蜜柑とアイスの共存

恋ってやつは5題

3.勝手に大きくなるのを止められないらしい

「はぁ……」
 授業中。板書をしている教師にはばれないようため息を吐いた。
 今は机の足に白い身体を巻き付けている水基が、ひやりとした鼻先で辰巳の手をつつく。
 彼女と指で遊びながらも、辰巳は思いを懸けている神木出雲について考えていた。
 同じ教室で学ぶ彼女はぴん、と背筋を伸ばし板書を書き写している。
 彼女を好きになってから気が付いたこと。
 まず、考え事や今のような勉強時間は眉が寄ること。
 辰巳の席は彼女の表情がよく見える。
 だからといって隣という訳ではないから、話しかけることが中々できずに悩んでいるのだが。
 次に、得意気になると口が猫の様になること。
 以前荷物を運んだときにもそうだったが、自身を誇らしく思いそれについて堂々と言うことが出来るのは彼女の美点だと思う。
 独特の弧を描く唇は、同じく最近吊ったり垂れたりするのだと知った短めの眉と合いまり、見ていてこちらも清々しい気持ちにさせる。
 端的に言えば、かわいい。
 
 そして、昨日。
 見つけたというべきか見つけてしまったと言うべきか、辰巳は彼女の秘密を知ることになった。
 放課後。いつも通り出雲の友人である朔子と話してから寮へ戻っている途中。
 女子寮と男子寮の分かれ道まで一緒に帰っていると、曲がり角で聞こえてきた声。
 女子が久方ぶりに会った親しい友人との邂逅を喜ぶ時のような。
 好きなアイドルに声援をかけるような。
 要するに、黄色い声や猫撫で声と形容される声。
 その声に聞き覚えがあった。
 何かに気付いたように「あっ」と小さく声を上げた朔子をよそに角を曲がる。
 すると、見慣れたツインテールの少女がしゃがみこんでいた。
「クロちゃん、今日も一人でお散歩でちかー?」
 丁度彼女の影になって見えないが、彼女の目の前に小動物がいるらしい。
 驚き固まる辰巳とそれに気付かずハートマークを飛ばさんばかりに赤ちゃん言葉で話しを続ける出雲。を、どうすることもできず交互にみつめる朴。
 端から見たらどうしても奇妙な光景だろうが、彼らはいたって真面目である。
 そして、その光景は以外にもはやく終わりを迎えた。
 出雲に構われていた小動物が辰巳と朴のいる方向へ逃げてきたのである。
 その小動物は猫だった。
 毛色が名前の由来だったのだろうか。クロと呼ばれた尾が二又に別れた猫は辰巳の手に丁度巻き付いていた水基と目が合い、ぴっと毛を逆立ててからやや方向を転換させ去っていった。
「あっ、クロちゃん……行っちゃっ……」
「あ、……やぁ。神木さん」
「い、出雲ちゃん。塾はまだ大丈夫なの……?」
「……な、」
 名残惜し気にクロの走り去った方向へ振り返る。
 そうすれば、当然辰巳と朴の二人を振り返ることになり。
 辛うじて反応し、敢えて何事もなかったかのように振る舞う二人を見、呆然とする。
 そしてみるみる内に紅く染まる頬。
 ぼんっ、と音がしそうなほど、とうとう彼女は耳まで真っ赤に染め上げ、絶叫した。
「なっ、……なんでここにいるのよっ!!?」
 彼女を襲うのは酷い羞恥心。
 肩を荒く上下させ、二人を、特に辰巳を強く睨み付けている。
 朴は長い付き合いから彼女が猫好きだということは知っていたので苦笑するに留まるが、対する辰巳はどうしたものかと視線をさ迷わせている。
 しかしこのままでは事態が収拾しない。そう判断し口を開く。
「何故って……僕は彼女と寮に戻ろうとしていた所なんだが」
「! ……っていうか……どうしてそもそもあんたと朴が一緒に帰るのよ!」
「え……」
「そっ、それはね出雲ちゃ……」
「まっ……まさかあんた達ホントに付き合ってんじゃないでしょうね!?」
「えっ!?」
「は……神木さんそれは違う」
「じゃぁ何なのよ!」
「どうも何も……」
 そもそもどうして辰巳と朴が付き合うということになっていたのかが二人には理解出来ない。
 しかし二人は知らないが、放課後ちょくちょく二人きりで教室に残っていることはクラスの中でちょっとした噂になっていた。
 そして、彼女自身もその光景を一度目にしたことがあり、その時一緒にいた祓魔塾のメンバーである志摩があの男は彼氏なのかと独り言のように嘆いていたことがある。
 そんな訳がないと吐き捨てた出雲だったが、内心穏やかではなかった。
 加えて休日、二人で街へ買い物に行ったとき朴の携帯が鳴ったことがある。
 それだけならば何も気にすることはないのだが、その時の彼女の微笑みと言ったら。
 平然を装い誰からなのかと聞けば、内緒。と嬉しそうに返ってきた返事。
 噂なんて、と普段ははね除ける出雲も、流石に友人の噂となると気が気でない。
 しかし何故かそれを本人に確かめることもできず、燻っていたのだ。
 以上のことがあり、正直、出雲は辰巳が憎い。
 あんな男あたしは許さないわよ。とでも言いたい。
 じり、と踏み出した辰巳に出雲はたじろぐ。
「な、なによっ」
「僕と朴さんは付き合っていない。ただの友人だ」
「……」
「それに、僕には好きな人がいる。君が心配するようなことは起こり得ないよ」
「! ……へ、へぇ。ならその子のとこ行けばいいじゃない」
「それが中々うまくいかなくてね。彼女と親しい朴さんに相談にのってもらっているんだ」
「そっ、そうなの出雲ちゃん。だから私たち、付き合ってないよ?」
「……ふぅん」
 納得の言葉の筈だがとてもそういう表情には見えない。
 そんなことは解っている辰巳はそういえば、と口を開いた。
「君は猫が好きだったのか」
「な、によ、笑いたいの」
「笑いはしないよ」
「馬鹿にしたいの!?」
「いや……恥ずかしがることはないだろう。動物好きはごく一般的な嗜好だ」
「……解ってるわよ、そんなフォロー入れなくても似合わないことくらい」
「そうやって卑屈にとらえるのは君の悪い癖だな。以前僕に話したときの君の方が好感が持てる」
「誰もあんたに好かれたいなんて思ってないわよ!」
「さぁ。僕としては君の笑顔を見てみたいと思うけれど」
「だからっ……!! そういうことは、好きな子にでも言ってなさい! 気持ち悪い!!」
 彼女はそう言い、くるりと踵を返してすたすた歩いていってしまった。
 朴は出雲の名を呼ぶが、それすら聞こえていないようだ。
 彼女の影が小さくなり、辰巳は呟く。
「……しまった。怒らせる気はなかったんだが」
「えっと……うーん、怒るっていうか、照れてるのも入ってたかも……」
「照れる?」
「う、うん。出雲ちゃん、あんまりああいうこと言われる機会ないと思うし……それに、勅使河原君は異性だから尚更だと思う」
「そう、なのか」
「多分だけど」
「……。でも、そうか。あれだけ言っても好きな女性が自分なのだと気が付かなかったくらいだしな……」
「うん……そうだね」
 降りる沈黙。
 ふぅ、と息を吐き、辰巳は寮に戻ろうと声をかけた。
 
 そんなことがあった昨日。
 彼女にもう一度視線を送ると今度はばちりと目が合った。
 と思えば、すぐさま逸らされてしまった。
 紫がかった髪が揺れ、彼女の表情は伺えない。
 一抹の寂しさに未練がましく彼女をみつめるが今は授業中。
 教師に問題を解くよう指示され席をたつ。
 解答を書く間も、考えるのは彼女の事ばかりだ。
 
 
 
 3.勝手に大きくなるのを止められないらしい
 (彼女のことを知る度に、好きだな、と思う)
 (触れられもしないくせに)