蜜柑とアイスの共存

04

 そして時は流れ。
 今年の夏も全中を制覇した帝光中。佑は主将としての役目を一先ず果たすことができたとほっとしていた。秋。
「小豆キャプテーン! また青峰っちに負けたっスー!」
「おー、まだやろうっつって断られたか?」
「そうなんスよー! 明日も挑戦するっス!」
 後ろから駆けてくる音が聞こえ、振り返って黄瀬を受け止める。
 黄瀬は佑よりも身長があるため抱き付くというよりは覆い被さるような形になってしまう。
 汗だくでも輝く笑顔は今日も相変わらず。まぁ、女の子が騒ぐのも無理はないと思う。練習の邪魔になられるのは非常に困る所であるが。
 わんわんお。
「黄瀬君」
「わぁっ、黒子っち! 驚かせないで欲しいっス!」
「はぁ、すみません……そろそろ自主練の時間も終わりですし、呼びにきたんですが……そうですか、必要ありませんでしたね」
「え! あ、そんなこと言わないでよ黒子っちー! 小豆主将俺もう帰りますね! お疲れ様っス!」
「んー、お疲れ。黄瀬も黒子も気を付けて帰れよ」
「はいっス!」
「はい。先輩もお気をつけて」
 ぶんぶんと手を振り去っていく黄瀬に対し、ぺこりと礼をして佑から離れ部室へと。
 佑は監督と何やら話があるらしい。副部長と共に、彼の元へ向かった。
 部室にて。
 カラーズ六人しかいない部室で、そういえば。と黄瀬が声を上げた。
「次の部長ってもうすぐ発表されるんスよね?」
「……あぁ、そうですね」
「去年は小豆先輩って事に何の疑いもなかったよな。発表されてもやっぱそうか。って感じで」
「いつの間にかアズセンパイが主将にされてたってキレてから部長になったって話でしょー? すげーうるさかった」
「紫原はどうしてあれを聞いて言うことがそれだけしかないのだよ……」
「正しくは副部長だったがな」
 ごそごそと着替えながら会話は途切れることなく続いていく。
 紫原はその間も変わらずお菓子をばりばりと食べているため、荷物に食べかすがぼろぼろ落ちる。
 各々あの事件を思いだし思案顔だが、今年の春に入った黄瀬は当然去年の事など知るはずもない。
「えっ? キレてとかいつの間にかとかどういうことっスか?」
「そういえば黄瀬君は居ませんでしたね」
「小豆澤主将が、前部長の不甲斐なさに激昂したんだ」
「副部長をサル以下呼ばわりしてたのはびびったなー。まぁ俺あいつ好きじゃなかったけど」
「日頃の不満が一気に爆発した。という具合だったのだよ」
「でも、それで正論しかでてこないところが小豆澤先輩らしいですよね」
「そのせいで俺らまで怒られたんじゃん」
「えっ? えっ?」
 ぽつぽつと思い起こすように呟く彼らだが、普段の一見荒々しく見えて細かい所にまで目を向けている現部長の姿からは想像できずに疑問符を飛ばすしかない黄瀬。
 確かに他校との試合のときは普段よりも言葉使いが荒くなるが、それでも荒くなるだけで暴言などは吐かれたことがない。
 勿論、黄瀬はちょっと皆それ詳しく! と面々に噛み付いた。
 *
「……」
 佑は、心中助けを求めていた。
 副部長とともに、相変わらず部内の人間関係には不干渉な監督に呼び出され次期主将についての話を聞いた後、所用を済ませてからの部室。
 右手はドアノブに触れており、また一歩踏み出そうとした足も中途半端に止まってしまい、なんとも奇妙な姿だ。
 部室からは窓が開いていることもあり、扉に耳をくっつけなくとも容易に会話が聞こえる程盛り上がっていてそれ自体には特に問題はない。
 重要なのはその内容である。
「あー小豆? 色々と話多いよな。階段落ちそうになった女子を引っ張り上げたとか受け止めたとか」
「うちのバスケ部キャプテンなんて箔が違うだろー? 生徒会長がどうとかも言われてたらしい」
「俺は高校生の煙草吸ってた不良を非暴力で説き伏せたってきいたなー」
「まじっスか! ?」
 そんな訳がないだろう。
 階段を落ちそうになった女子は、まぁ運というかタイミングがよかったとして。生徒会長は教師のただの冗談だし、そもそも立候補制である。煙草を吸った高校生とは一体どこからでてきた話だ。
 というか三年の声が明らかに面白がっているということに気が付け、黄瀬。
 黄瀬がいるということはキセキもいるんだろう? 黙ってないで否定しろ。それはおかしいと。
 今中に入り己の口から否定するのがいいのかどうかずっと迷っていれば、三年が飽きたのか次第に話題の軸はずれていく。
 これ幸いと佑はほっと安堵と疲労のため息を吐き、扉を開けた。
「お前ら早く着替えろー。俺より遅かったらなか閉じ込めるからなー」
「小豆先輩!」
「お、小豆」
「……って、二年はもう着替え終わってんのか。何でいつまでも駄弁ってんださっさと帰れもう暗くなんのはえーんだから」
「小豆澤先輩のお話を聞いていたんです」
「は?」
「女子に同時に五人から誰が好きなの? って聞かれたってほんとか? おっぱいでかい奴いた?」
 話がずれたと思って部室に入ったのに。
 取り敢えずおっぱいのことしか頭にないらしい青峰には脳天チョップを食らわせておいた。背伸びをしなければならないという事実にコンプレックスを刺激されるという悲しい事態にもなったが。
 というか、この話も荒唐無稽なものだ。
「そんな状況なるわけねぇだろ……」
「えっ、ないんスか! ?」
「なるのはお前ぐらいだ」
「えーあれ嘘だったのか」
「そもそもどうしてそんな話がでてきた」
「サッカー部の石田が言ってた。あいつの彼女が目撃したって」
「……誰だ?」
「おまっあいつ知らねぇのかよ! ほんと覚えてんのはバスケ部だけだな!」
 首を捻り石田とやらの顔を思い出そうとするも上手くいかない。確か朝礼で聞いたことがあるような、ないような。
 そもそもバスケ部以外、特に仲がいいわけでもないのに覚える必要はないだろう。
 そう言えば紫原がさくさくしていたまいう棒をかじりながら口を開く。
「アズセンパイってバスケ部全員覚えてんの?」
「覚えてないと遠征いった時とか色々不便だしな。部長として部員把握してんのは当たり前だし」
「え、それ一軍バスケ部だけっスよね?」
「は? 何いってんだ三軍まで全員に決まってんだろ」
「え」
「まじかよ」
「は? 百人以上を?」
「……おお」
「……何でそんな驚いてんだ」
「いや……えっ、」
「あ、流石に幽霊部員までは顔と名前一致してねぇよ?」
「それでも覚えてんのかよ」
「すげー……」
 感嘆の声が上がるなか、佑はそれに眉を寄せ訝しげだ。
 どうやら、彼の中の部長としての務めの範囲は彼らが思っていた以上に広かったらしい。
「あ、さっさとしねぇとまじで門閉まる。まじで二年はよ帰れお前らも着替えろ荷物纏めろ」
 ふと壁にかかった時計を視界にいれ存外に時間がたってしまったことを知ると、佑は指示をだす。
 おつかれぇー。と扉に一番近かった紫原の気の抜けるような声に続き、緑間や青峰達も挨拶をしてでていく。
 佑や他の三年はそれに言葉を返し、ぱたりとしまった扉をみつめた。
 そして、ごそごそと練習着に手をかけ同輩へ声をかけた。
「何で俺の意味不明武勇伝みたいな話になってたんだ?」
「俺らが着替えにきたら、二年が次期部長がどうのとかいってたんだよ」
「だから現部長の凄さを後輩に伝えてやろうとだな……」
「唯の法螺じゃねぇか」
 てへぺろ。なんて大してかわいくもない仕草をしてみせる副部長にいらりとするがなんとかこらえる。
 佑激昂事件以来、現三年の二年に対する態度は軟化しそこそこ良い信頼関係を築けているとは思っていたが、そんな変な話題で盛り上がるのはどうなのだろうと嘆息する。
 つーかさ、と部員の一人が発した声にシャツのボタンをかけながら視線をそちらへとやる。
「結局赤司が次の主将な訳だろ? あいつならアズ以上の伝説作るよな、絶対」
「……何で知ってんだ」
「いや、聞かなくてもわかるって。青峰と紫原はサボり癖あるからそこで問題外だろ?」
「黄瀬はあれだ、興味ある奴とない奴の扱いの差が半端ねぇ。主将には向いてねーだろ」
「あー、まぁいんじゃないスか? とか言われたときは絞め殺したろかこいつ。って思ったわ俺」
 からからと笑いながら物騒なことをいってのける副部長。
 まぁ、あの時よりはましな態度だが黄瀬は佑以外の三年を見下しているきらいがある。
 指折り候補を潰していく同輩三名を遠い目で眺めていた。
「黒子は存在感ないしなー。遠征先で部長が迷子とかありえん」
「緑間に至ってはおは朝命だしな。試合を順位が悪かったからって欠場とかありえねぇマジありえねぇ! あいつが部長なったらバスケ部終わるわ」
 熱弁する彼へ言い過ぎだろ、と笑いながらの突っ込みが入る。
 まぁ確かに緑間は無理かなぁ。なんて佑も思った。
「……ってな訳で、消去法じゃなくても赤司一択だよな」
「アズの時と大してかわんねぇよなー」
「そもそも一年のときから風格あったから」
「で、そんな赤司を小豆はどう思うんだよ。現部長さん?」
「あ……あ? 俺?」
 ネクタイをしめていると、突然振られた話。
 笑われながらもそうだな、と溢す。
「正直、赤司にキャプテンは任せたくない」
 ため息を吐きながら、ブレザーを羽織ろうとした手を止め一言ぽつりと呟く。
 まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったようで、しん、とした空気に一瞬包まれた。
 しかしそんな空気は副部長の笑いを含んだ声によって霧散する。
「なんでだよ、僻みかー?」
「まじで。やっぱお前も嫉妬とかするんだなー」
「は! ? ちげぇよ!」
 肩をばしばしと遠慮なく叩かれ、思わず後ずさった先にファイルが積み重ねてあったのに気付かず倒してしまった。
 それが彼らの腹筋を動かしたようで、愉快そうな笑い声をBGMに佑はファイルを拾う。
「……いや、だからさ。赤司は……いつか疲れすぎて倒れるんじゃないかって、すげぇ心配になるんだよ」
「……えー」
「いや……ねぇだろ」
「お前まじでたまに言ってること意味わかんねーわ」
 佑の発言自体が面白かったのか、それとも落ちたファイルの笑いが尾を引いているのか。彼らは未だに腹を抱えている。
 それに唸り、だから! と声を上げる。
 ふっ、と彼の顔を思いだして。
「もう主将は決まったし、……あいつを現部長の俺が仕事教えつつ、精神的に育ててやんのが最後の仕事かな……なんて」
 口元は、意識せずとも緩んでいた。
 笑われていたことはもう頭から消えているのか、落としたファイルを片付ける佑は鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気だ。
 そんな彼に副部長を含めた部員は顔を見合わせ、苦笑する。
「──…あれ?」
 最後にどけたファイルの一塊の下にあった、見覚えのあるタオル。
 かつて赤司に借りたタオルが床に落ちていたのだ。
「落とし物?」
「赤司のだ。珍しいなあいつが忘れ物なんて」
「お前が急かしたからだろ」
「俺のせいかよ……まぁ、ここに置いといても明日の朝練で回収するよな」
「そうだな」
「オレらも帰ろーぜ、腹へったー」
 各々荷物を纏め、佑も拾ったタオルを畳みベンチへと置く。
 最後にそのタオル以外に忘れ物がないことを確認し、部室の鍵を締めた。