蜜柑とアイスの共存

満月シロノ

恋人と家族と、それから不安に思うことについての話

 シンドリアの八人将が一人、ヤムライハはさめざめと泣いていた。その理由といえば。
「えーっ、ヤムまたフられちゃったの?」
 男女の関係についてであった。
 ヤムライハは美人で素直な性格だ。国民の中でも彼女に憧れる人間は多く、その魔法の才能も含め広く認められている。普通に考えれば引く手あまたであろう彼女は「また」フられてしまったのだ。
 昔からの付き合いであるシャルルカンはその理由を「延々と魔法の話をしているから」だと分析しており、またそれも事実なのであるがヤムライハはどうしても、好きな人の前で緊張すると魔法の話しかできなくなってしまうらしい。
 その愚痴は同じ八人将であるスパルトスやマスルール、シャルルカンやピスティ達が付き合って話を聞くことが多い。今回はピスティとスパルトスが付き合っているようだ。
 ヤムライハがフられたという話はちらっと聞いたことがあるものの、傷ついている女性に対してどう対処をしていいのかわからないバドルは今までその場面に鉢合わせてもそっと酒のお供であるおつまみを差し出す程度だったのだが、毎度のことについに慣れたのかひとつの疑問を口にした。
「お付き合いをする相手って、どうしても欲しいものなんですか?」
 その問いかけにぴたりと会話が途切れた。ピスティが軽い口調で「そりゃあね」と答える。
「やっぱり恋人っていいものだよ~、ホラ、楽しくおしゃべりしたり、なんてったって友達とはできないこともあるでしょ」
「できないこと?」
「そりゃあ、セッ──」
「子供に何を教えるつもりだ」
 ぺらぺらと話すピスティの口をふさぎ諫めるスパルトス。不思議そうにしているバドルに静かに首を振ると、深くは突っ込まない方がいいと判断したのかヤムライハに向き直る。
「ヤムライハさまにはこうしてお話をするご友人もいますよね。友人と恋人って、そんなに大きく違うものなのですか?」
「……バドルくんの言うこともわかるわ。お話するだけなら友達とでもできるものね。でも、でもね……やっぱり違うのよ~」
 そうしてまたうるうると瞳をにじませるヤムライハ。泣かせてしまった……とハンカチを差し出すと「ありがとう……」とこれ以上ない涙声で言われた。
 バドルにとっては違いがわからないものも、ヤムライハ本人に直接はっきりと「違うものである」と言われてしまった。そういうものなのか、と首を傾げつつも頭をこねくり回してどうにか納得できる道筋を立てていると、ピスティが口をはさむ。
「ほら、友達は友達だけど、恋人だとゆくゆくは家族になることもあるわけでしょ? やっぱり違うものだよ」
 そういわれると、確かにそうかもしれない。と思った。また失恋のつらさがこみ上げたヤムライハをみんなして慰めて、その時は解散となった。
 
「ジャーファルも、恋人が欲しいと思いますか?」
 唐突なバドルの問いかけに、ジャーファルは持っていた巻物を取り落としそうになった。
 まさか自分の息子(同然にかわいがって養っている子供)がそんなことを尋ねてくるようになるとは、大きくなったな……とどこか勘違いをしたまま成長の喜びをじんわり微笑みに変えて浮かべる。
「いいえ、私はバドルがいれば十分ですよ。……、バドルもついに気になる子ができましたか?」
 その辺に腰掛けて尋ねる。やや難しそうな顔をしている子供におや、と思っているとバドルは首を振った。
「先日、ヤムライハさまがまた好きだった男性にフられてしまったみたいで……。ぼくには、恋人と、友人の違いがよくわからないんです」
 ジャーファルは大方ヤムライハがまた魔法談義をはじめてしまいフられたんだろうな……と予想をつけて相槌を打つ。
「ピスティさまは、恋人はゆくゆくは家族になるものだから、と仰っていました。それは、わかるんです、家族が増えるのは、たぶん、うれしいことだと思うんです。……だから、ジャーファルも恋人が欲しいものなのかな、と思って」
 ごにょごにょと尻すぼみにボリュームが下がっていく、すこし間を開けて座っていたバドルが、ジャーファルに甘えるように寄りかかってきた。うつむかせているその表情は直接は見えないが、きっと浮かない顔をしているのだろう。真っ白なつむじを眺めながらおや、とジャーファルは思う。
「仮に私に恋人ができたとしたら、バドルはうれしくありませんか?」
 所在なさげに遊ばせていた小さな手を取り尋ねると、はっきりしないうめき声が上がる。人の関係性について、いまいち消化しきれていないらしい。
「ぼくは……ジャーファルがうれしいと、うれしいです。だから、ジャーファルに恋人ができても、うれしいと思います」
「そうですか」
「でも……、ジャーファルがフられたら、悲しいと思います」
「……フッ、ふふ、そうですか……」
「!? な……なんで、笑うんですか……!?」
「ふ、フられる前提なんですね……」
「えっ……えっと、そういうわけじゃなくて……」
 フったフられたの話につながるのは不思議ではない。何故ならバドルはヤムライハの失恋話に触発されてこの話を持ち出してきたのだ。身近に存在する恋愛話が失恋ばかりでは、たしかにそう連想してしまうのも必然といえよう。見知らぬ恋人にフられてしまったジャーファルは笑いをこらいきれずにまた吹き出してしまう。
「まぁ、そうですね。私も仕事ばかりですし、せっかくの恋人ができたとしても、すぐにフられてしまうかもしれませんね」
「……そう、ですか」
「……先程も言った通り、私は恋人は必要とはしていませんよ?」
 と言ってみたものの、バドルはあまり腑に落ちない様子でずっと手を握ったり開いたりを繰り返している。何が気になるのだろうか、ジャーファル自身、色恋に関して敏いとは言えない方だと自覚はしているが。
「……バドルは、友人と恋人の違いがわからないんでしたか」
 尋ねると、こっくりとうなずく。
「そのうちに、わかるようになると思います。ハッキリとは言えませんが、もしかするとバドルにもいつか恋人ができて、家族になる日も来るのかもしれません」
 先程ははやとちりだったようだが、興味が出てきたということは、いずれ好きな子ができる日もそう遠くはないのかもしれないとジャーファルは考えている。自分の息子が選ぶ人なのだから、さぞ素敵な人なのだろうなぁと気が早くも空想してみたが、バドルは意外にも首を振った。どうしてだろうと彼の言葉を待っていると、やがてぽつりぽつりとこぼし始める。
「さっき、うれしいって言ったのは嘘かもしれません。ジャーファルに家族ができるのは、あんまり、喜べないかもしれないんです」
 沈んだ声色で、本人も自分の言いたいことを探しながら、という風に話している。余計な言葉は挟まずに、先を促す。
「ジャーファルに家族ができたら、ぼくは、……」
 そこで言葉が途切れてしまった。しばらく待っていても、バドル自身がどういえばいいのか考えあぐねているようで明確なものはでてこない。しかしジャーファルには思い当たることがあった。
「もしかして、バドルはこう思っているのではないですか。私に家族ができたら、バドルは私の家族ではなくなってしまう」
 はじかれたようにバドルが顔を上げた。きっと、合っていたのだろう。そうして不安げに瞳を揺らがせて、「ごめんなさい」とか細くつぶやいた彼に微笑みながら首を振る。不安がることは、いけないことではない。
 顔を上げた拍子にぽろりとこぼれた雫を拭ってやり、ずっと握っていた小さな手をよりしっかりと握りなおす。
「いいですか、はっきり言います。私に家族が増えようと増えまいと、バドルは私の家族です。大事な大事な私の子供です」
 うるんだ真っ赤な瞳と、ジャーファルの黒檀の瞳とを合わせ、しっかりと伝わるように語りかけた。
「もしかすると、誰かから聞いたのかもしれませんね。親子は夫婦がいて、そこから子供が生まれてくるものだと。でも、家族の形はそれだけではありません。これから私か、もしくはバドルに家族が増えても、私とバドルは家族のままです」
 堰を切ったようにバドルの瞳からぼろぼろと涙がこぼれていく。本人にさえ心のうろが何なのか、どうして腑に落ちないのかわからない様子だったが、この様子だと、言葉にできないままきっとずっと悩んでいたことなのだろう。痛いくらいに手が握り返される。嗚咽を漏らしながらもう反対の手で目をこすっているが、ジャーファルは「目が赤くなってしまいますよ」とやんわりと止めた。
「バドル」
 名前を呼ぶと泣きながら顔を上げた。手を広げ、我が子を膝の上にのせて抱きしめる。
 バドルは聞き分けのいい子だ。寂しい思いをしていても、自分の中に隠してしまうし直接聞いたとしても大丈夫だと言ってしまえる。だがジャーファルはそんな思いをさせたくない。仕事の上で融通が利かず部屋に戻れない夜も決して少なくはない。とはいえできるだけ仕事を早い段階で切り上げて、彼に寝物語でも読んであげられるように調整しよう。
 血がつながってなかろうと、ジャーファルはとっくにバドルの父親であり、母親なのだから。