蜜柑とアイスの共存

満月シロノ

ひとつ

 星空が厚い雲に覆われ、激しい雨がシンドリアに降り注いでいた。
 そのため表にでている者は全くといって良いほどおらず、いつもは賑わっている通りもこの時ばかりは寂しさに影を落としている様だ。
 ぱしゃりとできたばかりの水溜まりを跳ねさせ、ジャーファルは官服の裾を濡らす。
 王宮へ戻る最中、長い段差をかけ上る彼の視界の端に違和感が過ぎ去った。
 ――…? 
 ともすれば見落としてしまいそうなそれも、しかしジャーファルはぴたりと立ち止まりそちらへ足を向ける。
 その違和感の正体とは。
「――…っ、子供……!?」
 激しい雨粒に身をさらし、ぐったりと地面に倒れ込んでいる小さな肢体。
 ここらではあまり見ない構造の服からのぞく手や足はやつれて小さく、ほぼ肉が残っていないような状態にゾッと背筋が凍る。子供特有の、幼い故の細さとは明らかに違うことが解る。
 抱き上げた際の軽さにも眉を寄せるが、まだ息はあることを確認したジャーファルは、己の服で雨をしのげるよう包んでやり、一刻も早く王宮へ辿り着くため地面を蹴った。
 
 *
 
「ジャーファル、子供を拾ったと聞いたがどういうことだ?」
 侍女にその子供の湯浴みを任せ、雨によりぐっしょりと重みの増した衣服を取り替えた頃、城の主であるシンドバッドが姿を現した。
 手を組み挨拶をしこれまでのいきさつを説明すれば彼は神妙に頷く。
 視線は扉を隔てた向こう側。子供のいる方へと向かった。
「子供の髪は白。肌も、体調の問題もあるのでしょうがとても青白かった。それに、顔に傷跡が……。……シン、そのような子に心当たりは?」
「白髪で顔に傷のある子供……? いや……聞いたことがないな。……白髪、か」
 多人種国家であるシンドリアは肌の色であれ髪の色であれ、はたまた体格であれその者の出自によって大きく異なる。自分たちも例外なく、生まれつきの様々な色の頭髪を持っているが、中でも白髪はそこまで多いわけではない。高齢になってくると色素が抜けてそうなる者もいるが、それはまた別の話だ。
 ジャーファルとて生まれつきの白髪で、それ故後ろ姿だけでは老人に間違えられることも幼い頃からままあるのだが、肌は気候に十分耐えられる色をしている。しかしあの子供は、青白いと形容するにふさわし過ぎた。まるで太陽を浴びたことがないかのような蒼白さは、言葉だけならば深窓の令嬢や令息を思わせるが、いかんせん不健康さが勝る。市井を走り回る子供程度に肉付きがあればまだ印象は変わったかもしれないが、一目で満足な食事が摂れていないことがわかった。
 あまり見ない白髪に痩せこけた身体、幼いながらに顔の目立つ位置にある傷跡。あの容姿は、たとえ人混みの中にいたとしても目立つはずなのだ。
 聞いた情報を組み立て、思案する。視察と称して度々サボりに街へ繰り出すシンドバッドだが、そのような子供がいるという話は今まで見たことも聞いたこともない。
 首を横に降る主にジャーファルはそうですか、と嘆息した。閉じられた瞳の色を見ることは叶わなかったが、あの子供はどんな色をしているのだろうか。
 二人が向かい合うなか、しばらくして侍女数人が出てきた。
 子供はその中の一人に抱えられており、未だ瞼は閉じられたまま。
 服は下に着替えさせたものを着ているはずだが、体温を逃がさないようにと配慮したのだろう、侍女たちの手により子供は白い布にくるまれている。
 そこからのぞく小さな手は湯浴みで幾分かはましになったが、それでもまだ薄い色をしている。
「……シンドバッド様、ジャーファル様。その……」
「……よし、まずはその子をゆっくり寝かせてあげられる所に移そう」
 彼女たちがちら、と周りを気にしているのをくみ取り、シンドバッドは歩き出した。
 
 その小さな身体には不釣り合いなベッドに寝かせ、侍女たちが子供をくるんでいた布を優しく取り払うと、シンドバッドとジャーファルは息を飲んだ。
「これは……殴打の痕?」
「腕にあるのは火傷……でしょうね」
「……腹部や背中、他にも足の付け根など、子供が遊んで出来るような怪我ではないものがありました」
 幼い身体を覆う数多の傷痕。思わず目を背けてしまいたくなるほどの痛々しさ。
 どれだけの暴力をその身に受けてきたのか、殴打の痣に始まりはては切り傷や小さな斑点の火傷とみられる痕も合った。
 髪や顔、手のひらは、湯あみで血色がよくなったのだろう。透き通り薄桃色に色づいているのに対し、胸や腹は紫や赤黒く変色しており痛々しさに思わず眉をしかめる。
 実際、侍女達も痛ましげに涙を浮かべている。
 肉のついていない腕に、傷だらけの身体。
 この子供が今までどんな扱いを受けていたのかは一目瞭然だ。
 ジャーファルの話を聞く限り、この子供は捨て子の様だ。とシンドバッドは考えた。
 自分の国民が子供にこんな仕打ちをしていたなどと信じたくはないが、可能性として全くないとは言い切れない。あるいは他国民が旅行船などに乗せてきた後、この子供ひとりをおいて去ったか。
 真相はどうであれ、時には国外から難民を多く連れ帰ることもあるシンドバッドは、一つの使命感を覚える。出自がわからないとはいえ、その身一つで投げ出されたこの子供は間違いなく助けを必要としている存在だ。
 シンドバッドは国王として、そして人として。この子供を放っておく訳にはいかないと考えた。
 王。そうジャーファルが己を呼ぶのに小さく返事をし、この子は王宮で保護する。
 シンドバッドはそう言い、手早く彼らに指示を出した。