蜜柑とアイスの共存
恋ってやつは5題
「水基、いないのか?」
幼い頃から一緒に過ごしてきた白蛇の姿を探すが、でてくる気配がない。
散歩にでも行っているのだろうと、食堂へ向かった。
「辰巳さん、荷物もちましょうか?」
「……そういうのはいらないといつも言っているだろう」
「あは、でもやっぱりぼくって貴方の従者みたいなものですし」
「いい。……触るな」
「……すみません」
同室者の中には小学校からの付き合いである、普通なら幼馴染みといっても差し支えはないのだろう。
だが全国的にも有名な名家でもある勅使河原家とその使用人の息子である彼とはそのような気軽な付き合いは表だっては難しい。
辰巳は勅使河原家の三男で両親からも目をかけられたことはないと言うのに、そういうところばかりはきちんと線引きをしなければならないという。
何より、昔馴染みが鞄を持とうと一歩近付かれたことに己が嫌悪感を抱くのが一番煩わしかった。
それに気付いた彼は寂しそうに苦笑い。
そんな顔をさせたい訳ではないのに、遠ざけようと、近寄らせまいとするうちに言葉は刺々しくなっていく。
辰巳にはそれが悔しかった。
他人との触れ合いに嫌悪感を抱くのは、他人のせいでも、辰巳のせいでもなかった。
辰巳には、物心つく前から人ならざるものが見えていた。
それは同時に、常人には見えざるものであったのだが、当然物の分別もつかない幼子にそれがわかるはずもなく。
元々、女の子が欲しかった末に誕生した三男という立場だった辰巳の言葉に両親はとうとう嫌悪感を露にし、臭いものに蓋をするように、彼の世話を使用人たちに一任した。
そうして使用人に育てられた辰巳は、体裁や世間体ばかりを気にする両親にため息をつくくらいには平均的な価値観を持っていた。
対して兄たちは必死である。
片や、跡継ぎとして両親の期待以上のことをしなければならない長男。
片や、その補佐役として、場合によっては長男以上の器量を求められる次男。
そんなことをしても両親は結果をみるだけで彼らのことは何一つみていないというのに、哀れだとすら思う。
尤も、辰巳は一歩いやそれ以上に引いたところから見ているのだから、彼自身がその中にいたらどうなるのかは解らないのだが。
そんな両親に育てられた兄たちは当然両親と同じような性格になり、今現在妻はいないもののそれからが心配になるほどのものだ。
ならば、見えざるものか見えていた辰巳は使用人にどう育てられていたのか。
勿論何もないところを指差してあれは何かとたずねる辰巳を気味悪がった使用人もいる。
しかし、神経質で現実主義の両親とは違い、ただの子供の見えない友人として把握する者が殆どだった。
その中でも辰巳が特になついていたのが老齢の女性の使用人であった。
彼女は辰巳の「遊び」に怪訝な顔をしたことは一度もなく、またそれに丁寧な受け答えをしていたし、漂うコールタール(辰巳は知らない呼称だ)を見つめる彼に怖いと感じるものとは目を合わせてはいけないと、見えないふりをしなければならないとこっそり教えてくれた女性でもある。
見えないふりは遊びと称して、見ないふりをする訓練をしていた。
それに水基を庭で見つけたときに、白蛇は神様の使いなんですよ。そう教えてくれたのも彼女だった。
腕に巻き付けていても他の使用人が何も言わなかったことから、彼女は己と同じものが見えていたのだろうと考えている。
「辰巳さん、はやくいきましょう?」
「ああ。……なぁ」
「はい?」
「お前は何か最近、悩み事でもあるのか」
「悩み事……ですか」
「そうだ」
「いえ、特に。悩んでるようにみえましたか?」
「……いや、何もないなら、それでいい」
「そうですか。お気遣いいただきありがとうございます」
にこりと微笑む彼。彼がそういうのなら、きっと僕の気のせいなんだろうと。
見えないふりは慣れている。
この昔馴染みから、自分の腕から。人ならざるものがいつも以上に、大量に付着しているのも、何も見えない。
すべてすべて気のせいなのだ。
*
昼休み。
今日一日、逐一感じていた視線に振り返る。
そこにはクラスメイトである神木出雲と朴朔子。
ツインテールの彼女は平安時代を思わせる眉を寄せてこちらを睨んでいるが、ショートカットの彼女ははっとして目をそらした。
彼女たちと話をしたことはないとは言わないが、それでも課題を集めるときなどごく業務的な内容だったと記憶している。
一体何なんだと首をかしげるが確かめにいく気も起きず、結局は昔馴染みの彼に昼食を摂りにいこうと誘われ席をたった。
結局放課後まで、ちらちらと感じる視線は終わらなかった。
今までに感じたことがあるような媚びのある視線ではない。
どちらかというと、というか明らかに睨み付ける視線だ。
触らぬ神になんとやら。向こうからアクションを起こす気がないのならこちらも気にする必要はないだろう。
辰巳は部活動に所属しているわけではないので、学校が終わったあとは寮に戻るくらいしかない。
昔馴染みの彼は彼でいつもは何かしら用事があるのだが、今日はなにもないらしい。
「……あの、辰巳さん」
「どうした?」
「やっぱり、少しご相談したいことが」
あるんですが。
力なく微笑む彼に教室からの帰り道、人通りの少ない渡り廊下へ出る。
先ほどは辛うじて見えたのだが、いまは彼の表情は黒いもののせいで見ることは叶わない。
胸の内を黒い何かが渦巻いているかのように気分が晴れない。
白蛇の水基がいれば、不思議と楽になるのに。
やっぱりあの子は神の使いなのだろうか。
「それで、相談というのは?」
「……はい、あの」
ゆらり彼の身体が揺れたかと思うと、次の瞬間辰巳の身体は壁に押し付けられ、首を締め上げられた。
油断していたところにその衝撃は相当なもので一瞬息が詰まり、またぎりぎりと絞める手が強くなる。
「……ねぇ、貴方どうして美味しそうなのに、」
「かはっ、……ぐ、」
「あは、解らないや。小さいのがかじるとね、駄目になっちゃうみたいで」
「なに、す……っ」
「でもぼくなら食べても大丈夫かな、あは。もういらないね、食べてもいいよね」
彼の顔は目の前にあるというのに、全く見えない。
触れられた首が気持ち悪い。吐き気がする。今すぐにでも振り払ってしまいたい。
「っあ、ぐ……も、か……」
「え? よく聞こえないですよ? 辰巳さん」
「おまえ……も、同じ……かっ、ぅ……」
生存本能から首を捕まれた手に添えていた手で爪をたてる。
昔からこうだった。
あの使用人も、この昔馴染みも、他にも、何度もこのようなことがあった。
その度に運よく助けられてしまったが、もういい加減良いだろうと。諦めを覚えた方が楽になれるのではないだろうか。
親を諦めたように。見えないでいることを諦めたように。あの使用人を諦めたように。
だが、それはしたくない。
爪を食い込ませることで、正気を持たせる。堪える。嗚呼、嗚呼、気持ち悪い。
「っるな、……」
「なぁにー? だから聞こえなーいよ辰巳さん? あはは」
「僕に、……触るなっ!!」
ばちっ、何かの弾ける音。
それに彼は驚いたのか、辰巳の首から漸く手を離した。
「あは、痛かったよ、何したんですか、ねぇ」
「来るな」
「あれ、目紅い、美味しそう」
「!?」
辰巳の目の色は橙だ。しかし、いまはどういうわけか深い紅に染まっている。
またかと咄嗟に目を押さえるが、そちらに気をとられてしまい、近付く彼がが再び辰巳に手を伸ばしたのに気が付かなかった。
その時。
「ふるえゆらゆらとふるえ……靈の祓い!」
声に合わせて白い二匹の狐が彼の身体を瞬間纏い、光とともに黒いものが消えていく。
数瞬の出来事。咳き込みながらそちらを見やると、気を失ったのか横たわる彼。
その向こう側に、白い狐二匹を携えた、辰巳を一日睨み付けていた少女が立っていた。
「っげほ、……君は」
「……あんた、いつもついてる白蛇はどうしたのよ」
「は、」
「だから白蛇!」
「……水基は、今日は見かけなかったが」
「はぁ!? 使い魔近くに置かなくてどうすんのよ!」
「……使い魔? 何を言っているんだ君は」
「……」
ぎょっとする彼女。
使い魔。聞きなれない単語だが、物語で魔女がつれている猫のようなものと彼女のそれと一致しているのだろうか。
彼女の両脇にいる白狐を見やる。この二匹が彼女の使い魔。
「……お稲荷、様?」
「! そ、そうよ。……なによ、やっぱり悪魔見えるんじゃない……」
「……お稲荷様。助けていただきありがとうございました」
白狐の前に膝をつき、いまはこれしかありませんが、と鞄の中からいくつか駄菓子を出し拝む。
ご機嫌の使い魔とは裏腹に、少女は腑に落ちない様子だ。
「……神木さん、悪魔というのはどういうことだろうか」
「……~っはぁ、めんどくさい! 今からは嫌よ。あたし塾があるから」
「塾?」
「……祓魔塾。今みたいな悪魔に対抗する術を学ぶのよ」
「……そうか。なら君は何故こっちに? 塾があるなら学校に用事はないだろう」
「はぁ? そんなの使い魔もいないコールタールごっそりつれてる奴がのこのこ人気のないとこに行ってたからでしょ! しかも案の定殺されそうになってるし……馬鹿じゃないの!?」
「……態々心配してきてくれたのか」
「心配なんてしてない! 見ないふりしてあんたが明日死体で見つかったりしたらこっちが後味わるいのよ」
「そうか。何はともあれ、僕は君に助けられた。ありがとう」
「……。一般人助けることなんて何でもないわよ。……っ、あたしもう行くから!」
そう言って、出雲は鍵を使い扉をくぐった。
鍵について何も知らない辰巳が首を傾げた頃、ずっと気を失っていた彼が身動ぎする。
話を聞くと放課後暫くの記憶がないらしい。
首の絞め跡に青ざめた彼がどうしたのか辰巳に聞く姿は、いつものよく知っている彼だった。
悪魔、と彼女は言っていた。
今まで、己は拒むことしか出来なかった彼らに疎まれているのだと思っていた。
だから彼女や彼は辰巳のことを殺さんと襲ってくるのではないのかと。
出雲は何でもないことだといってのけたが、辰巳にとっては救い以外のなにものでもなかった。
「神木……出雲、だったか」
照れていたのか、先ほど去る時に朱が指していた頬を思い出す。
一緒にいた狩れに声をかけられても、彼女のことが頭から離れなかった。
1.些細なことをきっかけに生まれるらしい
(彼女にとっては、何でもないこと)
(僕にとっては、とんでもないこと)