蜜柑とアイスの共存
02
「おーし!今日の練習は終わりだ!」
「ありがとうございました!」
モップがけも終わり、部長の挨拶に一同が礼をする。
これからの時間は自主練習のために体育館が開放される。バスケ部が強豪であるが故に、下校時刻後も自由に使用できるのだ。
新学期が始まり、暦の上ではもうとっくに秋だというのに、まだまだ暑さの引く気配はない。
運動をする場所のはずなのに体育館は蒸し風呂状態で、ただ立っているだけでもじっとりと汗が滲む。
今日も、多くの者が練習のために残っていくようだ。
「大丈夫か黒子」
マネージャーの作ったスポドリを、最後の気力で挨拶を終えたのだろう、死んだように転がっている黒子の脇に置き様子を伺う。
閉じられていた瞼が上がり、視線が合わさる。
普通の人より動きにくいらしい表情筋はやはり動かず。年上相手に寝たままは失礼だと思ったのか腕に力をいれ起き上がろうと。しかし、ぺしゃりと崩れ落ちてしまった。
「……小豆澤先輩、すみません。腕に力が入らなくて……、それと、スポドリありがとうございます」
「いいよ気にすんな」
「先輩も自主練、残っていくんですか?」
「残る。も、ってことは黒子も残るんだよな?」
「はい。パス練をしようと……思ってたのですが、いつも付き合ってくれる青峰君が今日は休みなので、普通にシュート練習をしようかと」
「……本当、青峰が休むとか想像できねぇ」
「馬鹿は風邪を引きませんが、夏風邪は引くといいますよね」
「お前さらっと辛辣だよな。……あ、ならパス練俺が付き合うけど」
「……えっ」
「勿論お前がよければ、たけど。青峰との練習ならいつも見てるし、アドバイスもできると思うんだが……とうだ?」
提案を持ちかけると、黒子はわずかに目を見開いた。気がした。
ついこの間赤司が三軍から引き抜いてきたばかりなので付き合いは極短いものだが、小心者故に人の顔色を常に伺いまくっている佑にもわからない程に強情な黒子の表情筋に戦いた。
逡巡するようにやや視線を躊躇わせてから、黒子はですが、と言葉を繋げた。
「それでは小豆澤先輩の練習の邪魔になってしまいます」
「その俺がいいっていってんだ。こういう時は遠慮なんかするなよ」
「……、……なら、遠慮なく……よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
体力が戻ってきたのか、先程と違い腕に力をいれても崩れ落ちることはなく正座をしご丁寧にもぺこりと一礼。
佑もにっこりと笑い返し、黒子に倣うように正座をしぺこりと礼をした。
「……何をしているのだよ。黒子、小豆澤先輩」
「緑間君……先輩にパス練の相手をお願いしていたところです」
「緑間はシュート練か。すまん、今すぐどく」
「……」
体育館で汗だくの男子生徒二人が向き合って頭を下げているのはなんとも奇妙に写るのだろう。
はっとして 立ち上がり黒子のスポドリを拾うと、佑はそう言って黒子を呼んだ。
緑間はボールを片手に、無言で眼鏡のブリッジを押し上げた。なんだその表情は。
緑間の向こう側、体育館の壁際にふらふらと歩いていく部長をみた。基本、紫原の世話は彼がしている。半泣きになりながら体育館掃除をしていた四月よりはましになったが、未だに彼にはほとほと困り果てているらしい。
───事実、今もふらふらになりながら健気に自主練に勤しんでいるようだし。
我関せずを貫いていた副部長は飄々とかわし、彼───否、彼らと極力かかわり合おうとしない。
監督や顧問は帝光の理念に反しなければ何も文句は言わない。ノータッチ。全く役に立たない。
部長は赤司が構わない時の紫原の世話で忙しく、副部長、監督、顧問はいないのと同じ。そこで白羽の矢がたったのが、小豆澤佑だった。
彼は小学生の頃クラブチームのキャプテンをつとめていた経験があり、リーダーシップもある。
お前いけよ。いやお前がいけよ。そんな気まずい空気の中、一軍の問題児以外のメンバーの、矢印という名の視線の集中砲火には無視ができなかった。
っていうかあれだろ。あえて何も言わないのは俺が何かあって、お前らがいけって言ったんだろといった時にしらばっくれるためだろ。いやお前が自分からやったんだし。空気?視線?ちょっと自意識過剰なんじゃないの。大丈夫?あ、大丈夫じゃないか。笑。殴るぞ。
なーんていう展開が容易に想像できるくらいには、あいつらの、特に佑と同期の部員の仲間を生け贄に差し出すときの素早さは見上げたものだった。正直そんなものより後輩にいうことを聞かせるスキルを上げろ。今直ぐにだ。パラメータカンストしろ。させろ。
勿論こんなことを口に出せる訳がない。というか殴るぞという言葉が自分からでてくるだなんて。いらないストレスで多重人格者にでもなったのだろうか。
黒子のパス練練習に付き合いながら、佑は蟠りを募らせていくのだった。
「黒子。パスする時のフォーム、肘が上がりすぎだ。それで身体の軸がぶれてる。視線をちゃんと固定すればちゃんと投げれるから」
「はい。やってみます」
気になった点を指摘すれば直ぐに返ってくる素直な返事。
後輩といえば想像するのはこういうものだ。決してお菓子をぼろぼろこぼしたり、やたら上に立つ者の風格を醸し出していたり、どれだけ変なフォームでシュートできるか試したり、喧嘩癖があったりだったりしない。
黒子は、一軍一年組唯一の良心だった。
まぁ、先述した通り後輩が後輩らしからぬ言動をしていようと、佑にとってはかわいい後輩にはかわりないのだが。
───なんて洩らしたら、同輩先輩にすごい目でみられた。
それからというもの。「カラーズで困ったときは小豆澤に任せる」という暗黙の了解ができあがっていた。
「……っ、と!」
「すみません……っ」
「大丈夫だ、集中力切れてきてるから一旦休んで水分とれ!」
佑はかなりのスピードで戻ってきたボールを取りきれず、それは指先をかすり扉から外へ出ていってしまった。
はい、と頷きそのまま崩れるように座り込んだ黒子に苦笑し、ころころと転がるボールを追ってとうに暗くなった角を、何か躓き転んではいけないと慎重に曲がる。
そして、ふと足を止めた。
体育館裏。体育館の土台のコンクリートがあるものの雑草に覆われたそこ。
小さな影は、光に慣れた目では瞬時に人であることは認識できず、だが唯の物にしては覚える違和感があり。しばらく足を止めたまま目を慣らし、それが人で、カラーズの一人であると漸く気付いた。
「……赤司」
壁に背を預け、膝を抱えそこに頭を乗せるという形で座っているので眠っているのだろうかと声をかけた。
頭が少し揺れた。返事のつもりだろうか。何にせよ、彼は起きているようだ。
部活が終わった辺りから姿が見えなかったから当然帰ったものだと思っていたが。
暗闇の中で小さくなっている彼は灰崎や青峰を椅子にして座っている様子からは想像できない程弱々しく見えた。
普段からプライドが高そうな彼であるが、この姿を佑に見せているのは信頼しているからか、とるに足らない程の存在なのか。それとも、普段通りに振る舞おうとする気力さえない程に消耗しているのか。
当の魔王の背中から近寄るなオーラがでている事から、悲しくも信頼しているから。というのはないだろうが。
いくら影で支配者だの魔王だのと囁かれていようと、彼は己より年下の、中学一年生なのだ。
もしかすると、まず違うだろうが、彼も自分と同じように本性を何かで覆ってしまっているのだろうか。
そうじゃなくとも、あまり多くの事を溜め込んで欲しくない。簡潔に言えば、庇護欲をそそられたのだ。
唯の己のお節介な想像だが、こうやって一人堪えていたのだろうか。そう考えると、自然に手は彼へと伸びており。
「お疲れさま」
極々自然に、するりと口をついた言葉。それと、さらりとした髪にぽん、と置き、そのまま丸い頭を優しく撫ぜた手。
何だか、頑張りすぎている気がしたから。
自分でも驚くくらい、柔らかな声だった。
赤司が、顔を上げた。心底驚いたようだ。気が付けば先程までの近寄るなオーラは成りを潜めており、本当に、当然の事ながら自分よりも子供なのだろうと思う。
そんなに頑張らなくても誰も責めないから。そういえば、彼の端正な眉がきゅう、と皺を作った。
あ、怒ったかな。言葉選びが違ったか。なんて思い、もう余計な事は言うまいと最後に彼の頭を軽く二回ぽんぽん、と叩き、中腰になっていた体勢を正した。
「タオルかけてるけど、あんま身体冷やすなよ」
「……」
最後にそれだけ言い、当初の目的である転がったボールを拾い、ひらり手を降り角を曲がった。
その時彼がどんな表情をしていたのかは、当然ながら佑には解らない。