蜜柑とアイスの共存

ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる

東さんと二宮さん


「東さん」
 聞きなれた声に振り返ると、ずいぶんと顔色の悪い顔なじみがいた。部下にしばらく来客があるからと言って出てもらい「話がある」と連絡をよこした二宮を待っていたが、これから聞く話は想像以上に深刻なものなのかもしれない。部下の失踪という、彼にとってもボーダーにとっても重大な事件が起こった直後だけにさすがの二宮も疲労を隠せないのは当然かと、まず心配になった。
「二宮、だいじょう……ぶ、ではないよな、少なくとも。飯は食えてるか?」
「大丈夫です」
 無神経な言葉が口を突きかけて、もう手遅れかもしれないが一一着席を促すように作戦室のソファを指した。
 しかし二宮は目もくれず、いささかふらつきながらも性急な足取りで東との距離を詰める。
「時間を取っていただいた上に、これから不躾な質問をします。先に言っておきます、申し訳ありません」
「――…は、なんだ。一体どうし……」
「東さんはDomですよね。――…俺と、プレイしていただけませんか」
「!」
 その話がくるとは、流石に予想だにしていなかった。他の誰かの発言であれば冗談の可能性もあったが二宮はそんな冗談を言うような人物でもないし、言っているような表情でもない。それはかつて同じ隊の長と部下として過ごしていた経験上、東にははっきりとわかっていた。
 それだけに東は面を食らってしまい、慎重に言葉を選び二宮の説得を試みた。
「いや──すまない。確かに俺はDomだし、二宮が言うならきっと今に至った経緯があるんだろうが……俺には判断材料が少なすぎる。まずは訳を話してくれないか」
 もう一度椅子に視線をやった。二宮は自身を落ち着かせるための大きな深呼吸をして、ゆっくりとソファへ座った。ずいぶんと身体が重そうだ。どうやら彼の顔色が悪いのは、事件のせいだけではないらしい。
 二宮は、これまでプレイの必要性がないSubであったこと、それがここにきて体質が変わってしまったこと、病院で治療を受けるも投薬では限度があり、医療用プレイでは効果がなかったことを東に話した。本部内で倒れかけたときはとある人物に助けてもらったが、それまで関わりのない人物だったことからその先もプレイをする関係性を続けることができるかわからないということも。
「Sub drop直前までいったとき……何故かはわかりませんが、まともなプレイができたのはその時だけなんです。だから、初対面ではない、既知である東さんとならあるいは、と……」
「……そうか。なるほどな」
 ダイナミクス性の体質はそれこそ千差万別だが、なかなか入り組んだ……とでもいうべきか、難儀な体質をしているようだ。二宮が信頼のできるパートナーを見つけるまでのつなぎとして、どうしてもリスクのある性別を打ち明け頼ってきてくれたかわいい元部下を助けることは東にとって負担ではない。
「わかった。やってみよう」
「ありがとうございます。……承諾を得てからこう言うのもなんですが、東さんのパートナーは、大丈夫なんですか」
「ははは、大丈夫だよ。……パートナー以外とのプレイを気にする人も中にはいるんだろうが……簡単なコマンドを二つ三つするだけなら問題ない」
 ――よし、二宮も辛いだろうし、早速始めるか。
 東の言葉をきっかけにプレイは始まった。セーフワードはその場にあったものにして、コマンドをいくつかこなせば体調は改善されると思っていた。
 だが、そうはならなかった。オーソドックスなプレイの手順を踏んでいるはずなのに、出来ていなかった。コンセントに正しく差し込まれたような、スナップボタンを止めたような――あの″繋がっている″感覚が、東とのプレイでも得られなかった。
 東もこんな経験は初めてのようで、困惑した表情を浮かべている。組織の育成を担うメンバーとして多くの信頼を集めている人物だ、これまでに軽いプレイを頼まれたり、そうでなくとも日常生活の中で周囲の人間を褒めたり鼓舞することでダイナミクスに起因する諸問題を解決したことも数多くあるだろう。
「……申し訳ありません、東さん」
「いや、謝らないでくれ。どうしても相性がある。むしろすまないな……事情まで話させておいて」
 二宮は緩く首を振った。やはり体調が悪そうだ。近寄りがたいと思われがちな二宮へ、緊急時とはいえ手を貸したDomならば、最悪でも二宮に無体を強いることはないだろうと考え口を開く。
「……その、助けてくれた人物にまた依頼する方がいいんじゃないか? よく知らない人物とはいえ、背に腹は変えられないだろう」
「……それは……」
「? ボーダーの隊員なんだろう、それがわかっていれば、どこの誰であるかを探すくらいなら手伝えるが」
「……、中学生なんです」
「え?」
「……中学生、なんです。同世代ならともかく、年少の人物にそう何度も頼むのは…――」
 二宮が口籠っていた理由がわかった。それと同時に東はここ数日流れていた二宮と中学生の噂の原因も理解した。職員やエンジニアはともかく、戦闘員はトリオン器官の発達の関係でほとんどが中高生だ。プレイはいくら平等だというお題目があったとしても、命令をする・されるという立場上、ある程度力関係が発生する。それを防ぐためにセーフワードがあるのだが、二宮が引っ掛かっているのはどうもそれだけではないと東は直感的に思った。
「…….確かに、あんまり大っぴらに言うことでもないが……それだけじゃないな。二宮は一体なにが気になる?」
「……Subにはセーフワードがありますが、Domにはない。もし俺が暴走したら、あいつを……子供を傷つけてしまいます」
「……おまえも子供だよ」
 たしかに、件の中学生よりは大人に近いけれど。言外の言葉は伝わったかどうか、彼はゆるく首を振った。
 二宮が思い出したのは、柳瀬の腕の跡のこと。二宮にはすでに前科があるのだ。いくら命令を受ける側が二宮とはいえ体格差も大きい。もちろん前後不覚になるつもりなどないが、つもりがないままSub drop寸前まで行ってしまったのだ。己に対する信用は、今までほど強固なものではなくなってしまっている。
「……笑われてしまうかもしれませんが、Subの衝動に、時折呑まれそうになるんです。……それが、どうしても──不可解というか……俺が、俺でなくなるような気がして」
「リラックスできないということか。もしかすると、うまくプレイできないのもそこに理由があるのかもしれないな。……そうか、体質が変わるとこういうこともあるのか……」
「すみません、せっかく協力していただいたのに」
「いいや、二宮のせいじゃないだろう。気にするな。……と、言ってもおまえは気にしてしまうんだろうが……」
 苦悩する二宮の言わんとしているところを理解して、東は片眉を上げた。Switch含め、女性のDomと男性のSubがパートナーになる例はいくらでもある。Domは躾やお仕置きを通してSubをコントロールするのだが、二宮は今のところ応急処置のためのプレイしかしていないのだ、信頼関係の土台もない。プレイへの慣れもない。何もないところからそれでもなんとかしていくしかないし、東が二宮とプレイできない以上、東が外野の立場からどうこうできる範囲でもない。ただ、やはり既知の間柄として一つでも不安要素のない生活を送って欲しいと願ってもいる。
「ダイナミクス性の行動……か。あんまり強いときには抑える薬もあると聞くが……」
「一応、飲んでいます。けれど、最初からあまり強い薬にはできないと医者が」
「ああ、それもそうか……。あとは、二宮が躾てもらうしか、ないんじゃないか。もしくはGlareを使うとか……」
 ぴくりと二宮の指先が震えた。やはり多少の抵抗はあるらしいが、たとえばここで迂遠な言葉を使ったとしても本質は変わらないのだ。彼にとってはつらいだろうが、己で律することのできる範囲を超える欲求と向き合う必要がある。それは二宮も重々承知しているところだろう。
 一方でまともにプレイできるDomがひとりしかいないというのも気にかかる。二宮が口にした不安は中学生を傷つけないかという内容だったが、やはりプレイ中はDomに主導権を預けることになるのだ。セーフワードがあったとて、咄嗟にセーフワードを口に出せなければ、もしものときに二宮の身に危険が及ぶ可能性も十分にある。
「……俺もなるべく協力するよ、その中学生のことを気にしておくし……。それから……二宮とプレイできそうなDomを探したりな。あまり知り合いには聞かれたくない話だろう?」
「……そうですね。なるべくは」
「わかった。……あえて脅すようなことを言ったが、二宮なら大丈夫だ」
「……はい。すみません、ありがとうございます」
 激励の意味を込めて彼の肩を軽く叩く。深々と頭を下げ二宮は作戦室を後にした。


2023/05/26
加筆修正:2023/06/24