミリもテンション上がらないくらい元気なくって」
「何かあったんですか?」
 部屋に入った犬飼と辻が目撃したのは、氷見が二宮に詰め寄っているところだった。

 氷見が事情をかいつまんで説明すると、ああー、と気まずげな二人の視線が二宮に降りかかった。二宮はいまだに何故そうなったのかがわかっていない。普段より三割増しほどの仏頂面で腕を組んでいる。
「おまえたちはわかるのか」
「逆に聞きますけど、なんでわかんないんですか」
 苦笑いの犬飼に突っ込まれまた考え込むように口をつぐむ。氷見が、柳瀬の行動理由を二宮に気付いてほしくてひとつ尋ねた。
「二宮さんは、柳瀬くんが勉強を頑張ってたのはどうしてだと思いますか?」
「自分のためだろ」
 何を言っているんだといわんばかりに二宮が答え、その圧倒的な正しさに三人はさらに頭を抱える。そうだけどそうじゃない。
「……結果を二宮さんのところに持ってきたのは?」
「解答の、見直しのためじゃないのか?」
 やはり分からないらしい。はっとした犬飼が横で悩んでいる辻に声をかける。
「辻ちゃんのクラスもテスト返ってきたっていってなかったっけ」
「え、あ、はい」
「何点だった?」
「一応、九十点ありましたけど……」
「え、すごいね辻くん」
「ねぇ二宮さん聞きました? 辻ちゃん頑張ったんですって!」
「そうか、……辻、よくやった」
 対象を辻にした途端、引き出したかった言葉がするりと出てきた。三人は目を合わせ頷く。
「二宮さん、それです」
「柳瀬くん、きっと二宮さんに、テスト頑張ったねって褒めてほしかったんですよ」
「……?」
 二宮はより怪訝な表情をした。ここまで言って分からなかったどうしよう、と彼らの間に緊張が走る。
「褒められたい?」
「そうです」
「柳瀬が、俺に?」
「はい」
 三人は頷くも、二宮はいまいちピンと来ていないようだ。逆に理解できないことが理解できない、といった様子で、手応えのなさに犬飼はまた口を開く。
「いや、ていうか俺たちにはよく褒めてくれるじゃないですか。そりゃ手放しって訳じゃないし部下と後輩は違うでしょうけど、なんで柳瀬くんはそのハードルが高めなんですか?」
 そう言われてふと、気が付いた。彼らは知らないが柳瀬はDomとして、二宮はSubとして褒める褒められるという関係性にある。ハードルが高いというよりはそもそも「二宮が柳瀬を褒める」という発想がなかったというのが真相だ。
 一般に、年少の者が年長の者に褒められたいと考えるのは普通であると、成果には褒美を与えるべきだと理解しているはずなのに。柳瀬は中学生であり子供であるということを常々意識しようとしていて、尚且つラウンジでも再確認したというのに。
「……辻はどう思う」
「……ええと、出来なかったところを出来るようにしてあげたい、っていう二宮さんの気持ちはわかるんですけど……。テストでどこが出来なかったかは、柳瀬くん本人が一番わかってると思うので……」
 つまり、辻も氷見や犬飼と同じ意見だということだ。
 二宮はしばらく顎に手を置き考え、小さくうなずいた。
「そうか、納得した。……次会った時にでもフォローしておく」
 そう言うと二宮は時計を確認して出ていった。間の悪いことにこれから会議の予定がある。
「また勉強聞きにきてくれればいいけど……」
 その氷見の呟きに、モチベ下がってこなくなるもね~、と犬飼は軽くつぶやいた。辻は心配と同時に、ランク戦で見かけたときに声をかけてみようと考えていた。


2023/06/02